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六 師匠の遺産

 バームフォーの書斎まで案内される間、執事の服装をした中年の男がこれにつき従った。執事は中肉中背で特徴がなく、立ち居振る舞いに奇妙なほど癖がない。歩き方にも癖は少ないが、どこかリガメントの歩き方に近いような印象をサーシャは抱いた。武術の心得のある、もしかしたら執事を装った兵士なのかもしれない。サーシャの脱走を警戒されているのだろうか。たしかに、マスマロウの街からの道中で脱走をはかり逃げ延びた実績があるから、やむを得ないかもしれない。だが警戒されているのだとすれば、脱走は慎重に実行する必要がありそうだった。

 あとは、堂々と振る舞うことかもしれない。自分こそがそよ風病の治療法を知っていて、自分を殺せばこれを聞き出すことが出来ない、という振る舞いを心掛けること。

 バームフォーとコロンテスティン伯爵が王太后の治療法を見出し、実績と権力を得たいことは知れていた。カーディオやリガメントから話を聞いていたおかげである。

 少なくとも治療法を盾に、身の安全を図ることができそうだった。あとは助かる道を探すこと、とにかく無事に生き延びることが最優先である。


 廊下には刺繍の施された絨毯が敷き詰められていて、足音が静かである。室内を照らす照明具には多くの飾りがつけられていて、この飾りが光を照り返しとても明るく感じられる。扉の彫刻も複雑なものが多く、なるほど豪華な貴族の城とはこういうものか、とサーシャはまじまじと調度を観察しながら歩いた。辺境城はもっと簡素で素朴である。だが、サーシャには辺境城の方が落ち着くように思えた。

「ここだ。入れ」

 バームフォーがドアを開けてさっさと中に入っていく。執事の男を振り向くと、執事は慇懃(いんぎん)に頭を下げ、手振りで中へ入るよう示した。振り向きもしないバームフォーも、何も話さずサーシャを案内する執事も、どちらも感じが悪いとサーシャは思う。むっとしながら部屋に入ると、そこはバームフォーに与えられた書斎らしかった。

 部屋の正面には窓があり、その真下に大きく立派な机が置かれている。机の上は走り書きの紙切れとペン、専門書が乱雑に散らばっていた。

 部屋の左側は壁一面が本棚だった。たくさんの専門書が、乱雑に収納されている。本棚に収まらない書籍が何冊も、床に雑多に積まれていた。

部屋の右側には扉があり、どこか別の部屋に続いていた。バームフォーの自室か、あるいは治療室に続いているのかもしれなかった。

 サーシャが机の上に散らばる専門書を拾い集めていると、その下から開かれたままのノートが出てきた。筆跡が懐かしい。この筆跡は、バームフォーではなくアルテリオ老師のものだ。

「あ」

 ノートを閉じると表紙に見覚えがあった。二年前までアルテリオ老師が書きためていた、そよ風病の研究をまとめたノートだった。老師の肉筆が、その筆跡が慕わしくて懐かしくて、サーシャは涙ぐみそうになる。

 冒頭の数ページをめくる。このあたりの記載は、たしか五才のサーシャがアルテリオ老師にひきとられた直後のものである。幼いサーシャ文字の読み書きを習う傍らで、アルテリオ老師が熱心に書き留めていたことを覚えている。十年前の当時、そよ風病についてわかっていたこと、老師が考えていたことが簡潔にまとめられていた。


『そよ風病は、起源不明の謎の病気である。全身のあちこちに発疹ができ、これが激しい痛みを引き起こす。そよ風ほどの微風でも激しく痛む、との(たと)えから「そよ風病」と名付けられた。

 発症の原因も不明である。治療魔術師に伝染した事例がなく、伝染性は否定されたと考えられる。

 身体の痛みは激しく、日常生活を続けることができない。また、発疹が消えて後も皮膚に痛みを覚えることが問題である。ときおり痛みが消えることがあるが、より強い痛みとともに不定期に再発する。また再発時の痛む場所は、発疹のなかった場所に広がることもある。

 そよ風病の症状が進行すると、昼夜を問わず痛みを感じるようになり、患者の療養の質が低下する。この状況が長らく続くことで、患者が衰弱し、やがて死に至ることが分かっている。

 総括すると、治療が困難であり、さらに完治の確認が難しいため、不治の病とされている。』


(あ、これ)

 ノートを読み進めていくと、覚えのある記載があった。たしか、アルテリオ老師の元を立派な口ひげの客人が訪ねてきていて、十才のサーシャが意見を求められたときのことだ。

『盟友の来訪あり。今は痛みを緩和する治療法が盛んに探索されているが、研究は遅々として進まないとのこと。盟友がサーシャに声をかけて意見を求めた。「痛みを強くする方法が分かれば、痛みを弱める方法が分かるのでは」とサーシャが答えた。痛みについて詳しく検討することは非常に興味深い。我が弟子ながら、独創性に満ちており大変宜しい。盟友の唖然とした顔を久しぶりに見ることができて、非常に満足である」

 思い返せば、なんとも生意気なことを言ったな、と恥ずかしくなってしまう。それでもアルテリオ老師の褒め言葉が書かれていて、まるで今褒められたような気持ちになってしまった。敵地にある今、非常に心強いものである。

 サーシャが読んでいるものを見て、バームフォーが声を荒げた。

「おい、誰が触っていいと言った」

 この声を黙殺して、サーシャは戸口に控える執事の男に尋ねた。

「王太后様の病状は、現在はどのようなものなんですか?」

 男はまさか自分が問われるとは思わなかったようで、不審な顔でこちらを見ている。

「症状によっては、かなりお急ぎかと思われるのですが。これまでの経過を全く存じ上げないので教えてください」

 サーシャが早口に促すと、執事の男は渋面で口を開いた。

「当方もさほど詳しくはありません。ただ、ここ三年ほどは身体のお痛みがひどく、昨今はほとんど伏せっておられるとか」

 ほぼ寝たきりなのであれば、王太后には衰弱が始まっていると考えられる。この状態に陥ってしまうと、食事や薬で衰弱の進行を抑える他はない、とサーシャはアルテリオ老師から聞いた。きっと今頃、王宮では様々な薬が作られているのだろう。薬草の値段が三倍に跳ね上がるわけである。

「かなり、宜しくないですね。じゃあ、今の研究の最先端はどうなってるんですか?」

 サーシャが問うと、バームフォーはそっぽを向いた。

「俺が知るか」

 他ならぬバームフォーもそよ風病の治療法を研究しているのではないのか。その答えはちょっとあんまりではないのか。サーシャがバームフォーを呆然と眺めると、バームフォーは渋面でぼやいた。

「親父の生前から劇的な変化はねぇよ。いろんなやつが突飛な案を出して、実証できずに消えてった。……俺を馬鹿にするだけ馬鹿にして、勝手に消えやがるとか、ざまぁねぇよなぁ」

 バームフォーは毒づいて口元をゆがめる。その顔のまま、サーシャを煽った。

「さて、お前はどうかな?」

 これまでの恨み辛みで苛立ちはする。でも、バームフォーのもとには情報も進展もない、と理解できた。よほどカーディオやリガメントの方が詳しかったように思う。サーシャは今度こそバームフォーを黙殺することにして、視線をノートに戻した。そのまま読み進めていくと、記載内容はどんどん新しいものになった。


『奇妙な知らせを受け取った。神経らしき糸の付近に病素が集まっているところを、偶然観察できたそうである。これまで、そよ風病の病素は見つかっていない。従って、真にそよ風病の病素観察に成功したのであれば非常に画期的であり、興味深い。しかし手紙には続報があった。病素が観察された左腹部に治療魔術を行使したが、症状は改善しなかった。別の病を引き起こす病素を観察して混同していたのか。それともそよ風病の病素を駆逐しても、そよ風病の完治には至らないのか。難しい問題である』

 アルテリオ老師の記載が、驚きと困惑に溢れた内容に変わった。走り書きの筆跡が乱れていて、アルテリオ老師が真剣に考えを巡らせていたと思われた。

『ぜひそよ風病の病素を探してほしい、と頼んだところさらに続報が届いた。症状が改善しなかった患者について、再度診断魔術を行使したところ、左腹部に病素は確認できなかった、ということだった。あるときは病素が確認でき、あるときは病素が確認できないということである。なぜそのような現象が起こるのだろうか。根拠はないが、病素がどこかに隠れているような気がしてならない』

 アルテリオ老師は博識かつ論理的な人だった。その一方で、突然のひらめき、根拠のない直感もとても大切にしていた、とサーシャは思い出す。アルテリオ老師の直感に関する記載は、これまでノートを読んだ中で最も重要で価値があるようにサーシャには思えた。

(隠れた病素は、どこにいるんだろう)

 通常の病気や怪我であれば、診断魔術で症状を確認し、病素が見つかった場所に治療魔術を使えば、病素を駆逐することができる。

 しかしそよ風病では、診断魔術で病素が見つかった場所に、治療魔術を使っても、病素は駆逐できていなかった。アルテリオ老師の直感が適切だとしたら、病素はどうやって隠れているのだろう。

 (隠れる、かくれんぼ、逃げる、……)

 突然の思いつきに、サーシャの身体が雷に打たれたように震えた。

 (そよ風病の病素は、「動いて」隠れる……?!)

 サーシャがアルテリオ老師から教わったり、専門書の写本をして学んだりした事実によれば、これまでに様々な病気や怪我において、病素が動いた事例はない。

 だが、そよ風病の病素は「動く」としたら?

 たとえば診断魔術により、そよ風病の病素がある場所が分かったとしても。治療魔術が使われるまでに、別の場所へ「動いて」隠れることができれば、病素は駆逐されずに生き残る。ずっと患者の体内で逃げ続けることができるのだ。

(だから、これまでほとんど見つかっていなかった……?)

診断魔術から隠れ、治療魔術から逃れて、病素はずっと患者の体内にいるはずだ。患者の体内に病素があるのならば、診断魔術で見ることはできるはずなのだ。

 サーシャは真剣に、そよ風病の病素を見る方法を考え始めた。


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