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五 クロリネの香り

 カーディオはゆっくりと回復傾向にあるらしい。無事に麻酔薬を抜くこともできた。傷の予後のためしばらくは療養と書類仕事に専念するようリガメントに言い渡され、脱走できないようトラセアがきっちりついて回っているらしい。

 その方がいい。一体あの人はいつ次の怪我をこしらえるのか、分かったものじゃない。

 こちらがどれほど心配したのか、診断魔術では「問題なし」と判明した項目さえ安心できなくて、いつかこの結果が急変してしまうのではとずっと怯えて、こちらの魔力を少々過剰に消費するほど頻繁に診断魔術をかけていた気がする。

 療養を言い渡されたのはサーシャも同様だった。応急処置と診断、調薬、看病に根を詰めすぎて倒れたことをかなり多くの人から認知されているようである。少しでも出歩いていると様々な人から「大丈夫か?!」と過剰に心配され、「大丈夫だから」と説明している間にどこかからエルダが飛んでくる。サーシャにはエルダがついているつもりらしかった。

 だが、カーディオが療養の間に様々な人が様々な業務を肩代わりしていて、城全体がずっと異常事態というか、奇妙に浮ついた状況にあった。きっとトラセアがいればどんと中心で構えてくれて、それで皆が落ち着いたのかもしれないけれど、トラセアにはカーディオの監視という大切な役目がある。療養期間はかなり長く続くとサーシャは予想していて、まだまだこの状況が続きそうだった。


「順調ですね。でも動き回ると傷の治りが遅れるので、引き続き療養してくださいね」

 診断魔術を解いたサーシャが話すと、トラセアが重々しく頷いた。カーディオが悲鳴をあげる。

「もうさぁ、寝室は飽きたよ。外に出たくて出たくてたまらないんだけど」

「傷が開くと縫い直しなので、諦めてください」

 サーシャが言い放つと、カーディオはがっくりと肩を落とした。残念ながら、専任診断魔術師として許可できないのだ。

「そもそも、これ以上の発熱に対応できる薬草がほとんど残ってないんですよ」

「え、ないの?」

 リーズが声を上げる。今日はエルダが忙しく、サーシャの監視はリーズに託されていた。

「そうなんですよ。予備の採取地を確保しておくんでした」

 サーシャはため息をついた。

 応急処置の後も、数日にわたってカーディオに複数の薬を使い続けていた。調薬のときも「あと何日分必要か」の見通しが立たないので、在庫を切らさぬように多めに作っていたほどである。結果として、様々な薬草を多量に消費することになった。このため、薬草の残りがかなり心もとない。薬草園ではまだ新しい葉が育っていない。採取を十日は待ってほしいと庭師のシグムから頼まれているほどだ。

「裏の森や山で探せば良いのでしょうが、今は誰にもその余裕がありません。サーシャには馬車を出しますから、城下町の市場で調達をお願いします」

 ぴしゃりとトラセアが言い放ち、カーディオの外出の言い訳を封じた。

「でも、高いんじゃ」

 自力で取ってくる薬草は無料である。一方、市場での調達は質もまちまちで、値段も変動が大きい。とはいえ、薬草の見分けが付かない人にうかつに頼むこともできない。よく似た毒草もたくさんあるので、目利きは必要だった。

「非常事態ですから、やむを得ません。予算を割きましょう」

「わかりました」

 必要経費とはいえ、財布を預けられると非常に緊張する。

「リーズ、後でついてきてくれる?」

「いいよー。あたし、今日はサーシャを見守る日だからね」

 リーズに頼むと、楽しそうに同意してくれた。メイドの仕事に追われるよりも、雑談しながら買い出しの方が楽という声が聞こえてきそうである。

「午後、行ってきますね」

 サーシャがトラセアに話すと、トラセアは重々しく頷いた。

「頼みますよ」

 小さな声で「いいなぁ」とカーディオがつぶやくのが聞こえた。サーシャは苦笑して、城下町で何か面白そうなものを見かけたら、帰った後に話してあげようかな、と思った。


 リーズと一緒に城下町まで来たサーシャは、薬草の露店を見るなり頭を抱えてしまった。

「どうしたの?」

 リーズの問いに、サーシャは青ざめて答えた。

「薬草、すごく値上がりしてる。どうしよう……」

 滅多に薬草を買うこともなかったが、記憶にある値段の三倍はしている。城下町の物価はマスマロウとそれほど変わらないし、長雨や干ばつも聞かない。薬草の高額そのものが異常事態だった。

「いま、国中で品薄なんだよ。お貴族様で長いこと病が治らない人がいて、ときどき、治療魔術師だのお貴族様の使用人だのが薬草を手当たり次第に買っていくんだ。偽物もたくさん出回るし、採集場所も根こそぎ取っていかれて来年の分が心配だし、どうなるのかねぇ」

 商人も高値を喜ぶ様子がなかった。

 ひとまず、サーシャは本当に足りない最小限だけを買うことにした。買えてよかったとは思うものの、たったこれだけ、と思うと心配で足が竦む。診断魔術を信じるかぎりリスクは低いが、いまのカーディオに急変が起きてしまったら乗り切れないだろう、それほどの少量しかない。

「これ、足りる?」

 想像していた量よりずっと少なかったのだろう。リーズも唖然としてサーシャに尋ねた。

「少しでもあるだけ、まし。でも、本当に足りるかは自信ない」

「やばいね……」

「買い出しでお金が足りないときって、どうしてる?」

「そうだなー。えっと、明日買いに来るから取っといてほしい、って頼む。それか、城まで売りに来てほしいってお願いする」

 リーズは頼りになる。そういう方法があるのか、とサーシャの目からうろこが落ちた。

 せめてもう少し在庫と値段を確認してから方針を決めたい。サーシャとリーズは市場をもう一度うろつくことにした。

 市場の端には見たこともない香辛料を売る露店がいくつかあった。ジイニやガーメントなど薬効がある食料も垣間見えた。薬草が足りないのであれば、そういった代用で考えてもいいかもしれない。マスマロウに居た頃は、たまに近所の老婆に手伝ってもらいながら代用薬をつくることもあった。薬草ほどの効き目はないが、じっくり療養する助けにはきっとなるだろう。代用薬については、城に戻ったときに料理長コスタルにも相談してみたら良いだろう。

 思いつきに集中していたサーシャは、ふらふらと香辛料の露店に近寄っていく。そのときリーズは、薬草の値段を覚えようと真剣になっていて、サーシャの動きに気がついていなかった。

「よし、覚えたよ!サーシャ、次のとこ行こう」

「ごめん、今戻る——」

 サーシャが声を上げると、こちらを振り向いたリーズと目が合う。途端、背後から急に口に布を当てられた。悲鳴を上げる間もなくサーシャはことりと意識を失う。布からは、クロリネの麻酔薬の匂いがした。


 サーシャが目を覚ますと、そこは埃っぽい雑然とした倉庫のような小部屋だった。両手を後ろで縛られている。

(わたし、攫われたんだった。でも、誰に?レクトゥム様?治療魔術師をかき集めてるっていうお貴族様?検討もつかないや)

 幸い足は無事だったので、音を立てぬようそっと立ち上がり、カーテンの隙間から外を確認し、そして絶望した。ちょうど日が暮れるところだった。窓の外は森で、空はまだ明るいが足下は非常に暗い。窓から外に飛び出したとして、上手に逃げ出すには難しそうだった。やがて部屋に現れたのは、誰あろうバームフォーだった。驚くあまり何も言えずにいるサーシャに、バームフォーは言い放った。

「そよ風病について、老師の教えで知っていることをすべて吐け」

 身体がすくんだ。ここはどこだ。何が目的で自分を攫った。レクトゥムに売り飛ばされるのか。なぜそよ風病の治療法を気にするのか。疑問が頭の中で渦巻いていく。

「早くしろよ!」

 彼は一体何を激昂しているのか。絶対服従を強いられていた頃の名残で、怒鳴り声で反射的に身体が竦み上がる。怖い。でも、知っていることなんて何もない。サーシャは悲鳴を上げた。

「知りませんよ!そよ風病についてなんて、何も、なんにも教わったりしてません」

 なぜそっとしていてくれないのか。バームフォーはいつもサーシャに邪険にしていた。邪魔者だと、自分が面倒を見る義理などないと、はっきり言い放ったことは数え切れない。お望み通り、彼の前から姿を消してやった。彼に頼らず生きていく術を見つけた。今のように激昂されるいわれなどないはずだ。

「嘘をつけ!」

(落ち着け、わたし)

「嘘じゃありません。師匠の遺品は全てあなたが継承しました」

 バームフォーを見据えてはっきり言い放つと、バームフォーが初めてひるんだ。

「師匠が遺したものは全てあなたのものになりました。満足ですか?治療院を閉じて、専門書や魔術具の全てを馬車で運んだでしょう。わたしは身ひとつで逃げたから、私の手元には何も残っていません」

「嘘だ。そんなはずはない。お前しかいない、お前が知ってなきゃおかしいんだ」

 バームフォーは狼狽(うろた)えながらサーシャを指さす、その手は(おこり)のように震えていた。彼は一体サーシャの何を確信しているのか。言葉が不明瞭で何を推測することもできなかった。

「……あなたは、師匠のものを何一つ、私に渡しませんでした。私は知りません。師匠の教えの何かを探しているというのなら、あなたが遺品を辿ればいいじゃないですか」

「もうやった。とっくにやったとも!それでも見つからない」

「あなたひとりでですか?師匠の弔問にいらしたお弟子さんが、たくさんいたはずです。皆さんの知恵を集めればもっと分かることはあったんじゃないんですか?」

 反駁(はんばく)が勝手に口から滑り出た。けれど論理的だ。

 マスマロウの街に移住してからの弟子はサーシャただひとりだった。サーシャ自身知らないことだったが、アルテリオ老師はかつて王宮主席治療魔術師をしていた、とカーディオが教えてくれた。ならば、王宮に居た頃の師匠はきっと数多くの弟子を育ててきたに違いないのだ。サーシャが見習いを始めたばかりの頃、アルテリオ老師の知恵を求めてたくさんの来客があった。きっと彼らがそうだ。なぜなら彼らは治療法の手がかりを求めていた。他ならぬそよ風病の治療法を。

「師匠のお弟子さんたちはもうみんな立派な治療魔術師をしているでしょう。意見を求めるとしたらそちらじゃないんですか。少なくとも、あなたのせいで指導を受けられなかったわたしが、一体何を知っているとでも?!」

「あいつらじゃだめだ!ふざけるな」

 バームフォーは急に激怒した。マスマロウの街に住んでいた頃も八つ当たりが多かったが、今の彼は度を超して情緒がおかしかった。お前のせいで治療魔術師になれていないサーシャに何を尋ねているのか、という皮肉が伝わった様子もなかった。

「あいつらにこれ以上の業績をくれてなるものか。親父の為し得なかった業績のほとんどをあいつらが持って行った。それなのに、親父に遠く及ばないとあいつらは俺を馬鹿にしやがる。あいつらと親父を超えて老師の称号を得るには、せめてどこかの専任になるには、¬¬¬¬もうそよ風病しか残っていないんだ」

 業績だの称号だのと、ずいぶん贅沢なことを言う、とサーシャの心が冷えた。業績のために人は病や怪我で苦しんでいるとでもいうのか。サーシャに業績を与えたくないあまり、サーシャに師事の機会を与えなかったとでもいうのか。

 サーシャが傍で見上げていたアルテリオ老師は、業績のために治療に携わっていたのではなかったはずだ。王宮在席当時は分からないけれど、マスマロウの街でアルテリオ老師はできるだけ多くの人の怪我や病に手を尽くしていた。サーシャが目指すのはアルテリオ老師のような治療魔術師だ。バームフォーのようにはなるまい、と心に誓う。

「偏見や先入観を持たず、虚心坦懐に患者を観察せよ。……そよ風病の治療法でも何でもないですけれど、師匠の教えの第一といえばこれでしょう」

 サーシャが現在進行形で大切にしている教えだ。きちんと見ることは、多くの気づきを与えてくれる。意外に、見たつもりでいて「見えていない」ことは多い。そもそも、自分の症状を正確に伝えられる患者は希である。無意識に痛む場所がある、無意識に動作を避けている部位がある。これを見抜いて詳しく診察することが、治療の始まりであると何度もアルテリオ老師は語ったものだった。

 初めて応急処置をさせてもらえたカーディオの右足の怪我も、利き腕のことも、サーシャがよく見たことで拓けた道だ。それでもきっとまだ足りない。たとえばトラセアは長年腰痛を患っていると聞くが、所作は美しく表情も上手に取り繕ってしまうので、彼女が本当に辛いときをまだサーシャは気付くことができない。リガメントもそうだ。カーディオが頻繁に怪我をすることに対して、彼に思うところは多々あるだろう。ときにカーディオが怪我をしないよう、先回りして彼が傷を負うこともあるのではないのか、と想像はしているが、こちらも無表情に隠してしまうので、どのような不調をかかえているのかサーシャには見当さえつかない。いつか健康診断といった名目をこしらえてでも、絶対に把握してやる、と密かに誓っている。

 患者も何も見ず、治療を語っても仕方がないのではないのか。疲れがたまって、サーシャはやけくそのように言い放った。

「これでダメなら知りません。やっぱり遺品を探してくださいよ。師匠の遺した専門書でも、ノートでも、なんでも」

 かつて絶対服従を強いた相手から反論されて激昂するかと思われたバームフォーは、ほう、と興味深そうにこちらをじろりと見つめた。その野心にぎらついた目は恐ろしく、今度こそサーシャは竦み上がった。

「お前、ノートの中身を読んだことないのか。あんなもん、読んでも何の意味もないぞ。つまんないこと言うなら、お前をレクトゥムの塔に放り込んでやる」

 ノートの存在を口走ってしまうとは、失敗した、と内心サーシャは頭を抱えた。生きたい。生きて辺境の城に帰りたい。今のサーシャの居場所はマスマロウの街ではなく、辺境ファリンクスの城の食堂であり、自室であり、治療室だ。皆が心配してくれて、サーシャの診断魔術を必要としてくれている。治療魔術師ではないサーシャを、役立たずだとは思わず、家族の一員と思ってくれている。

 サーシャにも、あのひとたちが必要だ。なにより、カーディオの予後を見守らずここに来てしまっている。きっちり、完治まで見守るのだ。二度とあんな怪我をしないよう約束してもらわなければ。

「わたしを失うと、二度と王太后様のそよ風病を治すことは叶わないでしょうね」

「!!」

 ブラフのつもりだったが、的中したらしい。バームフォーが単純な男で助かった。憎々しげにこちらを睨んでいる。ぎり、と奥歯を噛みしめる音が聞こえそうだった。

「やっぱり、親父の遺言なんて無視して、さっさとお前を放り出しておくんだった。いつまでも邪魔しやがって」

 アルテリオ老師はサーシャの後をバームフォーに託していたらしい。もしかしたら、サーシャの指導の手筈までもを頼んでいたかもしれなかった。それをあのように放置され、絶対服従を強いられ、ほぼ奴隷同然の扱いで助手業務を強いられていたかと思うと、怒りが膨れ上がり大声を上げそうになる。

(冷静になれ。焦るな。いちどきに全ては解決しない。ひとつずつ、丁寧に)

 アルテリオ老師の教えが頭を過ると、負の感情は残るものの不思議なほど静かな気持ちになった。無意識だがサーシャには効果覿面だった。いまのサーシャに必要なのは、自分の身を守ること、生きて辺境の城に帰ること。このふたつに集中するべきだ。

 一緒に買い出しに来たリーズが、きっとサーシャが攫われたと城に知らせてくれるだろう。きっと、皆がサーシャの居場所を探し始めてくれているだろう。この場所が城下町や城からどれほど遠いかは全く分からないが、サーシャに使われたクロリネの麻酔薬ならとてもよく知っている。即効性は高いが、麻酔効果が短時間で切れることが特徴である。あれで眠れるのは長くとも数時間、サーシャが眠っていたのも実質二〜三時間程度と思われた。城下町からその程度の距離で、バームフォーが我が物顔で居られる場所、つまりここはコロンテスティン伯爵領。おそらくはフェルブス城に間違いなさそうだった。

 この数ヶ月の間にサーシャだって多少は頑健になった。逃げたい方角だって分かる。屋外での方角の知り方も教えてもらった。辺境城の面々に迎えに来てもらえれば最上だが、少なくとも、ここを脱出し辺境領に入れさえすれば勝ち目はある、と鼓舞でも誇張でもなく信じられた。

「そのノートや専門書を確認できれば、私に言えることが増えるかもしれませんね?」

 にっこり笑って言い放つ。彼よりも自信に溢れているように見せることが大事に思えた。バームフォーは憎々しげにこちらを睨んで「出ろ」と静かに言った。


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