第99話 黎明
果たして、停戦は成った。
ありとあらゆる通信施設は初恋革命党によって占拠されていたが、ダイモンの命令によって一時的に通信班だけが進入を許され、文言も監視された状態で放送が為された。一部は正式な命令文書がなければただの怪放送に過ぎないと抵抗を続けたが、その内白旗を掲げた革命軍の特使によって運ばれたそれを前にして、多くは投降という選択肢を選んだ。
降伏した職員たちは、指定された道路を徒歩で南へ移動することを余儀なくされた。残置するよう命じられた武装の中に、各種車両も含まれていたからだ。各地での補給や休養は許されていたが、それは単に許されているだけであって初恋革命党はそこに何の援助も与えなかった。結果、この寒空で脱落者は多く発生し、その多くは死ぬか捕虜となった。
「…………」
イカロスはそのとき天を見上げた。雪が降り出したからだ。トウキョウにしては珍しい光景だった。曇り空から舞い降りるそれは、小休止で立ち止まる冬服の上に降りて来てその白に同化した。コートの類はない。この騒動の第一報が入ると同時に緊急で自宅謹慎が解除されたのでそんなものを持ち出す余裕はなかった。
その降着物を見るだけで寒くなってきたとき、ふと隣から音がした。誰かが喋る音だ。いや、喋るという言葉では足らない。語るでも不十分だ。騙るような、煽るような――それは演説だった。
「……見ますか?」
隣にいたミージュが白い息を吐きながらちらと携帯端末を見せてきた。それはBritzubeの生配信だった。画面を見てすぐプロパガンダ放送だと理解できたのは、そこにダイモンの仮面が鎮座していたから。彼は大きく身振り手振りを交えて大声で主張する。
『諸君、私は今トウキョウの大地に足を踏み入れている。ここは戒厳令に閉ざされた一種の城砦であったが、今やその役割を終え、我々に明け渡された。我ら革命軍が陥落させたのだ。最小限の流血によって! ……』
「こんなものを見て、」イカロスは、不機嫌そうに目を逸らした。「何になるんです?」
「何にもなりません。ですが、どんな相手に負けたのかぐらいは知っておきたいと思ったんです」
「まだ負けたわけじゃない。できることはある」
「でも、それはシャルル様がどうなさるかにかかっているでしょう。あのお方のことだ、争いは望むまい……」
「でも終戦交渉はトウキョウでやるというのは、つまり彼を人質に取ったということだ。ダイモンというのは元々平和主義を標榜していたというのに今や騙し討ち上等、卑怯卑劣の代名詞だ。そうは思いませんか?」
「……ポンペイア二中職、」ミージュは眼鏡を掛け直した。「さっきから何をそんなに苛立っているんです? そんな風に言われても困りますよ」
だってそれは、
そう言いかけて、イカロスは思いとどまる。そんなことがあるはずはない。弟が、あのナルシスが、ダイモンかもしれないなんてことが、あっていいはずがない。あの優しい弟が数えきれないほどの人を殺し、これからも殺すかもしれないなんて、考えたくもない。
「……どうだっていいでしょう、」イカロスは、ふいと横を向いた。「そんなこと」
「よくありません、当たられるこっちの身にもなってもらいたいですね」
「…………」
イカロスは、そっぽを向いたまま黙り込んでやった。ミージュはその子供っぽい態度に軽蔑の視線を送ったが、それからすぐに群主席職員の合図が出た。再度出発だ。彼女は端末の画面を切ってポケットの中に仕舞う。
「しかし諸君!」だが、ナルシスは主張する。「これはまだ始まりに過ぎない!」
仮面の奥で、彼はそのまま泣いてしまいたかった。これほどの辛い思いをして、まだ続きがある。友達を傷つけて、愛する人を裏切って、名も知らぬ無数の人を敵味方関係なく死傷させて、まだ先がある。
終わりがない、と言った方がいいのかもしれない。
「我々の今日の勝利というのは、世界に比してあまりに小さな一歩である。カントウという土地は、この小さな極東列島行政区のそのまた小さな一部に過ぎない。だがここに一度でも革命軍の旗が立ち腕章が翻った、……この事実は変更や改変などできるはずもない!」
終わらせねばならない。
こんなことが続いていいはずはない。
今日死んだ人間は、シンジュク事変でのそれより遥かに多いものだった。当然だ。ありとあらゆるところでそれと同じ暴力という現象が起きていたのだ。その向きが単一方向ではなく双方向であったならば、尚更その出血量は増大する。「最小限の流血」、などというものは存在しない。それは出血した時点で最小限ではなくなるからだ。
だが、流れ出した血液がそう簡単に止まることなど、決してない。
「この偉大なる最小の一歩は、新たな時代の始まりである! 自由恋愛主義の何たるかを真の意味で旧『共和国』支配者層が理解するまでこの歩みは終わることはない! そして、かつてこの社会現象を先人たちはこう呼んだ――『革命』と!」
まして抑圧からの解放とその復讐が闘争という形を取ったのなら、目に映るもの全てを焼き尽くしてなお終わらないだろう。目の前にいる聴衆の期待の目線は、歓声は、そこから来る要求は、即ちそういうものだった。自由恋愛主義の敵を殺させろ、奴らを槍玉に挙げろ――そう主張して止まなかった。
「故に我らは権利を求める! それは自由に恋愛する権利を平等に得、平和に暮らすことのできるそれを! 自らの抱いた恋慕への制限の撤廃を! 愛という感情に翼を! ……これは、全ての初恋のための革命である!」
わああ、と耳をつんざく大音声が湧き上がる。それは、この地獄を誰もが待っていたという証明。しかし恐らく多くの人間は地獄だなどと思っていなかったに違いない。これは言わば副作用と同じで、世の中がよくなる前兆であり、寛恕するべき代物だと勘違いしていたのだろう。
だが、銃弾が死ぬべき悪人だけを殺すのならば、射手は必要ない。
それは少なくとも平等に、あるいは自由に、誰も彼も暗がりの方へ引きずり込んでいく。
その闇に呑まれれば抜け出すことは二度とできない。
その事実を誰もが知っていて、誰も彼も忘れてしまっていた。
だからそこに平和など、あるはずもない。
ここに初恋革命が始まる。長きに渡る戦争の時代の黎明であった。
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