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第94話 コンタクト

 始まりは、イカロスの隣にいた観測員の頭が吹き飛んだことだった。


「ッ」ジェームズはそのとき寝ていたというのに飛び起きた。「敵襲ッ」


 イカロスはその声でどうにかある程度の冷静さを取り戻して、肉片を浴びた反動で倒れかけていた三脚を引っ掴んで双眼鏡を確保すると、その勢いのままに木の陰に飛び込んだ。


 そういったあれこれが一瞬のうちに過ぎ去ってから――ぱあん――銃声が聞こえる。あるいは超音速で飛ぶ銃弾のソニックブームが追いついたのか。いずれにしても相当な距離からの狙撃であることは間違いなかった。


「マズルフラッシュは見えたか? 奴はどこだ?」


 ジェームズは自分のスナイパーライフルに初弾を装填しつつ、物陰から辺りを見回した。真っ暗闇だ。いくらサプレッサーをつけていたとしてもこちらに向けて撃っていればそれ相応の痕跡を残すはずである。それを期待して、第二射を待った。


 しかし、待てど暮らせどそれはやってこない。手鏡を使って偵察がてら挑発してみても、それに乗ってくる様子はない。


「イカロス君、双眼鏡からメモリーカードを抜いておけ。奴の狙いはそれに違いない」


「でしょうね、」そのジェームズの言葉に従いつつ、イカロスは言った。「ここにオウカ・アキツシマがいたという情報は、連中からすれば絶対に消しておきたいもののはずです。だからこうして撤退しようとする瞬間を狙ったに違いない」


 無論、証拠を押さえてすぐさま逃走することもジェームズは考えていたのだが、昼間に動けばそれだけ敵の目につきやすい。理想は夜間に侵入し、夜間に撤収することである。そのために夜更けまで待ったのだが――敵はむしろそれを待っていたに違いない。


 こちらには暗視装置がなく。


 あちらにはある。


 ということなのだろう――月夜とはいえここまで正確に命中弾を出してくるというのはそうでもなければ考えられない。敵の装備の質を見誤ったということだ。


「なまじ今まで見つかってこなかったからな」


 グレッグ――「ヨリトモ」のメンバーの一人――が木の幹から顔を覗かせつつ言った。だが相手は撃ってこない。チャンスを待てる優秀な狙撃兵だ。おかげでイカロスたちは完全に釘付けになっていた。どんな条件でも撃って当てられる狙撃手よりも、こういう当てられるようになるまで撃たないそれの方が長生きする。長生きすればそれだけ敵を封じることができる。


「だがいつまでもこうしてはいられないぞ。」グレッグは木の幹に頭を戻しつつ言った。「まず間違いなく追討隊が出ているはずだ。動きを止めている間に捕まっちまう」


「そうならないよう努力するさ……イカロス。双眼鏡からカードは抜いたんだな?」


「ええ。囮に使いますか?」


「無論だ」


 ジェームズは地面に伏せたままスコープから目を外していた。そうすることで広く視野を取るのだ。自前の双眼鏡すら使わない。その反射光が敵に位置情報を与えることになる。イカロスが草むらから双眼鏡を外に出す。そっと地面に這わせるように、ナイフの先で突いて――そのとき、きらめきが走った!


「……!」


 瞬間、双眼鏡が粉砕される音も聞かずにジェームズはスコープを覗いた。月明りに照らされた風景を一瞬で記憶。それを元に照準線をそこへ持っていく。目標が見えた。背嚢か何かに委託してこちらに照準している。そこから風向と距離――これぐらいならばコリオリは無視していい――を算出。計算式を脳内で走らせて、適切な照準位置を割り出す。遮蔽にしている草が風で揺れて一瞬ターゲットが隠れるが慌てることはない。寧ろ発砲光が隠れるその瞬間を狙って――トリガー。


 七・六二ミリの咆哮がサプレッサーを通して控えめに発せられた。一瞬照準が上に逃げて、大体元の位置に戻る。が、ジェームズの優れた視力は、最早それに頼らず着弾観測をしていた。ほんの一秒にも満たない時間。彼の放った弾は――ターゲットのライフルの少し下に着弾して、背嚢を揺らす。


「外した――!」


 計算が少し狂ったのだ。それか、焦りで照準がぶれたか。ジェームズはその瞬間身を起こして木陰へ走ろうとした。最早隠蔽性を気にしている場合ではない。照準から逃れるのが先だ。が、その瞬間敵の銃弾は放たれていた。どこへ向かって? ……伏せた胴体を狙った一撃は、立ち上がった足へ吸い込まれる。


「がっ……」


 くるぶしを中心に足が楔型に捻じ曲がる。その痛みでジェームズはごろりと地面に転がって、それでもどうにか遮蔽物の後ろへ身を隠すことができた。


「ジェームズ!」


「大丈夫だ」大丈夫ではない。「それより、今の内だ。奴の注意はこちらに向いている。急げ!」


 ちら、と先ほど敵のいた位置を見ると、そこにはもう影も形もなかった。発見されたとみて位置取りを変えようというのだ。慎重な相手のことだから、必ずそうすると思った――が時間はそれほど残されていない。常に再配置のルートと場所まで考えているのがスナイパーという生き物だ。


「ジェームズ、」イカロスは、しかし、まだ躊躇っているようだった。「でも」


「急げと言った」


「敵が来るんですよ? 置き去りになんて」


「だからだ。どの道もうこの足じゃ足手まといになる。こっちだってスナイパーだ。足止めはする」


「…………」


「安心しろ。情報は渡さん……だからお前に生きてもらわなきゃならん。早くしろ!」


 イカロスは、そのときグレッグにも急かされた。彼は遮蔽物から出ていたが、まだ狙撃されていない。それは今しかチャンスがないという証明でもあった。


「……分かりました、」イカロスは、それに従って走り出す。「それでは、また!」


 ――それではまた、か。


 ジェームズはふ、と笑った。どうにもその響きが間抜けだったのだ。そんな未来は来ないことを彼は誰より知っていた。這って逃げても血の跡が残る。壊死覚悟で止血しても状況は変わらないだろう。迫る死という冷酷な現実がジェームズの脳裏を支配する。


 だが、だからどうした――彼はスコープを覗く。敵の位置は何となく想像がつく。慎重な相手のことだ。最良のポジションにはいかない。常に二番三番の場所を選ぶ。ただし隠蔽性は絶対。だが逆に言えばそんな場所は限られる。それを虱潰しに見ていけばいい。


 ジェームズはそこで自前の双眼鏡を持ち出した。場所が分かっているのなら、それで構わないと思った。パッと見て思い当たる箇所をそれで探っていく。一つ、二つ、と候補を潰して、そして――見つける。


「!」


 と同時に撃ち抜かれた。双眼鏡の反射が敵に確信を与えてしまったのだ、と彼が知ることは最早ない。ばったりと彼は倒れ込み、動かない。脳幹を撃ち抜かれ、生命活動は止まった。どんな脚本家にだって、ここから逆転するシナリオは用意できない。


「タンゴ・ダウン」


 狙撃手は冷静に報告した。その声に従って、真っ黒なフル装備に身を固めた私兵たちは山を進んでいく。とはいえ残りのターゲットには逃げられてしまった――時間を稼がれたという点で、彼らは失敗していた。

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