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第93話 月夜の邂逅

「……君と言う人間は、相変わらずだな」


 フスマをこっそり開けて、ナルシスはスズナがその図体に見合った大きさのいびきをかいていることを確認した。随分寝入っているに違いない。布団はめくれ上がるを通り越してどこぞへ旅に出ている。枕も同様で、どういうわけか胴の上へと下剋上を果たしていた。どちらが眠っている主体なのかこれでは分からない。


 ――まあいい。それどころではない。


 ナルシスはフスマをまた閉じて、窓からの月明りしかない中を入口の方へと歩いた。当然、オウカを呼ぶためだった。そうして廊下へ続く戸の前に辿り着いて、それを開ける――


「……?」


 そのとき、ナルシスはふと首を傾げた。そこにオウカがいなかったから――ではない。むしろ彼は約束通りそこにいた。開くのをずっと待っていたのだろう。戸のすぐ目の前で立ち止まっていた。


 しかし、問題は彼の様子だ――どうにも、視線を合わせてくれない。長い黒髪の先端を指先でクルクルと弄んでいた。それでいて落ち着きがない。心、ここにあらずといった感じで――そう言えばどうしてナルシスと違って寝間着を既に来ているのだろう? 恐らくはこの後は寝るだけだからだろうが。


「……オウカ?」


「ひ、ひゃいッ?」すると、そのとき彼は初めてナルシスが戸を開けたことに気づいたようだった。「……あ、ああ、アナタ様でしたか。脅かさないでくださいまし」


「脅かしたつもりはないが……あまり大声を出すなよ。これは秘密の会合だ」


「そうですわね、秘密……秘密、ですものね」


 そのときオウカはどこかその言葉に思い入れがあるように言った。毛先を回す仕草はいよいよモーターでも積んでいるように早まる。それは不審ではあったけれど、ナルシスはそれに然程気を払う必要はないように感じた。


 疑わずに、ナルシスは彼をハナレの中に入れた。真っ暗な廊下を歩けば、居間に入る。そういえばさっきまで寝転がっていた布団を片しておかなかったなとナルシスは思い出した。だが月明りがうるさいからと部屋の隅の方に敷いておいたことも思い出してそれでよしとした。明かりをつけなければ気に止まるものでもなかろう。


「さて、オウカ・アキツシマ――」座布団を敷いて、その上に彼を座らせる。「昼間の件だが」


「ええ。約束を……果たしてくださるのですよね?」


 約束?


 ナルシスは首をまたも傾げたが、話し合うことを決めたことをそう呼んでいるに違いない。またも大袈裟な言い方をするとナルシスは思った。


「ああ。そのためにここに招いた。まずは昼間の態度、謝らせてほしい。あまりにも強引だった。すまない」


「い、いえ、全然気にしていないというか、むしろああいうのもちょっといいかなと思ったりして……」


「……そうなのか?」


「や、やっぱり忘れてください。何でもありません」


「それならいいが」何だ、今の感じ?「じゃあ早速本題に入ろう。こちらの考えを結論から言えば――」


「――私を愛している、ということですわよね?」


「ン、え?」


 何?


 今、何て言った?


 思わずナルシスは顔を上げた。しかしオウカは少し顔を伏せている。それでも、少し紅潮した頬が暗い中でもはっきり分かった。


「ですから、私に好意を抱いていて、まさに行為に至ろうという――そういうお気持ちになられたということですわよね?」


「な、何を言っているんだ……?」


「違うはずありませんもの。初めて出会ったときから気づいていましたわ。でなければ見ず知らずだった私にあれほどまで必死になってくれるはずありませんもの。そうでしょう?」


「……えっと」


「そしてそこにこれ見よがしに敷かれている布団。要するにそこで致しましょうということですわよね?」


 な、何だ?


 何かがマズい予感がする。大きな勘違いをしたまま、お互いそれに基づいて会話を進めてしまっている!


「あれは片付け忘れただけだ……! 不快だったら今からでも片付ける」


「いえ、この高ぶりを布団の準備如きに邪魔されるのは受け入れられませんわ。寧ろ感謝していましてよ。私も準備してきましたもの――アナタ様もその気でいらしたことが、何より嬉しいの」


 すると、オウカは立ち上がり、寝間着の帯を軽く解いた。瞬間、月明りに照らされながらそれは開けていって、彼の、常人離れした筋肉があるはずの男性でありながらどことなく女性的な身体を露わにする。胸から腹にかけてのなだらかな曲線は本物のそれと見分けがつかない――その下についている下着イチゴパンツの、そこにある突起に目を瞑れば。


「ま、待て」


「私と――付き合ってくださる?」


 彼女の笑みが、妖しく光る。それは確かに月だった。影の者。闇の者。それでいて輝くものと言えば、それしかない。空に浮かぶそれと区別のつかない月夜がそこにあった。皮肉なのは、そこに本物の月明りがあるからそれが成立しているということだった。だがそれすらも、彼は、あるいは彼女は、背徳というスパイスに変えてしまう。


 だが――付き合って。


 その言葉が、ナルシスにこれが、この事態が自分のミスだということを理解させた。昼間、ナルシスはそう言ったのだ、彼に――それは単に自分の都合に付き合ってという意味だったのだが、オウカはナルシス自身に付き合ってと考えたのだ。


「あー……」ナルシスは、額を押さえた。「オウカ。とても言いづらいことをこれから言う」


「愛の言葉ですわね? それは確かにいつだって言葉にしづらいものです。が、アナタ様が口になさるならどのようなものだって受け入れますわよ?」


「じゃあ言うが……僕の言った付き合ってっていうのは、そういう意味じゃなくてだな……」


 ナルシスは、かくかくしかじかと、先の勘違いを訂正した。それが進むにつれて、オウカの妖艶な笑みは次第にすぼまっていく。すると巻き戻しのように解いた帯を回収しつつ寝間着をきちんと着直した。


「……まあ」それから座って咳ばらいを一つ。「知っていましたけれどね」


 嘘つけ。

 ナルシスはそう言いたかったが、半分は自分の浅慮から起きた事故だったので、どうにも責任を感じて口に出しづらかった。


「嘘つけ」


 言っちゃった。


 一瞬、さしものオウカでも怒るのではないかとナルシスは身構えたが、彼はそっぽを向いてタタミの上に小さく円をいくつか書くばかりで、気にも止めていないようだった――あるいは、そうできないほど落ち込んでいた。


「だってアナタ様が私に愛を囁いてくれたことなんて一度もありませんもの……それなのにいきなり抱かせてほしいなんて、今どき出来の悪い少女漫画でもしませんものね……」


「少女漫画、そんなに過激なのか……」


「過激なことやりまくりですわよ。」視線がようやくナルシスを向く。「一度貸して差し上げましょうか?」


「いやいい……」


「まあまあそう言わず。是非一冊」


「何でそう必死なんだ……? 別に読む気はない。君には悪いが興味が湧かない」


「先っちょ! 先っちょだけでいいですから!」


「何でそんな下品な誘い方しかできないんだ君は⁉ 読ませようって気がないだろうそれは!」


「では逆にお聞きしますが、何故下品だと?」


「う」


「私、生憎と浅学浅学の身でして……お教えいただきたいのです。アナタ様はどうして今の誘い方を下品だと感じたのでしょう……? 何か下品な要素があったのでしょうか……?」


 そう言って、オウカはじわじわと迫ってくる。彼がしなだれかかるようにすると、吐息が頬にかかって艶めかしかった。いつの間にかまた開けている襟元から鎖骨が覗いている。これのどこにスズナと殴り合いできるだけの力が備わっているというのだ?


「と、とにかく!」ナルシスはその誘惑……誘惑? を振り切った。「僕はそういう話をしに、ここに君を招いたわけじゃない。今後の革命について話そうと思っただけだ」


「革命について?」にや、とオウカは笑った。「ガンイチロウ様についてでしょう?」


 ナルシスは、ほとんど首に噛みつかれたかのような心持だった。


「…………!」


「アナタ様の言いたいことぐらいは、分かっておりました。分かっていなければこうしてふざけることなどできはしませんもの」


「ふざけた自覚はあったのか……」


「当たり前でしょう? ……まあ、少しぐらいは本気にしましたけれど」


「……悪かったよ」


「いいんです、気にしていません――要するにアナタ様は」オウカは言った。「私たち愚恋隊がガンイチロウ様に絡め取られるのが怖かったのですわよね?」


「……ああ。あらゆる後方支援を受けているのだからな。こちら共々、傘下に吸収されたとして不思議はない」


「あらあら、そうなったら大変ですわね」オウカは冗談めかして笑った。「でもそうなっていない。それは何故かしら?」


「…………」


「人がそこにいるから――組織というのはとどのつまりは人の集まりですわ。それをどうこうしようとするならば中身を取り換えるか、外側から働きかけるか――ガンイチロウ様が行っているのは後者ですわね。支持層を引きはがすことで乗っ取ろうとしている。それは何故かしら?」


「それは――強引な手段を取れば、乗っ取ることなど不可能だからだろう。完全に敵に回してしまっては乗っ取るも何もない」


「それは答えになっていませんわね。今取っている戦略をベースにした答えに過ぎない」


「……だとすれば、何だと?」


「言ったはずです。人ですわよ――そこに人がいる以上、その中に思想がある以上、そう簡単には屈服させることはできない。だからこそ、アナタ様は国民団結局に抗することができたのでしょう? ……そして、それ故に私がヒライズミ家に屈服することなどあり得ない」


「何故だ?」


「私、アナタ様のことお慕いしておりますの」


「……おい」


「今度は冗談じゃあありませんわ。これは私の本気の想い。本当の想い――それを、何人たりとも変えることなどできはしない」


 たとえどのような金銭であろうとも。


 たとえどのような資産であろうとも。


 たとえどのような人質であろうとも。


 この想いは、奪わせない。


「故に――幹部会において愚恋隊は初恋革命党の隷下に入ることに決定し、ガンイチロウ様にもその旨お伝えしました。今後、全てはアナタ様の采配次第で我々の命脈は変わるということになります」


「その条件を、飲んだのか? 愚恋隊が?」


「あれでも皆、私のことを慕ってついてきてくれていますのよ? これぐらいはやってのけますわ?」


 ナルシスは内心驚嘆した。彼らは最早、あくまで共通の目的のために集まった共通の性癖を持った集団ではないのだ。全てはオウカ・アキツシマのため――統合されたとみるべきだろう。組織としては属人性が強くなったのだろうが、その分強くなっている。


「しかし、」一方で、問題が解決したわけではない。「このままでは時間の問題ですわね? 現実問題として、ヒライズミ家の支援なしには革命を成功させ得ない。一方で支援を受ければ革命が乗っ取られる――」


「それについてだが」ナルシスは遮るようにして、言った。「考えがないことはない」


「ないことはない? ……アナタ様にしては歯切れの悪い言い方を為さる」


「ああ。成功確率が下がるから――というよりは綱渡りになるからだな」


「? 歯切れがより悪くなったようですが?」


「簡単に言えば、シャルルが少しでも冷酷かあるいは相手に胆力があったならば即座に破綻する作戦だということだ――そしてそうなる可能性はかなり低いと考えている。個人的にだがな」


「個人的に……ああ、そうか、お知り合いでしたわね」


「ああ。だがもうしばらく会っていない。その間にアイツは戒厳令なんてものを出すようになってしまった。だから大きく変わってしまっていればそれで潰える話だが、今の僕らはそれに頼るしかない」


「綱渡りですわね」


「革命そのものが、既にそうさ。一世一代の大綱渡りだ。命綱はなし。落ちれば奈落へ真っ逆さま――だが、必ずやり遂げねばならない。だから君たちの力を借りたい」


 ナルシスはオウカの肩に触れた。するとぴくと彼は揺れたようだった。しかしそれは動揺ではない。武者震いの類だというのは、にやりと笑った悪い顔から推測できる。


「いいでしょう――このオウカ・アキツシマ。魂をアナタに捧げます」


 ありがとう、


 そうナルシスが言った、その瞬間だった。


 銃声らしい音が聞こえたのは。


「⁉」


 が、銃弾は飛んできていない。どうやらそれは遠くで鳴っているようだった。山間に響き合って、幾重にも重なって聞こえて、方角も定かではない。本当に銃声なのだろうか? ……そういう疑問すら湧く。


「おい、何だ⁉」しかしそれに脅かされてフスマを勢いよく開けて、スズナが飛び出した。「……何だ、お前ら?」


 飛び出した直後は慌てた様子だったのに、ナルシスとオウカを見つけると、すぐに呆れたような視線に切り替わった。いや、呆れたような、というのはあまりいい表現ではないかもしれない。もっとこう、心配するようなというか、訝しむような……。


「え?」


「お前ら何絡み合ってんだ? こんな夜中に」


 あ、と気づいたときに、隣にいたオウカと視線が合った。それから現状を二人は確認する――二人とも、半裸で至近距離。オウカがしなだれかかるような姿勢でいる。


「……!」それに、オウカとナルシスは同時に気づいた。「ち、違いましてよ! いや確かにそういう勘違いはしましたけれど、まだ未遂ですわ⁉」


「そうだぞスズナ君。僕は無実だ!」


「ナルシス。お前いつの間に『そっち』に転向したんだ……もしかしてシャルルとやり合ったときか? 確かにあれは激しかったが……」


「いつのことを……あ、選挙戦のときか⁉ 確かに少し熱くはなったが⁉」


「え、シャルルとそういう仲でしたの、ナルシス様……?」


「違う! 熱くなったっていうのは、そういうことじゃなくて、」


「じゃあどういうことなんだよ、こうして乳繰り合ってんのはさ?」


「まさかとは思いますがナルシス様。この女と本当に恋仲になっているわけではないですよね? だからこの女は嫉妬してあることないこと言っているに過ぎないのですわよね?」


「誰か僕の話を聞いてくれ――ッ!」


 ナルシスは思わず叫んだ。それに隠されて、銃声はまだ続いていた。


 そう、それは銃声だった。


 その中で、自分の兄が死の危機に瀕していることなど、ナルシスは知るはずもない。

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