第91話 監視体制
ぱさ、と枯れ葉が三脚付きの記録機能付きの双眼鏡の上に落ちたのを、イカロスは払わない。そんなことをすれば幾重にも施している偽装が露見してしまうからだ。木々に紛れ込んでいる今、不用意にあるいは素早く動くことはご法度である。
「どうだイカロス。」隣のジェームズがライフルを構えたまま言った。「何か動きは」
彼が装備しているのは七・六二ミリ弾を使用する狙撃銃だ。一般の国民団結局職員が持つ五・五六ミリ自動式防衛機材――小銃より射程が四〇〇メートルほど長い。その上ボルトアクションだから速射が利かない代わりに精度は圧倒的に高い。可動部位が少ないというのはそういうことだった。
「別に何も」イカロスは倍率を落として全体を見渡した。「内部での人の行き来はありますが、これと言って特筆すべき人物が動いている様子はありません。この位置からじゃ死角も多い。いくつかのゲストルームも見えない。場所を変えるべきでは?」
「簡単に言うな? 山中あれだけ苦労したのを忘れたのか――」
麓で車から降りた彼ら(交代要員を含めて四人)は、山道を何キロも歩いた。遠くからこの山に侵入することで、そう簡単に足取りを掴ませないようにする必要があった。その道のりに関しても、決して楽だったわけではない。山中にはそこかしこにワイヤートラップや赤外線センサーが仕込まれており、時には地雷すら設置されていた。それをどうにか迂回してここに辿り着いたのだ。
「――ここは我々がやっとの思いと試行錯誤で作り上げたセーフエリアだ。」ジェームズはふうと息を吐いた。「逆に言えば、ここから先は未知と言ってもいい。下手に移動すればパトロールに見つかるかもしれない」
「パトロール……ヒライズミグループが? でもここは私有地じゃない。さっきのトラップだってそうだ。普通じゃない」
「言っただろう? ここは連中の勢力圏だ。何でもありってことだ」
取り締まりがなされているわけではない――というよりは、単に、見に来ることもないということだろう。見に来たところで、恐らくはパトロールとやらに見つかるか道中の地雷に捕まって消されるに違いない。そして消されたということすら忘れ去られる――そうなるよう仕向けられる。ということか。
「……一つ聞きたいのですが」イカロスは若干視線を上げてから言った。「普通でないというのなら、何故、暗殺しようとしないのです? その狙撃銃はそのために持ってきたのではないのですか?」
そのとき、初めてジェームズはスコープから目を離してイカロスの方を見た。その視線には意外そうな雰囲気が籠っている。それからもう一度スコープにそれと冷静さを戻す。
「……何か間違えたことを?」
「君の言いそうにないことだと思っただけだ」
「それは……そうですが」
「イカロス。君は大きな勘違いをしている――別に、『ヨリトモ』はテロ組織ではない。銃は持っているが、それは最低限の自衛措置だ。攻撃のための武器じゃない」
ジェームズはそのとき、やや責めるような声だった。まるで自分はまだ国民団結局職員――「旧時代」を思い起こさせる攻撃性を戒め、「市民」のよき友であるというような意味合いがその声には籠っていた。そしてそれはイカロスへも同じことを言っていた。「共和国前衛隊」であったとしても、国民団結局としての誇りを忘れてはならないのだ。
「――すみません」イカロスは、いつの間にか向いていたジェームズへの視線を双眼鏡に戻した。「変なことを言って」
「まあ、言いたいことは分かる。普通でない相手と戦うならば、普通でない手段を用いるしかない。現に、我々の発足した理由はそういうものだしな。だが――それでは彼らの思う壺だ。彼らは被害者という立場を利用して、堂々とこちらを弾圧、否、摘発するだろう。それなら動かぬ証拠を押さえて、癒着のない外部へ訴え出る方がいい」
「……なるほど」
とすればイカロスの存在は渡りに船だったわけだ、イワテで何かが動いていることは目に見えて明らかだったところに、ヒライズミグループを追う中央の人間が来たというのは。
「しかし、この情報は使えますかね? 一応公有地とはいえ、こう、堂々と武装した状態で撮影しているわけです。もしそのことが分かれば証拠能力を失う」
証拠というのは違法に採集されたものであってはならないというのが、司法の鉄則だ。それは「旧時代」から変わらない。たとえそれがどれほど有力なものであったとしても、だ。
だとすればこの山にいることはかなり危険だ。私有地ではないが、それ故に誰かが入ってくる危険はある。登山道はないとはいえ――迷い込んでこないとは限らない。通報されれば証拠能力は失われる。
「なら通報されないようにするだけだ」が、ジェームズは平然と言った。「どのような手段を使ってもな」
「……例えば?」
「どのようなと言った。脅したり、拘束したり――方法はいくらでもある。殺すことも考えておく必要はあるな」
「…………」
「安心しろ。そうそう見つかったことはない。これだけ偽装していては一般人には見つけられない」
確かに、彼らは迷彩服――それは「旧時代」を思わせるために禁忌とされていた――を着ていたし、顔にも同様の色合いになるよう特別な絵の具を塗っていた。見慣れていない上注意深く見ていない人間にはそう簡単には見つかるまい。
イカロスはそれもそうかと思いながら、だが誰も近づいてこないことを祈った。「ヨリトモ」という組織はテロ組織でこそないがそれは安全な組織であることを意味しない。目的のためなら当然のように人を殺すのである。それを目撃してしまえば、きっと、イカロスは彼らに協力することなどできなくなるだろう。
「…………」イカロスは双眼鏡に視線を戻した。そして気づく。「……?」
「どうした?」
「動きがあります。正門側、塀の向こう。右側から道路上、車両が一台――いや、もっとだ」
ジェームズはライフルをその方向へ向けた。するとスコープの中に、まず一台の車が見えた。ごつごつとした大型のジープタイプの車だ。それを先頭にして、同様の乗用車が続く。その列は等間隔で道路を埋め尽くして、じわじわと近づいてきていた。
「……何だあの車列は。随分な数だぞ」
「アレ、国民団結局の使っている軽防護車両と同じ車種ですよ。ちょっと改造すれば同じ仕様にできる」
「カタギではないな」ジェームズは結論付けた。「そして私兵でもない。連中はもっと街中で目立たないような車を使う。無論それは持っていないことを意味しないだろうが――だとしてそのような実戦部隊がここに来るとも思えない」
「別の組織ってことですか。自由恋愛主義的な」
「可能性は高いな――見ろ、一台だけ高級車だ。アレにVIPが乗っているんだろう」
イカロスは、車列の中央を走るそれに焦点を合わせた。確かに、一台だけ場違いなほど良質な車が走っている。黒いボディが辺りの景色を反射していた。そして窓からは何も見えないように細工されている――ということは、やはりその中には見られては困る重要人物がいるに違いない。
そしてその車列は、それが背の高い方の車たちの天面を残して塀に隠れきった辺りで一度止まった。それからもう一度進みだした頃には、黒い車はいなくなっていた。
「中に入ったみたいですね――どうします?」
「どうもこうもない。また観察し続けるだけだ。尻尾を出すまでな」
「でも、この位置じゃ今車に乗っていたのが何者なのか押さえられない。より鮮明に映る場所へ移動するべきだ」
「イカロス、落ち着け。ソイツだって遊びに来たわけじゃないだろう。必ずどこかの廊下を通るはず。ここから見える場所も多くある――そのチャンスを待つんだ」
イカロスはまだ少し納得できなかったが、ここから移動する間にそのチャンスを逃したり移動したことで発見されたりするリスクを思うと、やはり行動するわけにもいかなかった。何より、単独で行動できるほど、彼は山中行軍に慣れていなかった。訓練で一度しかやっていないのである。
「…………」だから、静かに、言った。「了解」
「分かればいい。」ジェームズは時計を見た。「……そろそろ交代だ。二人を起こしてくる」
そう言って、ライフルを置いて彼は、枯草が風に揺れているように装って後ろへもぞもぞ下がっていった。イカロスはそれを一度目で追ってから、視線を双眼鏡の方へ戻した。
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