第9話 彼女は誰を愛すか
ガチャ、と金属音がナルシスに向けられる。
「少々お互いの認識が違っているようだが」スズナが再び銃を向けたのだ。「別に、お前を仲間にしようってのは俺たちのチームの統一見解というわけではない――単なる俺の気まぐれであって、つまりお前の命は俺が鷲掴みにしているわけだ。そっと置くのも床に落として踏みつけるのも握り潰すのも自由自在――」
「少々お互いの認識が違っているようだが」が、対してナルシスは言葉を突き付けた。「『美しくない』というのは、この場合は君個人に対してではない。もちろん、君たちの思想に対しても、だ。むしろ、少なくとも後者に関しては、今の僕は同情的を通り越して同意すらできる」
「じゃあ、何に対して、だ?」
「方法だ」
「方法だって?」スズナは嘲笑した。それから激昂した。「世界を変えるんだぞ? 手を汚さずには、痛みを伴わずには、何も変えることはできない! 武器を取り、戦ってみせなければ、座り心地のいい椅子にふんぞり返っている連中は何もしようとはしない! それが、『大反動』が起きた理由だろうが! それをお前はッ!」
「ならば聞くが」ナルシスは、しかし、冷然と言い返した。「その『大反動』は、何故失敗に終わった?」
「アァんッ?」
「『行動主義』の名の下に多くの巻き添えを出したからだ。目指すべき目標とそのための手段が何であるかも考えず無闇矢鱈に辺り全てに向かって銃を向けたからだ――犠牲に怯えて当局が妥協すると信じて、な。そうして同情的であった民衆たちを敵に回した。結果として支持母体をなくした反乱軍は何も為すことなく次々検挙された。違うか?」
スズナは一瞬何かを言いかけたが、しかしそれは衝動的な反抗でしかなく、つまり理性から来た行動ではなかった、そのため言葉にならなかった。
「……だが、」しかし、遅れてやってきた彼女の理性は、遅れたなりに言葉を作った。「だとして他にどう方法があったというんだ? お前の頭ん中でどうなってるかは知らないがな、現実として俺たち『市民』は政治に参画できない。全ては『内閣』家とそのお友達によって牛耳られている。この構造を打ち破る方法があるというのか、お前は?」
「ある」
「ッ、だから、簡単に答えてみせたところでッ」
「いや、だからたった今君が自分で言っただろう。気づかないのか?」
スズナは、そのとき本気で目の前の男の思考回路が理解できなかった。今自分が言ったのは、この世界の仕組みが腐っているということだ。この歪んだ構造こそが、それ自体を破壊するキーになると? 腐敗しているというのは単なるレトリックに過ぎないというのに?
「ああ、そうだったな、」ナルシスはその表情を見て彼女が理解していないことを理解した。「君はそういう奴だった。すまない。君にしては随分冴えた言い方をすると思ったが、やはりまぐれだったか」
「もったいぶった言い方をする。俺はせっかちなんだ。ションベン漏れそうってぐらいさっさと行動しろ」
「おいおい、君って奴はモノの頼み方を知らないのか? そういうときは『お願いします』と頭を下げたまえよ」
「……お望みならそのよく開く口を二倍にしてやってもいいぞ、位置は額の真ん中でいいか?」
スズナが金属音と共に拳銃を向けると、流石にナルシスも肩を竦めた。やれやれと言わんばかりのその態度は撃鉄を解放するのに必要な力をいくらか軽くしたが、その割引に持ち主の指先が飛びつくより早くナルシスは話を始めた。
「今君が言ったことをまとめるならば、別に『内閣』家が世界を支配しているわけではないということだ――より正確に言えば、『内閣』家だけで世界が支配できるわけではない。『聖母』が直接人類を支配しているわけではないように」
「……あ?」
「『聖母』にしろ、『内閣』家にしろ――権利を委譲している。信託している。委ねて譲って、信じて託している。何故なら、そうしなければ世界の行く末を決めるなど不可能だからだ。ここまではOKかな?」
「いや全くOKじゃない」
「だろうな。だからもう少し分かりやすく言うが、例えば現在の制度では、事業に対する最終決定権は『内閣』家であるところの主席行政官が担うわけだが、それは名目上に過ぎない。全部目を通していたらキリがないからだ。やることも多種多様。それら全てをたった一人の行政官でやるのは事実上不可能だ。だから実際にゴーサインを出すのはもっと下位の行政官たちになる」
――だが彼らが行うのはそれだけじゃない。
――そもそもその事業にニーズやメリットがあるかどうかを決めるのも彼らだ。
――『内閣』家の人間じゃない。
「? えっと……」そうナルシスに言い切られて、スズナは首を傾げた。「そりゃ当たり前のことだろ。行政官ってのはそれが仕事なんだから。だがそれのどこが重要なんだ?」
「極めて重要だ。何故ならこの事実は『内閣』家自身が『聖母』より賜った政治という聖職を、『聖母』からの認可を受けていない別の何者かに譲り渡していることになるからだ――それはつまり、政治をやるのは別に、『内閣』家の人間でなくてもいいということをも意味する」
「そう……なるのか? つまり、それを正そうと?」
「いや、そうではない。そうなると結局政治権力は『内閣』家の手の中のままだ。それに権力の委譲そのものはそれほど問題じゃない。どうあがいても立案者と実務担当者は分かれるものだし、そもそも『聖母』自身、『三賢者』から任せられた政治を『内閣』家に譲り渡したのだから。委譲そのものを否定すると『聖母』はもちろんそこから生まれ出でた『三原則』をも否定しなければならない事態に陥る」
「じゃあ、どうするんだよ?」
「問題は、」ナルシスは若干座り直しながら言った。「その委譲先から『市民』が排除されていることにある――これは当然ながら平等ではないし、君も言う通り腐敗の温床だ。ニーズやメリットの持ち主というのがその行政官の一族や関係者になる可能性があるからな。だから実際、それを避けたい『内閣』家やその他の行政官との間である種の力学が生じているから世の中はある程度成り立っているわけだが……ことをもう少し単純にするべきだ、というのが僕の主張だ」
ナルシスが言い終わると、スズナは首を傾げ、大いに困惑の表情を浮かべ、それから後頭部を掻いて――ようやく、口を開いた。
「あー、その、何だ……つまり、お前は?」
「『内閣』家に、僕ら『市民』の政治参画を認めさせる――具体的には、『市民』の、『市民』による、『市民』のための政治機構を彼らに作らせる、ということだ」
静寂。
ナルシスはじっとスズナの視線を捉えたまま離さなかった。少し俯いた彼女のそれを追尾することは、薄暗い部屋の中では困難を通り越して不可能なことだったが、しかし何かしらの手応えはあるような気がした。
その考えを証明するように先に沈黙を破ったのは、スズナだった。
「く、くくく……」ただし、笑いで。「ふ、ははは――」
その哄笑は十秒以上続いた。それが何に対するどういう意味合いのものなのか、ナルシスには理解できなかった。彼は呆気に取られていた。第六感だけが妙にうるさく唸っていて、取り敢えずそれが平和的なものではないらしいとは察することができていた、だけだった。
「――聞いて損した。もう死ねよお前」
すちゃ、と口径一センチ程度の虚空がナルシスを睨みつける。驚きつつもナルシスは反駁した。
「待て、話はまだ終わって……!」
「ああそうだな、だがもう充分だろ。さっきっから黙って聞いてりゃ理想論ばかりで具体的にどうするかってのが聞こえてこねぇんだもの。あのな、お前が考え付いたことが実現できりゃ、そりゃいい世の中になるだろうが、そうできねえから俺たちはこういう手段に辿り着いたんだ。お前の言葉ってのは、その来し方を馬鹿のすること呼ばわりした上一歩も進んじゃいない自分の足元を見ちゃいねえんだよ」
「理想がなければ世界は変えられない。理想にそぐわない手段では世界を壊すだけだ。だから……!」
「だが手段なしには世界を変えられない。手段を受け入れられない理想では世界に殺される。だから、俺は銃を取ったと言ったはずだ!」
「ならば、何故!」ナルシスは向けられた銃口に額を敢えて押し付けた。「君はシャルルを撃たなかった⁉」
「な、」反射的に、スズナは銃を引き離し、自らも退く。「に?」
「本来なら、学園に潜入する必要もなかったはずだ。彼らの護衛なんぞ、ロケットランチャーの一丁でも持ち込めれば諸共粉砕できるはずだ。道中を狙撃するという手だってある。どれだけ警戒していてもその外からの一撃には対処できないはずだ……殺すだけなら、いくらでも方法がある。だが結局君はそれをしなかった」
「さっきから何が言いてーんだ、テメーは⁉」
「それが何故かを僕は知っている」ナルシスは、言い切った。「君が、シャルルのことを愛しているからだ!」
再び、静寂。
そして静止。
まるで時間が止まったように――ならない。
「な、な」一瞬のち、数歩後退りしたスズナは、顔を真っ赤にしていた。「何言ってんだ、テメー! 何で分かった!」
「やはりそうか。ずっと気になっていたんだ、君が自由恋愛主義者である割に僕に対して随分と甘い対応を取る理由が。確かに、国民団結局の目を欺くため取り敢えず表面上偽装をしておく必要はあろう。だがそれだけではここ一週間ずっと声を掛けてきた理由としては弱い。そこで思い返してみたんだ、あのときシャルルの言動を」
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