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第88話 傲慢・欺瞞・我欲

 ナルシスはそっとフスマを開ける。そこには既にガンイチロウが昨日と同じ高い位置で掛け軸を背にして座っていた。


「お待たせして申し訳ありません。」ナルシスは座礼を一つしてから、中に入ってそう言った。「お貸しいただいたキモノが中々慣れず。不躾な真似をしてしまい申し訳ありません」


「何、構わんよ。私も今来たところだ――それより、ザブトンを用意した。座り給え」


「は」


 ナルシスはその言葉にもまた一礼をして、それからようやく示された四角いクッションの手前まで行き、そこで腰を少し浮かせて座る。もちろん、膝を折って下に敷くようなセイザ・スタイルだ。


「して、」背筋をピンと張って、ナルシスは言った。「協議ということでしたな? どのように革命を成すべきかという会で――」


「その通りだ。これから同盟を組むからには、互いの役割を決めておく必要があるだろう。さもなければ互いの領分が不用意に重なり、無用の混乱を招くことになる。そのような状態で体制転覆など不可能だ」


「ご明察の通りでございます」


 そう言って頭を下げる、その内心では、ナルシスは葛藤を抱えていた。このようなポーズこそガンイチロウの優位を助長するのではないかというそれである。今日の会合こそ呼びつけられたものではなく事前に決められたものだったが、それもいつまで続くものなのかという危惧があった。役割分担という言葉がどこかその不安を助長する。今はともかく、役割がなくなればガンイチロウは容赦なく彼らを切り捨てるのではないか?


「さて、まずここで我々の全体状況を再確認しておくべきだろうな? 大前提として、トウキョウというのは、この行政区の根幹だ。何を成すにしろどこまで成すにしろ、ここを占めねば話にならぬ。だが、そのトウキョウを発信地として行動を起こすというのは、既に戒厳令によって不可能に近い。そうだな?」


「は。事実として、私たちはそのためにそこから逃れて参りました。組織の身体はともかく、その頭脳まで麻痺状態に置かれれば、機能不全を通り越して壊滅と言えましょう。それこそ奴らの思う壺というわけです。」


「それに加え、土地柄が悪い――仮に一斉蜂起などを起こし一時的に勝利を得たとして、それを維持することはできない。トウキョウは孤立することになり、すぐさま四方八方から反撃され、革命は潰える」


 ガンイチロウが恐ろしい存在である一方で、彼の言うことは正しい――現状、初恋革命党単独でこの状況を打開することはほとんど不可能だ。


 まず封鎖状態を解くことが五分五分のギャンブルで、これを突破するのが難しい。そのために愚恋隊のような外部の戦力を招聘しこれを打開する予定であるのだが、結局その先にあるのは文字通りの袋小路だ。これをどうにかするためにも、ヒライズミグループの力は必要になる。


「その通り。」だからナルシスはちら、とガンイチロウの顔を伺う。「故に、我々初恋革命党としましては、我々の背後を固めていただきたい――正確には背後になっていただきたい」


「ほう?」ガンイチロウは髭のある顎を撫ぜた。「つまりフクシマ以北を我々が抑えている間に、カントウ中心部を制圧。そしてその奪回に動いた国民団結局にカナガワ辺りで決戦を挑むというのかね?」


 ――流石に報告を聞いているか、あの車の運転手から。


 サイタマに迎えに来た車はヒライズミ家のよこしたものだ。当然、そこでの会話は聞かれているに決まっている。ナルシスは内心ではまるで驚きもしていなかったが、驚いたように目を見開き「よくお分かりで……」と言ってみせた。


「……何、」ガンイチロウがその演技を見破ったかどうかは定かでない。が。「地図を見れば分かることだ。西は山地だから一旦は無視できる。東、チバ方面も中心部より先は何もないと言っていい。問題は街道が続く南と北だからな。どちらかを固めれば守りは楽になる」


 だが、嘘は吐いた――今、まるで以前から考えていたかのように彼は言ったが、報告を聞いていないはずはない。ゲストルームに盗聴器を仕掛けるような男が――スズナから逐一報告を受けていたような男が、この程度の情報収集をしていないはずはないのだ。


 やはりガンイチロウは信用できない。


 彼の目的は、初恋革命党を利用すること――そうして、自分の目的を果たさんということに違いない。


 だが、それは何であろうか?


 それが分からない。確かにガンイチロウ本人の口からは、それが腐敗した現政権を打倒することだということが語られた。語られこそしたが、それを信用するべきなのかどうか……恐らくするべきではあるまい。腐敗を打破するためにとは言うが、それはナルシスのような人間を惹きつけるための嘘ではないだろうか? 聞こえのいいことを言って、他人を騙してしまおうという……。


「……ダイモン? どうかしたのか?」


 すると、ナルシスは随分と沈思黙考していたらしい。彼は失礼しましたと言って一度頭を下げつつ、言った。


「つきましてはガンイチロウ様、ひいてはヒライズミグループの皆様におかれましては北の守りを固めていただきたい。カントウ中心部は私共で制圧します」


「ほう、できるのか? 軍事部門があるとは聞いていたが、しかしできて日は浅いのだろう?」


「それに関してはある協力者を得ております」


 愚恋隊――その存在を思い返すとき、ナルシスは一瞬何かを懸念した。が、それはほとんど閃き程度のものであって、すぐにガンイチロウが愚恋隊との協力関係について知っているのかというもっと大きなそれにかき消された。だが知っていたところでどうということはない――むしろより具体性を以て彼に訴えかけることになる。ナルシスは言葉を続けた。


「それに、国民団結局にも内応者がおります。これらを以てすれば、夢物語ではないでしょう。必ずカントウは取れます」


「必ず……」しかし、ガンイチロウは憮然とした様子だった。「君の言うことを信じたいがね」


「?」


「カントウというのは意外に広いということを忘れてはいないか? いや、意外と言うこともないか。そこにいくつの国民団結局事務所があると思う? 内応者がいると言ったからにはその全てを制圧するのではないにせよ、その数は膨大だ」


「それについては重要拠点のみ制圧し、それ以外については妨害に留めることで対応します。現地の党員がするべきことは、我々本隊が到達するまでの間その拠点の身動きを封じることです」


「しかしその本隊の役割というのは過大ではないか? 各地の解放をやっていたのでは、トウキョウまで随分時間がかかってしまう。それではトウキョウにいる国民団結局は戦力を集結させてしまうだろう。カナガワでの防衛どころの話ではない」


「……確かに、まだ細部まで詰め切れてはいませんが……」


 ナルシスの脳裏に、嫌な予感が走る。ガンイチロウが言いたいことが、読めてしまったのだ。こうまでこちらで立てた作戦にケチをつけるということは、次に続くのはその要求しかあるまい。


「私が言いたいのは、」そして、その予感は当たる。「つまり、私をもっと頼ればいいではないかということだ。私の用意した兵力を用いて南下すればよい。そうすれば各地の制圧はもっと早く行われ、トウキョウに素早く到着することができる」


「兵力を?」それぐらいは持っているだろうという予感はあったが。「お持ちで?」


「そうとも。これならそもそも、トウキョウへ急ぐ必要もなくなる。各地を順次制圧するやり方でもトウキョウは容易く手中に収められるだろう。わざわざ綱渡りをする必要もない」


「いや、しかし――」


「何を躊躇うことがある? 不満や不安があるのなら正直に口にしてほしい。同盟とはそういうものだろう?」


 ナルシスは、そのとき思わず視線を逸らした。


 ガンイチロウが何をしようとしているのかといえば、今までの策略の延長上である。


 つまり、恩の押し売り――しかも、今度はより巧妙である。


 今までの分は、最悪、踏み倒すことも可能であろう。というより、返却のしようがない。資金はともかく、物資は使用されたものも多くあるからだ。そして営利団体でないからには前者も不可能。


 そしてそもそも、それらは表から分かるようにはなっていないはずだ。


 貸した借りたという関係を、当事者以外誰も見てはいない。


 だから実際、ガンイチロウもそれはある程度織り込み済みのはずだ。精々、ここで同盟を破棄して逃げ出さないよう押さえつけるための牽制程度にしか考えていないはず。


 しかし今度は違う。


 証人がいる――革命になれば、誰が一番そのために動いたかという視線が働く。言うなれば、衆目がある。数の少ない初恋革命党ではなくそれより多いヒライズミ家の私兵こそ実際に手を汚して動いたと評価されれば、当然、前者は後者に何かを支払わなければならない。


 もしそれを怠れば――当然、民衆の不信を招く。


「しかし、ガンイチロウ様」だからナルシスは、抗弁した。「各地に点在するのは党員であります。あくまで私の手によって救い出されなければ」


 そう、それがまさに問題だった。どんなにダイモン・オブ・ソクラテス=サン・マルクスという存在がアイコンとして優秀だったとしても、それを支えるのは党員一人一人である。その一人一人がヒライズミグループの方に靡くようなことがあれば、ガンイチロウは汚い手を使うこともなく党を丸ごと吸収できてしまうだろう。それは避けねばならない。


「心配はいらない。」ガンイチロウは笑いながら首を横に振った。「兵は貸し出すだけだ。君の自由に働かせてくれて構わない。もちろん、現場での指揮はその担当の者に執らせるがね? その配置については好きにしたまえ」


 ――やはり、押し売りだ。


 彼の笑顔とは裏腹に、ナルシスはそう感じた。貸し出しかどうかが問題なのではない。貸し出された兵隊がヒライズミグループのものであることが問題なのだ。その数について触れていないのは、細かいところを後回しにしているというよりはそこに落とし穴を作っているからだろう。初恋革命党の本隊より多くの兵力を出して、恩義を押し付けるつもりなのだ。


「しかし閣下、」故に、それは回避されねばならない。「私には全面戦争をするつもりもないのです。過剰な兵力は……」


「全面戦争をする気がない?」ガンイチロウの指先が動いた。「それは、革命をしないということを言っているのか?」


「まさか! ……しかし、トウキョウと言わずともカントウ平野にはこの行政区の三割の人口が住んでいます。それを不用意に傷つけることは戦後処理に問題が出ましょう。それに、」それに、エーコたちが傷つく危険性が、死ぬ可能性すらあるのなら、それは避けたい。「シャルル・オブ・プレジデント=キャビネッツ――彼とその好意対象者は無傷で押さえたい。決定権を持つ彼らに危害が加わることがあれば、この革命は立ち行かなくなる」


 ガンイチロウは、その言葉に何も言わなかった。しばらくの間、二人の間には静寂だけがあった。それは二人が身動ぎもしなかったということを意味している。相対距離も相対速度も相対位置も何一つ変わらない。だが一方でその距離は、心理的にはその限りではないということだ。


「……君の言いたいことは大体分かった。」ガンイチロウは、不意にオウギを広げた。「しかし、君にはなくて、私にはあるものがある。それが何か分かるか?」


「それは……力、でしょうか? 我々にはそれがない」


「違うな、間違っている――答えは覚悟だ。革命に対する覚悟が違う。いいかダイモン。私が革命に参加するということは、今の社会的地位を全て擲つということになる。負ければ全てを失う。ただの犯罪者に成り下がる」


「それは――」


「自分だって同じだと? ……無論全ての自由恋愛主義者はその覚悟を持っているべきだ。ほら、君の言うところの信条だ。それがなくては始まらないと言ったのは、君だ。君はそれに準じてはいるだろうよ」


 ――しかしだ、革命にはそれでは足らない。


 ――革命とは、自分に合わせて世界を変える現象。


 ――本質的に、他者に作用するものだ。


「…………」


「他者に作用するというのは、他者を傷つける行為だということだ。自由恋愛主義者でない者すら巻き込んでいくという意味だ。時には命を以て――国民団結局職員を排除するというのはそういうことだ。君はその量をできる限り減らしたいようだがな、しかし私に言わせれば、それは優しさなどではない。傲慢だ、そして欺瞞でもある」


「傲慢? 欺瞞?」


「流れる血の量がどうであれ、それは血だ。人が死んでいるのだ。それを多少なりと少なくしたからと言って、君は別に聖人――と言って分かるかな、『旧時代』の宗教的人物のことだが――そういった立派な人間になれるわけではない。人殺しは人殺しだ」オウギを、ガンイチロウは勢いよく畳む。「一方で、君は人を傷つけるというこの行為に対して尻込みをしている。それだけのことをまるで道徳的な何かであるように主張することで、自分に満足したいのだろう。だが、それは我欲だ。違うか?」


「そんなことは、」


「ない。そう言い切れると? ……確かに、人が死ぬのはよくないことだ。言うまでもない。しかしそういう側面が君の中に全くないなら、どうして私にはそう見えるのだろうか?」


 火のない所に煙は立たない。


 現に、そこに火はある――非はある。


 ナルシスには、イカロスがいる。


 この唯一の肉親にして実の兄が敵対者であることを無意識の内に考慮に入れていないとは、当然言えない。


「…………」


 それだけではない――エーコも、シャルルも、傷つけずにことを済ませたいという欲がある。それは心理的にも、だ。もし彼が誰かを傷つけ、虐げ、殺してしまったとすれば、彼らと笑顔でまたやり直すようなことはほとんど不可能になる。彼らは深く苦しむだろう。


 それは、ナルシスのしたいことではない。


 信条的に受け入れられない。


 心情的に受け入れられない。


 身上的に受け入れられない。


 だが――革命とは、そういうものである。


 ならば、間違っているのは、自分の方だと、分かっている。


 の、だが。


 それでもナルシスは一言も発することができなかった。彼の言葉を認めることも、否定することもできなかった。ただ静かに、視線を逸らして佇むだけ。


「……君がそのような姿勢であるならば、」ならばそのとき、ガンイチロウは静かに、低い声で言った。「私は単独でも革命を遂行する用意がある」


「……⁉ それは……」


「あくまで可能性の話だ。しかし君が覚悟を決めなければ――言い争うこの状況で時間だけが過ぎていけば、革命の機を逸することになる。権力闘争などになれば、それこそ連中を笑えない。それは避けねばならない。この理屈が分からない君ではないだろう、ダイモン」


「……分かっております。革命を成すべきは今でありましょう」ナルシスは、ここで座礼をしてみせた、あるいは土下座を。「しかし、その方法については今しばらく猶予を頂きたい。まだ、決めるには時期尚早かと思われます」


「……あまり時間は与えられないのだがな」


「分かっております……ですがどうかご寛恕いただきたく……」


「フン」


 不機嫌そうなのを隠そうともせず、ガンイチロウは立ち上がった。それから部下にフスマを開けさせて、その場を立ち去る。ナルシスはその一連の動きが終わるまで、一ミリたりとも動くことができなかった。

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