第83話 ガンイチロウ・ヒライズミ
「君がサン・マルクスか。お噂はかねがね」
ガンイチロウは一段高くなった畳の上に座っていた。和服の上に羽織りを着ていて、なるほどニホン様式の家に合わせた服装というわけだった。それを正座して頭を下げる姿勢から見るナルシスは、自分がそれ相応の格好をしていないことを失敗だと思っていた。
「顔を上げてくれて構わないよ。それにしてもよくタタミの上での所作を知っているものだね」
「少々それについて詳しい知り合いがおりまして、その家によく出入りしていたものですから」
「ほう? そのような趣味の者がトウキョウにもいるとは。是非とも一度会いたいものだ」
「ことが終わりましたらご紹介できるといいのですが――」苦笑いを浮かべてから、ナルシスは真面目そうに振舞った。「それより、このような格好で申し訳ありません。より相応しい格好がありましてでしょうに」
ラフな格好、というほどのことはない(オウカとの会見もあったのだ、ビジネスカジュアルの範疇)のだが、かといってスーツを着ているわけではない。街に溶け込むのを重視して敢えて軽くしていたのがこうして仇となったわけだ。
「何、急に呼び立てたのはこちらの方だ。」しかし、ガンイチロウは気にしていないようだった。「予想していなかったのだろう? このような会見になることは」
「お恥ずかしながら」
「ははは。君のような正直者は好きだ。何分、このような立場にいると腹の探り合いが多くて敵わない。それを割って話せればよいのだがね」
ガンイチロウはそう言いながら、でっぷりとした腹をポンと叩いた。そしてたっぷり蓄えた口髭を二度三度と撫で、目を細めている、しかしそれはきっとナルシスという個人を見ているのではあるまい。サン・マルクスという人物がいかなるものか推量しようというのだろう。ナルシスにはそう感じられた。
相手は、行政区内有数の豪商である。
利用価値があると思ったから、スズナ経由で彼を呼びだしたのだ。これはビジネスの話――逆に言えば、一度値段を定められてしまえば、それ以上の対価は支払われないと考えてもよい。
「ではガンイチロウ様――」ナルシスは、そうして品定めされきる前に懐に飛び込もうとした。「正直ついでに一つ単刀直入に申し上げても?」
「構わないさ。何かな?」
「ガンイチロウ様はヒライズミ家の当主であり、ヒライズミグループの総帥でもあられる。それは即ち食糧供給も通じて『内閣』家との繋がりも深いということ。私に分からないのは、その重鎮がどうしてこのように『内閣』家を裏切るような真似をなさるのかということです」
「裏切る、とは随分な物言いをするものだな」
「少なくとも、我々『市民』からすればどちらも天上人のようなものでありますから、お仲間に見えるということであります。現に、ヒライズミグループは『内閣』家が定める方に基づいて運営されている。そこに衝突はなかった」
「それはそうだな。Britzubeで君たち初恋革命党の動画を野放しにしているのも、その行為がデ・ラ・フスティシア家の出した判決に守られているからだ。我々の意思としてそれを出しているわけではない――堂々と反旗を翻しているわけではない。君が不安になるのは理解できる話だ」
ガンイチロウは肘掛の上に置いていた扇子を手に取ってぱっと開いた。空調が効きすぎているのか、あるいは厚着をしているせいか、彼は少し暑そうにそれを仰いだ。
「しかし、我々は一枚岩というわけではない。だから我々は一応私企業という形を取って独立している。これでは解答として不満かね?」
「失礼ながら、その通りであります」
「なるほど」それからぴしゃ、と扇子を閉じた。「では問おう。信頼できる人間の要件とは、一体何だと思う?」
そのとき、ナルシスは少し自分が踏み込みすぎたように感じた。懐に飛び込んだのはいいが、その先に起きることと言えば、包囲されるということである。ガンイチロウの視線は、ナルシスを射貫いていた。それは「信頼できないと言うからには、そうできるだけの条件を出せ」という問いである。
だが、それに答えるということは、「そうすれば信頼してやる」という明白な品定めの動作である。端的に言えば、下品だ。その下品さは貸しとして機能してしまうだろう。今後の関係にヒビを入れる行為である――余程、上手く治めねば。
「それは――」ナルシスは、しかし、目線を同じく鋭く返した。「信条でありましょう」
「信条?」
「その通り。何をしたいか、そのために何をすべきか。自分がどうあるべきか――それがはっきりした人間でなければならない。そしてそれが単なる困難程度で折れてしまうようなものであってはならない。自分の意見を信じ、それを簡単には曲げない人間をこそ、信じることができるのです」
「ならば重ねて問おう。君は何を信条としている? 何を以てこの革命に向かい合っている?」
「当然」エーコとの未来のため。「自由と平等、そして平和のために――それに即した世界のために」
完全な嘘ではなかった。世界を変えること、その結末の先にエーコと愛し合うことのできる――その可能性がある。その過程で自由恋愛だけに留まらない変革が起こるとするならば、それが彼女を脅かさない限りは許容する。それがナルシスの信条である。
だが、結局エーコのことというのは欲望からくるものなのだ――そして本心というのは、往々にして隠されるものである。
「…………」その欺瞞を、ガンイチロウは見抜いただろうか?「そうか」
「は……」
ナルシスはじっとガンイチロウの目を見る。ガンイチロウもまた、ナルシスのそれを見る。あるいは見定める――ナルシスは彼の懐に飛び込み、結局捕らえられたのだ、捉えられたのだ。その視線の中では、最早身動ぎ一つできない。辛うじて、誰にも見せられない本音を隠せただけ。それだって上手くいったかどうか。
「君は」沈黙。果たして、ガンイチロウは口を開いた。「信用に足る人物のようだな」
「……!」
「いいだろう。君は知るべきだ、この行政区の――あるいは『共和国』の支配者層がいかに腐っているかを」
ガンイチロウは不意に立ち上がった。そうすると彼が、恰幅がいいだけではなく上背もあるということが露わになる。なるほどスズナの巨躯はこの遺伝子が流れ着いてできたものだということなのだろう。彼はそうして、開け放たれた障子の向こうにある庭を見ながら言った。
「知っての通り――私はこの行政区内でもかなりの地位にいる。故に君たち『市民』の知らないことも多く知っている。行政官会議にオブザーバーとして参加したこともある――だが断言しておこう。あれほど醜いものはこの世に存在しない」
「と、言うと?」
「彼らは税金という限られたパイを奪い合っているのだよ。いかにしてその分量をより多く自分の皿に盛りつけられるかという競争をしている。世の中をよくするためにそれが使われるという大原則は、彼らの中には存在しない。決して、だ」
「…………」
「そして本来それを諫めるべき『内閣』家の人間はそれを黙認している。あくまで彼らは『聖母』から分け与えられた権力を彼ら行政官に分け与えているに過ぎないのだから、それを返してもらえばいいだけのことなのに、そうしない――専門化と言えば聞こえはいいのだろうが、実際には権力のお墨付きを与えただけの寡占になる。彼らに入れ替わりがほとんど起きないのはそういうことだ。あるべき良心というものがない」
――そして、好意対象者割当がそれに拍車をかける。
「君は不思議に思ったことはないか? 太陽より平等だとされる『聖母』が決めているはずの好意対象者が、実際には同じ高等学校や遠くてもその地域単位からしか選ばれないことを――その原因は、何者かが『聖母』にそうするようプログラムを送ったからだ」
「……まさか」ナルシスは息を呑んだ。「そんなことができるはずはない。アレは不可侵のもので、」
「そんなことを、誰が決めた? ――『内閣』家の人間だ。彼らはそれを尊いものとして扱うことで、その機能を恣にした。コンピューターであるからにはプログラムで動いている。入力する数値を弄るだけで望む結果にすることができる」
「しかし、その証拠は」
「それは君もよく知っているだろう。君にはスズナが選ばれオブ・プレジデント家の嫡男にはノ・オオクラ家の子女が宛がわれた。特に問題なのは後者だ。彼らは最近協力関係を強化していたからな。渡りに船にしては随分都合がよすぎる」
「! …………」
「『聖母』の犯した罪は、権力を『内閣』家に譲り渡したことだけではない。彼らを指定することでそれを固定化してしまったことにもある。そうして固定化された権力は、本来正当性もない連中に譲渡され、それは既に定着してしまった。自由恋愛主義を弾圧するのも、その固定を不安定にするものだからだ。彼らはどこまでも自分のことしか考えていない――しかし人は平等だ。皆腹が減り、物を食う。それを彼らは忘れている」
「平等――『三原則』」
「だから我々は、彼らのように他者を支配して制御しようとする者たちから自由にならねばならない。その先にある平和を勝ち取らなければならない――そうだろう?」
ガンイチロウはふと息を漏らして笑った。それからするすると壇上を降りると、ナルシスの前で手を伸ばす。
「我々は同志だ。ダイモン・オブ・ソクラテス=サン・マルクス。まずは握手と行こう。何事もここから始まるとは思わないかな?」
ナルシスは、徐に立ち上がった。それからその手を取るか少しだけ迷って、結局そこに手を運んだ。するとガンイチロウの巨大な手が彼の小さく細いそれを一瞬にして包み込んでしまい、見えなくなる。
「さて、ダイモン。長旅で疲れただろう。まずはゲストルームで疲れを取りたまえ。実務上の協議はそれからでいいだろう」
――ナルシスはそれに頷いた。その様子を不満げにあるいは冷ややかに見る女がいた。
スズナである。
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