第81話 行ってサイタマ
イカロスがスズナの部屋で得たのは、結局そこに彼女がいないということだった。
無論、それだけ、とは言わない。彼女が暮らしていたのが一学生の身分には不相応な分譲マンションの一室であったことはその背後に動く金の流れを追うというヒントをくれたし、その不在が日曜日、つまり事件当日からだという管理人からの証言は彼女の関与を強く感じさせるものだった。
あの人影は、彼女なのだろう。そしてその背後には、何らかの組織がいる。
彼女が同時多発演説事件のとき逮捕されたのも、偶然ではないはずだ。あのときから、彼女は関与をしていた。
だから彼女が事件に関与していることは恐らく間違いないとして――しかし、それ以上の情報はそこから得られそうになかった。空振りではないが、当たったというだけのことでファウルのようなものだ。
一度、仕切り直す必要があった――肉体的にも精神的にも、一度リフレッシュしなければならなかった。だからイカロスは一度事務所へ戻ることにした。自宅はあの有様だし、まだ事件現場として保存されている。事務所を仮住まいとしていた。
「ポンペイア二中職」ドアを開けると、ミージュがちらと彼の方を見て言った。「お疲れ様です。新しいボスがお見えですよ。帰ってきたついでに顔合わせしては?」
「それは……しばらくは顔が出せないかな。ここにもシャワーを浴びに帰ってきたってだけだから……」
「それはよくありません。引き継ぎだってあるでしょう」
「引き継ぐようなことは起きちゃいなかったろう? ……待機してた。それだけだよ」
「その待機中に好き勝手歩いていましたものね、アナタは」
その耳の痛くなるような言葉を、イカロスは無視してシャワー室へ急いだ。本当は仮眠も取りたかったが、そうして目覚めたときに新しいボスが睨みを利かせていた、なんてことになれば後が怖い。烏の行水を済ませてとっとと脱出するに限る。どうせミージュのことだ、ああは言いながらも不在の間に起きたことは彼女が代わりに報告してくれていることだろう。
今は、ナルシスのことに集中するべきである。
そのことが、きっと、自由恋愛主義者たちの動きを牽制することにも繋がるはずだ――スズナ・ルーヴェスシュタットの背後関係はそういうことを示しているに違いない。
「さて」
シャワーをあっさり済ませ、イカロスは眠気覚ましにコーヒーをペットボトル一本分一気飲みすると、彼は自分のデスクへ向か――わない。そんなことをすれば新しいボスに捕まって延々説教されかねない。今はそれどころではないし……そうする必要もない。彼はそっと事務所の廊下へ向かうと、そこで携帯端末を取り出してそこに番号を打ち込んだ。
『はい』
すると、三コールぐらいしてから、電話の相手は出る。それは例のカメラ映像担当の職員だ。彼の上司から紹介された後、番号を交換しておいてよかった。
「ポンペイアです。進捗どうですか」
『……あのね、昨日の今日で成果が出ると思いますか? 聞き込みだってまだできちゃいない』
「でも、カメラの映像は調べられたでしょう? それぐらいの時間はあったはずだ」
「…………」その沈黙の意味を、イカロスは理解できなかった。「そりゃあね。できましたよ、ええ。できましたとも」
「そうですか。それで、何か分かったことは?」
「何も」
「……はい?」イカロスは思わず聞き返した。「今、何て?」
「それがね、言われた通りカメラで例の車を追ってみたんですよ。どうせ他のカメラには何も映っていないんですから。そしたら全部不鮮明で、白いワゴン車ってことしか分からないんです。車両番号も運転手も何も分からない。速度すら機器の不調か不明だってんですから」
「……それを分析するのがアナタの仕事では?」
「分析ソフトにかけてみましたが、不鮮明なままです。残念ながら、映ってないものは出て来ようがないということでしょう。カメラやソフトの性能の問題であって、私の能力の問題ではない」
「…………」イカロスは聞こえないよう溜息を吐いた。「認めましょう。私が間違っていて、アナタが正しかった――でも、それなら何もってことはないでしょう。行き先ぐらいは分かっているのですから」
「まあ、それはどうにか。環状道路へ出た後それを北方向へ向かっています。サイタマ方面ですね。それから先のことは――」
「管轄外だというのは理解しています。トウキョウ管区から出ますから、後は私が」
「そう言っていただけると助かります……」職員の背後で軋む音。背もたれに体を預けたらしい。「でも、この情報、何の役に立つんです?」
「え?」
「だって、結局あの車には例のスズナとかいう女は乗っていないんでしょ? 追ったところで無駄じゃあないですか?」
「彼女がアレから降りてきたということが大事なんですよ。あの動きは不自然だ。だから追ってもらったんでしょうが」
「まあ、そりゃそうでしょうがね。でもそのあと彼女は結局車には乗っていないんだ。不自然だろうが何だろうが、そうである以上彼女の足取りを追う方が優先では?」
「その可能性を一つでも潰すためにアナタに聞き込みをお願いしているんでしょう?」
「そりゃそうです。でも少し寝させてください。こっちはアナタと違ってそこまで精力的には……」
イカロスはその言葉を皆まで聞かずに電話を切った。それから相手の呑気さに苛立つ自分を少しの間抑えて――その妥当性を一部認めた。
確かに、車に拘りすぎているかもしれない。今考えるべきことは――第一にはナルシスの行方だが――スズナの行方こそ、それだろう。彼女は非常に疑わしい。となると、行くべきところは自分のデスクだ――彼女のパーソナルデータは知っている。それを元に国民携帯端末の位置情報を調べるのは容易だ。
(が、すると問題は新しいボスだな)イカロスはミージュへメッセージを打ちながら来た道を戻る。(彼女が引き付けてくれればいいが)
待つこと数分。彼女は既読だけつけたようだ――がすぐに、彼女の声が中から聞こえた。ボスを呼んだようだった。大概、彼女も頼めば断れない体質である。一応ドアを少しだけ開けてそれを確認すると、物陰から物陰へイカロスは自分のデスクへ行く。恐らく時間はそれほど長くは取れまい。
彼は急いでコンピューターを起動させ、捜索アプリを展開。そこに覚えている限りの彼女の情報を打ち込み検索――そうして出た端末情報は、彼を驚かせた。
「最終位置情報……サイタマ?」
それは妙な話だった。サイタマというのはあくまでも車が向かった先の方であって、彼女の行方の方ではないはずだ。彼女はただ自宅近辺で消えたはず。それがどうしてそこに?
「…………」
答えは出ない。だとすれば、解決するために必要なキーが足りていないということだ。まずは、何にしても彼女の端末情報が消えたポイントへ向かう必要があった。一瞬だけ陰から顔を出して、まだミージュがどうにか持ち堪えているのを見てから、イカロスはしれっと事務所を後にした。
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