第8話 君たちは美しくない
「なるほど上位者が下位者を躾けなきゃ、ってのは理屈ではあるなァ――しかしだとすれば、テメーらおんなじことを何べんも繰り返すのは俺の責任ってことになるのか? まさかテメーらそんなことを言い出したりはしねーよな?」
声を荒らげたわけではないが、スズナの声色というのは淡々と恐怖を伝えるだけの力を有していた。もし反抗したならば、もう一度痛い目を見るということが言外に証明されているようで、アリグザンダーとキーンは即座に居住まいを直した。
「い、いえ……」
「ま、まさかそんなこと俺たちがするわけねぇじゃないですか、お嬢……」
「だよな。じゃあテメーら二人とも床に這いつくばって、俺がいいって言うまで舐めてろ。瞬間湯沸かし器で万年カルシウム不足のテメーらには丁度いいだろ」
二人は一瞬顔を青くしたが、抗弁を試みることすら躊躇われたのか、大人しく埃と黴が堆く積もったそこを、舌を使って掃除し始めた。時々吐き戻そうになりながらも。
「――なるほど」ナルシスが口を開いたのは、しかし、そのときだった。「ようやく理解できた」
「あ?」スズナは未だ機嫌悪そうにぎろりと睨んだ。「何がだ?」
「君たちはテロリストだ――それも、自由恋愛主義的な主張をする過激派。五年前の『大反動』の生き残りにしてはやることが雑で素人臭いから、その模倣犯、あるいは思想的後継者といったところか。大方、ルーヴェスシュタット君のバッグには拳銃やら何やら当局に通報されるとマズいものが入っていて、それを見られたと勘違いして僕を拉致したわけだ」
ナルシスが一息でそう言った瞬間、床にいた巨大カタツムリが二匹ともぴた、と動きを止めた。揃って懐に手を伸ばしている――何が入っているのかは明白だ。それをスズナは手と目線で制すると、ナルシスを見下ろしたまま、言った。
「まるで自分はたった今まで知らなかったように言うじゃないか。実際に見てきたんだろうが。だからアジトを突き止めるか自分でとっ捕まえるためにお前は俺たちを追跡しようとした。必死になって探してたってのはそういうことだろうが――確か、お前の兄貴は国民団結局の職員だったな? 兄貴に気に入られようとして俺たちを手土産にしようとしたんだろ。違うか?」
「一つ言っておくが僕は君じゃない。君が僕じゃないように」
「?」スズナの視線は、今度は困惑の色に染まった。「何当たり前のこと言ってんだ?」
「そう、当たり前の事実だ――自分と他人とは違う。だが人が他人の行動を予想するときの物差しというのはどうしても自分になりがちだ。その欠陥に関して言えば君も例外ではない。この場合、君は『自分だったら怪しい人物を見つけた場合どうするか』という瑕疵に引っかかって、それに気づかなかった……」
「意味が分からん」
「分からないのか? 僕が君に挑むだろうか、という問いなのだが」
瞬間、スズナの目が少しだけ見開いたのをナルシスは見逃さなかった。その間隙にナルシスは畳みかける。
「確かに、僕は優れた身体能力を有している。これは単に僕が美しく生まれたという以前に、努力という美しい営みを続けてきたからだ。だが、それは戦闘能力ではない――その一点においてだけは、君は僕より優れていると言わざるを得ない。尤も、そんなものは全く自慢にならないわけだが……問題は、それを理解していてなお僕という聡明な人間が逆に発見されるリスクを冒すだろうか、ということだ」
「……お前の普段の言動を見てりゃ、その可能性はあるだろう。お前は『共和国』の豚だ。『内閣』家の靴底に詰まった糞を食って生きている寄生虫だ」
「その認識に関して僕は色々言いたいことはあるが、仮にそうだとすれば猶更僕が君を追跡することはあり得ない」
「何故そう言い切れる」
「普通に、駅前にある国民団結局の職員詰所に行く。そうでなければ、学園の警備員に届け出る。何故なら君の頭の中の僕という存在は、『共和国』の各種機能の正常性を信奉する模範的な『市民』ではあるからだ――そしてその一点に関しては君の認識は正しい」
スズナは口を一度開いたが、それが何かの単語を形成する前にそれが間違っていることに自分で気が付いたのか、すぐに噤んだ。
「いずれにしても」だがナルシスはそれを勝ちだとは感じなかった。「ここまで事実を知ってしまった以上、僕は遅かれ早かれ消される運命にあるのだろう。君たちとしてもそれを躊躇する類の人間には見えないしね」
スズナは、実際、ナルシスの言葉を聞かずに部屋の隅に置いていたスクールバッグをいつの間にか苦行から自らを解放したアリグザンダーとキーンから受け取っていた。彼女はその中に手を突っ込むと、取り出すときには巨大なL字の構造物を有していた。
「それが、」諦めの感情がナルシスの胸を走った。「答えか」
「……否定はしない」
スズナはその鉄塊のごとき得物の長辺の部分を擦るように動かした。その先端で銃身が一瞬だけ露出し、半ば辺りにある穴からは、今まさに装填されようとしている弾薬だろうか、質感の異なる輝きがちらりと外を覗いた。これで、いつでも撃てる――のだろう、映画で見た知識だが。
「顔は狙うなよ。この美貌が失われることは、世界にとって許容できないレベルの損失だ」
「ふてぶてしい野郎だな」アリグザンダーが悪態を吐いた。「少しは命乞いでもしてみろってんだよ」
よせ、とキーンは制したが、スズナは彼らを一瞥すると、少し戸惑ったようでもあった。
「……お前は、」彼女は、銃口を向けてなお問うた。「死ぬのが怖くないのか」
「怖くない」ナルシスは、それを向けられてなお答えた。「と、言えば嘘になる――だが僕は『大反動』のときに死んでいるはずの人間だ。先延ばしにしていた死が今更来たと思えば、覚悟できないこともない」
「大反動」、という言葉の瞬間、スズナの手が僅かに揺れたのにナルシスは気づいた。その波紋は次第に収まっていったが、それはどこかへ伝播しただけにすぎないようだった。
「俺の両親は」その証拠に、スズナは銃弾の代わりに言葉を使った。「『大反動』のとき死ななかった」
「お嬢、」キーンが差し挟もうとした言葉を、スズナは手で制する。「…………」
「二人とも、当日は揃って休みだったから、俺と一緒に家にいたんだ。無差別銃撃には何一つ関与していたはずはない。普段にしたって、そうだ。仕事ぶりをずっと見ていたわけではないにせよ、テロリストなんかと関わり合いになる暇はなかったはずだ――それなのに」
それなのに、国民団結局の連中は、二人を連れて行った。
連れて行かれて、殺された。
「表向きは、拘禁中に抵抗したためやむなく銃殺された、ということになっている――が、そんな言葉を信じられるか? 無実の人間がどうして抵抗するっていうんだ? そして、帰ってきた二人の全身には山ほど痣があった……ハッ、銃殺だっていうのに、痣があったんだぞ? 何をされていたのか、想像がつくってもんだろ?」
スズナは嘲笑的な声色で言った、が、その笑った対象が果たして誰なのか、ナルシスには分からなかった。あるいは複数だった。それまで安穏としていた彼女自身か、傲慢さを隠そうともしない国民団結局か――いずれにしても、その複雑な色合いはすぐさま身を潜める。彼女のぶっきらぼうな面の皮の向こう側へ。
「最初は、国民団結局だけが悪いのだと思った。連中が無能だから、誰か悪者を作ることで鬱憤晴らしをしようとしたのだと思った。この現状を知れば、『内閣』家は必ず手を打ってくれると信じていた。だが誰に何度投書を送ろうが陳情しようが一向に動きはない。それどころか『当局の規制は正しかった』と追悼式典で演説かます有様だ。そのとき俺には分かった――俺の親を二人とも殺したのは、コイツら『内閣』家だってな」
「…………」
「規制が正しかったものか。じゃあ何で恋愛を自由にやりたいってだけで銃が飛び出すんだ? 愛する人間を自分の手で選びたいというだけでどうして命がけにならないといけない。『人類の過ちの清算』だと? 『野放図な愛が世界を滅ぼした』? ……他人を自由に愛するだけで人類が滅ぶものか! 連中は呆れた被害妄想に憑りつかれて、腐った体制を支える歪んだ組織を作り上げた。俺たちは多かれ少なかれ、その幻想の被害者だ――そして、お前もな」
「何?」
「お前は――俺自身は認めたくないが――優秀な部類の人間なのだろう。何のコネもないただの『市民』があの学園にいられるなんてのは、俺みたいに抜け穴を使わない限りほとんど不可能だ。褒めてやるよ」
「そうか。しかし僕が優れた人間であることは単なる事実であって、それを表現するあらゆる言葉はその追認に過ぎない。称賛するならばもう少し独創性が欲しいが」
「だがどれだけお前が優秀であったとしても」スズナはナルシスの反論を無視した。「将来的に『共和国』の行く末に関わることはできないだろう」
「……それは違う。そんなことは『三原則』に反する」
「だがこれが現実だ。この国は『内閣』家とそれに阿ってお零れに甘えてきた連中が支配している。嘘だと思うなら、今まで『内閣』家の連中に指名された行政官を調べてみろ。違うのはファーストネームだけで、苗字はほとんど同じ、それがローテーションしているだけだ――そしてその枠組みはこの百年入れ替わっていない。その証拠に、学園のコネ入学枠はほとんど決まっている」
「待て、推薦枠のことを言いたいのなら、アレは単に合格点に多少色がつけられる程度で――」
「だが、」スズナはナルシスの言葉を遮って言った。「それを誰が確かめるんだ?」
「! それは――」
「答えられないだろう。誰が何点取ったのか、誰も知ることができない。そりゃコネにしたって入った後のことを考えてある程度は勉強してきているのだろうが……誰を入れるかは『内閣』家の胸先三寸だ。お前が入れたのは、多分、よっぽど能力的に優れていると判定されたか、単に平等であることを装うためか――いずれにしても『内閣』家のお眼鏡に叶ったってところだろうな」
尤も連中の考えなんぞ俺の与り知らぬところだし、そもそも推薦枠というのが存在していること自体奇妙な話だが――とスズナは言って、銃を持った方の手で後頭部を掻いて、それを下しながら、言った。
「何にせよそうして作られるのが、互いの優勢劣勢こそあれ淘汰されることはないぬるま湯だ。淘汰されることがない以上、席が空くことはあり得ない。俺たち『市民』は最初から仲間外れにされているのさ。これは自由だとは言えないし、当然、平等でもない。その歪んだ前提にある平和なんてものは、単にガラス製のロープの上に奇跡的に立っているだけのことだ。一歩踏み外せば地獄が待っているし――ロープが切れることだって、考えられる。俺たちには、その危険な綱渡りをやめさせる権利が――否、義務がある」
「だからテロリストになったのか。でなければ親御さんに顔向けできないと?」
「そうだ。この腐った世界を立て直す。人を愛する権利を取り戻す――そして、それはお前の願いでもあるはずだ」
「…………」ナルシスは、無意識の内に、目線を逸らした。「な、何のことか分からないな」
「俺が気づいていないとでも思ったか? 俺は曲がりなりにも自由恋愛主義者だ。色恋についてはのほほんと暮らしてきたお前より経験がある――お前は単に俺を好いていないから俺を受け入れないのではない。他に誰か好きな奴がいるのだろう。大体交友関係から察しはつくが……何にせよ、その女の好意対象者に選ばれなかった時点で、お前にチャンスはない。今のままではな」
「……かも、しれないが」
「かも、なんてものではないだろう。それはお前だって分かっているはずだ。仮にシャルル様が何らかの理由で死んでも、あの女には別の『内閣』家の人間か、その取り巻き連中の誰かが割り当てられることになるだろう。学園の推薦枠と同じ。それと違うのはお前に順番が回ってくることはほぼないってことだ。お前は選ばれる側にいることすらできない」
――陽だまりはガラス戸の向こう側にあって、届かない。その中で彼女はナルシスに背を向けて彼ではない誰かとどこかへ行ってしまう。
その幻覚が、一瞬ナルシスの視界を横切る。淀んだものが胸の中に溢れて、彼の心臓を酷く動揺させる。価値観はそこを基礎にしていたようで、今にも崩れんばかりに長周期振動に晒されている。
「ナルシス・ポンペイア」その揺れの間から、スズナは問う。「お前はどうしたい――世界を変え想い人を手に入れるか、それともこのまま歪みを受け入れるのか?」
ナルシスはその問いかけに答える前に瞠目した。
今ならば理解できる。
スズナのあの言葉の意味――ナルシスを豚呼ばわりした意味が。
彼女はずっと戦っていたのだ。世界と、国民団結局と、「内閣」家と――ナルシスが葛藤という名の躊躇をしている間に、彼女は武器を持った状態で学園に入り込み、いつでも「内閣」家の子息たちを殺せる状態にあった。復讐を遂行する一歩手前にいた――?
(――いや)
そうではないだろう。復讐ではないはずだ。そのタイミングはいくらでもあった。拳銃を持って同じ教室にいることができたのだ。あそこに護衛はいない。いや、いたとしても逃げることを考えなければ撃つこと自体はできたはずだ。
つまり、それをしなかったということは、それが無意味だと知っているということだ。
そして、エーコ――
で、あるからには――ナルシスは、目を開けて言った。
「……なるほどな。君に出会ってから初めて君のことを人間らしいと思ったよ。君の行動原理がようやく多少は理解できた」
「そうかよ。今まで俺のことを何だと思っていたのか興味がないではないが、まあこの際聞かないでおいて――」
「だが」ナルシスはスズナの言葉を遮る。「君たちは美しくない――スズナ・ルーヴェスシュタット」
高評価、レビュー、お待ちしております。




