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第79話 捜査線上のスズナ

 薄暗い部屋の、同じぐらい薄暗い画面の中央には、一台の車が映されている。白いワゴン車。それがポンペイア家の近くの道路、具体的には銀行前の路肩に停車している。車両番号は画質と画角が悪くて見えない――ライトの光が邪魔だ――が、それはこの後他のカメラ映像を見れば分かることだろうから、重要ではなかった。


 では重要なものとは何であろうかと言えば、そのワゴン車から降りてきた人影の方である。


「……ここだ」そこでイカロスは画面を指さした。「止めてください」


 ドアを閉めようとする、その瞬間を捉えられたそのシルエットは、その車両の大きさから比較すると随分大きく見えた。男性の平均身長程度は優に超えている。恐らく二メートルはあるだろう。


「男ですかね?」担当職員は画面上をなぞった。「随分髪は長いですが」


「いや、女だと思う。見えづらいですが、胸がある――ほらここ。服のたるみじゃあないはずだ」


「ここだけ切り取るとまるで変態みたいですね」


 イカロスはそれにぎろと視線を向けた、が担当職員はそれに背を向けて画面だけを見ていたので何も気づかない。イカロスは溜息を吐いて、自分のすぐ後ろに置き去りにされていたキャスター付きの椅子に座り直して、その背もたれに思いっきり体重を預けた。担当職員はそれを見向きもせず卓上に置かれた缶コーヒーに手を伸ばしながら言った。


「問題は、本当にこの人物が事件に関与しているのかということ――一応この彼もしくは彼女は画面手前の路地を通っている。ポンペイア家の方角なのは確かです。しかしこの先の監視カメラには位置が悪くて映っていない。運悪くここを通りがかった人の可能性もある」


 それから、彼は肩を竦める。事件現場周辺の防犯カメラはこれを除いて確認し終えたところだった。しかし、怪しい人物はこれ以外映っていない。にもかかわらずこれにしても決定打となる目撃情報とはならなかった。あくまで、ここに人がいたという情報が分かるだけ――


「――いや待て、」イカロスは、しかし首を横に振った。「それはないはずです」


「え? 何故です?」担当職員は身を起こした。「この人影が犯人だと?」


「この道は一本道ですよね? 現場手前の十字路まで脇道はない。真っ直ぐ行って、私の家に辿り着いたはずだ」


「そうは言い切れないでしょう。十字路で曲がったかも」


「だったら他のカメラに捕まっているはずですよ。ほら、地図のここと……ここ。にカメラがあったわけでしょう?」イカロスは地図上に今までに分かっているカメラの記録範囲を図示した。十字路の左右に一台ずつ、それはあって通りの方を向いている。「だとすれば、少なくともこの先には行っていない。」


「ですが、その道中にも家はあるわけです。それに、カメラの手前にも、アナタの家の奥にも結構な数の民家がある。そこに行った可能性は?」


「だとすれば、聞き込みをすればいい話だ。来客があったかどうかをね」


「一軒一軒?」


「一軒一軒」


「マンションもあるのに?」


「マンションもあるのに」


「…………」担当職員はいかにもやりたくなさそうな顔をしていた。「でも、取り敢えずもう少し先まで見てみませんか。まだこの車がどこに行ったのか不明なままでしょう」


「それはもちろん。これからこの車の行方を追わなきゃですから」


 担当職員はそれにも嫌な顔をしつつも、コンソールを走らせてカメラ映像を先に進めた。大通りの端に停車したそれはじっとしばらくは動かなかった。大凡数時間程度――早送りの映像の中ではそれは数十秒に過ぎない――そうしていたが、次の瞬間ふっといなくなった。行き過ぎたのだ。


「巻き戻しを」


 担当職員はぶつぶつと何かを言いながら、またコンピューターを操作した。今度はゆっくり画面が戻り、ワゴン車がじわじわとバックしてくる。そうしてもう一度さっきの場所に戻ってくると、そこで不思議なことが起こった。


「…………?」イカロスは思わず身を乗り出した。「今のは?」


「何です? 誰も戻ってきていない――」


「いや、そこじゃあない――今、ドアが勝手に開いたでしょう。どういうことなんだ?」


 イカロスは職員からマウスを奪うと、見様見真似でもう一度巻き戻し、再生した。それを何度か繰り返すが、やはり、人影もないのに開閉されている。


「中から開けたんでしょう。それ以外にありますか?」


「じゃあ、何で開けたんです? 理由もなくする行動でもないでしょう」


「さあ……虫でもいたんじゃないですか?」


「それなら窓を開けるぐらいで済むはずだ。わざわざドアを開ける意味がない」


「デカい虫だったんでしょう。しかも飛ばない奴。このカメラじゃ出てったかどうか分からないですけど」


 確かに、それなら説明がつく。誰だって虫が足元を這っていれば――しかも叩くものが近くになければ――ドアを開けてそこから出て行ってくれることを願う。そのためにドアを開けたというのは、分かる。


 が、なら何故、何時間もここで停車していた?


 日が暮れて、夜になるほど?


「……怪しいな」


 イカロスがそう言うと、職員は明らかにその結論に意見があるようだった。不満そうに、彼は言う。


「え、ええ……? そんなにです?」


「このカメラは確か、オンラインで通信できるタイプでしたよね、国民携帯端末で外出先から確認できるような。そこ経由でハッキングされた可能性は?」


「改竄されたとでも言うんですか?」


「可能性はあるでしょう」


「でも、それは変ですよ。私なら全部隠します。この車が来るまでここには何も停まっていなかった。それならダミー映像は簡単に作れますから」


「なら、他のカメラがダミー映像に差し替えられていた可能性はあるんじゃないか? だから何も映っていない」


「車は無関係ってことですか? 送るだけ送ったと? ちょっと不自然な気もしますが」


「…………」それは、そうだが。「しかし、だとすればこの何者かはどこに消えたんだ?」


「だから、その辺の民家に行ったんでしょう?」


「聞き込みするしかない、か……」このイカロスの言葉に、職員は露骨に嫌な表情をした。「とはいえ、この人影には見覚えがあるんですよね」


「見覚えが?」


「スズナ・ルーヴェスシュタット――彼女によく似ている」


 大柄で、女性。


 属性にして起こしてみればそれだけのことではあるのだが、背格好というか、動き方が似ている。ブルドーザーのような重厚感のある動き。並大抵の人間では同じような風格は出せまい。


 それに――


「彼女はナルシスの好意対象者でもある。無関係とも思えない」


 仮説としては、こうだ。


 まず、彼女は来客のフリをしてポンペイア家に押し入った。そうして何らかの手段でナルシスを気絶させたのち、偽装として家を荒らした。それからダミー映像で無力化されたカメラのある道を通って逃げた……。


「つまり組織的犯行ってことですか?」担当職員は首を傾げた。「彼女が自由恋愛主義団体と関わっていたと?」


「実際に、彼女は一度その由で拘束されています。あのときは証拠不十分で不起訴になったが、それはシロであることを必ずしも意味しない。あくまでクロでないだけです。すぐに彼女に連絡を取るべきだ」


「そりゃ、そうでしょうが……でも、彼女かどうか分からないんでしょう? 聞き込みしてからでも……」


「彼女が犯人だった場合既に逃走されている可能性がある。聞き込みよりもこちらを優先したい」


 そう言って、イカロスはすぱっと立ち上がった。それから制服の裾を正して、出口へ向かう。


「すみませんが引き続きカメラのチェックと――聞き込みの方をお願いします。自分は今すぐ彼女の足取りを追います!」


「ちょ、ポンペイア二中職⁉」


「それでは!」


 バタン。


 ドアが閉じられ、職員はそこに取り残される。部屋はまた薄暗くなり、その中で職員は深く溜息を吐いた。それから世界と宇宙とやたらと明るく無茶を言う上司でもない男を一頻り呪って、彼もまた立ち上がった。

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