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第77話 サイタマ談判(前編)

 ルイ・オブ・プレジデント=キャビネッツが暗殺されたのは早朝の採血の時間のことだった。凶器は注射器である。本来吸い込むように使われる注射器を、逆に押し込むように使ったのだ。


 空気注射である。


 その動きがあまりに自然と行われ、しかも護衛には医学的な知識が乏しかったためにその看護師はあっさりその行為を終えることができた。彼に一つ誤算があるとすれば、その効果があまりにすぐ現れ立ち去ることができなかったことであろうか。それで異変に気付いた護衛たちに彼は取り押さえられ、そして言ったという。


「『自由恋愛万歳』」スズナは、紅茶の入ったティーカップをソーサーに置きながら言った。「――と」


 かちん、と音がした、のはスズナたちにしか聞こえなかっただろう。カフェは満席で、誰も他のテーブルのことなんて見てはいない。ある程度の静けさはあっても、会話という葉が積み重なってしまえばその向こうを見通すことなどできない。


 だから辺りの人間には、そこにいるのが男と女ではなく女性二人――でもなく、女と男のコンビであることに誰も気づきはしないだろう。


 ましてその男の方が女装をしていて。


 しかも愚恋隊の頭領であるオウカ・アキツシマなどと、誰が思うだろうか?


「…………」


 彼の今日のコーデは和装であった。黒に赤を基調としたツートンカラー。そこに薄っすらと白色の刺繍を施して闇の中で百合の花を咲かしている。そして長い黒髪はくるりと後頭部で結われていて、花の形を象った簪がそれを美しいままに留めていた。


「……」スズナは内心いくらか嫉妬しながら言った。「そこで一つ聞いておきたいんだが、今回の一件、愚恋隊は関わっているのか? 犯人は一応男だということにはなっている――だが、元愚恋隊員の犯行という線は残るだろう。お前らは引退者を諜報員として使っている。はっきり言えば、疑わしいところだ」


 で、どうなんだ。


 と、スズナは目線を鋭くしたまま言った。固より不機嫌そうな彼女の顔がそうなれば、大抵の人間は真実を話すか、聞いてもいないところまで知らせようとするだろう。あるいは官憲に知らせようとするか。


 しかし、オウカは自分で頼んだ紅茶に手も付けず、じっとこのテラスから通りの方を見ていた。スズナはちらとそれに視線を向けたが、何か特段の事情があるようには感じられなかった。


「……黙るってことは、それなりに都合の悪いところがあるっていう認識でいいのか?」


 視線を戻し、今度は明確に睨みつける。彼の態度は不愉快を通り越して不可思議だった。そしてその疑いを向けるのに充分だった。彼の無関心そうな表情を見るに、都合が悪いから黙っている――のではなさそうではあるのだが、いずれにしてもいい気はしない。


「おい」


「――無礼ですわ」


 そう言いながら、相変わらずオウカは通りの車や人を眺めている。しかし口を開いたことは進歩ではあった――進展であった。それにオウカは思わず一瞬黙り、それから彼が中々喋り出さないのに苛立って再度主導権を手に取った。


「無礼って、何がだ? 人と会話するときにこっちを向かないことか?」


「ええそうですわね。私はよく世間離れしていると言われますけれど、それぐらいのことは分かります――ですが、それはアナタがしていることを真似てのこと。自分がしていることなのですから当然やり返されても文句は言えないでしょう」


「は?」


「人と会話するときに、本人が来ないのでは――ということです。私はこの場をアナタ方初恋革命党と愚恋隊の同盟交渉の場だと考えていました。しかしここにいるのは副党首のアナタ。ナルシス様ではない」


「……アイツに様を付けるのは、その、もったいない気がするが……」スズナは後頭部を掻いた。「それについては最初の時点で言ったはずだ。アイツはこの場じゃないところで待機している。だがこのイヤホンで指示を飛ばしていて、俺の言葉は基本的にアイツの言葉だ。それなら、本人がいるのと然程変わりないだろう」


「大違いですわ。ナルシス様はアナタみたいに薄らデカくないし五月蠅くないし何より美しい」


「今、人のことブスって言ったか」


「そういう自意識過剰なところもです」紅茶にようやく彼は手を付けた。「そして大雑把。私の苦手なタイプですわ」


 そして一口――しかし随分熱かったのだろう、急いで口から離して顔を顰める。一瞬スズナはそれを見て愉快になったが、顔には出さなかった。


「……見ていて気付きませんこと?」カップをソーサーの上に戻してから、オウカは言った。「この街並み、いつも通りじゃないでしょうに」


「俺はシティーガールだからな。サイタマの街並みには詳しくない」


「サイタマの皆様に謝りなさい。それにアナタがシティーガールならガマガエルだってそうでしょう」


「そういやホテルでの決着がまだだったな。今つけてもいいんだぞ?」


「いえ、アレはもう終わったことでしょう。アナタが逃げ、私が残った。これが決着でなくて何だというの?」


「ああ。俺をお前が取り逃がしたんだったな。その間抜けさを決着というならそうだろう」


 視線と視線がぶつかり合う。イヤホンの向こうではナルシスがギャーギャーと言っていたが、スズナはそれに耳を貸すつもりはない。交渉というのなら、対等の立場でやるべきだ。だから、対等の態度を取っているに過ぎない。第一、彼らを暴力装置として迎え入れるからには、対等ではむしろ危ういぐらいだ。


「……はあ」意外にも、オウカが先に折れた。「非生産的な会話はここまでにしましょう。アナタにも分かるように説明してあげますから」


「その言い方には引っかかるところがあるが、是非とも教えてもらいたいね、この街並みがどのように変なのか」


 見たところ、これと言って異常は感じられない。この駅から十分の距離にあるカフェの前を見渡せば、人が会話をしながら通っていく。向こうの通りも同じような状況で、その間を車が右へ左へと休む間もなく通り過ぎていく。それの何が変なのか――オウカは言った。


「人が多すぎるのです」


「……それ、お前もサイタマの人に謝らないといけないんじゃねーの?」


「いいえ、少々語弊のある言い方はしましたがね。アナタにはその方が分かりいいかと思いまして」


「非生産的な会話はなしじゃなかったのか?」


「失礼。では言い方を変えましょう――」彼女はまた視線を外に向ける。「駅からこんなに離れたところに、こんなに人がいるはずはないのです」


 そう言われて、スズナはもう一度それを見る。確かに、駅からここまではかなりの距離がある。ビジネスホテルや商業施設をいくつも通り過ぎて到着した。とすれば住人以外の人間が用のありそうなところはこの先にはないということになる。


 しかし、人も車も相当な数が歩いている。


 まるで、街から溢れ出ているかのように。


「…………」


「トウキョウ暮らしをしていては気づかないのも無理はないでしょうが、こうまで人が多いというのは不自然なはず。このカフェにしてもそう。あまり大きな声で言うのは不躾なことですがあまり質のいいところということはない。なのにここまで人が集まっている。競合しない割に人が多いということの証拠です。では何故人がこうまで集まったのか?」


 ――答えは一つ。


 戒厳令でトウキョウから逃げ出してきた人がこれだけいるということ。


「尤も、抜け出すことができたのは、戒厳令が出ると聞きつけてすぐに動けるだけの資金と行動力のあった富裕層だけのようですけれどね。そして恐らく、その大半は『内閣』家の恩恵を受けて暮らしている人々。彼らはこの事態を大して困ったものとしては考えていない。苦しむのは逃げる力もない『市民』だけだと嘲笑っている。はっきり言って私たちの敵ですわ」


「……なるほど、お前がずっとよそ見をしていた理由はこれで分かった。」スズナはぬっと体を前のめりにさせて、頬杖をついた。「だが、それとこれとは話が別だ。そろそろ俺の質問に答えてもらおう」


「質問? 何だったかしら?」


「とぼけるな。ルイをお前らが殺したのかどうか、だ――連中はこれを口実に更に規制強化に乗り出すだろう。そうなればこのサイタマだって戒厳令の対象になるかもしれない。もしお前らがやったことだとするならば、同盟を組むことはできない――というのが初恋革命党の意見だ」


 するとオウカは、また何も言わなくなった。じっと、紅茶に目を落とし、またカップの持ち手を摘まむようにして持ち上げると、静かに音を立てず飲んだ。そしてまた下ろすと、


「頃合いですわね」


 とだけ言った。


「何がだ」


「いえ。そろそろお暇する時間だと思いまして」


「まだ話は終わっていないぞ。それとも、本当にやったとでも言うのか?」


「アナタに答える義務がないというだけのことです」


「言ったはずだ。俺はあくまでスピーカーでしかない。確かにアドリブはあるが、基本的にはアイツの言葉に沿って――」


「なら」オウカは立ち上がる。「お聞きになったらどうなの? ナルシス様にどうすればいいか、聞いてみればよろしいのでは?」


 そうさせてもらうさ――とスズナは言えなかった。


 おかしい。


 こういう、交渉が決裂するような事態になれば、アイツは絶対に指示を出すはず。それが何もないままだ。同盟を欲したのは彼なのだから――スズナはナルシスを袖に仕込んだ小型マイクで呼び出した。しかし応答はない。どういうことだ?


 そこにクスクスという笑い声。その出所は言うまでもない。


「オウカ・アキツシマ……」スズナは、ぎろと睨んだ。「何をした?」


「少々卑怯な手を。でもアナタたちが先に始めたことなのだから、当然許してくださるわよね?」


 ――身柄は預かったということか。


 ナルシスは近くの駐車場に停めた車の中から会話をモニターして通信を飛ばしていた。通信強度の関係上、会合地点に選ばれたこのカフェ近くにいざるを得ないから、駐車場やそれらしい路地に監視員を置いていればすぐにどの車両かは分かる……もしかして途中ギャーギャー騒いでいたのは、あのとき拘束されていたということなのか? だとすれば今頃は既に彼ら愚恋隊の用意した車両の中だろう。


「ご安心を、」オウカは立ち上がる。「あのお方以外には危害を加えないことを厳命しています。もちろん彼らが抵抗しなければの話ですが」


「目的は何だ? こんなことをすれば同盟なんて、」


「目的? ……まだ分からないなんて、信じられないほど鈍感ね。そんなことでは愛する人を射止めるなどできるはずもない」


「ッ、」カチリと音がして、スズナは咄嗟に手を伸ばした。「テメーッ」


 が、それは空を切る。そこには最早誰もいなかった。


 彼の「異能」だ、とすぐに分かった。時間停止。そう長い距離は移動できないはず――だが、ここはテラス席。外には一歩踏み出すだけでいい。止まった時間の中では、人混みの中に潜り込むのはそう難しくない。彼の小柄な体格からすれば和服は人波に隠れ、目立つ簪も外してしまえばただのロングヘアだ。


 そして何より大きな問題が一つ。


 支払いがまだだった。


 食い逃げなんてすれば、国民団結局の目を引くことになる。


「――クソッ」


 スズナは勢いよく座り直すしかなかった。まずは伝票を見て料金を確かめるところからだった。すると彼女はそこに一枚の紙幣が挟まれていることに気づく。それに溜息を深く吐きつつ、彼女はそれを持って会計へ向かった。

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