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第75話 ナルシスはどこだ?

 イカロスにはその光景がどういうことなのか、皆目見当もつかなかった。


 彼は月曜日から発布された戒厳令下で待機をしていただけだった。いつ何時自由恋愛主義者による暴動が起こるか分からない。シンジュク事変以来の戒厳令は辛うじて守られているようだった――携帯端末に交付される許可証なしの外出の禁止――が、そんなものは武装した連中には通用しない。だから最高戦力であるところの「共和国前衛隊」には詰所で武装して待つよう命令されていた。


 そこに、不意に彼は呼び出しを食らったのだ。彼はシンジュク事変で失われた上司の代理を務めていたからそれを最初は拒否したが、詳細を聞いたとき、持っていた自動式防衛機材を取り落とした。


 それは、彼にとって単なる空き巣事件ではない。


 自宅が事件現場になっているからには、彼は向かわなければならなかった。


「…………」


 門から玄関までの数メートルには、ガラスの破片が敷き詰められている。見上げるまでもなく、窓ガラスは一枚残らず割れてしまっていた。一階のそれがあったところから中を眺めるのが怖くて、彼は逃げるように玄関に辿り着きドアを開ける。


 しかし、それは前門の虎を恐れて逃げた先で後門の獅子と対峙してしまったようなものだ。まず玄関入ってすぐの物置から掃除用具等が溢れ出していて足の踏み場もなかった。それをどうにか跨いでリビングに行けば、机は倒され戸棚は全て開けられている。食器も掻きだされたようで、そこかしこで割れたり割れなかったりして床に散らばっている。


 恐らくは金目のものを狙った犯行であろう。そこら中を探し回ったということはどこに目当てのものが隠されているのか知らない外部の人間が犯人に違いない。窓を準備もなく(ガムテープを貼って音を消すような対策がないという意味だ)割って入る大胆な手口だが、この辺りの人通りが少ないことを見計らってのことだろう。計画的だ。


「しかし、」後ろから、一人の捜査職員が言った。「酷い荒れようだ……誰もいなくてよかった」


「? 誰もいなかった?」イカロスは振り返って言った。「どういうことですか?」


「通報したのはつい一時間前にここを通りがかった通行人です。窓が割れているのに気づいて――どうしたのです?」


 そのときイカロスはハッとして、踵を返して二階へ上がった。向かうのは自分の部屋――ではない。どうせ、この状況では隠していたタンス預金や換金可能な装飾品なんてなくなっているだろう。事実通り過ぎたその扉は破壊されていた。鍵をかけていたが、蝶番の辺りを壁ごと壊されていたのだ。つまり工具を持っていたということで、やはり計画的な犯行であると分かる。


 そんなことはどうでもいいのだ。


 重要なことは一つ。


 ナルシスのことだ――恐らく日曜日の事件当時、彼がこの家にいなかったとは考えづらい。シンジュクに行く前、イカロスは彼に絶対に出掛けるなと厳命した。謹慎していろということだ。発覚すればどうなるか分からないだろうにそのリスクを取ってまで彼が出掛けたとは思えない。だとすれば――彼はどこに行ったのだ?


 イカロスは、ナルシスの部屋の前に着いた。そのドアは閉じられている。彼は弟の端末番号を呼び出して、電話をかけてみた――が、通じない。機械音声が電源が切られていることを伝えるばかりだ。


「…………」


 汗が、頬を伝う。心臓は、固より勝手に動いているものではあるのだが、彼の言うことを聞こうとせずに暴れていた。まさか、という予感がしていた。彼はゆっくりと端末を顔の横から下しながら、その先に何があっても驚かない覚悟をして、ドアノブに手をかけ――開けた。


「……!」


 そして、風が吹いた――それに彼は目を細め、顔を逸らした。が、そこには予想していた血の匂いやタンパク質の腐ったそれは漂ってこなかった。それに彼は驚いて目を開ける。すると、そこには、何もなかったのだ。


「いない……⁉」


 いやそんなことはない。部屋は他のそれらと同じく酷く荒らされていたし、クローゼットは開きっぱなし、ベッドも乱雑にされていて、その上に割れたガラスが散乱して月明かりを反射しててらてらと輝いていた。姿見だけがどうにも昔のまま取り残されていて不自然ですらあった。


 だがそこには、あるべきものがない。


 いるべき者がいない。


 ナルシスが――いない。


 死体ですらなく、生体ですらなく、そもそも存在していない。


「犯行時間は」不意に言った。「いつですか?」


「まだ分かりません。目撃証言が少なすぎて……」


「でも、弟がいたはずなんです」捜査担当職員に、イカロスは振り返って縋りついた。「ここは彼の部屋だ。連絡も取れない、この時間にいないなんておかしい!」


 捜査担当職員の顔色が変わった。空き巣という見立てが、そもそも間違っていたということだ。これは強盗事件の可能性がある。彼は恐らく空き巣に出くわして――


「ちょっと待ってください。」と、そこまで彼は考えて、引っかかる部分に出くわした。これはおかしい。「じゃあ彼はどこに行ったっていうんですか?」


「そんなこと、自分が知るわけないでしょう」


「いえ、アナタに聞いているというよりは――彼が家にいたとしたら、何をしていたのかということなんです」


「? どういうことです?」


「ですから――家にいて空き巣に出くわしたら、普通は抵抗するはずです。仮に事件当時寝ていたかどちらかが気づかなかった可能性もありますが、だとすればここにいないのは余計におかしい。だとすれば事件当時彼には意識があったということになるでしょう。ならば、当然、争った跡が残るはず」


「それは……部屋が荒れているでしょう。あるいは争った後犯人が部屋を荒らしたせいでそれが覆い隠されたとしたら――」


「相手は少なくとも工具の類を持っていたんですよ? 私ならそれで彼を殴ります。その一撃で昏倒したとすれば、そこに血が残るはず。だがそんな形跡はどこにもない。まるで彼が自発的に外に出たみたいにね」


「……余計に意味が分かりません。空き巣と一緒にデートにでも行ったと?」


「それも面白いものの見方ですがね、実際はもっとシンプルでしょう。弟さんは、そもそも事件当時ここにいなかったのではないか、ということです」


「……⁉」


「時系列順に整理しましょう――まず、弟さんはいくらかの荷物を持って家を出た。理由はアナタの方がお詳しいでしょうから後で聞きます。問題はその後、偶然空き巣がやってきてこの家から金目のものを根こそぎ盗んでいった。事件は二つあったんだ」


「それはおかしい。空き巣は随分運がいいことになってしまう。偶然家に誰もいない時間帯だったなんて」


「ええそうでしょう。ですからもう一つ可能性はあります。空き巣がそもそも存在しなかった可能性です――弟さん本人が、家出の資金として金目のものを持ち出した」


 イカロスは自分の頭に血が上ったのを感じた。咄嗟に目の前の彼を殴りたい衝動に駆られたが、それはどうにか堪えた。冗談じゃない。そんな大それたことをアイツがするはずはないのだ。


 そう大それたこと――ふと、イカロスの脳裏に閃きがあった。


「……もう一つ、可能性はありますよ」


「何です?」


「誘拐です――それなら、血痕が残っていないのも説明がつく。これから人質に使うのに殺してしまいかねないような行為はしない」


「なるほど、争った形跡も、部屋を荒らすことで隠れるというわけですか――ですが、一体誰がそんなことを?」


「自由恋愛主義者です」イカロスは言い切った。「連中は何をしでかすか分からない」


「分からないのならば犯人足り得ないのでは?」


「どんな過激な手段も取る、という意味です――第十三学園の選挙に関わったナルシスを、彼らは神輿に使おうと考えた。恐らく、どこかでコンタクトはあったはずです。だがナルシスはそれを断った。だから彼らは誘拐して洗脳しようと試みたに違いない」


「…………」


「あるいは、自分に対する見せしめである可能性もあるでしょう。シンジュクで私は臨時とはいえ指揮権を握った。だとすれば、自由恋愛主義者たちは私を憎んでいてもおかしくはない。その交渉手段としてナルシスを使おうというんだッ」


 前者にしろ後者にしろ、それは危険極まりないことだ。ナルシスの命が危ないことには変わりない。一刻も早く彼の行き先を特定し、誘拐犯を捕らえなければならない。そしてその背後にある関係を突き止めなければならない。恐れ多くも革命を名乗る反動を打ち砕くためにも。


「ポンペイア二中職――」しかし、捜査担当職員は溜息を吐いた。「考えすぎでは?」


「はい……?」


「もし誘拐犯がいたとすれば、彼らの目的は弟さんだけのはずだ。いくら偽装だからって、家中の戸棚を漁るというのは不自然でしょう。そんなことをすれば時間がかかる。不用意に物音も立つ――バレればそれで破綻する計画だ。それに、シンジュクであれだけのことが起きているのにこんなところで油を売っている自由恋愛主義者など考えづらい」


「誘拐犯がアレを引き起こした一派なのだとすれば説明は――」


「つきませんよ。陽動とするならばあまりに大きすぎる。得られる成果は、アナタの見立て通りなら、非協力的な人間一人。リスクとリターンが見合っていない」


「しかし……」


「二中職。アナタが弟さんを信じたいのは分かりますがね、ならば余計に事実を見るべきです。ただの家出です、少々手段は過激ですがね。何か事件に巻き込まれたよりは遥かに予後はいいはずだ。ならアナタが今するべきことは、彼が帰ってきたときに安心できる場所を作ることだと思います」


 ――しかし、俺はナルシスを守ると心に決めたんだぞ?


 もし、この捜査担当職員の見立てが間違っていたとしたら?


 もし、何か事件に巻き込まれ、今にも命の危険があるとすれば?


 もし、その犯人が手段を選ばないような自由恋愛主義者だとすれば?


 彼の脳裏に過ったのは好意対象者の揺れる髪の毛だ。それが倒れ伏して赤い血に染まっていく。そこにナルシスも横たわるとすれば、それは、そんなことは――許せないのだ。


「では、自分は」イカロスの答えは決まっていた。「自らの職権を果たすだけのことです」


「はい?」


「自分は『共和国前衛隊』の隊員です。この事件は、単なる失踪事件などではない。そう考えられる以上、自分は、自分自身の捜査権限を使うことが許されている」


「……アナタは状況を分かっているのか? トウキョウには戒厳令が敷かれる。それほど治安が悪化しているのに警戒態勢から抜け出すと? 本気で?」


「アナタこそ、状況を分かっているのですかッ?」イカロスは、しかし強気にそう言った。「その治安状況の中に自分の弟を置くわけにはいかない。ただの家出が本当に事件になる可能性がある。そうなったときの責任をアナタは取れるのですかッ? ……たった一人の肉親なのです。誰にも止める権限などありはしない」


 そう言われると、職員もそれ以上は強気に出れないようだった。苦虫を噛み潰したような表情で黙り、それからしばらくして、溜息を吐いた。


「いいでしょう、いずれにしても直属の部下でないからには、私にアナタを止めることはできない。『共和国前衛隊』独自の捜査権を邪魔して上から睨まれるのも嫌ですしね。ですが――」が、そのとき視線が鋭くなる。「ですが二中職。アナタに真実を知る覚悟はおありか?」


 ぴく、とイカロスは射竦められた。ことに自分が一番驚いた。そして不意に目の前にいる職員が不意に経験深い中年男であることに気づいた。酸いも甘いも知る、ベテラン――


「何を――」


「真実がアナタの求めるものでなかったとき、アナタはそれに耐えられるのか、という意味です――アナタはまだ若い。それは経験がないということです。信じていた者に裏切られるというそれがね」


「…………」


「まあ、別に私はアナタの推理が全くの間違いだと言うつもりはありませんよ? 私のそれとは違っているけれど、別の方向に筋が立っているのは事実だ。それが、筋は筋でも筋違いかどうかはまだ分からない。でも、」


 我々二人が予想もしていないような結末だって、あり得るんだ。


 より最悪の、誰も得しないようなそれに終わることだって。


 そう言った職員の目は、それを見てきた――のだろう。それを皆まで言わないのは、きっと言葉にできないのだ。それほど惨い終わり方をした事件を目にしてきたのだ。単なる守秘義務というだけではなかろう。


「……それでも」それでも、だ。「自分には真実を突き止める義務があると思います。そして弟を救わなければならない。導かなければならない。それが、死んだ両親へ果たすべき約束だと思います」


「――そうですか」


 職員はそう言うと、部下を一人呼んだ。すぐに階下からやってきた制服姿の彼は、礼儀正しそうに一礼した。それに礼を返しつつ、イカロスはその意図を知りたがった。


「コイツには」職員は言った。「これからここ周辺の監視カメラを洗ってもらう予定になってます。捜査協力――というつもりはありませんがね。でも二度手間になるよりはいいでしょう?」


 若干意地の悪そうに笑う彼はきっと本質的には優しい人間なのだろう。イカロスはこぼれそうになる涙を堪え、ありがとうございますと一礼した。それから彼の部下を連れて、下へ降りる。まずは事件当時の周辺状況の洗い出しだ。

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