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第72話 シンジュク事変(裏)

「ナルシス」その声は、午睡からナルシスを目覚めさせた。「緊急事態だ」


 薄っすらと目を開ける。雨音がざあざあと少しばかりの雫と一緒に入り込んできて、顔に当たる。ということは窓が開いているということだ。それなのにそこから光は入り込んでこない。何故ならそこにやたらと大きい妨害物が張り付いていたからだ。


「……妖怪?」


「ぶん殴るぞ」


 スズナが、そこにいたのである――彼女は窓枠ギリギリ一杯にその体躯を捻じ込んでいて、そのせいで曇り空の光が入ってこなかったのだ(反対側の窓はカーテンが閉まっている)。それで、その隙間から雫が入ってきて、ナルシスの顔を濡らしたというわけである。


「正面玄関は閉まってたしインターホンには出なかったからな。悪いが強硬手段を使わせてもらった」


「スズナ君、君ついに怪盗の真似事でも始めたのか? その図体じゃ厳しいと思うが」


「そんなことよりシンジュクだ。ついにアイツらやりやがった」


 アイツら?


 ナルシスはようやく身を起こして、まだ窓枠に張り付いているスズナに道を譲ってやった。その彼女は土足でそのまま上がったが、それに対して論駁する余裕などないということは彼女の言葉から明らかだった。


「何があった。シンジュクということは、例のデモが?」


「ああ。銃撃騒ぎになっている。見ろ」


 そう言って、彼女は自分の携帯端末をナルシスに見せた。それは現地で撮影されたものらしい。配信画面の、恐らく切り抜きだ。


 最初は乱れた映像。撮影者が走っているのだと分かったのは次のカットで振り返って映像がはっきりするから。逃げ惑う群衆がこちらに押し寄せてくるのが見える。それがいくらか()()()に捌けると、その犯人がようやく画面に姿を現した。


 一列に並んだ国民団結局職員が撮影者の方角へ銃を向けているのだ。


 その銃口が光ったとき、撮影者の近くの壁が吹き飛んだ。彼もしくはそこで踵を返して逃げようとしたようだが、呻き声が聞こえた後カメラは地面を転がった。


「……馬鹿な!」ナルシスは思わず叫んだ。「何故撃った? 何が起きたっていうんだ? 確かに大規模なデモだったが、だからといって銃を使っていいはずはない!」


「少なくとも『共和国前衛隊』の群主席職員が一人亡くなっている。そのときには半分暴動になっていたらしい。その報復だろう」


「だとして、それは制御に失敗したのも原因だろう。無論、暴力行為に訴え出た輩は断罪されるべきだが……しかし、これでは虐殺じゃないか!」


「俺にキレてどうすんだよ」スズナは端末を仕舞った。「……それより、党として対策を練る必要があるだろうが。かなりデリケートな話題だぞ。今お前が言ったように、どっちにもよくない点がある。下手に動けば致命傷になるし、かといって動かないわけにはいかねーぞ」


 分かっている、とナルシスは返事をした。方策はいくらか考えられる。過失はあるが、どう考えても悪いのは国民団結局の側だ。過剰な装備を持ってくる割に配備が少なかったに違いない。その上、映像の限りでは、威嚇射撃ではなく明確に照準して射撃したように見える。昔イカロスから聞いた話では、それは内部規定に反する行為のはずだ。先に違反をしたのはこちらだとしても、そこまでやっていいはずはない。それを批判すれば……。


 しかしそのときだった、ナルシスの脳裏にそれは過った。立ち去るエーコと彼が背を向けたシャルルだ。彼らは何も言わなかった。言ってくれなかった、の方が正確か。ナルシスは、どういうわけか彼らに銃を向ける妄想をした。実際には彼らが向けているにもかかわらず、ナルシスはその引き金を引いていた。二人は血を噴いて倒れる。それの意味するところは分からなかったけれど、ナルシスは、そのとき動けなかった。その足元には、無数の亡骸。そして溢れ出す血液。その海の中にナルシスは溺れる。


「……ナルシス?」スズナはベッドに座ったきり項垂れた彼の顔を覗き込んだ。「どうした?」


「……何もしたくない。放っておいてくれないか」


「…………は?」


「聞こえただろう? 血が流されてしまった。最早僕たちの理想はそれだけ世界に敵対的なものだと見做されているということだ。僕らのしてきたことというのは結局無駄どころか有害だったわけだ。それならもう何もしない方がいい。これ以上誰かが傷つくのは嫌だ」


「何言ってんだ、お前? そんなこと通じるわけ……」


「君の方から党に通達してくれ。今日を以て我々初恋革命党は解散だと。どの道僕の方針が間違っていたんだ。誰もついてきはすまい」


「馬鹿が」スズナはナルシスの胸倉を掴んだ。「しっかりしろ!」


「グッ……⁉」


 すると彼はあっさり持ち上げられる。土台、彼程度の体重で彼女の腕力に対抗しようというのは不可能な話である。ナルシスは咄嗟に彼女の腕に掴まってもがくが、何の意味もない。まるで大木に体当たりして折ろうという試みのようだった。


「そうやって、今更投げ出すのか? 人が大勢くたばった、だから何だ⁉ だったら尚更、こんなことをしてしまう世の中を変えなきゃならんのだろうが⁉」


「力には力で対抗せねばならない。でなければ今日のように一方的に抹殺されるだけだ。僕にだってそれぐらいのことは分かっている。だけれど、それがしたくなくて僕はこういう抗い方をしてきたんだ。これ以上血が僕のせいで流れるのは耐えられない……!」


「だったら戦い方を変えるしかないだろうが。もう連中は銃を抜いた。ならこっちも銃を執るだけのことだ! ……他に手はない。躊躇っていたら、お前も死ぬぞ⁉」


「分かっている、分かっているけれど……!」


「分かっているなら! ……分かっているのなら、それを実践しろ。やれることをやれ。もう世界は動き出している。それを今更止めることなどできはしない。でなければ、また血が流れる。それも沢山……! そのときこそ、お前がそいつらを殺したってことだ、見殺しにな!」


 スズナはその瞬間手を離して床に突き放した。現実に叩きつけられて、ナルシスは天井を見つめるしかできなくなった。じわ、とその光景が歪んでいき、ぼやけていき、彼はその方が丁度いいなんて考えてしまった。こんなことは直視に堪えない。こんな状況にいることは耐えがたい。彼女は正しいのかもしれない。現実に即しているのだろう。彼女はいつだって現実論者だ。ナルシスに比べれば。でもその選択をするということは、その先には「大反動」だ。


 否、それ以上の暴力活動。


 革命だ。


 世界を変えるか、全てを失うかしかない。


(これが結果か。僕がしてきたことはこの程度のことでしかなかったのか)


 今までも緊張がエスカレートしていくのは感じ取っていた。徐々にお互いの行動が過激になっていくのは見て取れた。


 国民団結局は「共和国前衛隊」を作ったし。


 初恋革命党の活動は愚恋隊を呼んだ。


 だが、それにナルシスは見て見ぬフリをしてきたのだ。できると思った。現に愚恋隊は抑えることができたのだ。


 その延長線上に輝く未来があると思っていた。


 とでも思っていた。


 それは間違っていた。


 ということが現在地なのだ。


 ということに気づいてしまえば、ナルシスはもう動けないのだ。


「とにかく……」スズナは泣き出したナルシスから目を逸らして、言った。「荷物をまとめろ。もうトウキョウにいるのはマズい。国民団結局内のスパイから情報があった。戒厳令が始まるって話だ。下手に身動き取れなくなっちまう。一旦サイタマ辺りに逃げて、それから動き出すとしよう。既に主要メンバーには伝えてある……ナルシス! いつまでも呆けていられないんだぞ!」


 動けない。


 シャルルが感じていたのは、こういう苦悩だったのだろう。


 組織を運営する以上、それが置かれる状況に、内部構造に、とにかくありとあらゆる力学に翻弄されて望まない選択もしなくてはならない状況になる。それを、彼は行政区の運営で味わってきたに違いない。そして今も――だからあんなに抗おうとした。変えようとした。だが失敗して、こうなってしまった。


 エーコだってそうだ。シャルルの決定とナルシスの決断という望まない環境変化を受けて、それでも変わらず以前のように振舞おうとしていたんだ。あのとき微かに動いた唇は、そういうことを言いたかったんだろう?


「分かっている――分かったんだよ」


 ナルシスは徐に立ち上がる。それからクローゼットを開けると、中身を全て外に出した。乱雑にそれらは積み重なっていき、踏みつけにされる。


「お、おい……」


「君は一階の方を頼む。ありとあらゆる棚を開けて調べた風にしておいてくれ。ああ、金目の物があったら君にくれてやるよ。その方がリアリティがある」


「お前、何言ってんだ⁉」


「だってこれから僕らは姿を消すんだろう? それなら自発的に蒸発するより強盗に遭ったというシナリオの中で動いた方が捜査をかく乱できる。手袋ならここにあるから自由に使ってくれ。というか、指紋を拭き取っておいてくれよ? 特に窓枠のはマズい」


 そう言って、ナルシスは乱雑に広げられた衣類の中から、革の手袋を差し出した。スズナはそれを手に取って――サイズがあまりに違う――視界の端に軍手を見つけてそれをつけた。


(……どういう風の吹きまわしだ?)


 しかしスズナが訝しんだのはそれだ。急な心境の変化に彼女はついていけなかった。何かを納得して動いてくれるようになったのはいいが、それが何に納得したのかということだ。


 それに、このかく乱行動――単にそれ自体だけが理由ではないようにスズナには思えた。恐らくは、兄に対する思いやりだろう。戒厳令前に自発的にいなくなったとなればまた降格だ何だという話になりかねない。そうならないよう、事件性を敢えて出そうというのだろう。


 だが、スズナはそれをあげつらうようなことはしなかった。無害だし、今は時間がない。迷っている一分一秒が惜しい。折角やる気になっているのだから、それを邪魔しない方がいいという考えでもあった。


「ところでスズナ君」ナルシスは、そのとき一階に降りようとしたスズナに言った。「サイタマに向かうのはいつだ?」


「夜中だ。夜闇に紛れて逃げる」


「それなら、一つ寄っておきたいところがある。何、そんなに時間はかからない。本当に少しのことなんだ」

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