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第71話 シンジュク事変

 日曜日。


 シンジュク。


 無から人が自生しているのかと誤認するほどの人波が常なる街は、今日この日はその平生とそっくりでありながら少しその波の様相を変えていた。


「……これは本当に一雨来そうだな」


 群主席職員が呟いた。指揮所仕様の職員防護車両――昔ながらの言い方をすれば装甲兵員輸送車――の天井にある銃座ハッチから空を見たのだ。イカロスもそれに釣られて見上げると、確かに重機関銃のごてごてとしたボディの向こう側にグレーの曇り空が見えた。秋雨の時期には少し早い気もするが、天気予報通りならこの後は雨だ。


 気象衛星は第三次大戦で全滅したし、宇宙科学どころかそれを含む航空科学はタブーになった。その割には観測精度が高いのがこの行政区の特徴だ。当たらなければそれは人死にに直結するから。


「嫌な天気ですね」イカロスの隣の席に座るミージュが言った。「降らなければいいのですが」


「そうか? 雨が降れば、むしろ任務はやりやすくなる。雨具を持ってきているからといって、誰だって濡れたくはないだろう?」


 そう言って窓の外を彼は見る。そこには群衆がみっちりと列を成している。そう、それは民衆というだけではなく群衆であった。その違いは一つの目的のために集まっているかどうかである。そしてこの場合、その条件は満たされていた。


 今この街にいるのは、合法非合法あるが、デモ参加者である。


 その内容は、全て「内閣」家への批判。全てその取り巻きへの批判。全て制限恋愛主義への批判――そこに第十三学園の選挙の一件で候補者が立候補を取り下げたことがスパイスとして合わさっている。曰く、当局からの圧力があってその「市民」()()の候補者が委縮したというのである。


 それは、全くの陰謀論である――とイカロスは知っている。ナルシスは彼から言われた通りにしただけのことだ。要するに、家庭の事情でそうなったに過ぎない。だがそういう背景が外部に伝わることはない。だって家族は二人しかいないのに、どうしてそれが外に漏れ出ることがあろうか?


「…………」


 しかしイカロスは、果たして自分のした選択が正しかっただろうかという気分になっていた。ナルシスは全く自分の方針に逆らうことなくその命令に従った。彼には彼の言い分もあっただろうに――そして現にそれは彼が主張していた――そうしたのだ。だとすればこれは自分の憂さ晴らしに過ぎなかったのではないか、とイカロスは感じていたのだ。


 それに、


「どうしました、ポンペイア()()()。」ミージュがちらと視線を向ける。「車酔いでもしましたか?」


 それに、警戒していた降格処分はなかった――当然、解任もない。減給にすらならなかった。ナルシスとイカロスにかけられた自由恋愛主義者としての嫌疑が冤罪だったというのもあるのだろうが、立候補については家庭の事情ということで処理されたようだ。


 だとすれば、ナルシスにだけ罰がいって。


 自分は何のお咎めもない、ということになる。


 それは、イカロスにとってどうにも受け入れがたいことだった。


「……ポンペイア二中職?」


「いや、」しかし返事はしなくてはならない。イカロスは溜息を吐かないよう気をつけた。「大丈夫だ……というか、普通動いていない車で酔うことはないよ。単純に考え事をしていただけだ」


「そうですか。私は酔いますけどね。正直この防護車臭いますし」


「まあそう言うな。」他の群次席職員が混ぜっ返した。「それか芳香剤でも買ってくるか? そこのドラッグストアで」


「いえ、この場合臭いが混ざると余計に酷くなるでしょう。それよりは何とか新車にしてほしいものです。そこのところ何とかならないのですか、主席職員殿」


「え? 俺の責任なのか?」


「一応、責任者ですので」


 これは一本取られた、と群主席職員は薄い髪を撫でてがははと笑った。それは狭い車内に反響して五月蠅かったが……それに負けないぐらいの声で、シュプレヒコールが上がる。何か盛り上がることでもあったらしい。


「それにしても」その大音声に耳を塞ぎながら、また別の次席職員が言った。「何故こんな大規模デモが許可されたんです? いくら何でも我々『共和国前衛隊』までもを動員しての警備が必要なんて、最初から不許可でよかったんじゃないですか?」


「それはお上の判断だ。ぶっちゃけよく分からん……強いて言えば、オブ・プレジデント家からの圧力があったって話だが」


「またですか?」


「ああ。無論、完全に自由恋愛主義的なものに関しては拒否されたがな。第一、申請書の提出も担当者なしの郵送だったし」


 しかし、だ。


 主席職員はそう言った。


「デモそのものについては必要不可欠なのだよな。何も不満を言えない、言うことが非合法な社会というのは不健全だ。人間で言えば自由にウンコを出せないようなもんだ。」


「例えが汚いんですよ」


「それに自由じゃ困るんですよ。トイレに行ってください」


「無論な。だから手続きをちゃんとして、自由恋愛主義的でないものはたとえ『共和国』に否定的な見方をしていても通した。お上としちゃそういうことだろう……」


 すると主席職員は徐に中腰で立ち上がった。それから座っている次席職員たちの間を通って乗降ハッチの方へ歩いていき、それを開けた。


「どちらへ」


「ああ、そこのコンビニで肛門の自由権を行使してくる。」要するに用を足しに行くのだ。「何かついでに買ってくるものあるか?」


「すぐ下ネタを言う上司からの自由」


「職員として拒否できる権利の平等」


「不用意で不適切な発言からの平和」


「高い買い物だな。経費で落ちれば買ってくるよ。何かあったら端末で呼べ」


 そう言ってこの老人に差し掛かった彼はハッチを閉めて行ってしまった。小さな覗視孔からはお尻を押さえて道路を横断する彼が見える。割と切羽詰まっていたのかもしれない。


「アレ、横断規則違反ですよね……」


 誰かがズレた感想を残した。そのときだった。


「ニジューラ団より群指揮車、応答願う」


 無線が鳴ったのだ。ニジューラ団というのは隷下部局の名称である。群の下が団で、大抵は主席職員の名前から名称がつけられる。


 この場での最先任職員はイカロスだった。それを他のメンバーの視線で悟りながら、狭い車内を移動して彼は無線機に取り付いた。


「群指揮車よりニジューラ団へ。現在主席職員殿は席を外している。こちらは次席職員のポンペイア二中職である。何かあったか」


「群主席職員の件、了解した。デモ隊誘導中の団員から武装した一団がいるとの報告あり。現在確認中だがもし事実だった場合の指示を乞う」


 ざわ、と車内がざわついた。武装ということは、テロだ。デモの警備とは訳が違う。確かに自動小銃、もとい自動式防衛機材は配備された全職員に携帯させていたが、だからといってそれだけで身を守れるものではない。防衛機材という名前に反してそれは攻撃的であり、防御的ではないからだ。


「武装とはどの程度のものか確認願う。」そして使われれば事態が急変する。イカロスは慎重になった。「角材程度なのか、それとも銃火器によるものなのか、」


「角材との報告を受けているが、プラカードが破損しただけの可能性もある。もう一度確認させる」


「了解した」


 確認は重要だ。規定上、国民団結局は明確に攻撃を受けるまで反撃してはならないということになっている。初めから棍棒を持って振り回してくるのとプラカードが壊れてしまったのを手持ち無沙汰に掲げるのとでは状況が大きく異なるのだ。受話器を戻すと、イカロスはすぐさま指示を飛ばした。


「イハヤカヴァ三中職。一応主席職員殿を呼び戻してくれ。問題が起きるかもしれない」


「了解です」


 その返事を受けてから(彼女は国民携帯端末を操作し始める)、イカロスは上部ハッチから銃座に上がった。単純にその方が状況がよく見えるからだ。どうにも嫌な予感がした。目の前にいる集団も、何か不穏な雰囲気を醸し出していたからだ。


 見ると、集団の端の方にいる人々が、職員に向かって何か言っている。それは混ざり合ってよく聞こえなかったが、罵詈雑言のようだった。先ほどまではなかったのだが、恐らく列が進むうちに非合法な自由恋愛主義者の集団に当たるようになったのだろう。それは時折揉み合いになりそうな雰囲気すらあった。


 その内の一人が職員の胸に手を伸ばす。それは突き飛ばそうとしたのかもしれないが、そこには銃がある。彼はその手を跳ねのけると、腰に手をやった。そこにあるものが、イカロスからは見えた。


「そこの職員!」車両の上に立ち上がってイカロスは叫んだ。「銃を抜くな!」


 拳銃だ。


 訓練では、防衛機材を奪われそうになったらセカンダリとしてそれを使用することが教えられている。その動きが咄嗟に出たのだろう。しかしイカロスの大音声は彼を幾分か冷静にしたようだった。すぐさま突き出された相手の腕を取って返し元の方角へ押し返した。


 が、それは一瞬優勢になっただけのことだった。群衆はまるで自己増殖して膨れ上がるようだった。段々と規制線に近づいていき、それどころか徐々に押し広げていくようだった。後方から押し上げられていくのに乗じて、正面の集団が前に出ているようだった。


「――全車警戒!」イカロスは車内に叫んだ。「アラート出せ! 抑えきれなくなるぞ!」


「ポンペイア二中職! 主席職員殿のお帰りを待った方が……」


「それまでにこのデモが暴動に変わる! 死人が出るぞ!」


「ポンペイア二中職!」ミージュが言った。「あれを……!」


 彼女は一点を指さしていた。それはコンビニの方角だった。既にどこかの包囲網が破られたらしい、群衆が溢れだしてまるで津波のように押し寄せる。その自動ドアから誰かが飛び出してきた。主席職員だ。あの頭部の寂しさは間違いない――それをイカロスが認識した途端その頭目掛けてプラカードが振り下ろされた。もんどりうって倒れた彼に何度もその動作は繰り返された。かなりの距離がありながら血が飛び散るのが見えた。


 列の方を見れば、既に崩壊寸前。


 もう、迷っている暇はない。


「……全団に通達!」イカロスは銃座から車内に降りて無線をひったくった。それから運転席を蹴って主席職員の倒れた方へ進むよう指示を出す。「群主席職員殿が負傷! これより私ポンペイア二中職が臨時で指揮を執る! ただ今より威嚇射撃を許可する! ()が攻撃の意志を見せた場合は当てても構わない!」


 イカロスは叫び、また銃座へ戻った。まだ装填されていない重機関銃のハンドルを二回引いて初弾を込めると、照準を天に向けてそのまま発砲した。耳朶が暫時麻痺するほどの大音響。その派手なクラッカーに群衆は道を開けた。その瞬間を縫って防護車は前進する。蜘蛛の子散らしたように群衆が逃げた根元には、血塗れの主席職員が倒れていた。


「主席職員殿!」


 イカロスは銃座から飛び降りる。赤く染まったアスファルトの上に何とか着地すると、すぐさま彼に駆け寄って脈を診た。が、それはない。頭には滅茶滅茶に殴られた跡がある。咄嗟に心臓マッサージを試みるが、手を置いた瞬間それが無駄だと分かった。あるべき肋骨の抵抗がないのだ。圧し掛かられて折れてしまったのだろう。その柔らかい感触が、彼を恐怖させた。胸郭がこれでは、中身の方は……。


「どうした! 早く救出するんだ!」


 そんな同僚の声も、遠く聞こえる気がする。だが体は訓練通り動いた。制服の襟を掴んで、イカロスは防護車の内部まで主席職員の亡骸を回収する。その赤色に全員が息を呑んだのが、入った第一歩目で分かった。その助けを受けながら何とか車内に彼を納める。


 イカロスはそうして車内に入ると、ようやくそこら中で銃声が聞こえることに気がついた。ふらふらと揺れながら、彼はそのまままた銃座へと向かう。そこからまた天井に上り、辺りを見回した。


 光景は、一変していた。


 溢れ出しそうに膨張していた群衆は路地の向こうへ駆逐されていた。


 今にも崩れ落ちそうだった国民団結局職員たちは銃を彼らへ向け何発も何発も撃ち続けていた。


 その両者の間には、真っ赤な花畑が広がっている。アスファルトの黒い下地に、液体状のホウセンカが這いつくばるように咲いている。銃声の度にその領域は広がって、それが本当に花畑だったらいいのにという呑気な感傷をイカロスに抱かせる。


「…………」彼は、独り言ちた。「お前らが、悪いんだ」


 デモなんかやるから。


 本来なら全て不許可だったのに出歩くから。


 こっちの指示を無視しようとするから。


 主席職員を殺すから。


 全部全部、文明を忘れた自由恋愛主義者共のせいだ。


(そうだ、奴らが全て悪い。俺たちは悪くない。連中が選択を誤ったんだ。それが全ての元凶なんだ)


 イカロスは目の前の惨状を全て相手のせいに押し付けた。否、それでは強引にそうしたように感じられる。彼は字面よりもっと自然体でそうした。全ては自由恋愛主義者の引き起こしたことだということを、理性で考え、本能で受け入れた。


 全ては、自由恋愛主義者の陰謀である。陰謀というにはあまりに稚拙で愚かな試みだ。彼らには知性が存在しないから仕方ないことではあるのだが。


 だがそんな野蛮な奴らと、ナルシスは違う。


 自由恋愛主義者なものか、本物は言論を訴えかけるプラカードですら人を殺せるのだ。


 平然と、俺の好意対象者を殺したのだ。


 だから嘘に決まっている。


 だから守ってやらなければならない。


 お兄ちゃんが、守ってやる。


 イカロスは、その血の匂いが吹きすさぶ中で笑った。堪え切れず声が出た。次第にそれは大きくなって、げらげらげらげらと銃声より大きくなった。そこに雨が降る。それは何事もなかったかのように大惨事を洗い流そうとした。それはほぼ不可能だったが。

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