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第68話 父を見舞う

 ――病院というところは苦手だ。別れを感じるから。


「?」護衛が首を傾げる。「どうかされましたか? シャルル様」


「何でもないよ。ただの独り言だ」


 シャルルはまだ新人の彼女へそう返し、それからはまた無言に戻って、じっとエレベーターが目的の階へ到着するのを待った。ゴウンオウンという機械音が静かに彼らを運んでいる。沈黙のせいで、それはよく聞こえた。


「それで、」それにシャルルは耐えかねた。「お父様の容体はどうなのかな?」


「ヒェッ……」


 すると護衛の彼女は、緊張からか、びく、と縦に跳ねた。それがあまりに大袈裟だったので、シャルルは思わず吹き出した。


「そんなに硬くならなくてもいい。別に僕は君がいくらかの失敗をしたとしても怒って解任したりはしない。だから気軽に話してほしい。他の護衛の人に比べれば比較的年齢も近いことだし」


「は、はあ……それはありがたい話ですが……その、恐れ多く……」


「逆に、そう緊張されていたんじゃあ、僕の方が不安になる。自信がないんじゃないかとか、実力がないんじゃないか、とかね。でも君は厳しい選抜をクリアして護衛任務に配属された。それは誇っていいことだと思うよ」


「あ、ありがたいお言葉です……励みにします」


「それでいい。それより、お父様の具合について教えてほしい。君の主観で構わない」


 改めてそう質問すると、しかし護衛は顔を曇らせた。目線を逸らして、それから申し訳なさそうに言葉を発した。


「その、あまり芳しくはないと……思います。病状は私共には伏せられていますが、固よりお体の強くないお方だとのことですし、何より日に日にお痩せになられて……」


「……そうか。教えてくれてありがとう」


 詳しいことは後で主治医に話を聞く必要はあるが、医療従事者を除けば一番近くで見ている護衛の言う言葉である。信じないわけにはいかない。


 しかし、シャルルにとって父ルイの容体が芳しくないというのは彼を暗い気持ちにさせて余りあるものだった。ルイの命はつまりシャルルの青春のタイムリミットなのである。彼がもし生を終えることがあれば、その時点で学園からは身を引き、本格的に公務に出ることになる。エーコは好意対象者だからともかく、ナルシスやスズナには二度と会えなくなるだろう。


(…………)


 彼らは一般『市民』の感覚を知るために重要な物差しだった。彼らの反応を見れば――特にナルシスはその辺りも鋭い――自分のしようと思っていることが、政策が、果たして本当に『市民』のためになるのかどうか推し量れ――否。


 それだけではない。


 そんな冷淡な利益のために付き合っていたのではない。


 ナルシスもスズナも、友人だから友人なのだ。


 友人だから大切なのだ。


 騒がしいけれど、変なところもあるけれど、それでも付き合ってみると楽しい人間だから一緒にいたいのだ。


 それが、できなくなることは、とてもとても辛いことなのだ。諦めなければならないことを受け入れられない。それは、自分の役割を放棄することだとしても――そう感じることはやめられなかった。


「……失礼なことを聞くかもしれないが、」シャルルは、ふと、言葉を発した。「いいかな?」


「は、はあ。何でしょうか」


「君は、この仕事を目掛けて努力をしてきた人間だと思うのだけれど――その中で諦めたものはないかい」


「あの、質問の意図が……」


「どんな答えでも構わない。君の評定には影響しないことを約束しよう。だから答えてほしい」


 シャルルは、そのとき何を期待したわけでもなかった。そのはずだった。少なくとも自分では。言葉にした、その根っこの部分が不明瞭だった。脊髄反射と似たように、頭脳を介していなかった。


 すると護衛は顎に手をやって考え出した。戯れに聞いただけなのに、彼女は真面目に答えるつもりらしい。やや筋肉質な体を完全に止めて、静かに……


「ない」それから彼女は唐突に言った。「とは言いません」


「差し支えなければ、どんなことだったか教えてほしいな」


「そうですね、何より友人が少なかったです。職員採用試験のための勉強と鍛錬で遊んでいる暇なんかありませんでした。でも寂しいことは寂しいんです。あ、それに好意対象者とデートなんかもできませんでした、というかふっつーに浮気されててしょっ引かれましたね、彼の方が」


「それはまた……大変だったね」


「まあ再割り当てされた彼の方はまだマシですからね。それについては満足してますけども――でもまあ、何かを諦めなければ夢なんか叶うはずないんですよ。でなければ夢を諦めることになります」


「……!」


 シャルルはそのときようやく理解した。自分がどうしてこんな質問をしたのか。


 それは、知りたかったからだ。


 自分だけが諦めなければならなかったのではなく、それは「共和国」中の誰もが経験する生贄の儀式なのだと。


 自分だけが被害者なのではなく、それは世界というシステムが何かを諦めなければ進めないようだったのだと。


 そうやって自分の置かれた状況を是認してやりたかったのだ。


 だが、結局のところ、それは失敗した。


 彼女の話を聞いて、シャルルは惨めな気持ちになったのだから。


 彼女は強い人だった。夢のために何もかも犠牲にできる人間なのだろう。何より夢がある。そのものがある限り止まらない人間だ。


 言うなれば、諦める余裕のある人だ。


 諦める選択をできる人でもある。


 しかしシャルルは――夢でないもののために夢を諦めざるを得なくなっている。選ぶ権利などなくて、ただ夢を捨てて前に進むことを強要されている。それを自覚してしまった。


「…………」


「あの、シャルル様。どうかされましたか……?」


「……いや」彼女に罪はない。質問したのは自分だ。「何でもない」


 ようやく、エレベーターは目的の階に辿り着いた。彼らは降り、一番奥の病室へ。門番の護衛にIDを見せて入室する。


「…………お父様」


 シャルルは、思わず立ち尽くすところだった。ルイの姿があまりに小さく見えたからだ。その養分を吸い取ったかのように、周囲にある機械はどんどん増えて、大掛かりになっていく。だがこれらはただ現状を維持するので精一杯で、少しも彼の病状を回復させてはくれないのは今まで主治医に聞いた通りだ。


「……ああ、シャルルか」辛うじてルイの目は開いて、彼を見た。「来たんだな」


「ええ、お父様。お加減の方は……」


「大丈夫だ。お前に心配されるほどのことはないよ」


 そう言って体を起こそうとする、その動きはぎこちない。シャルルはすぐさま――パイプ類は踏まないように――駆け寄って、ベッドを操作してやって、体を起こさせた。


「すまないな、シャルル。お前には面倒を掛ける」


「面倒なんかじゃないよ。家族なんだから」


「だとしても、だ。お前は背負いすぎるきらいがある。それに甘えようとする人は絶えないだろう。この私を含めても」


「そんなことは――」


「あるさ。現にお前は、私の世話で学校に上手く通えていないだろう。こんな頻繁に来る必要はないんだ。公務はともかく、それ以外の時間は学校に行け」


「…………」そんなこと、できるわけがない。見捨てられるわけ、ない。「うん、できればそうする」


「できれば、じゃあ駄目だ。学校生活は学生の本分だぞ」


「大丈夫、勉強はちゃんとできているよ。後れを取るわけにはいかないから……」


 ルイは首を横に振った。


「勉強だけのことを言っているんじゃあない。勉強なんてものはどこでだってできる。特にお前はその才能に優れている。だが友人との時間――これは、そのときにしか経験できないものだ」


「つまり、遊べ、と?」


「子供なんだから遊ばなくてはならない。子供が遊べる世の中でなければならない。もしそうでないなら、それは不幸なことだ」


 シャルルは、その言葉に思わず反駁しかけた。誰のせいでこんな目に遭っていると……言いかけて、やめた。それはあまりにどす黒い感情だ。第一、彼の病気は誰のせいでもない。かといって言いがかりと斬り捨てるには強すぎる正当性も孕んでいた。その危険な刃を抜き身で飲み込んで、シャルルは喉に痛みを感じた。


「……分かっているよ」ルイは震えるシャルルの手に自分のそれを重ねた。「かくいう私は、親失格だ。お前に重荷を背負わせてしまっている。本来それはまだ私の手の中にあるべきものだったはずだ。それをほったらかして、私は逝くだろう」


「お父様、そんな弱気なことは……」


「分かるんだよ。自分のことだ。主治医はどうにか頑張ってくれているが、まあ、これだけ機械に囲まれたらな。そしてそれでも体の調子はよくなっていない。残念なことだ」


「お父様……」


「いいかシャルル。私が死んだら、この行政区はお前のものになるだろう。ノ・オオクラ家とは上手くやれ。きっと力になってくれるはずだ。それと――」ちら、とルイはシャルルの目を見た。「困ったらフィリップ叔父に頼るんだ。アイツなら上手く助けになってくれる。私なんかよりよっぽど出来のいいやつだから……」


 そこで、ルイは激しく咳きこんだ。ベッドを、と辛うじてシャルルに伝えると、シャルルはそれに従って、ベッドの背の部分を倒した。


「ああ……少し楽になった。ありがとうシャルル」


「いいんだ。それより、少し休んでくれ。それじゃあ体が持たないよ」


「分かっている。お前も帰っていいんだぞ」


「うん……」


 そう返事をして、シャルルはルイが瞳を閉じるのを待った。それから寝息が経っても、しばらくはそうしていた。結局、主治医が彼を呼びに来るまで、そこから動くことはしなかった。

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