第65話 政治的→物理的
ナルシスの支援者は日に日に増えていった。
キウラを中心としたグループが協力してくれたことがやはりその原因としては大きい。一人で演台の上に立って何か言ったところで、それは誰かが喚いている程度の情報を通行人に与えるに過ぎない。たった一人が騒いだところで迷惑なだけで、何も変わらない。現に一人きりということは誰も味方ではないということではないか――そういう印象を与えてしまう。
しかし、こうして取り巻きが出てくれば、そのイメージはある程度改善される。更にそこへビラ配りや呼びかけといった一人ではできないことを組み合わせれば、影響力は飛躍的に増大する。更には立て看板や演説日程の調整といった事務仕事まで任せられるようになった。初恋革命党より政党らしいところすらある。
そしてナルシスにとって嬉しい誤算だったのは、その支援者が必ずしも「市民」だけではないということだった――かつての彼は、この学園にいる大半の生徒が「市民」を食い物にする側の人間だという観念を持っていた。表には出さないまでもそれを念頭とし今までの敗北を分析していた。
だが、それは正確なものの見方ではないということなのだ。当然のことながら、状況は千差万別――家柄は異なるし、人柄も異なる。
グラデーションがあるのである。
「市民」により近い方の階層ではまだ権力も少なく、それは学園内での立場も低いということだ。ならばそれよりも低い立場でありながら真っ向勝負を、それも「内閣」家の御曹司という頂点の中の頂点の人物に仕掛けようというナルシスに支持が集まるのは当然のことであった。
一方で誰もが憧れるような社会階層の出身でありながら「市民」に同情的な生徒もいる。確かに彼らが政治にある程度干渉できる立場だとしても、あくまでその法的な主体は「内閣」家である。それをよく思っていない彼らが、学園という箱庭を仕切る教師や理事会に対してその支配者としての影を重ねたとしても不思議はない。
仲間を得ることによって加速度的にこれらの人間の支持を得られるようになってきたのが、今のナルシスなのだ。無論まだ目標としているレベルに達しているとは言えないが、一勢力としての地位を徐々に確保しつつあった。
「……我々は要求する。自由を、平等を、平和を! どの生徒も支配されず、どの生徒も差別されず、どの生徒も中傷されない、そんな学園を目指す! そのためには、まず私を生徒会一年代表に押し上げていただきたい!」
校門のすぐ裏では、大いに人だかりができていた。支援者だけではなく、聴衆が集まってきていたのである。一年だけではない、本来一年に対する投票権がないはずの二年生や三年生も耳を傾けに来ている。彼らも立派な票田だ、彼らのコミュニティで後輩に伝わればそれで投票先が決まるかもしれないのだから。
「どうか、清き一票を私に! ……」
だからそう叫んだ。
そのときだった。
黄色い悲鳴が上がったのは。
「⁉」
校門の方から、それは上がった。全員の視線がそちらの方に誘導された。ナルシスすら、演説を一時中断してその方を向いた。それはまるで魔法のようにそうさせられた、という方が状況をより具体的に説明するだろう。
あるいは、「異能」でも使われたように。
しかし、そんなものはこの場には存在しない。
だってその螺旋の中心にいたのは、彼だったのだから。
黒い高級車から降りて、ただそこにいるだけで存在感を放つ。
全ての注目を横取りする。
それが彼という人間。
「シャルル・オブ・プレジデント=キャビネッツ……!」
そう呟いたとき、咄嗟にマイクをオフにできたのは奇跡だと言えた。あまりに憎々し気な声が出た。それはナルシスの彼への想いを必ずしも反映したものとは言えない。にくいと思ったことは幾度となくあるが、だとして今口にしたほど強くはない。
だがそう自分で思うほど強い発音になったのは、苦労して集めた耳目をただの一瞬で逆転されてしまったからだった。自分自身ですら、彼の登場には度肝を抜かれた。舌を抜かれたと言ってもいい、何しろ彼は一時的には演説を中断してしまったのだから。
――だが、再開したところで、何になる?
ナルシスは、その可能性に思い当たってしまった。気づいてしまったのだ。聴衆は、あっという間にシャルルを取り囲んでいた。ナルシスという一時凌ぎの玩具をすっかり見捨ててしまったかのようですらあった。恐らく、そうではないというのは理解できる。誰だって、騒ぎになる方向を見たくなるし、それに近づきたくなるし、そこにしばらくいなかった「内閣」家の次期当主がいれば、一目見たくなるものだ。政治的な支持とは無関係だと言えばそうだが、しかし選挙とは、政治とは、いかに注目を集めるかどうかが第一歩なのだ。
その一歩目で、ナルシスはシャルルに大きく水をあけられている。
だとすれば、どうすればいい?
逆転の一手はあるのか?
「――これはこれは」ナルシスは、即座に選択した。「シャルルじゃないか。元気そうで何よりだ。少し痩せたんじゃないか?」
マイクでそう言うと、彼は再度視線たちが自分に向いたことを再確認した。それから演台の上から人混みの空いたスペースに自分を押し込むと、立ち止まった彼らの僅かな隙間を縫ってシャルルへ近づいていく。そうする内に、人混みはどんどんはけて、空間を二人の間に作った。
「……やあ、ナルシス」そうして目の前に来たところで、シャルルは言った。「君こそ息災そうで僕は嬉しいよ。状況はどうなのかな? 順調かい?」
――疲れているな、この男。
ナルシスはその目を見てすぐに気づいた。上手く化粧をして隠しているつもりなのだろうが、いい加減付き合いの長いナルシスの目は誤魔化せない。公務の合間に勉強をして何とか授業に追いつこうということをしていれば、当然体に影響は出る。ナルシスとて、初恋革命党と学生生活との二重生活は結構堪えているのだ。シャルルも同様であろう。
「ありがとう、でも心配ご無用だ。」ナルシスは、すぐさま言葉を組み立てた。「むしろ心配しているのは君の方だ。このままでは君に君以外投票しないのではないかという恐れを僕は抱いているよ」
「随分な自信だね。君らしいと言えばらしいけれど、それほど勝算はあると君は考えているのかな?」
「無論だ。君は一つ、嘘を吐いているのだから」
「嘘?」
「無理をしている、と言ってもいいがね――一つ忠告しておくが、君の目指す生徒会というのは、今あるそれ以上に役員へ厳しい生活を強いるものだと思う。君は公務などでどうしても学園を空けがちになるはずだ。以前個人的に言ったように、その状況でこの立場に立とうというのは、どうしたって無理が出る。君はそれをどう考えている?」
「…………」
「君は有権者に対してそれを明らかにしていない。理屈がない、だから無理だというんだ。この際だからはっきり言うが、君は既に限界に達しているはずだ。これ以上のタスクは増やせるはずがない。そうして全てを台無しにしてからでは遅いんだ」
ナルシスは、半分は選挙のことを考えた下心からそう言ったが、もう半分は彼を心配する本心からそう言ったつもりだった。友人として、いい加減見過ごせない段階に入ってきているというのがナルシスの感情であった。
するとシャルルは一拍、黙ったままだった。そうして俯いていた。その視線が、寂しそうに揺れていることにナルシスは気づいた。それが何故かまでは、ナルシスにはまるで分からなかったが。
「ナルシス。」視線が上がった。幕が上がる。「君が何を言っているのか僕には分からない」
「分からない?」
「僕に不可能はない、なんてことは言わないけどね。だけれど君のように初めからできないと諦めていたのでは何も始まらない。今の時代リモートって方法もある。それに、たとえ授業が受けられなかったとしても、今まで僕は勉強で誰かに後れを取ったことはないんだ、君が証明するようにね。だからどうにでもなるよ」
「それが無理だと――!」
「無理ぐらい、買ってでもするよ。それが誰かのためになるなら、僕は躊躇わない。好みを犠牲にしたっていいぐらいだ。そうでなくては『内閣』家として生まれた意味がない。『市民』の中の第一人者であるからには、誰より前にいなければ――そうだろう、皆⁉」
そう呼びかける。それは波紋のようにざわめきを一度生んだ。それは彼というカリスマに同意を求められたときにはいつだって起こりうるものだ。ならばその結末も一様で、それはゆっくりと興奮を醸成し、歓声を喚起する。遠鳴りするような大音声が辺りを包んでナルシスを囲み、その響きは彼の足元を崩していくようであった。そしてシャルルの得意げな笑みは、尚更ナルシスを惨めな気持ちにさせた。
「ほらね。無理じゃあない。僕についてきてくれる人がいる限り、僕が尽くすことのできる人がいる限り、僕は歩き続けることができる。これは幸福なことなんだよ」
「シャルル、」ナルシスはほとんど掴みかからんばかりだった。「君はッ」
「ナルシス。今回の出来事を通じて気づいたことが一つある。それは、僕にはすべきことがあって、君にはないということなんだ。君は確かに素晴らしい人間だし、その理想には敬意を表するけれど、だけれど、その理想は生まれながらに持っていたものではない。そうだろう?」
「生まれを理由にするのか、君が! 誰より平等であろうとした君が、自分は特別だなどと!」
「うん、そうだね。その通りだ。僕も遺憾だけれど――でも、これは事実だから」
「シャルルッ!」
ナルシスは、そのとき我慢しきれなかった。何があったのかは知らないが、彼は随分身勝手になったようだった。
何が特別なものか。
何が理想だ。
馬鹿馬鹿しい。
人間がそんな属性を持って生まれてくるはずはないのだ。
人間がそんなもののために生まれてくるはずはないのだ。
誰も、その程度の概念のために生を受けたりはしない。生まれたばかりの赤ん坊がそんな大それたことを考えない以上、そんなものはただの押し付けに過ぎない。
他人が勝手に運命を定めたに過ぎない。
そんな自明なことも分からないシャルルではないはずだ。だとすれば無理をして、強引にそう思い込むことでどうにか精神を安定させているのであろう。だがその安寧は不健全だ。
ナルシスの頭がそう考えたことを、体は追い越していた。
ほとんど脊髄反射で彼はシャルルのどこかで何かを諦めている顔めがけて拳を振りぬいていた。拳に鈍くて硬い感触が起きることが予期された。それは顎を強かに揺らして彼を昏倒させるだろう。それは重罪であると分かっていても、衝動は抑えられなかった。
だが、それはある一つの例外を除けば、である。
「グッ……⁉」
ナルシスは、次の瞬間自分の体が無重力下に置かれたことに驚いていた。それはあり得ない現象だった。人混みのせいで護衛は車の辺りから動けずにいたし、かといってそれを構成する生徒たちにその動きができたはずはない。
だが彼が着地するまでの僅かな間に目撃したのは、小柄な女子生徒のブレザーがシャルルと彼との間に入り込んで、振りぬかれるはずだった腕を引っ掴んで投げ飛ばしている光景だった。その動きはスローモーションで流れていき、ナルシスは地面に激突させられて――暗転。
高評価、レビュー、お待ちしております。




