第64話 密偵
「さて、今回諸君らに集まってもらったのは」統括責任者たる国民団結局職員の五上職がゆっくりと話を始めた。「他でもない。第十三学園における選挙に関する自由恋愛主義者の動きについてだ。例の初恋革命党が選挙に関してそれを肯定し奨励する声明を発して以来、『市民』たちの間に動揺が広がっている」
その背後、ミーティングルームの前方にあるホワイトボードにはプレゼンテーションアプリの画面が表示されている。それはこれからの彼の主張が要点だけまとまっている。いくつかの画像を添えて。
「結論から言えば、今般の騒動については危険な状況に入りつつある。『市民』に対して政治の門戸を開くよう要求するデモが申請されただけでも二三件。未申請で集合を掛けているものが投稿を確認できただけで四〇〇以上。これらはいくつかの地点で開催場所が被っており、自然に合流してしまう可能性が予期される……そうなった場合制御不可能な事態に陥る可能性がある」
プレゼンテーションは次の画面へ。地図が表示される。
「そこで我々に課せられた任務はシンジュク周辺で行われるデモ行進の制御及びそれに伴い発生する可能性のある暴動を鎮圧する。配置は後ほど添付するから参照するように。何か質問は」
「あの、」ゆっくり手を挙げて、イカロスの群主席職員が発言した。「暴動の鎮圧、とありましたが、どのレベルの装備までが許可されるのですか? お聞きしている規模の事態となりますと、ゴム弾や催涙ガス程度の装備では対処しきれない可能性があると思われますが」
「それに関してはあくまで現場の裁量と言うことになっている、つまり私の判断するべきことということだが……」五上職は髭の生えた顎に手をやった。「自動式防衛機材の使用も検討されるべきだと思われる。あまりに数が多いからな。いざというときの備えは重要だ――」
「――それはおかしいですよ」
五上職の言葉を遮って、誰かの声がした。その声の主に視線が集まる。そこにはイカロスがいた。彼は徐に立ち上がる。
「ポンペイア二中職。」五上職は深く溜息を吐いてから言った。「何がおかしいというのかね?」
「確かに、初恋革命党をはじめとする自由恋愛主義者は排除されるべきで、それに乗じた暴動のごとき企みは粉砕されるべきでしょう。しかし、自動式防衛機材と名前を変えてもアレは自動小銃です。その使用検討は時期尚早でありましょう、彼らが既に武装しているならいざ知らずただ集まっているだけで……」
「君にしては穏当な意見だな」
「茶化さないで頂きたい。いくら道を塞いで通行規制が必要になるとしても、それを原因として銃撃してはならないでしょうに」
「だが言ったように最後の砦として自動式防衛機材を使用するつもりだ。すぐ使用できるよう配布はするが、私の許可を以てのみ発砲するようにする。それでは不満か?」
「そんな煩雑なプロトコルを現場が守れるとは思えません。今にも襲ってきそうな自由恋愛主義者がいたとして、それに一々許可を取ってから発砲する余裕があるはずがない。緊急避難として発砲する可能性は高いでしょう」
「だから徹底させる。命令を守れない者が国民団結局職員になれるはずがない」
「しかし機材を奪われる可能性が出た場合は? もしそうなればこちらに死傷者が出る可能性も」
「その場合は私がすぐさま許可を出す。それで充分だろう」
「……できるものではないですよ!」
イカロスは声を荒らげた。
「そもそも、第十三学園に働きかけて選挙そのものを中止にすることはできないのですか? 撤回させてしまえば、事態の収束はより容易に・早期になるはずでしょう!」
「それはできない。あくまでも選挙については第十三学園の専権事項であるし、その背後に『内閣』家の意向があるというのならば、変更も不可能だ。それに、それは国民団結局の職掌を超えている。我々は所与の政治的条件の下行動する必要があり、今回の場合は選挙が終わり、ほとぼりが冷めるまで何も起こさせないことが任務だ。」
「しかし、」
「そしてポンペイア二中職。君の言う通り選挙案件を引っ込めた場合、『市民』は怒り狂うだろう。尚更小銃の出番になる。君の主張は自動式防衛機材は過剰装備ということのようだが、それに従えば余計に配備・使用に正当性が生まれる。そうは思わないか?」
「……ッ! しかし統括責任者殿……!」
「くどいぞ、ポンペイア二中職」ぎろ、と群主席職員の目が光る。「固より我々は貴様の手足ではない。一時期お偉いさんに目をかけてもらったからといって調子に乗るのはいい加減にしろ。命令系統を守れ」
イカロスはまだ言い足りないことが山ほどあったが、この五下職からの叩き上げであるこの上司は頑として動かないと目を見れば分かった。彼は結局引き下がり、着席する。
「質問は他にないな? ……では、解散。各自仕事に取り掛かれ」
その号令を合図に、三々五々に集められた幹部職員たちは会議室を出て行く。隣の職員が立ち上がったのに従って、イカロスもそれについていこうとした。
「ポンペイア二中職」そうして出たところで、群主席職員に引き留められた。「少しいいか」
「…………」これは叱られるだろうな、と彼は直感した。「は」
群主席職員はちら、とドアの方を見た。他の次席職員たちが視線を送っていたのだ、そこに先に行けと視線を返し、他の職員が出るのも待ったようだった。
そうしてドアが閉まる――と同時に、薄毛の彼は話し始めた。
「さて、その顔からすれば、何を言われるのかは分かっているな」
「は。出過ぎた真似をしたということは理解しています」
「その通りだ。貴様はあの場で質問ではなく意見をした。上長に向かってだ。そういう理論的に正しいところを突き詰めるところは貴様の長所でもあるが、短所でもある。頑固というわけだ」
「は」
「とはいえ確かに、貴様の意見は理解できる」ただでさえ薄い毛が宙を舞う。「第十三学園があんなことを言いださなければ今般の暴動は起きなかっただろうし、その背後にいる『内閣』家は何を考えているのか分からない。シャルル様がどうやら元凶らしいが……まあ、考えても仕方ないことだ。どちらにせよ、この条件を動かすことはできないのだから」
だが、とイカロスの上司は指を一本立てた。
「だが、動かすことのできる条件もある。情報だ」
「何か手がかりが?」
「実は、学園には今密偵を忍ばせていてな。候補者とその周辺に関して探りを入れされている」
「……自由恋愛主義者か、ということですか?」
「そういうことだ。この騒動が初めから自由恋愛主義者によるものだとすれば辻褄が合う。シャルル様の行動だけが不可解にはなるが、何らかの方法で脅されている可能性はある」
イカロスは一瞬、ナルシスの言葉を思い返していた。彼はそういうことは気づかなかったと言っていた――が、それが正しい保証はない。あくまで気づかなかったというだけであって、なかったということを証明することはできない。
「なるほど。もしかしてその密偵というのは……」
代わりにそう言いながら、イハヤカヴァ三中職が座るはずだった席に視線を送る。その表情に、にやりと上司は笑った。
「その通りだ。貴様も鋭いな。頑固でなければ貴様の方を密偵にしてもよかったのだがな」
「僕の弟があの学園にいます。バレます」
「ははは、そうだったな。ちなみに今のは俺の上からの極秘命令だから秘密にしておくように。できるな?」
「は――しかし、情報を仕入れるだけなら、学園からの協力で充分なのでは?」
「それが、今の学園は信用できない。どうにも口止めされている節がある……それはそうだ。資金を種に揺すぶられている手前、下手なことを言って中止にされた日にはどうなるか分からない。密偵の入学については然程問題ではなかったがな」
「あくまで、こちらが勝手にやる分には問題ないということなのでしょうか?」
「そういうことだろうな。学園の責任にだけはするなということだ。汚い大人だろう?」
上司は肩を竦めた。その表情には笑みすらある。それが一頻りはははと音を立ててから、彼はすっと真顔に戻った。
「まあとにかく、ここまで教えてやったんだ。任務に集中しろ。これ以上余計なことはするな。いいな?」
イカロスはぽんと肩を叩かれて頷くしかなかった。そこに不満はなかった。
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