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第56話 対等でなければならない

 ことは翌日の放課後に起きた。


「――ナルシス!」帰ろうとした彼の背中めがけて彼女は来た。「待て!」


「? ……ああ、スズナ君か。何かな? 見ての通り僕はこれから……」


「悪いがどんな予定があるとしてもそれは中断してもらう」


「は? 何を言って……」


 ナルシスの反駁も無視して、スズナは彼の手を引いて教室を出た。彼は咄嗟にカバンだけは確保したけれど、机をかき分けるほどの彼女のパワーに敵うはずもない。そのまま引きずられて廊下を追いかける羽目になった。


「お、おい! 君という人間はいつだって粗暴だが、いつにも増してだな今日は⁉」


 その問いにも、やはりというべきかスズナは答えなかった。ただただ無言で彼を引きずっていき、校舎すらも出て、人気のいない庭園の奥の方へ。そこへ無造作にナルシスを彼女は投げると、ぶっきらぼうに質問をぶつけた。


「お前、何した?」


「……やれやれ」ナルシスは土埃と芝生を払いながら立ち上がる。「君は質問一つまともにできないのか? 誰が、いつ、どこで、どのように――その前提条件が揃っていない質問には答えられない。それとも、今日の行動を一つ一つ言っていけばいいのかな?」


「減らず口を言っている場合じゃねー。さっさと答えろ。お前が何かしなければああいう話になるはずがねーんだ」


「だから、前提を、」


「シャルル様のことだ。知っているんだろう⁉」


 シャルル?


 その名前が出てきたことで、多少なりと事態は進展したが……やはり、何のことか分からない。


「悪いが、今日は彼とは会っていない。学校に来ているとは知っていたがね……それで? それがどうかしたのか?」


「……まさか、本当に知らないのか?」


「だから、さっきからそう言っている――というより、君が何に対してそうまで驚いているのか僕はまだ伝えられていないんだがね?」


 スズナはち、と舌打ちした。それから溜息を深く吐いて、それからナルシスが本当に何も知らないらしいということを理解したようだった。


「――生徒会役員選挙だ」


「君は一体全体どうして言葉遣いが下手くそなんだ」


「だ・か・ら、生徒会役員選挙――シャルル様が拒否したって話だ」


「…………」拒否?「は?」


 ナルシスの頭脳は瞬間的に凍り付いた。


 そんなこと、何故?


 意味が分からない。昨日まであんなにやる気だったじゃないか。


 それを、どういう理由か蹴って――第一そんなことが可能なのか、拒否なんて?


「それは本当なのか?」ナルシスは首を横に振ってから言った。「どうしてそんなことを知っている?」


「俺は職員室に呼びだされていた。まあ、素行不良と成績不振でな……それが終わってから帰ろうとして、理事長室の前を通りがかった。すると話し合っている声が聞こえてな。そこで知った」


「……君、前者はともかく後者に関しては僕は力になれるぞ? 君に留年なぞされた日には寝覚めが悪い」


「馬鹿、そこじゃねーだろ! 問題は、シャルル様本人がやらないって言っていることだ。だからお前に聞いてんだろうが、何か知ってるかって」


 どうやら、そういうことだったらしい。恐らく、扉越しに声が聞こえたのだろう。尤も、それは姿を見たわけではないのだろうが……とはいえ該当人物は一人だし、彼女のことだ、他の誰かと聞き間違えるとは思えない。ナルシスにとってのエーコのようなものなのだから。


 とはいえ、どう返答したものか――確かに、昨日その話題にはなった。なったが、それだけの話だ。あのときに何か兆候があったかと言われれば気づかなかったし、なかったはずだ。


 ナルシスは一瞬だけ迷って、それから言った。


「では正直に話すが、昨日会ったとき話題に出たのは事実だ。だがそれだけでね。むしろそのときはやる気だったが」ナルシスはふんと鼻で笑った。「でも、それがどうかしたというのかね?」


「…………」


「それに、そもそもの話だよ、スズナ君。彼がどのような決断をしたにせよ、それは彼の判断であって他の誰にも影響しない。いや正確には次点として選出される生徒には影響するかもしれないが、だけれどそれだけの話だ。君が大袈裟に言いすぎなんだよ」


 そう肩を竦めてみせる、そのナルシスに、スズナは鋭い視線を向けたままだった。


「……何かな? まだ何か?」


「あのな、俺は別に、シャルル様が役員選挙を辞退したって言った覚えはないぜ」


「は? しかし選挙を拒否したのだろう?」


「ン、言葉が足らなかったな。あのお方が拒否したのは選挙に出ることじゃない。現在の選挙制度そのものだ」


「…………まさか」


「ああ。シャルル様は立候補制にするおつもりだ」


 ナルシスには、意味が分からなかった。


 一体、何を考えているのか分からない。そんなことに何の意味がある? 制度を、伝統を変えるなど、ただ横車を押しただけだ――いや。


 意味はある。


(対等と言ったな、君は――と)


 言ったのだろう、彼は。


 そのときはよく聞こえなかったが、今は分かる。


 何故なら、自分が言ったのだから。「対等であるべきだ」と。


 そのほのかな言葉尻を捕らえて、彼はこのような暴挙に打って出たに違いない。


 そして、理事会も教師会も黙らせる手段など、ナルシスには一つしか心当たりがない。


「……!」


 ナルシスは、走り出した。スズナは一瞬止めにかかるが、その行先にすぐ気がついて、追跡しなかった。向かうは駐車場だ。スズナはシャルルが理事長室から出て来るのを見ていない。だとすれば、話はその後も続いているはずで――だとすれば、まだ学園内に彼がいる可能性は高かった。


「シャルルッ」


 果たして、彼はいた。今まさに車に乗り込もうとするところであったが。しかし彼はナルシスの呼びかけを聞くと、護衛に目配せとジェスチャーをして、ナルシスの方へと近づいて言った。


「やあナルシス。どうしたのかな、そんなに慌てて。冷静沈着な平生の君らしくもない」


「選挙の件、聞いたぞ」単刀直入に、前置きを斬り捨てた。「どういうつもりだ」


「……ああ」シャルルは視線を逸らした。「ただの気まぐれだよ。大したことじゃない。」


「だが、それを通すだけの我儘は言ったんだろう? 例えば――資金の打ち切りとか」


 この「共和国」立の学園を支えているのは、その実、税金だけではない。


 それだけでは、この学園のカリキュラムや設備を維持できるはずがない。やけに豪華な学食の材料費だけで消えてしまうことだろう、ナルシスは一度も使ったことがないが。


 だから、多分に寄付金を要求し、節税も兼ねて「内閣」家もその取り巻きもそこに追加で金を払っている。それに対して学園は推薦枠を用意し、入学を優遇するわけだ。


 だが、その一番の寄付者は誰かと言えば、言うまでもない。


 オブ・プレジデント家だ。


 北米大陸行政区も支配する彼らこそ、「内閣」家最大の経済的存在であり、最大の寄付主体でもある。その額が全体の何割なのかは分からないが――たとえそれが一割だったとしても、「市民」の生涯年収以上の金額が消え失せ、それは学園の運営を滞らせることになるだろう。


「よく分かったね」シャルルは目を見開くとパチパチと手を叩いてみせた。「やはり君は優秀だ」


「認めるのか」


「そこまで分かっている君に嘘を吐いたところで水掛け論になるだけだよ。それに、事実を永遠に押し隠すことなんてできはしない。それなら認めてしまった方が遥かに話が早い」


「だが、わざわざ僕との対決のためだけにそんな大それたことをするなんて、間違っている。君らしくもない」


「対決?」シャルルは首を横に振った。「それは違うな、ナルシス。君の自意識過剰というものだよ」


 そして肩を竦める。やれやれ、と言いたげに。


 他人を馬鹿にすることなど決してない彼にしては、珍しい態度だった。


「…………」


「僕はね、自由であるべきだと思ったんだ、平等であるべきだと思ったんだ、平和であるべきだと思ったんだ。『三原則』。当然、君だって知っているだろう?」


「ああ。しかしそれとこれとは――」


「同じだよ。立候補制にしなければ、ただ学園が目をかけた人物だけが偉くなる。箔がつく、というのかな。そうして偉くなったその人間は、学園に利益を還元する。それは、平等でも自由でもないよね」


「だとして、君が立候補する必要はないじゃないか。君の意志を示すだけなら、導入と引き換えに、身を引くものだろう」


「違うね。言い出しっぺだからこそ、身を投じる必要がある。そうでなければただ上から命令するだけの卑怯者に成り下がる。僕はそんな悲しい人間にはなりたくないんだ」


「だがあの方法は旧時代的だというのが『内閣』家が今まで出してきた見解じゃないか。その一員である君がそのような意見を出すというのは、整合性が取れない」


「君に質問があるのだけれど、それは果たしてそうなのかな? 手段が問題であって、それだけだと言い切れるのかな? むしろ僕は手段には問題がなくて、先人たちそのものが問題だったと思っている。彼らは腐敗していて、それが本来正当であるべき手段を穢した――自由恋愛主義すら、本当は関係ないんじゃないかとすら思えるよ」


「⁉ シャルル……!」


 護衛の黒服たちも、今の発言にはぴくと動かずにはいられなかったようだ。サングラスの下の視線が動いたのに、ナルシスは気づいていた。それは、自分自身の立場を否定するような言葉だったからだ。自由恋愛主義による滅びの先の救済に「聖母」と内閣家がいたとすれば。


「ふ、」その表情たちに、シャルルは笑みを零した。「冗談だよ。この僕が、本気でそう言ったと思っているのかい? 僕だって冗談は言うよ」


「だとして、笑えない冗談だ」


「うん。不慣れなことは認める――だけど、僕はそうしなければならないんだ。これだけはやり通さねばならない」


「しなければならない? やり通さねばならない?」


「ナルシス、僕はね。自分の在り様を示したいんだ。単に生まれや育ちだけで選ばれるのでは、決して足らないものがある。そうしなければ崩せない仕組みが、この世界には存在している。それに対する反動が、サン・マルクスという活動家なのじゃないかな?」


「!」サン・マルクスという名を出されて、ナルシスは動揺した。「君は……!」


「ただ譲られるだけじゃダメなんだ。僕が僕であるということを、この上なく示す必要がある。だから僕はこうする。不満なら、君も立候補すればいい。そうして僕を糾弾すればいいじゃないか」


 ――違う。


 ――シャルルは、嘘を吐いている。


 ナルシスはそう直感した。あの独り言だけが根拠じゃない。彼と過ごしてきた時間やそこから読み取った癖、例えばあの夏の騒動の後、花火大会で零した本音を考えれば、そんな大局的なことを彼が考えるとは思えない。


 考えたとして、それが主な理由ではない。


 それだけでは、ないはずだ。


(しかし――)


 それは、根拠薄弱というものだ。少なくとも、その程度の論理性で彼に対抗したところで、のらりくらりとかわされるのがオチだ。平生ならともかく、今のシャルルはどこか意固地になっている。こうなった彼は、どうやっても突き崩すことはできまい。


「――分かった。」だから、ナルシスは俯いた。「それが君からの挑戦だというのなら、僕は甘んじて受けよう。それが僕と君との関係だったのだからな」


 無論、勝てばシャルルの言い分を認めることにはなる。


 だからといって、負けることを前提として――もとい結果としてはじめからその方向に挑むというのは、彼の性分ではない。


 やるからには、全力で挑む。


 負けるつもりはない。


 そう睨みつけてから、ナルシスはシャルルに背を向けた。それを見届けてから、シャルルもまた車へ踵を返す。そして乗り込んでしばらくしてから、車は走りだした。

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