第49話 エスケープ・フロム・ホテル
「志願ご苦労」イカロスは――暗視装置をヘルメットにつけている――言った。「これより作戦を説明する」
目の前には、茂みの中に座った「共和国前衛隊」の隊員たちがいる。その全てが暗視装置をヘルメットの額の部分にマウントしていて、バラクラバを被っている。辺りは――揺れ動くサーチライトを除けば――すっかり暗いから、目元すらドーランで覆い隠したその姿は、闇に溶け込むようだった。
「知っての通り、愚恋隊は現在ヤタノカガミ館各フロアに展開し、こちらを監視している。昼間の銃撃戦でも負傷者が出た――昼間行動は危険である。ここまでが前提だ」
もちろん、その分の成果もあった――壁に穴を開けることで設けられた火点をある程度特定し、一部はその制圧にも成功した。のだが、火点は無数に存在し、ダミーもそれと同じかそれ以上の数だけ存在した。そして何より、撃ち下ろされることになるというのは、誰の目から見ても危険極まりないものだった。
だとすれば、活かすべきは装備の差。
そして、補給の差――である。
「そこで、夜間侵入により人質の奪還を試みる。奇しくも、今日は曇り、明日は雨になることを考えれば、その厚みは充分月明りを隠してくれるものと期待できる。それに乗じて突撃をかけ、エントランスへ突入。敵が態勢を立て直す前に全てを終わらせる」
その頭上で、サーチライトがまたも蠢いた。それはホテルの壁面を照らし、不意に見上げてしまえば目を眩ませるだろう。
「奇襲効果を確立するため、銃撃による援護射撃はない! その代わり、見ての通りサーチライトと……作戦開始と同時に送電のカットが行われる予定だ。非常電源に切り替わるまでの僅かな間、彼らは無防備となり、サーチライトに焼かれた目は暗闇では機能するまい。その僅かなチャンスの間に作戦を実行することが求められる――何か質問はあるか?」
イカロスはジロリと隊員たちを見た――が、誰も手を挙げようとはしない。やることははっきりしている。そこに何を疑う余地があろうか? ……まして彼らは精鋭を自認する「共和国前衛隊」である。何が起ころうとも動じたりはしない。
「よし、では、作戦開始まで待機――」
が、そのときだった。
彼らの一人がホテルを指さしたのは。
「⁉」
見ると、ホテルの窓から明かりが消えたのだ――照らすのはサーチライトだけで、中からの明かりは一つもなくなった。送電が停止された? ……いや、作戦開始までには、まだ時間があるはずだ。
ならどうして?
「伝令!」その答えは、直後に走ってきた伝令が持っていた。「ホテル所有の遊覧船が全て動き出しました!」
――遊覧船?
イカロスの頭脳はそのときすぐに一つの事実を思い出す。確かに、あのホテルは湖周遊用の遊覧船を保有していた。それはホテルの各棟一階にそれぞれ数隻置かれていて、宿泊客用に運用されているのだった。
だがそれが動く――ということは。
「奴ら――脱出したのか⁉」
いや!
そうじゃない。そんな分かりやすい手は使わないはずだ。いくら文字通りの背水の陣だからといって、監視の目がないわけではない。尤も、その広さを鑑みれば、陸上ほどには過密にできないが――それでも、船などという大きなものが動けば、必ず分かるのである。現に、今報告が来た。その到着先へ回り込むのは容易だ。
(だとすれば――)
「『共和国前衛隊』! 今すぐホテルに突撃をかける! 前進!」
そう叫び、イカロスは走り出す。彼の勘が正しければ、恐らく遊覧船は――
「――囮だ」
ナルシスは、真っ直ぐ対岸へ向かう遊覧船を眺めながら、そう呟いた。その操舵席には誰もいない――誰も乗っていない無人の状態で、エンジン最大、最大船速を出すようになっていた。
「船で脱出するプランは私も考えていましたが――それをこういう使い方をするとは。」オウカは苦笑いを浮かべた。「ホテルの経営者が頭を悩ませますわね」
そして彼の――彼らの姿は、ほとんど裸だった。セーラー服は全て脱ぎ捨て、ただイチゴパンツを履いているのみ。ライフルやサブマシンガン――オウカの場合はそこにニホン刀が二振り――は持っていても、それは却って彼らの見た目をどこか背徳的にさせるばかりであった。
そう。
ナルシスの考えたプラン、それはこの湖を泳いで渡るというものだった。
「それを言ったら、この事件が起きた時点で大損害だろう。思いっきり銃撃戦で穴が空いてしまっている。補修に何年かかることか」
「まあそれは言いっこなしですわ。むしろ私たちに宿泊してもらったのですから売り上げも上がるでしょう」
「いや言いっこありだろう。いくら何でも君無責任だぞそれは」
「もちろん冗談ですわ。どちらにせよ、しばらく私たちは恐怖の象徴となるでしょうし」
「ああ。ほとぼりが冷めるまでは大人しくしていろ。次は助けてやれないからな」
「ええ、分かっていますわ。それより負傷者なのですけれど」
「どうなんだ?」
「既に止血はしていますし、背浮きぐらいはできます――こちらで引っ張って行きます」
そうか、というナルシスは、内心ほっとしていた。そこがこのプランにおける不安要素の一つだった。どの程度銃撃戦で損害が出ているのか――そこまでは把握していなかったのである。
「あとは、君たちがどれほど迅速に対岸に辿り着き森の中に息を潜められるか、そして我が党の支援が到着するまでの間どれだけ自活できるかということだが――」
「問題ありません。我々は元々ゲリラ戦術を得意としています。装備なしでも数日間は持たせてみせましょう」
「それなら安心だ。任せたぞ」
「――オウカ様」フブキが、オウカの後ろから声を掛けた。「それではお先に」
「ええ、御機嫌よう」
その返事に頷くと、彼は水の中へ静かに入っていった。その先には愚恋隊員がズラリと首だけ水面に浮かべている――イチゴパンツ姿で。
「それにしても、何で」ナルシスは首を傾げた。「全員イチゴパンツなんだ?」
「それが伝統だからですわ。昔から決まっているのです」
「そ、そうなのか……イカレた伝統だな」
「そうでしょうか? ……まあ感性は人それぞれですから」
そう言って、オウカは足首まで水に漬ける。それから数歩歩いて――立ち止まる。
「ああそうだ、最後に伝えておくべきことがあるのでした」
「? 何だ――」
その瞬間だった。
ナルシスが頬に暖かい感触を感じたのは。
「?」そして、目の前にオウカの長い睫毛があったのは。「……⁉⁉⁉」
「置き土産、ですわ。精々一生自慢することね。サン・マルクス」
「じ、自慢したら僕まで捕まる。それに、僕はそういう嗜好をしていないんだ!」
「あらそう。残念ですわ。でも――」オウカは、不敵に笑った。「いつか振り向かせてみせますわ――ナルシス・ポンペイア」
それから、彼はあっという間に水の中に消えていった。そして他の隊員たちも最小限の体積だけ水面から出して、音もなく進んでいく――あれならば、遊覧船に気を取られている国民団結局武装職員たちには気づかれまい。
「……行ったのか?」物陰から、スズナが出て来た。「随分長話を――していたようだが」
「いや、まあ、何だ。色々あったんだ」
「あったのは色々じゃなくて色恋だと思うんだが、それ」
「いいんだよ、細かいことは……それより! 人質は無事逃げ出せたんだろうな?」
「ああ。今頃、エントランスから来た『共和国前衛隊』の足止めをしてくれていることだろうよ」
残された唯一の懸念は、「共和国前衛隊」が、愚恋隊員全員が逃げ出すより早く彼らの居所へ到着してしまうことだった。何しろトラップの再建は間に合っていない。銃撃戦に人を取られて、それどころではなかったのだ。そこでナルシスが考えたのは――スズナを使うという案だった。
ストーリーとしては、一人ゲリラのように内部で抵抗していた彼女が退勢明らかな愚恋隊を蹴散らして人質のところへ到着、彼らを救出してエントランスから出た、愚恋隊員たちはどこかへ消えたらしい、というものである。
「だが、お前はどうすんだ? 一応俺が探して見つけ出すというようにはしておいたが、ここで見つかるとマズいんだろ?」
「ああ。適当に手足を縛り直してくれ――逃げ出したはいいものの愚恋隊員に捕まり、その美しさのあまりオウカ・アキツシマに愛玩人形にされていたということにす……何だその目は。不満でもあるのか?」
「……お前ってたまに信じられないほど残酷になれるよな」
「何の話だ?」
「いや何も……じゃあ縛るから手を後ろに回せ」
その言葉に従って、ナルシスは手を後ろに回す。その縛る力が妙に強かったのを、彼は不思議に思った。
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