第46話 踏まれても立ち上がれ
そのニュースを見た瞬間、ナルシスは端末を取り落とした。崩れ落ちるようにそれを拾い上げると、それが嘘でないことを確かめて、それをどこかへ叩きつけたくなった。
「馬鹿な……」それから、叫ぶ。「馬鹿なッ!」
思いついた瞬間には、それは名案だったのだろう。なるほど理由をつけて入ってさえしまえば、クサナギ館は絶好の狙撃ポジションだ。そしてそこまでの侵入経路はコンクリートの分厚い壁が覆い隠してくれる。あとは場所さえ外部からの観測で特定してしまえば、射殺できる。しかも、これは偶然だろうが、時間停止をする相手に狙撃は非常に有効だ――本来ならば、気づかれて時間を止められる前に殺害できる。
(だが――やろうと思うか、普通⁉ 停戦協定を無視してまで――今後の交渉のことも考えず、作戦が失敗した場合のことも考えずに⁉)
ナルシスの脳裏には、最悪の光景が浮かんでいた。目の前にはエーコとシャルルの首がある。それをごろりと転がしたオウカは、自分のものか相手のものか、血塗れでふらふらと歩いているが、そこに銃弾が飛んできて彼の頭部を吹き飛ばす。だがその足元を埋め尽くすのは無数の国民団結局職員の屍。もちろん、「共和国前衛隊」のものも、まるで絨毯にある一つの模様のように並んでいる。そこにあるのは、銃砲のオーケストラ。今既に前奏が始まっている――
「落ち着けナルシス。」スズナは、そこでナルシスの肩に手を置いた。「まだ誰か死ぬと決まったわけではないだろう」
が、その重さはナルシスには下手な刺激になった。彼はそれを――「異能」が解けるのも構わずに――振り払うように振り返る。端末はその勢いで飛ばされて、壁に叩きつけられた。
「君は呑気に過ぎる……! この銃声の雨が聞こえないのか⁉ 第一次総攻撃は始まってしまったんだ! 銃撃戦だぞ⁉」
「まだ小競り合いの段階だ。ホテルへ接近するのは上から丸見えになるからな……恐らくは火点を探っている段階だろう。その証拠に、お互い疎らな射撃だ」
「同じことだ。銃弾が飛び交えば、そこに人がいれば、どれほどの確率であろうと死ぬかもしれないのだ。怪我だってする! ……既に怪我人は出ているのだ。血がこれ以上流れれば、必ずエスカレーションが起こる!」
「かもな。そりゃ、お互い人殺しの道具を振り回してんだから……殺すことだって起きるだろうよ」
「――!」ナルシスはそのとき頭の中に熱い閃光を感じた。「他人事みたいに言うな!」
後先も考えず、彼はスズナに向かって手を伸ばし、その胸倉を掴み上げた。
「誰の死だって、その人だけのものであるはずがないんだ。悲しむ人も、憎む人もいるんだ。それが、その繋がり合いが、いつか『大反動』のような悲劇を生むって知っていたから、君は僕と同盟を結んだんだろうが⁉」
「だったら、」しかし、彼女はびくともしない。微動だにせずただ彼を見下している。「どうするんだよ? 銃撃戦はもう始まってしまっている、お前の言う通りにな。ことここに至ってどうこうできる手札は、もうない。国民団結局の連中が全部燃やしちまった」
「なら、諦めるのか⁉ 人質だって……!」
スズナは地団駄を踏んで我儘を言う子供を前にしたときのように舌打ちをした。
「そんなこと、誰が言ったよ? ……いいかナルシス、お前が認めようと認めまいと、今できることは一つだ。そこら辺の隊員から銃を奪って人質のいるところへ行き、その護衛と銃撃戦をして取り返すか、国民団結局の連中が上手くやるのを祈るしかない」
「力に力で返すなど……!」
「俺はどうするのかと聞いた。こうして手を拱いている間にも、シャルル様とお前の大事なエーコは殺されてしまっているかもしれない。時間はないんだ。駄々をこねている場合じゃない」
「しかし……」
「お前はいつだって暴力を嫌悪するな。俺だってそうだ。このやり方以外が選べるのなら、いつだってそうしたいさ。だがそうじゃないときの方が多い。これはそうした方が早いからそうするんじゃあないぜ。そうでもしなけりゃどうしようもないからそうするんだ。そしてこれは、そうなっちまった。それが分からないお前じゃないだろう」
「……それは詭弁だ。武力があるからそれを使うのなら、この世に知性は要らない」
「それこそ詭弁だろう。言葉を弄すれば銃弾だって防げるんなら、皆そうする。そうじゃないから愚恋隊も国民団結局の連中も銃を使う。これでしかできないことがあるからだ」
「だが、」
「テメー、いい加減にしろよ。」スズナは、ナルシスの手をあっさり振り解いた。「さっきから聞いてりゃやれあれはするなこれはするな――どうするのかって代案は一つもない。テメーこそそのご自慢の知性とやらで考えてんのかよ?」
「それは……」
「言ってみろよ。ほら、いつも俺を馬鹿にしてんのと同じ調子で。できるんだろ、でなきゃ文句なんか言えるものかよ?」
そして、突き飛ばす。ナルシスはそれだけのことで簡単に尻餅をついてしまった。見上げると、スズナがこちらを睨んでいる。ただでさえ細く鋭いその視線が自らを射貫くように感じられて、ナルシスは思わず視線を逸らす。だが、それは迂回というより逃避だった。じきに逃げ場などないと悟ったわけでもないのに、それはナルシスの足と足の間に沈み込んだ。
「…………」そして、浮き上がりはしない。「僕のせいだ」
「……あ?」
「僕が、できると思ったから――こうなった。戦闘をさせずに、全てを解決できると思った。だが失敗した。国民団結局がこんな手に出ると思わなかったし、そうなればどうなるか、想像さえしなかった。失敗の想定をしなかったのは僕だ。だから、全て僕が悪いッ」
「お前、話聞いていなかったのか? どうするかって……!」
「どうもこうもないだろう⁉」ナルシスは頭を抱えた。「人質を助けに行くにしたってそうだ。君は大抵の人間より強いさ。だが相手にするのは何丁もの自動小銃だ。機関銃だってあるかもしれない。いくら見張りを数人倒したからって、それで調子づいて上手くいくと思ったら大間違いだぞ!」
「…………お前、」
「分かっている! 何かしなけりゃならないことぐらい! でも、何も思いつかないんだ。もう押すも引くもできない。話を聞いてもらえるとも思えない。交渉の余地なんかない。銃を握ってしまえば、ペンを握ることも相手の手を握ることも考えられなくなるんだろうよ、それが今起こっていることなんだろう⁉」
ナルシスはあああッと気炎を吐いた。そして頭を掻きむしった。打てる手は、もうない。エーコもシャルルも、諦めるしかない。その死を受け入れるしかない。そうできる自信などありはしなかったが、それが現実なのだとしたら、そうするしかない、のだ。
そして、沈黙――スズナは、冷然とナルシスを見下ろしていた。その視界の中には、かつて廃墟で感じた面影はどこにも見当たらなかった。ただ背格好以上にちっぽけな子供がそこで蹲っていた。現状を否認したくても、押し寄せる実際に潰されそうな少年がそこにいた。だがそれは、そこで踏ん張っているということでもあった。現実に流されはしていなかった。諦めたくないという感情は、まだ残っていると見えた。
「……だったら」スズナは言う。「叫んでみせろよ」
「……?」
「叫んで叫んで――訴えかけてみせろよ。理屈じゃなく理想を喚いてみせろよ。感覚を感情で破ってみせろよ。手札なんか何もなくたって、弾切れだろうがネタ切れだろうが、自分の言いたいことがどっかに残ってんだろうが、それをぶつけてみろってんだよ!」
――叫べ。
その瞬間だった。ナルシスの脳裏には、またも閃光が過った。それはやはりというべきか熱かった。そして衝動的ですらあった。だが、今度はそれをスズナにぶつけることはしない。
その必要はない。
無駄ですらある。
「……スズナ君。」ナルシスは、ゆっくり、手を突いて、立ち上がる。「感謝するよ」
「何だ、急に。気色悪い」
「その言葉は自己紹介のときにとっておきたまえ。それよりも宴会場だ。早くしなければ人質が処分されかねない」
「そりゃそうだが――何か策を思いついたのか」
「ない」
「まあそうだろうな。いくらお前でもこの状況では打てる手なんか――って何?」
ない。
って言ったのか?
マジで?
「ああ、そんなものはない。強いて言えば脱出方法そのものは存在するが、そこまで彼らを誘導できるか分からない。確率は五分といったところだ。ああちなみに今のは『一割五分二厘』の方で、百分率で五パーセントだぞ」
「より悪いじゃねーか! お前、本当にできるのかよ?」
「さあね。だがやるしかない――叫ぶしかない。そう言ったのは、君だったと思うが?」
スズナは、そう言われると閉口するしかなかった。こんな風に焚きつけた言い出しっぺを探したが、自分の顔しか思い浮かばない。一瞬立ち止まって、溜息を吐きながら頭を掻き、それから、ナルシスの手を握った。
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