第45話 狙撃
「随分、」シャルルは言った。「騒がしいようだね」
サイレンの音が響いて届いていた。それに混ざって大量の水が壁に叩きつけられる音。それに伴って屋上から見える煙の量は多くなったり少なくなったりする――水に押しのけられて吐き出されたりその根本にある火の勢いが弱まったりしているのだろう。
「喋るな」ちゃき、と銃が向けられる。「お前立場分かっているのか? お前らはこれから処刑されるんだ。二四時間で……そうでなくても、俺たちの機嫌を損ねればいつだって銃殺してやれるんだぞ」
その愚恋隊員の言葉に、エーコは俯いたままびく、と震えた。その瞳にはふるふるとした雫が今にも落ちんばかりに揺れていた。声を出して泣かないのは、それをすればどうなるか分かったものではないからだ。機嫌を損ねれば、である。
「うん。人質だということは理解しているつもりだよ。これから死ぬかもしれないこともね……でも、それなら話し相手にぐらいはなってくれてもいいんじゃないかな。それで今、下で何が起きているのかな? 新しくサイレンが聞こえるのに銃声がしない、ということは、国民団結局が来たのではないんだろうけれど」
「……俺が知っていると思うか? ずっと見張りをさせられているんだぞ」
「しかしあの爆発はクサナギ館の方からだね? ずっと煙が上がっている……心配じゃないかい? 延焼してしまえばこちらに崩落してくるかも……」
「いい加減にしろ。今死にたいわけじゃないだろう」
シャルルの頬はライフルの銃口に突かれた。いたずらにでも引き金を引かれてしまえば、たちどころに脳漿をぶちまけるハメになるだろう。それをエーコは想像して、吐き気すらしたが、やはり抑えるしかなかった。
しかしシャルルはその銃口と、その持ち主に向かって笑顔を向けた。
「そりゃそうさ。僕は死ぬつもりはない。だけど、それは君たちの専権事項なのだろう」
「それが分かっていて、どうして喋る。銃口をしゃぶる趣味でもあるのか?」
「君たちとせっかく巡り会えたんだ。知り合いたいと思うのはそれほど不思議なことかい?」
「……知り合いたい? 何言ってんだ? 俺たちはテロリストだぞ⁉」
「だからこそ、だよ――君たちの手段は正しいと思わないが、主張については聞いておきたいんだ」
「――それは」そのとき、背後の扉から声がした。「私とも、ということですか?」
振り返ると、全くドアの音がしなかったのに、そこにオウカの姿があった。黒い髪がビル風に揺れて、まるで一枚の布のようにたなびいていた。腰には刀。首に吊り下げているのはサブマシンガン――そのどちらも、エーコに目を逸らさせるに足るものだった。
「無論だよ」シャルルは、歓迎するように笑った。「オウカ・アキツシマ。君とも話をしてみたかった。テロ組織という厳しい組織環境でも皆がついてくるだけの秘訣……是非とも解き明かしたいものだ」
「興味を持ってもらえて恐縮ですけれど、これと言って語れるようなことはありませんの。皆思想を以て繋がり合っているというだけですから……」
「そうか、それは残念だ……それで、君が来たということは、もう時間がないということかな? まだタイムリミットではないと思うのだけれど」
「その通りです――私はアナタたちの首を落としにきたのではない。それは少なくとも二四時間延期となりましたわ。同時間の停戦と引き換えにね。それを伝えにここに来た」
「ほう? じゃあクサナギ館の騒ぎは、その関連ということかな?」
「そういうことですわ。消火作業をさせろとうるさくて」
ふと、そのときシャルルは違和感を覚えていた。何か、彼から今まではなかった穏やかなものを感じ取っていた。以前なら、このように気さくに会話をすることなど考えられなかったことだろう。それこそ、ナルシスのように刀を突きつけられて終わりだったはずだ。それが、こうして意思疎通ができている――何か、交渉に進展があったのだろうか?
「?」そのときシャルルは自分がじっと彼を見つめていたことに気がついた。「どうかしまして?」
「いや――それにしても思想か。自由恋愛主義だね?」
「当たり前でしょう。私たちはその実現のために存在している――」
「――そして、同性愛が許される世界を作ろうというのだね?」
緊張が走った。ぴり、と空気が変わるのをシャルルは感じた。オウカの目尻が釣り上がり、穏やかな印象が一度に消え去っていく。その場にいた愚恋隊員ですら、恐れを以て彼を見た。シャルルだけが、じっとそれに視線で答えていた。
「何か」オウカは、銃に手をやりながら答えた。「それに問題が?」
「そういうことじゃあないよ。君が同性愛者であることに何か文句があるわけではない。単なる疑問だ……理解し合う上で、回避し得ない話題だろう? 他意はないよ。それより答えてほしいな。どうして君たちは同性愛者なのかな?」
一瞬の沈黙。オウカはその時間を使って慎重にそのシャルルの表情の中に悪意がないことを確かめた。だが、存在しない――失礼でデリカシーに欠けることに気づいていないだけだ。彼は自由恋愛主義者ではないし、同性愛者でもない。今自分に満ちている当たり前に基づいて話をしているに過ぎない――よく言えば無邪気で、悪く言えばそれを疑うことをしなかったのだ。知ろうとしているだけ、まだマシという言い方もできよう。
「……どうしても」オウカは、溜息を一つ吐いてから答えた。「何もありませんわ。私たちは生まれた瞬間からこうだということ。アナタたちが生まれながらに異性を愛するように、私たちは同性を愛するということですわ。」
「そうか、生まれつき、か……」
「そして、それを『共和国』は認めていない――それが私たちがテロリズムに走らざるを得ない理由。これで満足かしら」
「うん。これで覚悟ができた。ありがとう」
「……覚悟?」オウカの眉は動いた。「何に?」
「君たちを受け入れる覚悟だよ――僕の周りが言うように、矯正も治療もしようがないと分かったからには、その存在を受容してしまうしかない。尤も、『好意対象者割当制度』が人口統制策であるからには、それとは矛盾するけどね」
「まるで『内閣』家の人間のようなことを言うのね」
「うん。だって僕は、シャルル・オブ・プレジデント=キャビネッツだからね」
そう言うと、その場の全員が目を見開いた。先程とはまた別の意味合いで空気がピリつき、固まる――その凝固状態を解いたのは、監視役の愚恋隊員だった。彼は目を離さずに銃を構えようとした。エーコが思わず目を逸らす。しかしその銃口がそこに向くより早く、オウカがそれを制した。一瞬で距離を詰めて。
「およしなさい」
「しかし、この男は、我々の先輩方を殺した『内閣』家の人間。何もせずに済ませよというのですか」
「だとして、人質です――停戦協定もある。今殺せばこちらが不利になる。まして、他より利用価値があるのならば、尚更です」
「…………」
隊員は、しばらくシャルルとエーコを睨みつけていたが、それからオウカと彼らとの間で視線を泳がせて、それから銃を仕舞いながら下がった。
「……しかし何故、」オウカは、それから言った。「今、この場で明かしたのです?」
「君と話をする上で、こちらだけ偽名というのは気が引けてね」
「気が引けた?」
「そうだろう? 僕は君と友人になりたい――互いの名前も知らない友人がいるかい?」
尤も、僕はSNSで知り合った体を装ったのだけれど――とシャルルが言うと、オウカは思わず失笑をして、そこから堰を切ったように笑いだした。
「そ、そんなに面白かったかい? 今の冗談は……」
「いえ、そちらではなく――自由恋愛主義者のテロリストと『内閣』家の人間が友人に? 水と油でしょうに」
「うん。それでも液体同士ではあるよね――そしてそれらが交じり合わずとも共存している。それが、自由ということなんだ。平等ということなんだ。平和ということなんだ」
「なら、尚更私たちとは友達になどなれませんわね。私たちはアナタたちを害する。共存を目指さないで、排除を志向する。第一、アナタたちは結局今の体制を変える気はない。それは私たちにとって敵となるということに他ならない」
「そうだね。それが非常に残念だ。だが――」シャルルは、にこりと笑った。「君とこうして話ができて、僕はとても幸せだ。君もそうだとしたら、尚更幸せなのだけれど」
その屈託のない視線を、オウカは遮りたくなった。直視に堪えない、というより、耐えられなかった。かといって大っぴらに両手を使って塞ぐわけにもいかず、目線を遠くの雲の方に移した。
そしてその雲は、一つの事実を口にすべきかどうか彼に提案した。もしかしたら、その先にテロに頼らずとも自らの目的を実現する方法があるかもしれないと思った。それを気の迷いと呼ぶのは簡単だ。だがその感情のよろめきは、切り捨てるにはあまりに大きかった。
「一つだけ、言っておくべきことがあります」
「? 何かな?」
「アナタは既に友達になっている、私以外の自由恋愛主義者と」
「へえ! それは誰だい?」
「それは――」
言うべきか、言わざるべきか。
最後の躊躇――の、瞬間を、その閃光は走った。
「!」
と同時に、視界の端に映った何かへの動物的直感に従って、オウカは時間を止めた。風に流れる雲も、風そのものも、それを切り裂いてこちらに直進してくる銃弾も――ぴたりと、眉間の僅か数ミリ手前で――全てが静止する。まだ銃声が届いていないのだろう、部下もシャルルも、もう一人の女にしても、まだ何が起きたか誰も把握していない。
「…………」
まず彼は、ゆっくりとその射線上から離れた。そして、それが放たれた元の方向を見る――そこには、消防服の男が二人、銃をこちらに構えている。その一瞥で、オウカは全てを悟った。計略だ――消防隊を入れるという国民団結局からの誘いは、初めからこの一瞬のためにあったに違いない。彼らに扮装した狙撃手を潜ませることで、確実に殺そうとしていたわけだ。
そして、それを承諾させたのは、サン・マルクス。
仲介人を装った、第三の男。
(だとすると――爆破自体もあの男が仕組んだことなのではないか?)
オウカの頭脳は、瞬間的にそれらを結び合わせていった。思えば爆発したのは彼らを追い回した直後。交渉が決裂したと判断した時点でこの計画を発動させたのだ。単にトラップを全て解除するだけではなく、指揮系統も破壊することでことを確実にしようとした。だとすれば爆薬は? ……集積所からなくなったのが判明したのは先頃の話。
だとすれば彼らに犯行は……いや、それが発覚したのはついさっきだが、それはいつなくなったのか、その正確な日時を特定するものではない。その前になくなっていたとすれば、説明はつく。あの「異能」なら何かを密かに行うのは容易だ。
だが、何故、裏切ったのだ?
同じ自由恋愛主義者のはずだ。
同じ夢を抱いていたはずなのだ。
それなのに――
(――自らのイメージに都合が悪いからだ)オウカは、その答えもすぐに手に入れてしまった。(だから排除するというのだ、暴力に訴えた私たちは間違っていると、だから掃討されたと宣伝するために)
ならばあの男は高潔な平和主義者などではない。
自由恋愛主義者ですらない。
ただ手を汚したくないだけの歪んだ欲を持った堕落者に過ぎない。
敵だ!
「サン・マルクス――!」
彼は、止まった時の中でサブマシンガンを連射した。クサナギ館までは距離があるし、山ほど障害物があるから、それは牽制射撃にしかならないだろうが。
そして、時は動き出す。
敵の放った銃弾は逸れ、代わりに拳銃弾が雨あられと敵に向かって飛んでいく、が、その間にある網や貯水タンクに当たってその表面で弾ける。狙撃手は泡を食ってしゃがんだ姿勢から立ち上がると、すぐさま遮蔽物の陰へ隠れた。
「キャアアアッ」
女が悲鳴を上げる。周囲には火花が散る。ワンマガジン全てを撃ち尽くした辺りで、隠れていた護衛が姿を現して狙撃手の牽制を代わった。隙のない三点射。とはいえ狙撃手たちも馬鹿ではないから、もう顔を出すことはないだろう。生憎と、屋上の出入口は物陰になっていて撃てない。
「これは――」伏せていたシャルルの襟首を、オウカは引きずった。「一体どういうわけなんだ、何が起きた?」
「アナタたちの味方が動き出した、ということです」空いた手でエーコも引きずりながら、彼は言う。
「つまり、アナタたちの処刑は無条件に繰り上がる。残念ですが」
その冷酷な目からは、嘘を感じ取れなかった。エーコは、すると、わッと泣き出した。身を捩って抵抗しようと試みるが、細く見せてその実鍛えているオウカの腕に、縛られた状態で叶うものではなかった。
そうして出入口まで来る。そこには銃声を聞きつけた隊員が複数いて、シャルルとエーコはそれに抱かれるようにして下の階へ連れていかれた。
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