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第36話 催す者

 散発的な銃声。


 それはつまり、それだけの数の国民団結局職員が集結しているということを意味した。それに対する牽制としてそれは起こっているはずだからだ。状況は少しずつ動いている。良い方向へ――


「あの、ナルシスさん……」そして、悪い方向へ。「少し近くへ……来てくれませんか。何だか寒くて……」


 エーコの言葉に、ナルシスはもちろんと小声で答えて、従った。そうして触れた体――それは小刻みに震えていた。深い青空を模したエーコの瞳は下、床の一点を見て固定され、今にも零れ落ちてきそうな様子ですらあった。


「エ」ーコと言いそうになって、ナルシスは言葉を飲み込んだ。「……シャルロッテさん。大丈夫ですか?」


「……大丈夫ですよ。このぐらいは、いつだってこうなるかもという覚悟は、していなければならないのですから」


 ――大丈夫ではないな。


 素人目に見ても、感じている恐怖を隠しきれていない。彼女が彼女であることが発覚すれば、その瞬間に殺されてしまう――そういう強迫観念が彼女を支配しているに違いなかった。そしてそれが厄介なのは実際にそうであろうということであった。愚恋隊と名乗る彼女らは自由恋愛主義者だ。単純な図式で言えば、「内閣」家の人間は殺すべき敵である。


 だが――いずれにせよ動揺は必ず失敗を生む。まずするべきは、彼女を幾分かでも落ち着かせることだ。


「それでも毛布ぐらいは借りられるでしょう。人質だというのなら、彼らにだって大事にする理由はあるわけですから――」


 そのために、ナルシスは対症療法を考えた。寒いという身体症状に寄り添うことにした――実際、体を温めるのは不安に効くのだと何かで読んだ記憶がある。本当かどうかは分からないが。


「とにかく、声を掛けてみます。だから、少し――」


「――おい」しかし、ナルシスの視界ににゅっと銃口が割り込んできた。「何を話している。静かにしろ」


 テロリストに聞きつけられたのである。座っている彼らを気だるそうに見下ろして、スリングで吊ったライフルをぶらぶらと揺らしていた。


「……」ナルシスはそこに感じた一瞬の反感を何とか飲み込んだ。「一枚毛布を頂きたい。空調のせいか、彼女は寒がっていてね。そのぐらいの自由は許されているのではないかな?」


「駄目に決まっているでしょう。そのぐらい我慢しなさい。殺されたくなければ」


 するとその銃口は、踵を返したテロリストの動きに従ってナルシスの額を強かに引っかけた。先端に乗っかった重量はそれなりのものであったから、彼は思わず仰け反って後ろに倒れるところだった。


「ナルシスさんッ」エーコが悲痛な声を上げた。「大丈夫ですか?」


「ええ……殴られたり撃たれたりしたわけではないです。この程度はかすり傷ですよ、シャルロッテさん」


 とはいうものの、ナルシスはじんじんと痛む額にそれこそかすり傷がついていないことを祈った。美といえば何を差し置いても美貌である。その生来の美しさが失われるのは我慢ならないのがナルシスという人間だった。


 が、彼が考えるべきは他にあった。のだが。


「……シャルロッテ?」踵を返したテロリストがぴたりと足を止めた。「待て、君ッ」


 それどころか、もう一度切り返して戻ってくる。ずかずかという足音と共に彼らの真正面まで来ると、エーコの胸倉を掴んで持ち上げた。


「ヒッ……」


「何をするッ」


「何かしているのはこの女の方でしょう。君、名前はなんていうの? え?」


 自分が迂闊だった、とナルシスはすぐに理解した。今ここでの彼女は咄嗟に出たシャルロッテなどという人間ではない。名簿上は、ミハル、とかいったか。目の前にいるこのテロリストは、その名簿を記憶していたに違いない。だから反応された。


「ッ……!」ナルシスは咄嗟に口を挟んだ。「その人を離してやってくれ。彼女は……」


「男の方は黙っていなさい。私はこの女の方に聞いているのです。で、どうなのかしら?」


「やめろ、怯えているだろう」


「怯えていたら、名前も言えなくなるの?」


「……! それは……」


「大体君たちは全員怪しい、行方不明の一人も君たちの連れだって話じゃないですか。誰なんです君たちは」


 ――どうする?


 身から出た錆だ。拭ってみせるのが自分の役目というものだろう。考えろ。何か、名前を誤魔化す方法は? シャルロッテ……駄目だ、何かと聞き間違えるような名前じゃない。だとすれば、名前であるけれど名前でない――


「彼女は、」閃き。しかしそれはシャルルのものだった。「そういうハンドルネームを使っているんだ」


「は? ハンドルネーム?」


「ああそうだ。僕たちはSNSで知り合って、それでここに来た。彼女はシャルロッテ。僕がエーカー。彼がリベルタスで、ここにいないもう一人がサクラだ。本名は知らなかった。いつもハンドルネームで呼び合っていたから」


「そんな話、信じられるものか」


「なら、確かめてみるか?」ナルシスは、援護射撃をしてやった。「国民携帯端末を見れば分かる話だ。尤も、それができないほど君たちが壊してしまってなければだがね」


 実際には、それはもう粉々に破壊されてしまっているから、確認のしようがない。すぐにそれを悟ったテロリストは舌打ちを一つして、エーコを床に下ろした。


「調子に乗る。もし人質を殺していいと言われたら、アナタはその列の先頭だ。覚悟しておくように」


 それから、テロリストはやはり定位置へついた。部屋の隅の方だ。距離があるので、突然立ち上がって襲いに行っても、その前に蜂の巣になるという寸法だ。


「助かった」ナルシスは、それを見届けてから、シャルルに耳打ちをした。「ありがとう」


「いや別に、大したことはしていない――君がもう一つ偽名を使った瞬間から思いついていたことだ……それより今は時間を稼ぐんだ。従順に振舞って、それでいて情報を得る。そうやって国民団結局が来てくれるのを待つんだ」


「分かっている。銃声だって聞こえたんだから」


 シャルルの言葉の真意というのは、要するにあまり挑発的なことは言ってくれるなということだった。確かに、最後の一言は軽率に過ぎた。あの場で相手の機嫌を損ねれば、銃殺だってあり得るのである。


 何にしても、状況は変わっていない――エーコは震えたまま、それどころかその度合いを強めてすらいて、早くしなければ、より悪化していくことだろう。


 何とか、打開しなければならない。


 そのためにも、まずは――


「おい、」ナルシスは先ほどのテロリストの方を見て、言った。「そこの、さっきの人」


「……今度は何。口の利き方には、」


「催した。連れていけ」


「人の話が聞けないのか?」


「だ・か・ら、お手洗いだよ……君の話など聞いている場合ではない」


 状況偵察だ――窓もない部屋では、銃声ぐらいの大きい音でなければ、何も窺い知ることができない。廊下でも似たり寄ったりで、恐らくそれほど大したことは分からないだろうが、廊下にある窓の外ぐらいは遠目に見れるはずだ。


 それに、最悪、「異能」を使って抜け出すという手もある――いくら何でも排泄するときぐらいは手の拘束を解いてくれるだろうから、そうして個室から這い出せばいい。少々美学に反するが。


 あとは、まあ単純に、本当に催していたというのも、ある。


 するとテロリストは、そこでとても大きな溜息を吐いた――深く、遠く――肺活量を全て使い切ったかのようなそれが済んだとき、彼女は隣のいかにも下っ端らしい仲間を呼び寄せて、ナルシスを指さすとドアの向こうへやれとジェスチャーした。下っ端は嫌そうな顔を一瞬見せたが、こちらも溜息を吐いて、ついて来いと指で示した。


 そうして、彼は宴会場の外に出た。


 そして、今まで味わったことのない恐怖と対面するのである。

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