第35話 犯行声明
「周辺の通行規制完了。以降指揮は第三群第四団長に一任する」
「第四群の主席職員が狙撃された⁉ 斥候中に⁉ ……後送する⁉ 馬鹿言うな、救護態勢はまだ……!」
「報道陣? 一人たりとも入れさせるな! 布陣が丸見えになる!」
周辺の別のホテルを接収して設置された国民団結局の臨時司令部は混乱の最中にあった。
事件発生から数時間。
ホテルからの通報ですぐに事態は発覚した。新たな宿泊客を案内しようとした係員と客が襲われたのである。居合わせた護衛隊はすぐさま初期行動に移ったものの、銃撃戦になり敗北。負傷者を出して撤退することになった。
その報告を受け、現場がよく見えるこの位置に司令部を設け、最先任の群主席職員を総司令官としたのはいいものの、この手の立てこもり事件が最後に起きたのは「大反動」末期の抵抗以来である。
つまるところノウハウが失われつつあった――ホテル側が補償を求めてきたことも、足を引っ張った。それが可能かどうかチュウキョウ地方管区司令部に確認する必要があったのだ。おかげで初動の貴重な時間は大きく損なわれた。
「民間の皆さんは呑気で困る……ま、それはそれで大事なのだろうが、こちらも一大事なのだがね」
総司令官は制帽を深く被り直す。責任は重大だ。よりにもよってあのホテルには「内閣」家の令息と令嬢が一人ずついる。何としても救出しなければならない。
「しかし、どこで情報が漏れたのか……よりにもよって警備がついていけないタイミングで……」
「それは気にしてもしょうがない――と言いたいところだが、おかげでどこまで部下を信用していいものか分からん。相手がどの程度情報を握っているか分からん以上、迂闊に伝達すればどこかで漏れるやもしれん。自由恋愛主義者共もよくやる……!」
それが人種や体格といった表面的なものから来るものではないが故に、組織から締め出すことは困難だ。思想というものは、隠そうと思えばいくらでも隠せてしまう。心理テストでもある種の「正解」が設けられているものならば、人はそれを容易に選べてしまう。
実際、内部の「ネズミ狩り」に引っかかった職員の大半は自由恋愛主義者であった。彼らも思想テストをパスしその上から思想教育を受けたはずなのに、サン・マルクスとかいう男に簡単に騙されてしまったわけだ――そして、情報を漏らしたことを漏らすまで、こちらを騙せていたわけだ。
……閑話休題。そんなことは今重要ではない。まずは情報収集とこの混乱をどうにかしなければ。
「総司令官殿」そこに、副官が戻ってきた。「『共和国前衛隊』の連絡職員が到着しました」
「連絡職員?」思わず、司令官は聞き返す。「聞いていないぞ」
「フジ演習場から到着したようです。本部が気を利かせて派遣してくれたのでは?」
「馬鹿言え、『共和国前衛隊』ったら行政区直轄の独立組織だろう。事態をどっかから聞きつけてきたに決まっている。厄介になったぞ、これは」
「どうします」
「仕方あるまい。通せ」
「は」
それからすぐに案内されてきたのは、細身の若い三中職だった。きびきびとした動作で一礼すると、すぐに名乗った。
「イカロス・ポンペイア三中職であります。『共和国前衛隊』第一群主席職員ミンダ・ノー一中職の命で参りました」
「ミックスス・アラダ一中職だ。本件の総司令官を任ぜられているが……しかし『共和国前衛隊』の出番があるかどうかは不明だ。現在情報収集中でな。まだ犯行声明もない」
「……犯行声明をお待ちになるのですか?」
「交渉の余地があるかもしれん。既に負傷者が数名出ている。これ以上の強硬策は危険すぎる」
その言葉に、イカロスは眉を顰めた。少し離れたミックススに一歩近づいて、素早く言葉を浴びせた。
「失礼ながら申し上げます。早期の突入を行うべきです。今なら敵の防護体制も万全ではないでしょう。バリケードなどを設置される前に攻撃するべきでは」
「どの突入口から攻撃をするべきかという問題があるだろう。それに、今はヤタノカガミ館だけの問題だが、攻撃することで他の館への二次被害を生む可能性もある。今は攻撃を控えるべきだ」
「しかし、時間が経てばそれだけ防御施設が設営されるでしょう。じきにどの方面から攻撃をかけても被害を生むだけに終わりますよ」
「君は連絡職員だろう。指揮官ではない。その立場になってからものを言いたまえ」
ぎり、とイカロスは歯噛みをした。冗談ではない。グズグズしていれば、人質がどうなるか分かったものではないのだ。
ましてあのホテルには、ナルシスがいる――この世に残るたった一人の肉親を、見捨てることなどできない。
だというのに目の前の指揮官は慎重策を選ぶというのだ。状況が悪化するかもしれないというのに。
(……いけない)イカロスは、指揮官の後ろで首を横に振った。(任務に私情を挟むな。家族であろうとなかろうと、救わなければならないという点では一緒なのだ)
冷静であらねばならない。
冷徹であらねばならない。
冷酷であらねばならない。
それこそが「共和国前衛隊」を彼らたらしめるものである。仮に家族と他人とを並べてどちらしか救えない状況であったとしても、どちらをも救うのが彼らである。それが精鋭であるということだった。
イカロスがそうしていくらか頭を冷やした、そのときだった。
「総司令官殿!」そのオペレーターの叫びが聞こえたのは。「犯行声明です!」
何、とミックススは身を乗り出した。するとオペレーターは電話の形に手を作ると、それからミックススの近くにある電話機を指さした。そこに繋いだ、ということらしい。彼は乗り出した体を元の位置に戻すと、椅子に座ってその受話器を取った。
『――もしもし』電話の向こうから聞こえた。『聞こえまして?』
「聞こえる。こちらは国民団結局チュウキョウ地方管区第一群主席職員ミックスス・アラダ一中職だ。本件の総司令官である」
「そうですか。こちらは愚恋隊。頭領のオウカ・アキツシマと申します。以後お見知りおきを」
愚恋隊、という言葉によって部下の間に走った動揺を、ミックススは視線で制する。そんなことで狼狽えている暇はないのだ。
「愚恋隊か。当の昔に壊滅したものと思っていたが、生きていたのかね」
「アナタ方が無能だったおかげですわ。感謝いたします」
「どうかな。鼬の最後っ屁という言葉があるように、屁の突っ張りという言葉もある。断末魔を上げるのはどちらかな」
「窮鼠猫を噛むともいうでしょう。そのぐらいの自覚はございます。アナタ方のように驕り高ぶった官憲とは違って謙虚でありたいものです」
「謙虚? 何を場違いなことを。検挙されるのはそちらだ。既に君たちは包囲されている。狙撃するぐらいだ、状況は把握しているだろう。既に三方に我らが武装職員は展開し、背後には湖。逃げ場はない」
「ええ、把握していますとも。そうでありながらアナタ方にはこちらに対して打つ手がないということを。こちらには人質がおります」
「その程度の安い恫喝しか打つ手がないとは。聞きしに勝るな、愚恋隊の愚劣さは」
「ならば、今すぐにでも一人殺して差し上げましょうか。それとも耳でも送りつけましょうか? ……アナタ方に彼らを見捨てることはできないということを、我々は知っています」
「…………」まさか、気づいている? あの存在に?「どういう意味かな?」
「お聞きの通りのままですわ? それとも、国語の授業でも致しましょうか? お手元に辞書もないようですので」
上手くはぐらかされた……のだろうか? ミックススは電話口で冷や汗を掻く。「内閣」家の令息たちがいるのは確かなのだ。気づいているのか? ……いや、気づいていたとしても、口には出すまい。それは切り札だ。いざというときまで手札の中にあることを隠しておきたいに違いない。
いずれにしても、こちらがどう考えているかを悟られることは避けたい――仮に知らなかった場合、存在を仄めかすだけでも危険だ。ここまでコンマ一秒といったところ。ミックススは間髪入れずに返答した。
「いや、残念だがお断りする。君たちに教えてほしいのは言葉の意味ではなく、今君たちがしている行動の意味だ。私には自殺も同然に思えるが、君たちなりに意味があってそうしているのだろうと推量する」
「歪んだ体制の下での緩慢な自殺を選んでいるアナタ方に、正当なる欲求に従う我々からの要求をお伝えします。今より七二時間以内に一〇億クレディを後ほど指定する口座に送金なさい――それと、ここからの脱出の保証。ああもちろん追跡されないことが前提ですわ。それぞれ用意なさい。」
「それがなされない場合は」
「そんな悍ましいことを、アナタ方はしないでしょう」
――言い方を変えれば、悍ましいことになる、ということか。
人質を殺すのだろう。殺すまで行かなくても、虐待はされるだろう。命あっての物種とは言うが、命だけあってもそれは彼らの役目からすれば職務放棄に他ならない。いずれにしても困るのだ。
「それは君の態度次第だと言っておく。何しろ君はまだそれがなされた場合にもたらされるこちらの利益について触れていない。それでは一方的だ」
「口に出す必要が? 無粋にもほどがある」
「あるとも。何故なら――」
ガチャリ。
電話は切られ、無機質な電子音が耳朶を打つ。もしもし、と何度か言ってみるも、それが無駄なことは自分がよく分かっていた。受話器を置き、背もたれに寄りかかる。
「それで、」それから舌打ち混じりにオペレーターに怒鳴る。「今のはどこからかかってきた? 逆探知ぐらいはしていたんだろう⁉」
「ヤタノカガミ館からです。番号は共通番号と違いますから、直通であると考えられます」
「相手はそれぐらいは織り込み済みだろうな。本部に掛け合って愚恋隊関係の情報を掻き集めろ。分かっていることは連中のほくろの数だろうが調べ上げるんだ。それと――」
ミックススはそこで振り返ってイカロスを指さした。
「――『共和国前衛隊』。アナタたちにはまだ演習場で待機していただきたい」
「何故です。せめて前線に展開して、」
「まだ敵を刺激したくない――まして切り札となる練度なら尚更そうだ。そう伝えていただく」
「……了解しました」
イカロスは、一礼して近くのオペレーターに通信機を借りた。電話で演習場を呼び出すよりも、車両で向かう準備をしているはずの主席職員へ直接連絡した方が早いと思ったのだ。
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