第25話 エピローグ、あるいは
ナルシスはやはり定刻通りに起床した。鳴る前にアラームを解除し、一つ伸びをする――それから全身の服を下着も脱ぎ捨て、姿見――買い替えた――の前に立つ。
(ああ――)そして、いつも通り、それを確認する。(やはり、僕は美しい)
ナルシスは自らの両頬へ手をやる、奇跡的に骨や歯に異常はなかった。数日で腫れが引き、今では以前よりも輝きが増したように見える。ポージングをいくつかとり、それが錯覚などではないことを確かめる。
「ナルシス、起きているんだろ?」イカロスの声が、ドアの向こうからした。「早くしないと遅刻するぞ」
「了解したよ、兄上、着替えたら下に降りる」
それから五分で着替えを済ませ、ナルシスはリビングへ降りた。朝食はスクランブルエッグ。大好物であった。
「それにしても災難だったな、ナルシス。すまなかった」
開口一番に頭を下げるイカロスに、ナルシスは手を横に振った。
「別に、兄上が何かしたわけではないだろう? ずっと謝り通しじゃないか」
「だが、『共和国前衛隊』の一員として、頭を下げずにはいられない――まさか長官がこのようなことをするとは」
ナルシスは、一応無罪放免とされた。
正確には、証拠不十分による不起訴、という形を取っている。今あるものは虚偽の違法捜査による……ということにしたのだ。
だが、その背後に何がいるかを、ナルシスは知っている。それが彼の表情を曇らせるのだった。
「…………」
「どうした、ナルシス、まだ具合が悪いのか。休むか、学校――」
「いや、大丈夫――それより、兄上は、結局、どうなったんだっけ?」
「どうなったって?」
「ほら、一応前の長官殿には可愛がられたわけだろう? それで人事とかは――」
ああ、とイカロスは後頭部を掻いた。どこかバツが悪そうに。
「流石に、一中職のまま、というわけにはいかなくてね――三中職に降格になったよ。とはいえ前から二段階上だから、それ相応に給料も上がるがね」
「……大学には、」
「まだ少し足らないかな――一中職だったときのままだったら、それも可能だったのだろうけど」
――都合よくは、いかないものだな。
ナルシスは口の中で卵と言葉をごちゃ混ぜにして噛み砕くと、それを飲み込んだ。それからトーストも平らげて、彼は家を出た。
そして、歩くこと数分――タカタノババ駅の近くで、彼女と合流する。
「よう」
「やあ。壮健そうで何よりだ」
スズナである――彼女はまだ包帯やガーゼにまみれていたが、制服を着て不機嫌そうに彼を待っていた。彼と同様、証拠不十分ということで解放されたのだ。
「どこがだ。誰のせいだと思っているんだ」
「助け出してやっただろう。それで貸し借りはなしだ」
「あれのどこが助け出してやったなのかね。シャルル様に助けてもらっていたじゃないか。アレだけ嫌ってた癖して最後は頼るのかよ」
「そう言うな。アレでも最後の保険のつもりだったし、ああまで効果的とは考えなかった。それに、ああまですぐ動いてくれるとはな」
ナルシスが電話をかけてからシャルルが到着するまで、二四時間経っていない。どころか、その日の夕方にはもう到着していたのだ。全て終わってからそのスピードを知って、ナルシスは流石に驚いた。
「ふん、お前みたいなのでも、案外大切に思ってくださっているようだな。お優しいことだ」
「ああ、だが、アレは諸刃の剣だ。頼るのは今回ばかりにしたい――しなければならない」
そうしなければならない。ナルシスたちの望む社会というのは、「内閣」家の人間が、そういう権能を自由自在気まま勝手に使えず、「市民」とのバランスの中にそれが置かれている社会なのだ。
だから、やり方は変えねばならない――「内閣」家の力を頼ったやり方では、「内閣」家の力によって覆される可能性があるからだ。
「ああ、そうだな」スズナは、頷いてから、言った。「――それで、例の件だが」
「復帰の件か。どうなった」
「何とかなりそうだ――一応、お前も体を張ったということでな。シャルル様を引き寄せたのも、お前の人脈の為せる業ということで手を打たせた」
「とはいえ、前のように派手には動けんのだろうな――金も人も足らないのが現状だ」
「その通り。どうするんだこれから。何か案はあるのか?」
「案は――」
ナルシスは、顎に手をやって考えるような素振りをした。そうして十秒。それから答えた。
「ない」
「おい」
「ゲリラ戦にしても手の内は読まれ尽くしているしな。しばらくは動画でも出してほとぼりが冷めるのを待つしかない。潜在的な支持者はまだいるはずだ――それがもう一度膨らむのを待つ」
「……さいでっか」
「どちらにせよ、もう逮捕されるのは避けねばならない――もう一度は本当に言い訳が利かないからな。そういうわけだルーヴェスシュタット君。これからもよろしく」
そう言ってナルシスは横にいる彼女に手を差し出す。握手のそれだというのは見れば分かる。が、彼女は溜息を吐いた。
「スズナだ」
「何?」
「スズナでいい――そう言った。ルーヴェスシュタットって名前だと、三回に一回は噛むだろ」
「そうかい。ではスズナ。よろしく頼む」
そう言って、今度こそ足を止め、正面から、彼は手を差し出した。身長の高い彼女からは、彼を見下ろす格好になる。頭の上から見ると、思ったより整った外見をしていることに彼女は気づいた。
気づいて、その頭に、スズナは、拳骨を落とした。
ごチン!
「な」グラウンド・ゼロを押さえて、ナルシスはしゃがみ込む。「何をする⁉」
「悪い。やっぱ呼び捨てはなしで頼む。何かムカついた。」
「何かって何だ! もっと他に理由があるだろう⁉」
「何かは何かだ。それ以上口答えするともう一発叩きこむぞ」
そう言って、スズナはナルシスを置いて歩き出す。そうされたのでは、彼も溜息を吐かざるを得ず、それから立ち上がって、走って追いつく。
その頭上を鳥が飛んでいく。その翼を日が照らす。それがじりじりと焼くほどに強まれば、夏が来るのだろう。
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