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第20話 破滅

 アジトには、沈黙だけがあった。時折、這う這うの体で逃げてきた党員がドアを開けて入ってくるその音と息切れの声ぐらいが刺激物であった。


 敗北。


 それは誰の目に見ても明らかであった。その重苦しさが、現実にはそれとなって表れたのだ。


「Aの連中、」その沈黙を破るようにアリグザンダーが言った。「遅ぇな」


 ぴく、とナルシスは反応する。他のチームは、八割程度は帰ってきていて、そうでないメンバーも何らかの方法で連絡がついている――なのに、チームAは全員が未帰還である。何もないはずがない――それは分かっている。


「真っ先に報告が上がったのも、チームAからでしたからね。敵主力が向かったとみるべきでしょう――」そこでキーンは眼鏡を掛け直した。「何もないといいのですが」


「は! あるはずがねえ。お嬢のいるチームだ。ちょっとばかし、敵を振り切るのに時間がかかっているだけで、もう向かってきている頃合いだろうよ」


「でしょうね、お嬢のことだ。立派に殿を務めて帰ってくることでしょう」


 それは、楽観的なものの見方というものだ。だが、そうでもしなければ耐えられないのだろう――とナルシスには理解できていた。


 もし全員捕まっていたら?


 もし全員が拷問を受けたら?


 もし全員が情報を全て吐いてしまったならば――それは、初恋革命党が一網打尽にされることを意味していた。どれほど機密情報を物理破壊したところで意味はない。名前レベルでも大体の行動範囲から絞りこまれてしまう。


 そして何より、それをもたらした張本人――それに対するバッシングは、免れない。


 それがまだ起こらないでいるのは、単に結果が確定していないからだ。


「ただ今、」が、それはついにやってくる、月曜日のように。「到着しました!」


 チームAが来た――そのニュースで、皆が顔を上げ、立ち上がった。ぞろぞろと入ってくる面々を、抱き締めるように各自が出迎える。だがナルシスはその一人一人の顔を見て、誰なのか数えなければ、正気が保てそうになかった。


 しかし、それはカッターナイフの刀身を見なければという強迫観念に駆られた自殺志願者のようなものだ。破滅はすぐにやってくる。そうナルシスはどこかで予感していた。


「お嬢は、」アリグザンダーが気づいてしまった。「どこだ?」


 が、それはナルシスが考えていたよりずっと大きな衝撃を以て訪れた。彼は思わず、顔を上げる。馬鹿な、あの女が捕らえられた? あれだけの馬鹿力がありながら?


 あり得ない。いくら銃相手でも、逃げるぐらいできるはずだ。


「自分です!」だがそのときチームAの一人が、声を上げた。「自分が転んで逃げ遅れて、スズナ様が助けてくださったんです! それで、身代わりになって……」


 それきり、いかにも神経の細そうな彼女はわっと泣き出した。周りのメンバーは庇うように彼女の傍に寄って、その背を擦る。なるほど、あの女は男より男らしいところがある。殿を務めるだろうと皆から思われていたぐらいだ。誰かを庇うことぐらい、あるだろう。


「――だが、馬鹿だ」


 思わず、言葉が口を衝いて出た。彼女は自分の立場の重要性を分かっていない。彼女は今やただの幹部ではない。全チームの編成や派閥のすり合わせ。そういった調整弁としての役割があった。そうでなければこうまでナルシスの意向を伝達することなどできるものか。


 その癖にあっさり捕まった。


 ただの下っ端を助けるためだけに、命を懸けた。


 そんなものに、何の価値がある――


(いや、それは違う)と、そこまで考えて、ナルシスは否定した。(全ての党員は平等に価値がある。そうでなければ僕たちの戦いというのは矛盾する)


 序列はあっても優劣はない。


 役職はあっても階級はない。


 それこそが、初恋革命党の理念であるからには――スズナの行為は責めることはできない、のだ。ナルシスは一瞬でも間違えた自分を恥じた。


 が、そのとき、そのせいでナルシスは、気づくのが遅れた。


 妙に静かになったのを、彼の耳朶は感じ取っていたのだが、それが脳に伝達されなかった。


 そして、その性質を分析するのが遅れた。


 そこには――明確な、敵意があったのだが。


「テメェ、今、」アリグザンダーが近づいてくる。「何つった」


 その瞬間、ようやくナルシスは自分がさっき言葉を発したことに気がついた。スズナを馬鹿だと評してしまった。


「ち、違……今のは」


「何も違わねぇだろ。テメェは今、お嬢のことを馬鹿だと言った。なるほどな、テメェからすれば下っ端を幹部が守るのは馬鹿らしいことに思えるのかもしれねぇ。だがそれがそもそも誰のせいでそうなったのか、テメェは覚えてねぇのか、アァ⁉」


 がん、と近くのものが蹴り飛ばされた。ナルシスは席を立ち距離を取る。周囲の人間は、それが汚らわしいもののような視線を送った。


「これはテメェの作戦だったよな⁉ テメェの言うことを聞いて、テメェの責任で始めた喧嘩だろうが! 成功すればテメェの手柄だろうが、なら失敗すればテメェがケツを拭かなきゃならねぇはずだろうが! それを何だテメェは、他人をそうやって見下した面しやがって!」


「重装備を全て放棄してしまったこともです。あれが一体どれだけの費用を以て整えられたものか分かっていますか? 全員の党員費が全くの無駄になったのですよッ? その埋め合わせを、どう取るつもりなのか⁉」


 そうだ、とヤジが飛ぶ。ナルシスはまるで釘付けになってしまって、動けない。口すら、縫い合わせられたようだった。頭は回転しているのだが、そこから体に繋がるギアが切り離されている。膜がかかって、何も動かせない。


 が、それは最も取ってはならない態度だった。そのことに気づくのすら、キーンやアリグザンダーの表情が冷徹なものになっていくまで遅れた。


「――もう殺しましょう」キーンは、冷然と言った。「この男には、最早リーダーとしての資質は存在しない。かと言って追放するには全てを知っている。多少リスクを取ったとしても、殺すしかない」


「ま、待て!」流石に、ナルシスも口を挟んだ。「辞任する! 君たちの活動については、一切口外をしない! 約束する!」


「どうだかな、自分の命可愛さにそういうことを言うんだろう。現に、自分が殺されるとなったら、急にお喋りになったようじゃないか⁉」


「それは……!」


 違う。


 そう言ったところで何となる?


 口数が増えたのはその通りだ。それが当初の衝撃から回復した故だろうが、命乞いだけは必死になるが故なのか、それは彼らに関係ないことなのだ。重要なのはどう見えるか――その点において、今のナルシスは何も有利となるものを持っていなかった。


「黙るってことは」しかし、もっとマズかったのは、反論できなかったことだ――と、ナルシスはそれからようやく理解した。「そういうことだよなァ?」


 視線が集中する。殺意が集約されていく。全員が集合して、ナルシスを取り囲む。アリグザンダーが拳銃を抜いた。完全な包囲、ナルシスの能力を使わせないためだろう。このまま掴まれれば、逃げ場はない。が、既に退路はなくなった――否。


 そんなことはない。


 背後――場合によっては貫通する銃弾を避けるために、人が避けたはず。振り返っている暇はない。


「死ね」


 今――!


 ナルシスは確認もせずに能力を発動させた。最大強度で繰り出すそれは、全く彼の存在を消し去ってしまう。咄嗟にアリグザンダーは手を伸ばしたが、そこに感触は全くない。視線の先には壁がある――そこには人がいない。


「ッ、」キーンはカラクリにすぐ気づいた。「奴が逃げます! 塞げ!」


 すぐさま、全てのメンバーが、数十名の男女が薄汚いその部屋を閉鎖しにかかる。ドアも窓も、出入口になりそうな場所には全て前に人を立たせた。いくら透明人間でも、密室から逃げ出すことはできないはずだ。壁抜けができる能力でないのは、今までの傾向から分かっている――あとは、相手が焦ってミスをするのを待つ。


「……?」


 が、そのとき違和感を覚えたのはアリグザンダーだった。何かがおかしい。今見ている光景は、理想的なはずなのに。


 理想的すぎるほどに――多い。


 一人、多い。


「ソイツだ! 捕まえろ!」


 アリグザンダーがそう叫んだときには、()()()()()()()()その男は背後の窓から逃げ出していた。咄嗟に彼は窓から覗き込むが、既に跡形もない。強いて言えば植木が踏みつけられているぐらいのものだが、それは存在でなく痕跡に過ぎない。


「――クソッ」


 しかし、そう悪態を吐いたのは、ナルシスだった。彼には分かっていたのだ。こうすることの意味――否、無意味さが。


 あるいは無力さが。


 どんなに遠くまで逃げたところで――彼の革命は、もう、お終いなのだから。


 たった一度の敗北が、全てを破壊した。


 それを、自分がもたらした。


 そして、それはじきに自分をも破壊する。


「うわあああッ――!」


 彼は走りながら、誰にも届かない叫び声を上げる。街灯の下を抜けると、真っ暗闇が広がっている。彼には、もうその光の中にすらいられないような気がした。

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