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第19話 大敗

 日曜日。


 太陽ですら南のバカンスから西へ帰った夕闇の頃。


 ナルシスの姿は車内にあった。


「各チーム、」仮面の下のヘッドセットに、小さく声を向ける。「状況報告」


「チーム(アントン)、準備完了」


「チーム(ベルタ)、全て問題なし」


「チーム(チェーザー)、いつでも」


「チーム(ドーラ)、待ちくたびれたぜ」


 各地に散らばった四チーム。彼らはそれぞれの駅の近くにあるそれなりに高い建物――高すぎると視認できないからだ――の屋上にいた。各地に作った内通者がそれを手引きしたのだ。


 そしてその通信にズレはない。それぞれの中心となる地点を数学的に割り出し、それに最も近いポイントに車を停車させているからだ。そうしなければ、各チームの影武者が同じような動きをすることなど、不可能である。


(とはいえ、これだけの大規模作戦。相当な金を使った。量子通信装備もな……これが失敗したならば、組織の壊滅もあり得る。そうなれば――)


 エーコは永遠に彼の手から離れ。


 それどころか彼は塀の中――それすら楽観的なものの見方というものだ。自由恋愛主義罪の最高刑は死刑となっているのだから。


(いけない)ナルシスは、しかしそこで首を横に振った。(弱気になってしまっては! 私の名前はダイモン・オブ・ソクラテス=サン・マルクス。これから奇跡の立役者となる男――)


 ここまでは計画通り。ならばその通り進んでいけば、充分な成功が見込めるはず。その先には、自由恋愛主義の部分的容認の未来が待っている。


 ナルシスは時計を見る。出発前に時計合わせを終えたそれは、もうすぐ七時半になろうとしていた。その秒針がゆっくりと頂点に迫っていく。五五。五六。五七。五八。五九。零――


「――作戦開始」


 中継映像は、計画通り屋上にライトが灯ったのを映していた。それと同時に、荘厳なファンファーレ。それと共に行進してくるサン・マルクスとその手勢。


『諸君――お待たせしてすまない。しかし私は今ここに!』


『そしてあちらに』


『そしてそちらに』


『そしてこちらに――同時に存在している。全ては諸君の期待に応えるため! 私は偏在している!』


 わあ、と歓声が上がった。指揮車両のスピーカーは音割れせんばかりに打ち震えていた。四か所それぞれに、数えきれないほど多くの人数が集まっているからだ。今までとは比べ物にならない。予告の成果はあった。


「四か所同時だと⁉」そして、その成果は、ここにも。「誤報じゃないのか⁉」


 「共和国前衛隊」の指揮所は大混乱であった。各オペレーターが警戒に放った各潜入チームからの報告を受け、そのどれもが本当らしいと分かって、機能不全に陥ったのだ。


「ということは、どれかが本物で、それ以外が偽物」イカロスは、しかし、冷静だった。「――と考えていいのでしょうか」


 セバスティアーノはちらりと彼の方を見てから頷いた。


「恐らくは、な――普通はそうする」


「普通は、ということは間違った考え方と見るべきですか」


「動きが揃いすぎているのが気になる。ただの時計合わせでは、開始時間は揃えられても演説の動きまでは整えられない。見ろ、現にズレた動きをした者も途中で動きを調整して修正している。どこかに指揮所があるはずだ」


「と、すればサン・マルクスはそこに」


「可能性は高い――各演説地点の中心を割り出せ。恐らくその辺りにいるはずだ。不審な車両を調査させろ」


「各演説隊は」


「無論、検挙だ。全てな――ああそれと」セバスティアーノは片手に紅茶の入ったティーカップを持ちながら、言った。「()()()()()()――言っている意味が分かるな」


「――」にやり、とイカロスは笑った。「は」


(さて)にやり、とナルシスは笑った。(ここまでは想定通り――恐らく群衆の中には捜査員もいるに違いないが、既にこの人波の中で行動不能に陥っているはずだ。演説終了まであと五分。終わり次第装備を回収して離脱――完璧じゃないか!)


 既に十分の演説に成功している。ここまで何も起きないということは、敵は予備隊をどこに配置するか迷った結果どこにも配置できなくなったに違いない。あるいは、もう少し演説が続くと判断したか――いずれにしても、もう全てが遅い。勝利は目の前にある。世界は変わる!


 が、その予感は、興奮は、一瞬で崩れ去る。


 ズドン、という音に、彼の耳朶は撃ち抜かれたからだ。


「な、」モニターから聞こえた、気がした。「に?」


 今のは、銃声だったはずだ。それ以外考えられない。ナルシスは思わずモニターに被り着いた。が、それは群衆の中にいる撮影班のリアルタイム映像。すぐにぐちゃぐちゃとした極彩色に染まって何も分からない。


「各チーム、何が起きている。こちらからでは何も分からない! 今の銃声は――」


「こちらチームA」焦ったナルシスと同じぐらい、その声は焦っていた。「指揮所、聞こえるか⁉」


「チームA、よく聞こえる」


「今、下から銃声が聞こえた。人が倒れている――」


 まるで自分が撃たれたかのように、血の気が引く。どういうことだ? どうして急に発砲したのか? そんな苛烈な手段に打って出れば反発が起きる、そのリスクを背負ってまでそうする根拠は何だ?


「流血は?」はっとして、ナルシスは言った。「流血はしているのか?」


「い、いや――遠くてよく見えないが、恐らくしていない。それよりガスだ! 白い煙を出す弾みたいなのを撃ちだしている! どうしたらいい!」


 ――ゴム弾に催涙ガスか!


 暴徒鎮圧用の装備だ。いきなり流血沙汰にするのには違和感があったが、それならば言い訳が立つ。既に群衆は熱狂状態。道路を踏み潰さんばかりで、実際車道だろうが歩道だろうがお構いなし。それを暴徒と見做せば、事後承諾も可能なのだろう。


 が、それでもこちらからすれば充分すぎるほど強烈なリアクションだ――けっきょくのところ銃を持っていることには変わりがない。噂によれば、ゴム弾は実銃より痛いと聞く。当然のことながら、そんなものに撃たれれば動けなくなる。逮捕される。該当のチームだけを撤退させる? いや、それでは――


「こちらチームB!」焦る思考に、その声はよく効いた。「こちらも下が大変なことになっている!」


「何ッ……⁉」


「チームC! こちらも同様!」


「Dもだ! どうしたらいい⁉」


 ナルシスはそのとき自分の想定があまりに浅かったことを知った。連中は、数はそのまま質を高めたのだ。一人当たりの戦闘力は向上する――当然のことながら、それだけ分散しても能力は維持される。四分割してもそれだけの成果を出すことができる――このように!


「全チームへ通達」ナルシスは、苦虫を噛み潰した。「撤退せよ」


「撤退⁉ 馬鹿言うな! そんなことできるか!」


「気持ちは分かる! だがことここに至っては粘れば粘るほど敗北が破滅的になる!」


「馬鹿、そういう意味じゃねー!」チームBにいるスズナが叫んだ。「下は滅茶苦茶だ。こんな状況で、一体どこをどうやって逃げろって言うんだよ⁉」


 崖が崩れて落ちていく気分だった。そうだ、下には群衆がいる。先ほどまではそれが防壁として機能していた。そして撤退の際には、理路整然と道が開け、各チームは集結地点へ帰還する手筈となっていた。


 が、ことここに至っては、それは不可能である――群衆には意志がない。ただそれぞれに逃げ道を探しているに過ぎない。道を開けろ、などという言葉に従ってくれるはずもない。それが鼓膜に振動として伝わるかどうかすら、怪しい。


「ッ、」ナルシスは手近にあったドアを苦し紛れに叩いた。「全装備投棄! 機密情報は焼却か物理破壊しろ! 覆面も取れ! 最早一分もの勝ち目もない! 群衆に紛れて逃げろ!」


「そんなこと、できるかよ!」


「やるんだ! それしか道はない!」


 道はないとは――何たる無様か!


 ナルシスは頭を掻きむしってどこかに捨ててしまいたい気分であった。あと五分、たった五分が勝敗を分けたわけではない。その程度の改善で勝てる相手ではない。


 相手はこちらの手を読み切っていた。


 予想はしていなくても、すぐに対応して切り返してきた。


 格が違う。今までの指揮官とは速度が違いすぎる。


 仮に五分演説が短かったとして、それで勝てる相手ではない。必ず別の手を用意していて、二手三手先で必ず詰む……!


(認めよう。これは敗北だ。乾坤一擲の作戦が失敗した時点で僕たちは壊滅する。僕に打てる手は一つも残っていない……!)


「ナルシス!」だが、ナルシスには失敗の余韻に浸る暇もなかった。「連中が!」


 何、と見ると、監視員から報告があったのだ。その発見者の位置情報からすれば、こちらを包囲するように動き出していた。


「――総員下車!」


「ナルシス……⁉ しかし、」


「ここに来たということは通信設備ごと車で動いていることは予想されているはずだ。事前想定通り、車は燃やして徒歩で離脱する。君たちも三々五々に脱出しろ……!」


 ナルシスはそう言いながら、ドアを開ける。と同時に能力を展開。その保護の中でマスクを外し、マントを取り払う。それを無造作にカバンに詰めつつ、事前に頭に入れておいた最寄り駅――の二番目の候補まで走る。その背後で車にガソリンを撒く液体音だけが妙に耳にこびりついて離れなかった。

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