第17話 分進合撃
「それにしても、大成功だったな、今回も!」アリグザンダーは帰りの車内でご機嫌であった。「これで何度目だったっけ? えーっと」
キーンが運転席で溜息を漏らす。車はウィンカーを出して右折。大通りに合流する。
「二十三回目です。アナタは数も数えられないのですか」
「せ、正確な回数なんざどうだっていいんだよ。要するに、数えきれないほどの回数、奴ら国民団結局は手出しできなかった、それが重要なんだろうが。なーナルシス?」
そう言って、アリグザンダーは最後部座席から二列目にいるナルシスの頬を突いた。彼は最初は無反応だったが、すぐに手で払った。
「やめろ鬱陶しい。君この間まで敵対していたんじゃなかったか⁉」
「何だよつれねぇ奴。いいじゃねぇかそんなことは。アイツらを振り切って逃げれてるのは、お前の例のインチキのおかげなんだろ? じゃあ立役者じゃねぇか」
「そこまで分かっているなら、尚更やめろ。これ結構繊細な作業なんだ。集中力が必要なんだよ」
「そうなのか? お前の力を使ってこの車ごと透明になるだけだろ?」
「……一度言って記憶できる人間だけではないのは知っているが、君という人間の記憶容量は揮発するのか? それじゃあ他の車から見えなくなって、ぶつかられるだろうが」
「あ、そうか……え? じゃあどうやっているんだ?」
「前にも言ったが、僕の能力は本来『透明になる』ことじゃない――あくまで『僕のことを僕だと認識できなくなる』能力だ。さて、認識できないという事象には、いくらかバリエーションがあるのは分かるな?」
「分からん」
「君の頭脳ではそうだろうな。だが僕の声は聞こえたな? しかし理解はできなかった――それはまるっきり聞こえなかったのと結果的には変わらない。認識できなかった、というわけだ」
「あー……あ?」
「つまり、視覚情報でも同じことが言える。あるシルエットを見て人間だと分かるのと、ある特定個人だと分かるまでの間には、大きな差があるだろう。車もそうだ。自動車がそこにあると認識されるのと、ナンバーや車種まで記憶されるのとでは追跡難易度が全然違う。僕は要するに今の比較の前者の状態にこの車を置くことによって、追跡を撒いているというわけだ」
「んー……なるほど、ちょっとは理解できた」
「……失礼? 少し待ってください」キーンが一瞬振り返って言った。「それ、記憶までの話じゃないですか? 例えばカメラやドライブレコーダーに映った場合、あっさりバレてしまうのでは?」
「それについては大丈夫だ。何度かルーヴェスシュタット君と実験したが――カメラで撮っても写真でも認識阻害はされた。他者を巻き込んだ場合も同様。まあ、調整の必要はあったが――それはもうやっている」
「調整?」
「写真を撮ったのにそこにいる人間が誰なのか分からなかったら、普通に怖いだろう」
なるほど、とキーンは答えながら、車を路地の方へ入れていく。
「もしかして、音声も同じようにできるのですか? 足音を消したというのは記憶にありますが、演説でも同じようにできると?」
「無論だ。動画からの音声照合でもされればかなり怖いからな」
「そう、その動画のことで聞きたかったんだが、」スズナは助手席から振り返って言った。「あんな動画、上げて大丈夫なのかよ? 他の連中にしても……」
あんな動画――というのは、初恋革命党の公式アカウントの動画だ。演説の群衆が撮影した映像とは別に、撮影班を組織し、それを編集して要点をまとめた映像を作ったのだ。それをBRITZUBE――民間の動画配信サイト――にアップしたわけである。
しかしながら、それはある一つの懸念を生む――他媒体と同様に、それらが検閲の対象にならないか、という危惧が、それである。
「アレは」が、ナルシスはたった一言返事をした。「大丈夫だ」
「大丈夫だって……その根拠は。出版もテレビも国の補助金が入っている。そうでなくたってアイツらは検閲をしてくるかもしれないってのに、どうしてBRITZUBEは大丈夫なんだよ」
「補助金の入っていない完全に民営の企業だから――というのもあるが、そういう判例がある。今から一〇七年前の『エリーザ判決』を知らないのか?」
「知らん」
「本当に君たちは自由恋愛主義者か? ……当時の反動事件の際、被告の一人エリーザ・パトリシアンは、BRITZUBEの前身となるサイトに上がっていた動画に影響を受けたと証言した。が、当時の判事はBRITZUBE側に責任を認めず、『共和国』による検閲を認めなかった。捜査権すら。それが根拠だ」
「でも、それは『内閣』家の連中が出した結論だろ? 信用できるのか?」
「できる。法律を司るのはデ・ラ・フスティシア家だ。オブ・プレジデント家ではない――確かに落ち目だが、それ故オブ・プレジデント家の政府には抵抗するだろう」
「アイツら同士の力関係を利用するのか……」
「使えるものは何でも使うさ。でなければ勝ちようがない。勝ち続けているが僕らは未だに劣勢なんだ」
沈黙が車内を支配する。支持者も仲間も増えたが、それは三千万分のいくつかに過ぎない。まだ人口に膾炙しているとは言えないし、勢力圏は首都圏に留まる。もちろん動画サイトにアップした以上、それに感化される人間はいるだろうが――それに対してアプローチできるほどの勢力は持っていないのが現状だ。
「が」その沈黙を破ったのは、やはりナルシスだった。「何も考えていないわけではない――三千万の内の多くはこのトウキョウ、あるいはその周辺に暮らしている。『内閣』家のお偉方にしてもだ。そして注目は今僕たちに集まっている――そこに一匙の奇跡を注ぎ込めば、世界を変え得るかもしれない」
「奇跡――どうやって」
「ゲリラ戦を止める」ナルシスは一瞬間を作った。「場所を予告し真正面から堂々、演説を打ってやる」
「な……」スズナは絶句した。「逮捕されるぞ」
今までどうにか逃げることができたのは、ナルシスの例の能力もあるが、場所を不定とした上で周辺に監視網を作ってそれらに敵の増援が引っかかるや否や逃げ出していたからだ。そうすることで、どうにか退避が間に合っていたわけだ。
が、予告したのでは、反対に相手が監視網を張ることだろう。ナルシスの能力がどれほど強力であるにせよ、検問や職務質問には無力だ。
が、ナルシスはまたも平然と答えた。
「そうならない方策は考えてある。まず予告する会場は四か所。その内のどれかとする。すると国民団結局の考える方策は大凡二つ――一つは四か所全てで待ち構えること。だがそれは非効率的だし、戦力の分散を招いて、一網打尽にするのが困難になる。まともな司令官なら選ばない手だ」
「では、もう一つは?」キーンが言った。「まともな司令官なら、どうするのです」
「もう一つは――四か所全てに警戒部隊を置き、有力な実働部隊を手元に置く。そうすれば時間内に到着できるかどうかというリスクは伴うが、実際に演説が起きている地点で数的優位を確実に確保できる」
「……えっと、俺たち、それじゃあ負けるんじゃねえのか」
アリグザンダーはいかにも不安げに言った。意外と慎重派なのだこの男は、とナルシスは最近知ったばかりだった。
「そうだ。普通は勝ち目がない。敵はこちらを見識のない人間と思い込む」にやり、と彼は笑う。「――あるいはそう見せかける」
「見せかける、ってことは」
「さっきまでのは全て忘れろ。ああいや、忘れられちゃ困る。この車に乗っているレベルの幹部クラス以外のメンバーには、今の内容で伝達する。敵を欺くにはまず味方から、だ」
だから真の計画を知っているのはスズナ、キーン、アリグザンダー。そして同乗する数名の幹部。
その全貌を、ナルシスは口に出した。
「演説を行うのは四か所だ」
「……は?」
「そしてその四か所全てで演説する」
「……は⁉」
瞬間、広がる動揺。そんなことがあり得るのか? キーンですら、それにハンドルを取られた。すぐに立て直し、元の道へ戻る。
「お、お前、どうやってやるんだ? そんなことは不可能だ」
「だからこそ、意味がある。僕の影武者を用いて演説のフリをさせればいい。音声は録音。僕は中央でその指揮を執る」
「だ、だが、」アリグザンダーは首を傾げた。「それにどんな意味がある? ただでさえ少ないこちらが分散すれば、相手も分散して対処するだけだろ」
彼の懸念は尤もだ。今までの想定は、数的に有利でなくとも不利ではないという前提に成り立っていた。が、四組に別れたのでは、それは崩れる。敵は意気揚々と一塊から分散配置を取り、一網打尽にするだろう。
「が、それはあり得ない。」ナルシスには、しかし、そう思えた。「こちらが分散した場合、相手が考えるべきことが変わるからだ」
「何じゃそりゃ、どういう意味だ?」
「一網打尽にするのもそうだが、一番大切なのは僕の逮捕だ――僕、彼らの視点で言えばダイモン・オブ・ソクラテス=サン・マルクスと名乗る仮面の男。弁舌を振るうリーダーがいなくなれば初恋革命党は崩壊するか、せぬまでも衰退する」
「まあ……」確かに、彼が支持者を集め、諸派をまとめているのはその通りだった。「そうですね?」
「とはいえご存じの通り、この僕はその世界一の美貌故にたった一人しかいない。が、司令官の目の前にいるのは四人だ。ということはその内三人は偽者の末端――あるいは、全て偽者か。仮に本物が混じっていても戦力を分ければ逃がす確率は上がる。いずれにしても下手にその全てに戦力を回した結果本物を逃がして無駄足という事態は避けたい。そこには迷いが生じるはず――そこに隙が生まれる。僕らはそれに乗じればいい」
ナルシスは背もたれに全身を預けた。車はようやく目的地のアジトに辿り着いて、停車したからだ。
「ナルシス、それは――」
しかしスズナは、しかし、何かを言いたがった。一瞬今の彼の言葉に引っかかるものがあった。それは直感的なものに過ぎなかったが、致命的なものだという気がした。
「どうした?」ナルシスは、振り返った彼女に言った。「全ては僕の掌の上だ。今まで同様に――何も心配いらない」
ニヤリと笑う、その様子が尚更危険に思えた。自信家なのはいつものことだが、世界一美しいと自負することと国民団結局を敵に回して大立ち回りをやろうというのでは、危険度がまるで違う。
そして違いはもう一つある。
相手がいることだ。自分の思い通りにならないそれが――
「いや、」が、それは論理的な帰結を持たなかった。聞いていた理屈は、非の打ち所もないように思えた。「何でもない。気にするな」
「ならばよろしい。作戦は二週間後の五月第二週。『聖母』週間が明けた最初の日曜日にぶつける。場所はシンジュク、イケブクロ、シブヤ、そしてトウキョウ。ここが正念場だ。国民団結局に一泡吹かせてやろう」
そして彼らは突き進んでいく。
避けることのできない大いなる破滅へ。
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