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第12話 大脱走

「繰り返す――投降せよ。今ならば君たちの血は流されずに済む。家族を思い返してみよ。彼ら彼女らは家で君の帰りを待っているのだぞ?」


 辺りに響き渡る大音声ながら、語りかけるような優しい声色。その場にいた全員の手が止まり、ただ頭上の一点を見つめる。


「……何ィ?」そして国民団結局の職員だけが見る、その男の姿を。「貴様、何者だ?」


 彼は今にも崩れそうな廃ビルの屋上に立っていた。太陽を背にして、丁度その輝きの中心を彼の頭頂部が包み隠す格好だった。まるで旧時代の宗教家が言う「後光が差す」という状態のようにも思えたが、そんなことはないはずだ、神は支持母体である宗教と共に第三次世界大戦で死んで久しいのだから。


「我が名は、」しかしながら、男は人間のようには見えなかった。「ダイモン——ダイモン・オブ・ソクラテス=サン・マルクス」


 端の千切れた外套。まるでその肉体がこの世のものではないことを覆い隠すようにそれは全身を仮初の代物に変えていた。その漆黒の出立ちは闇のものであるようであり、もう一方で日輪の輝きを纏っている。


「オブ・ソクラテス、それにサン・マルクス……だと?」その矛盾に追い立てられるように、職員は聞き返す。「不法侵入のテロリストが『内閣』家気取りか⁉︎ 二つの苗字が許されるなど……!」


「不法侵入?」ダイモンはそのとき、わざと職員の言葉を遮った。「それを言うならば君たちの方こそが違法で不法だ。何故なら君たち国民団結局は『市民』たる我々を真の自由から遠ざけているからだ。しかし今日このときからそれは叶わない。何故なら君たちはここから逃げ去るか——ここで死ぬことになるからだ」


 ダイモン——もとい、ナルシスはそのとき背後のドアからガチャガチャという音を聞いた。時間がない。一応そこらに置いてあった資材を使ってバリケードを作ったが、スズナの怪力を以てすれば砂上の楼閣より脆い代物だ。速やかに計画を実行に移さねば、道半ばでタコ殴りに遭う。


「君たちはその無知故に知らなかったようだが、」だが、焦りは見せない。あくまでも強気に振舞う。「ここは我が居城。故に防衛設備も整っている。分かるか? 全て準備はできているのだ――計一万発分の銃砲弾、一〇〇丁の無反動砲、一〇〇〇丁の機関銃、極めつけは自爆装置! ……君たちがもし愚かにもここに足を踏み入れようというのなら、その全てが君たちを出迎えるだろう。そうして君たちが何もできなくなった頃、我々は堂々と正門から出て行こうではないか」


 ――さあ、食いつけ。エサはバラまいたんだぞ?


 ナルシスは道中に落ちていた布切れを巻きつけただけの外套の中で冷や汗を掻く。やることは決まっている。魅力的な条件で誘引して、慌てて足並みが乱れたところを狙う。革命戦争期を描いた戦記の言葉を借りるならば、「機動反撃」である。しかしそれを実行に移すためには、相手がこちらの動きについてこなければならない。そして冷静な指揮官なら、決してそれに惑わされることはないのだ。

 冷や汗は垂れる。頬から顎を伝って、ようやく――雫になって落ちる。


「くく、く」返答は、大音声の笑い声だった。「はははははははッ!」


 瞬間、ナルシスの足元から何かが砕ける音がした。職員の持っていた拳銃の弾がここまで届いたのだ、と気づいたのは、第二射が頬のすぐそこを掠めて外套を貫いたときだった。


「チッ」


「ダイモン君。私たちには分かってしまったな? 今のは動物の威嚇行動と同じだ。自らを大きく見せ、交戦を避けようとする行動のことだ。つまり君があれほど喧伝した大兵力は最初からこの世に存在していない――全て虚勢に過ぎないということだ!」


 三発目は当たる!


 そう感じたナルシスは翻って外套を投げつけるようにしながら後ろへ飛びのいて伏せた。瞬間、風に揺れて落ちるはずの外套が銃弾に何度も釘付けにされて、銃声が鳴り響き始める。銃撃戦が始まってしまっているのだ。現有戦力での強行突入を指揮官は決意したに違いない。大型のバンタイプの車両を盾にしているのは四名。ショットガンを含む装備からすれば、確かに勝ち目がないわけではない。ここまでは()()()()――しかし戦闘は今すぐに止めなければならない。さもなければ、作戦は立ちどころに失敗する。


「……テメーッ!」そして、こちらの戦いも始まった。「ぶっ殺してやるッ!」


 そのためにナルシスが立ち上がってドアに近づいた瞬間、スズナがラグビー選手のタックルさながらに飛び出してきたのだ。受け身を取る間もなく、右ストレートが顔面に飛ぶ。歯が抜けなかったのは奇跡と言えるほどの衝撃がナルシスの脳を揺すぶって、彼はコンクリートの床の上に叩きつけられる。


「『画竜点睛を欠く』って知ってるか? 前々からテメーの顔面には何かが足らねーと思ってたんだが、額の辺りに脳味噌が入ってるか確認する用の穴が足らなかったらしいな」


 つかつかと近づきながら、スズナは拳銃を抜いた。既に初弾は装填されている。あとは目の前のクズ野郎に向かって銃口を向けて引き金を引くだけなのだろう。マズい。ナルシスははっきりと命の危険を感じていた。


「知らないとでも思っているのか?」しかし、ナルシスはそれでも冷静に答えた。「だがその言葉は今この瞬間の君の考えにこそ適用されるべきだ。真実に最も近づきながらも、あと一歩及んでいない」


「この期に及んで命乞いすらしねーんだな。できねーんだろうから立派だなんて思わねーが」


「ああ、その必要がないからな――何故なら、まだ僕の作戦は進行中だ。まだ指揮権は僕にある。命乞いも遺言もまだ早い」


 ぴく、とスズナの血管が震える音がした。内部からの圧力による振動だということは想像に難くなかった。


「……そういうのを命乞いっつーんだよ。誰がテメーの指示なんざ、」


「口論している暇はない。用心深い君のことだ。既に一階の入り口部分にはバリケードを作っているな? ここまで上がるときに確認した。アレがまだこの世に存在している間に、今ここにいる全ての人員をこの建物の一番広い部屋に集めろ。できれば地上に近いところがいい」


「そんなことに何の意味がある⁉」


「無論、全員で脱出するためだ――一滴の血も流さず、流させずに全てを完結させる。僕にはそれができる」


「根拠もなしに、テメーなァ」


「根拠があれば全滅しても構わないのか? 今は説明している時間はない。実践してみせなければ納得させられるものでもないしな」


 スズナは逡巡した。銃撃の音は聞こえなくなった。代わりに響くのはドアを叩くどんどんという音。既にショットガンで錠前は破壊されたと考えるべきだ。転がっている廃材で作ったバリケードが何秒持つかは分からない。いや、何秒持ったところで相手に援軍が来るまで決戦を避ける効果しかない。だが決戦を避けたところで、こちらは何ら恩恵が得られるわけではない――そのあとは、前述の通り、八方塞がりだ。


「――クソッ」他に手立てはない。溺れる者は藁をもつかむというやつだ。「テメーを信用したわけじゃねーからな!」


 スズナは一撃の下に腰が抜けたナルシスを担ぐと、階段を下りて速やかに計画を実行に移す。


 そして数分後。


 彼らは脱出した。


 誰一人捕まることなく。

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