第11話 ギブ・アンド・テイク
パン、という乾いた音、ではない。
そんなパターン化されたサウンドエフェクトめいた安い代物ではない。くぐもって、どこか遠くまで響いて、腹を強く殴るような力強さ。それがナルシスの記憶の中にある実銃のそれと一致して――しかしながら、何故?
何故、今、銃声が?
「お嬢ォッ――!」
立場の異なる両者が同じ疑問を抱いた瞬間、階段を滑り落ちてくるほどの勢いでアリグザンダーが叫びながら部屋に飛び込んできた。
「アリグザンダー! テメーに舐めろと命令したのは床をであって銃床をじゃねーぞ、何が起きてる⁉」
「お嬢、大変だ、アイツらが……国民団結局が!」
何、とスズナは言い切ることさえできなかった。それが来るであろうことは想定していたが、だとしてあまりに早すぎる。どんなに早くとも、ナルシスが帰ってこないことに気づいた彼の家族が国民団結局に通報してそれから捜査が始まるものであろうと考えていたのだ。彼らの平生の無能さからすれば最初の居場所を特定するまでに一日は要するだろう。
『銃撃犯に告ぐ、投降せよ! こちらは国民団結局である。今投降すれば我々の証言によって減刑される可能性もある! 繰り返す……』
しかし実際には――既に目の前に展開しているというのだ。階段の上から聞こえるそのノイズの入った声は、パトロール・カーの拡声器によるものに違いない。
「馬鹿にしやがって、タイムセールじゃねーんだぞ」
アリグザンダーはどこかズレたツッコミを入れながら、懐からゴツゴツとしたリボルバー拳銃を素早く取り出してその弾倉に弾が入っているのを確かめてから、上に戻ろうとした。
「どうやら、来たようだな。」実際には、その言葉に彼は制されたのだが。「意外と遅かったな」
振り返る、その視線の先にはナルシスが俯いたまま佇んでいる。もちろん、手足を縛られている以上、彼は動けないし、動かない。故に何の脅威にもならない――はずのその姿が、逆に全てを終えたように彼には思えた。
「…………何?」わなわなと震える全身を抑えきれないような格好で、アリグザンダーはスズナを押しのけて近づいてくる。「何つッた、テメェッ!」
その勢いのまま、彼はナルシスの胸倉を掴んで彼が縛り付けられている椅子ごと持ち上げると、ぐんと引き寄せられたナルシスの首は一瞬置いてきぼりになる。が、それはむしろナルシスにアリグザンダーを見下すような格好をさせた。かえって激情が煽られて、アリグザンダーはナルシスの顎に銃を突きつけた。
「アリグザンダー!」
「止めねェでくださいお嬢。コイツが何を言ったかは聞こえていたでしょう⁉ つまりこの状況はコイツが招いたことなんだ……エェッ、そうだろう⁉」
アリグザンダーはナルシスをガクンと揺すぶった。そうしてリボルバー拳銃の冷たさがナルシスの顎から喉にかけて度々恫喝を仕掛けたが、それは彼に何らもの効果をもたらさない。
「おいおい、それはないだろう。僕を気絶させたのは他ならぬ君たちだ。その君たちが、この事態の原因を僕に求めるのかい?」
「隙を突けば、いくらでもやりようはある!」
「便利な言いようだが、それは君たちが目の前にいる人間の動きすらマトモに監視できない間抜けだってことを示しているだけだと思うのだけれど――ああ、尤も、君たちの能力からすればそれほど不思議はない。大方、金がないから盗難車両を使っていて、その偽装も怠っていたから足が着いたってところだろう」
「テメェッ」
「よせ、馬鹿!」スズナはいよいよ彼ら二人の間に割って入った。「ナルシス、テメーもだ。テメーはあくまでも人質だぞ、それを忘れていい気になっているようだが、身の程を弁えろ」
「勘違いしないでほしいのだけれど、」しかしナルシスは言い返した。「この場合、不利なのは君たちだ。いくら君たちが準備万端でも国民団結局の武装職員には敵うまい。そしてそれを目の前のパトロール隊が呼んでいないはずはない……」
「……そんなことは百も承知だ。今更……!」
「時間が敵に回っている以上、」スズナの言葉にやや食い込むようにナルシスは言葉を発した。「ここは僕に頼る他ないだろう、君たちは」
スズナは、首を傾げた。アリグザンダーもだ。
「……意味が分からん。ついに気でもおかしくしたか?」
「言い方が悪かったな、僕ならばこの状況を打破することができる、という意味だ――もう一発も撃つこともなく、撃たせることもなく、な」
銃撃戦はしない。
一滴の血も流さない――ということ。
だがそれは可能なのか?
「ふざけるなよ、テメェ」そんなことはあり得ない。それがアリグザンダーの考えだった。「状況分かってんのか⁉ 目の前には銃で武装したパトロール隊、他三方はビルが建ってて実質壁だ。袋小路なんだよ! ……抜け出すには正面突破しかない。ノンポリのテメェはビビってんだろうが、数はこっちの方が上だ。アイツら全部ぶち殺せば――」
「ぶち殺して?」ナルシスはその言葉に冷たい視線を向けた。「それでその先はどうするおつもりなのかな? 人質を抱えたまま逃亡生活を? それともスポンサーかパトロンの支援を受けてどうにかするのか? 尤も、そんな大層なものとは知り合っていないように見えるが……」
「…………」
「何にせよ国家権力はそれほど甘くはあるまい。歯向かった挙げ句その一部でも傷つけたとあってはそう易々とは追跡を振り切ることは難しいだろう。遺族感情もある。つまり君の案ではここを脱出できたとしても早晩その先で詰むということだ。問題の先送りよりなお悪い」
「じゃあ、他にどうするんだよ⁉」アリグザンダーはスズナはがいなければ今にも襲いかからんばかりの勢いであった。「敵に囲まれていて、時間はなくて、どっちみちやられるってんなら、テメェには考えがあるってのかよ⁉」
「無論だ、が、今はまだ言えない」
「ヘッ、要は口先だけの野郎だってことだろう⁉ ……テメェ如きに構ってる時間はねぇんだ、ぶっ殺して……!」
アリグザンダーは今度こそ銃を向けようとする、その手首をスズナは取り押さえた。
「お嬢ッ」彼はかえって激高した。「何で庇うんです⁉ こんな奴、さっさとやっちまった方がいい!」
「黙れアリグザンダー。確かにコイツの言うことは気に入らねーが……しかし嘘は言ってねー。コイツの言う通り、ここで銃撃戦したところで結局いずれは捕まる。他の方法を考えるしかない」
「でも、だからってコイツを信用するんですか⁉助かりたいから適当言ってるだけじゃないんですか⁉」
「……どうなんだ、」スズナはそのときナルシスに視線を向けた。「テメーは嘘つきじゃあないよな?」
「当たり前だ――銃撃戦に巻き込まれて死ぬのは御免被る」
「だ、そうだ……悪いなアリグザンダー。実際、俺にはコイツがこの状況で嘘をつく度胸のある人間には思えない。尤も、何かを成せるかどうかは話が別だが……時間稼ぎぐらいにはなるだろう。まずコイツに好きにさせて、俺たちはバリケードを作るなり何なりすればいい――アリグザンダー、それでいいだろう?」
名前を呼ばれて、彼は逡巡したようだった――が、すぐに舌打ちをすると上階に戻っていった。状況を説明する役目が彼にはあった。ナルシスはそう理解すると、ちらりとスズナの方を伺った。
「……話はまとまったということでいいんだな?」
「ああ」
「じゃあ、コイツを解いてくれ」
がたがた、とナルシスは手足を動かした。拘束を解け、というのだ。
「何ッ?」当然、スズナは目つきを鋭くした。「テメー正気か?」
「君こそ正気か? 僕にこれ以上手足を縛られたままでいろと? 僕は君がギブアンドテイクの概念を知らないほど野蛮とは思っていなかったのだがね?」
そもそも、この状況から解放されることはギブアンドテイクというより当然の権利と言えるが――とナルシスが続ける前に、スズナは鋭い視線を瞼で一度殺して溜息に変えると、そのエネルギーをどうにかこうにかナルシスの言うことに従うことに使った。そうして手首と足首にかかる圧力が完全に消滅して、それからスズナは立ち上がった。
「おらよ、これで満足か? ……逃げ出せばその背中から撃つぜ。分かってんだろうな?」
「ああ。大丈夫だ」ナルシスは手足をぶらぶらと準備運動させながら立ち上がって、言った。「その辺は対策済みだから」
は、とスズナが言うより早く、ナルシスは、とんだ。
「⁉」
跳んだ――あるいは、飛んだ。
進歩した科学は魔法と見分けがつかないように、高すぎる跳躍は飛翔と見分けがつかない。
まさに軽業師の如く――ナルシスは数歩離れていたスズナを跳び箱に見立てて跳んで見せたのだ、その美しいまでの身体能力を使って。
彼とて身体を鍛えていないわけではない。単に、スズナのようにパワーに特化しているわけではないだけだ。
「テ、テメェッ!」
スズナはすぐさま怒りと共に振り返った。誰だってそうなるしそうする。が、その瞬間彼女を困惑させたのは、ただそうしただけなのに天地がひっくり返ったことにあった。
「⁉」
正確には、そう感じられた。足がもつれ、彼女は途端に重力の僕となった。音がするほど派手に地面を舐めて、視界に星が舞う――その端で、ナルシスは階段を一段飛ばしに上がっていく――それから、足に絡みつく何かしらの感覚によって、ようやく何が起きたのか理解した。
拘束具だ。
ナルシスを拘束していたそれ――が、足に絡まっている。ナルシスはスズナの後ろに回り込んだ僅かな時間にそれを足元へバラまいていたのだ。そうして、思わず振り返った瞬間に、それは彼女の足に絡みついた、というわけだった。
「アリグザンダー、そいつを殺せッ! 奴が逃げたぞッ」
蛇めいてまとわりつくそれを排除しながらスズナは叫ぶ。元々、縛ってあるわけではないのだ。あっさりそれを取り外すと、スズナはナルシスを追跡するように階段を駆け上がった。アリグザンダーには、彼女の声が聞こえているはずだ。最低限、捕らえているであろう。
が、スズナが一階にたどり着いた瞬間、彼女は突然なにかに覆いかぶされた。
「捕まえたッ」
続いて聞こえたのはアリグザンダーの声だった。彼は意気揚々と彼女を階段の下に追い落とそうと力をかけた。さしものスズナといえども重力と安定した足場という助けを得たそれには抗いきれない――わけはなく、あっさり押し返すとアリグザンダーの顔面に一発頭突きを入れると、追撃で頬にパンチも入れた。
「グエッ」
「馬鹿かテメーは!」スズナは、ぐらりと後ろによろめく彼を素早くひっ捕まえた。「捕まえる相手をあべこべにしてんじゃねーぞッ! ヤツはどこに行った⁉ 答えろ!」
「ヤツ? ……あれ? 何でお嬢が?」
「寝ぼけてんのかテメーは⁉ もう一発ぶち込まれてーんならはっきりそう言え……!」
怒りのままにスズナがアリグザンダーを掴み上げると、彼はようやく意識がはっきりしたのか、首を横にぶんぶんと振った。
「ち、違いますおお嬢! 暗がりだったからお嬢じゃなくてヤツだと思ったんで……!」
「あ? ヤツはもう通ってるはずだろうが! ついさっきだぞ⁉ 下手な言い訳するぐれーなら……!」
「待ってくだせえお嬢! 俺は本当に見てねえんだッ! 信じてくれッ!」
——何だァ?
さしものスズナも、殴られたくない一心というには随分必死な彼の様子(この程度の暴力は日常茶飯事だからだ)を見て、本当に彼が見ていないという可能性を考慮せずにはいられなかった。無論、それは論理的ではない。転ばされた瞬間に叫んでいたのだ、ナルシスがその音波より速く走ることができるというのなら別だが、そんなことは人間には不可能であるからには、声を聞きつけたアリグザンダーの目の前をすり抜けるなど不可能――いや。
一瞬、スズナは違和感を覚える。仮に彼が超音速ですり抜けた、としてもそれは矛盾するからだ。ナルシスがアリグザンダーの背後を通り抜けたとして、そこには足音が残るはずだからだ。いくらアリグザンダーがマヌケでも、そこから推定して追いかけるぐらいのことはするはずだ。
それすらないということは――上に行っていないか、いやそれはあり得ないから、もしくは?
もしくは、何だというのだ、あの男は?
「官憲諸氏に告ぐ!」スズナが答えにたどり着くことはない。「投降せよ!」
それより先に、ナルシスが屋上にたどり着いたからだ。
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