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ケープゼレット(Képzelet) ~SF短編小説集~  作者: 劉白雨
2024年5月 : 「記憶の瞳」
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「記憶の瞳」 ~ 弐 : 【前だけを見る】 ~


 コトネ・アイラはベッドの周囲に立つ医師団から、この日の手術について説明を受けていた。10時間以上を予定した大手術である、医師団たちは否が応でも緊張していた。

「先生、本当によろしいんですね。」

 説明を終えた医師団団長のゲイル・コンラットが、アイラに最終確認をした。

「もちろん。あなたたちの腕を信じているわ。」

「信じて貰えるのはありがたいですが、先生を執刀するなんて、緊張で手が震えそうです。」

 ゲイルにとって、高度医療を恩師に執刀する緊張感は、心臓が喉から飛び出しそうなほどであった。

「何を言ってるの。もし失敗したら単位はあげないからね。」

 アイラは彼の緊張を少しでも和らげてやろうと、冗談を言う。

「先生、そ、それは勘弁してください。」

 アイラの言葉を真に受けたようなゲイルの緊張は、アイラの思惑とは反対に、極限に達してしまったようだ。

「ゲイル、あなたなら大丈夫だから、いつもの通りしっかりやりなさい。皆も彼をちゃんとサポートしてね。失敗したら、全員落第ですからね。」

 アイラは次の手段として、他の医師団メンバーも巻き込む。

「先生、もう私たち学生じゃないんですから。ゲイルもしっかりしてよ。でないと先生は本気で私たちを落第させるわよ。」

 横からゲイルと同世代の女性医師が、アイラの言葉を受けてゲイルに活を入れる。

 ゲイルは両手で自分の頬を叩き、気合いを入れ直した。

「わかったよ。では、先生手術を開始しますがよろしいですか。」

「いつでも始めて頂戴。」

「分かりました。では、全身麻酔を掛けますので、横になってリラックスしてください。」

「よろしく頼むわね。」

 アイラは目を閉じて、教え子たちの医師団に身を任せた。


 今回の手術は病理を除くための手術ではない。脳の生体コピー作成と毒に対する免疫機能強化、神経受容体の強化、毒素排除機能の強化などを施すことになっている。

 脳の生体コピーとは、まさに文字通りコピーを取ることで、脳に蓄積された情報を丸ごと、幹細胞から作られた人工脳である生体脳せいたいのうにコピーすることだ。

 コピーと言ってもスキャンしてデータを読み込ませるなんて言う単純な話ではない。神経細胞の活動をマッピングし、データをアルゴリズムにより解析して、さらに神経細胞のシナプシックパターンにあわせて複製し、人工脳に転写していくのだ。かなり複雑で高度な技術が要求される手法である。


 この技術はアイラが独自に確立したものである。

 実験では特にラットを対象に行われ、神経活動の完全なコピーが達成された。これは、記憶と学習能力がラットの生体脳から人工脳へ完全に移行される様子を示し、それによりラットは新しい環境でも以前に学習した迷路を問題なく解決できるようになった。

 この成果は、脳の機能が全てコピーされる可能性を世界に示した。そして、今はサルによる実験がおこなわれており、その確実性を担保している最中であった。人間への適用はこれが初めてであり、いまだ不確実性が残っており、危険性は完全に排除できていないのだ。


 この技術が開発された経緯は、記憶遺産として知識人が登録されるようになったため、その頭脳を後世にも残そうということで始まったプロジェクトの一環として、神経科の権威であるアイラに白羽の矢が立ったのだ。

 人工脳は外部から酸素と栄養を補充する限り半永久的に保存可能で、記憶の劣化は若干見られるものの、常人では到達できない思考回路や思考構造、思考体系をそのまま遺すことが可能となる、画期的技術であるのだ。

 当時アイラの脳コピー技術は理論のみで、実際におこなうことは不可能と思われていた。しかし、丸ごと脳をコピーして残すと言う理論は、当時のプロジェクト担当者にとっては魅力的に映ったのだろう、アイラを全面的にバックアップした。

 そのお陰で、彼女の理論は正しいことが証明され、確実性を担保する直前まで漕ぎ着けていたのだ。


 しかし、この技術の実行に際しては、倫理的問題が多数存在し、特に反対派からは、個人のプライバシー侵害や、人間の脳と同一の記憶を持つ人工脳がもたらす法的・社会的影響についての懸念が強く表明されていた。

 また、脳コピー技術が生み出す〔第二の自我〕が個体の意思決定にどう影響するかと言う、未解明な点が問題視されていた。

 これらの懸念に対しては、アイラ自身も公開討論会で何度か応じ、技術の安全性と倫理規定に基づく運用の重要性を強調していた。

 ところが、手術対象者が特定の知識人だけに限定されていることや、コピーした脳の保管基準の不確定さ、脳が持つ情報の取り扱いも曖昧であること、人工脳を遺すクライアントや遺族の意思決定をどう尊重していくのか、また社会的影響もできる限り軽減すると言うが、どこまでをもって軽減したというのか、など指摘できることが山積みとして、反対派は聞く耳を持たず、強行派は押され気味であった。


 それにも関わらず、そんな問題を吹っ飛ばして決行されたのは、今回セリューズでの事件が契機となり、隊員たちを救うためにアイラを派遣することが決まったことで、医師協会の強硬派が無理矢理ねじ込んだことによるものなのだ。

 記憶遺産の偉人脳保存プロジェクトと、移民星探査開拓プロジェクトの両陣営が全面的にバックアップしたことも大きい。


 アイラ自身が施されることで、反対派を黙らせるような形になり、遺恨となってしまったが、執刀する医師団は彼女の優秀な教え子たちであり、アイラを害する心配はなく、彼女も安心して任せることが出来た。


 今回の手術は脳コピーだけではない、免疫機能の強化、神経受容体の強化、毒素排除機能の強化などもあり、黒い霧の神経毒に対抗するために施す人体強化手術でもあるのだ。

 本来なら卵と精子の段階で遺伝子操作をして獲得する機能強化なのだが、今回は成人であるアイラに対し、遺伝子操作した幹細胞から作成した人工臓器を取り付けていくことで、機能強化を実現する。

 こちらは既存の技術であるため、特に何の問題もない。しかし、臓器をまるごと換えていくので、手術対象者であるアイラの負担もさることながら、医師団の負担もかなりのものとなる。

 脳コピーよりもむしろ困難が伴うのはこちらの手術かも知れなかった。


 そしてこの手術が成功すれば、セリューズで今なお苦しんでいる隊員たちを救うことにもなり、今後セリューズへ入植する人類への福音ともなり得るのだ。

 アイラは目を閉じながら、教え子たちがこの困難を乗り切り、手術を成功させることを祈りつつ、この技術を苦しむ隊員たちに施せる時が一日も早く来ることを願い、気持ちは前だけを見ていた。


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