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ケープゼレット(Képzelet) ~SF短編小説集~  作者: 劉白雨
2025年9月 : 「本当の世界と現実の世界」
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2025年9月 : 「本当の世界と現実の世界」


【目を閉じれば思い浮かぶ】


 今の時代、人との繋がりは非常に重要である。

 人々がそれぞれ自分の時間を重んじるようになった現代において、家族ですら会話もネットを通じておこなう時代である。ネットに依存しなければ、生活が成り立たないのが現代社会である。


 ミナは最近流行のエモーションネットサービス(ENS)にどっぷりと嵌まっていた。仕事が終わると、そのままENS用の頭からすっぽり被る、フルフェイス・ヘッドセットをつけてダイブするのが日課になっていた。


 ENSとは、VR(Virtual Reality)とSNS(Social Media)、それと脳波同期システム(Brainwave Synchronization System)を融合させた、双方向メディアシステムのことで、フルフェイス・ヘッドセットを被ることで、配信者の体験がそのままダイレクトに追体験出来るのだ。五感のすべてを配信者と共有出来るのが、このENSの魅力であり、若者を中心に流行っているものだ。

 現実での繋がりが希薄になる一方、バーチャルでの繋がりが濃密になっていく。そんな社会的需要にマッチしたENSは、リアルな感覚と体験をもたらす技術として、瞬く間に人気を集めていた。若者はもちろんのこと、上の世代も若年層も巻き込んで、一大ブームとなっていた。


 ミナもそんなENSに嵌まった一人である。

 彼女の仕事は、ENSマーケティングの担当である。データ収集から調査、分析、戦略構築まで一手に引き受ける、フリーランスである。企業から依頼を受け、ブランドや商品、トレンドなど、そのクライアント企業が必要とする戦略を構築し提供するのが、彼女の仕事なのだ。当然、トレンドに敏感になり、常にアンテナを張り、情報を追いかけ続けなければならないというプレッシャーがつきまとう仕事なのだ。


 いつも〔つながり〕を強く意識し、ネットの海にダイブし続ける日々、オンとオフの切り替えが上手くいかないことも多々ある。だからこそ、人との繋がりを感じることが出来るENSはミナにとっての癒やしであり、心のオアシスでもあるのだ。ネットの中から抜け出せないのなら、ネットの中に癒やしを求めるのは当然の心理、自然の衝動である。


 ミナが嵌まっているのは、キャンプを中心にアウトドアの配信をしているカイルというイーサーである。数字というデジタルデータを追求するミナにとって、アナログであるアウトドアの世界はとても魅力的で、自然と惹かれていったのだ。


 ちなみに、今、ENSで最も人気のあるプラットフォームはエモシンク(EmoSync)で、エモシンクの配信者は、エモシンカー(EmoSyncer)、またはイーサー(ESer)と呼ばれている。


 このカイルの人気は、最新のキャンプギアの紹介や、エモいキャンプ飯の創作、自ら身を以て挑戦するアウトドア活動にもあるのだが、更にそのイケメンの口から出てくる、嫌みのない語りが、何よりも、アウトドア好きの男性だけでなく、女性の心を掴んで離さなず、カイルの人柄が、人々の心をノックアウトするのである。


 エモシンクのプラットフォームを十二分に活用した配信は、まるでカイルと一緒にキャンプをしている気持ちになり、そこにカイルを感じることが出来るのだ。

 カイルが体験している、森から吹いてくる冷たい夜風、焚き火の温もり、星空の煌めき、虫の声、どれも今の時代、自分で体験するのは非常に難しい。なぜなら、自然公園でキャンプが出来るのは有資格者だけだからである。

 だからこそ、カイルのような有資格者が配信するエモシンクのキャンプ・コンテンツは人気が高いのだとも言える。有資格者として、裏打ちされた知識と、マナーと、自然に対する愛とリスペクトの心があり、そしてイケメンであるカイルは、その中でもトップクラスの人気を誇るのである。


 ミナは、カイルに心酔していた。それこそ、目を閉じればカイルのことを思い浮かべている。寝ても覚めてもカイルのことを考えてしまうのだ。

 最初は、仕事のストレス解消で〔体験〕を始めたカイルの配信だった。しかし、カイルが見せてくれる様々なコンテンツに魅力を感じ、ストレス解消以上の期待をもってカイルの配信に魅入られていったのだ。

 他のイーサーも体験したが、ミナにとってはやはりカイルが一番だった。なぜ彼が一番なのかミナ自身も良く分かってはいなかった。声のトーンが心地良いとか、一番好みの顔だったとか、理由を探せば何かしらあるのだろうが、彼女にとって、そんなことはどうでも良い些末な話で、とにかくカイルの一挙手一投足すべてが、ミナのすべてになっていった。それだけだったのだ。

 カイルと一緒にする、臨場感たっぷりの様々な体験は、脳波同期も手伝って、ミナの心を完全に掴んで離さなかった。



【嘘をついた理由】


 普段のカイルは収録したエモリック(emoric)を配信している。

 エモリックとはエモーション(emotion)ヒストリック(historic)を足し合わせた造語で、VRに合わせて収録した配信者の脳波を追体験出来るようにしたコンテンツのことである。ライブ配信とは異なり、いつでも好きな時に追体験することが出来るので、忙しい現代人にとってはありがたいコンテンツである。

 また、ライブ配信を中心におこなう配信者もシンク(Sync)アーカイブ(Archive)と呼ばれる、いわゆるライブ配信をそのまま追体験出来るようにしたコンテンツもあり、大多数の人が、ライブではない、エモリックやシンクアーカイブを追体験している。


 しかし、やはりエモリックやシンクアーカイブにはない魅力が、ライブ配信にはある。

 それは、直接配信者と繋がれることなのだ。もちろんそれは、配信者の脳波とリアルタイムで同期し、追体験出来るという魅力に限ることではない。そこに、世界中の人々が集まり、同じ時間、同じ感覚、同じ体験を共有するのだ。その配信者を好きで集まった、いわば同士の集まりである。心が高ぶるのは当然のことである。


 そして、このライブ配信の最大の魅力は、配信者と直接会話出来ることである。同時体験しているシーバーの中でもほんの一握りしか会話出来ないため、一言二言交わせる言葉が、シーバーにとっては宝物となる体験になるのだ。


 ちなみにシーバー(Seever)とは、シンク(Sync)レシーバー(Receiver)(同期受信者)を略してレシーバー(Receiver)と呼んでいたが、見るというシー(see)の意味も掛けて、いつの間にかシーバーと呼ばれるようになった、いわゆる視聴者のことである。


 カイルのシーバーとなったミナは、三度も直接会話する機会に恵まれた。三回ともほんの二言三言言葉を交わしただけに過ぎないが、それでもミナにとってはその時間が何時間にも感じられた至福の時間であり、自分のすべてを理解して貰えたと感じていた。


 カイルと繋がれるのは年に1回あるかないかではあるが、それでもカイルはミナのことを覚えていてくれて、短い時間ではあるが、ミナが欲しい言葉を交わしてくれたのだ。カイルはミナのことを知り尽くしてくれていた。

 ミナはそう思っていた。その時までは。


 しかし、今回のライブ配信で、ミナは少し違和感を覚えたのだ。何に対して違和感があったのかはミナには分からないが、それでもカイルが何か嘘をついていると感じたのだ。

 その嘘が何かは分からないが、カイルが心を開いていないから、嘘をついているのだとミナは思った。

 そこで、ミナはカイルに勇気を出してメッセージを送った。

「なぜ嘘をついたの。なぜ心を開いてくれないの。私にだけでも、心を開いて欲しい。あなたを理解しているのは私だけ、あなたの力になれるのも私だけなの。」

 しかし、カイルからの返答はなかった。


 ミナは思った。きっとカイルは何かに思い悩んでいるのだと。その悩みを人に知られたくないために、嘘をついた理由をひた隠しにしているのだと。心が通じ合っているミナなら、きっとカイルの心を開くことが出来る。カイルの悩みを聞いてあげられるのは自分だけなのだと自負していた。



【求められたら求めるだけ】


 ミナは、帰ってこない返事に、苛ついたり、心配したり、心を落ち着かせようとしたり、とにかく、しばらくの間気持ちが振り回されていた。

 なぜ、返事が返ってこないのか、質問の仕方が悪かったのか、それとも忙しくて返事をする暇がないのか、ミナの言葉が届かない程カイルの心は病んでしまったのか、とにかくミナの頭の中はカイルの返事が来ないことでいっぱいになり、仕事も手に着かないような有様であった。


 ミナの心配はついに頂点に達した。カイルの配信を体験していても、カイルの言葉が、感覚が、体験が、ミナの感覚と同期しなくなってきたのだ。

 カイルからの返事がまったくなかったからで、ミナの没入度が低下していたためでもあった。


 そんなある日、カイルがこんな一言を発した。

「シーバーと会うことが出来たら、どんなに素敵なんだろう。いつか、君たちの誰かと、直接語り合える日が来ると信じてる。」

 ミナは、この言葉を聞いて、ピンときた。カイルは私に会いたがっているのだと。なにかやむにやまれぬ事情により、直接返事をすることは出来ないが、直接会うことが出来れば、彼の悩みを聞いてあげられる。嘘をついたその理由を解決してあげられる。

 この言葉は彼からの暗喩であり、ミナに対するメッセージなのだとそう考えたのだ。


 そう考えたら、ミナは居ても立ってもいられなくなり、一大決心をした。

 直接カイルと会う。会って話を聞くしかない。彼が呼んでいるのだから、それに応えなければならない。そう考えたのだ。

 そこから、思い立ったミナの行動は早かった。

 カイルがよく行くというキャンプ場を調べ上げ、何時間も掛けてそのキャンプ場に乗り込み、いないと分かれば、付近のホテルに泊まり、カイルが来るのを、仕事をしながらひたすら待った。

 そして、数日が過ぎた頃、とうとうそのキャンプ場に現れたカイルに突撃をしたのだ。


 ミナが、キャンプ場を訪れた時には、既にカイルのサイトは設営が完了していた。

 しかし、ミナの目の前に現れた光景は、ミナが長年憧れていた景色とはまるで違っていた。サイトの周囲に張られたロープを守るように警備員が立ち、巨大な発電機が稼働し、様々なENS配信用の機械が設置され、その機械とコードで繋がれたカイルと思しき人物が、簡易ベッドのような物に横たわっていたのだ。


 そこには、お洒落なテントも、映えるキャンプ飯も、穏やかな時間を過ごす虫の声もまったくなかった。あるのは、巨大な発電機が上げる唸り音と、ピリついたスタッフたちの怒号、そして周囲に集まったシーバーや野次馬たちの声、声、声である。

 ミナは、それでもカイルの求めに応じて、自分が来たことを伝えようとした。しかし、人々に揉みくちゃにされ、警備員に行く手を阻まれ、スタッフに罵倒され、エモシンクでは、いつもすぐそばに感じていたカイルが、数十メートル先にいるのに、その距離が遥かに遠く、手を伸ばしても決して届かない星の彼方にいるように感じられたのだ。


 そこに、ミナが憧れた理想の景色は影も形も無く、自分の中の何かが崩れ落ちる音が聞こえた気がしたのだった。

 シーバーや野次馬が大量に押し寄せているこの場所では、カイルとまともに話をすることも出来ない。ミナは失意の中で、そのキャンプ場を後にした。


 帰り道、スタッフが二人の間を引き裂いたのだと、最初は考えた。しかし、そうではなかった。そもそもカイルはミナのことなど、数多いるシーバーの一人、只の数でしかなかったのだ。

 現実を否が応でも直視させられたミナは、気息奄々(きそくえんえん)這々の体(ほうほうのてい)で、自宅へと帰っていったのだ。

 カイルに対する気持ちは大きく揺れ動いていた。


 それでも、自宅に戻ってきたミナは、エモシンクにダイブし、カイルの配信を体験しにいく。あのキャンプ場で見た光景が、余りに現実離れしていたので、確かめたかったのもあるし、やはり現実から逃げ出したい気持ちでいたのかも知れない。


 しかしながら、ミナは今までのような没入感を得ることは出来なくなっていた。ミナが没入していたカイルという存在は虚構であり、ミナが感じていた感覚はすべて偽物だったのだ。それをミナは自覚した。

 自覚して始めてミナは完全に夢から覚めていた。今まで彼女がいた世界は、現実の世界ではあるが、本当の世界ではなかったのだ。


 ミナは、再びカイルにメッセージを送った。

「私はあなたが何か嘘をついているのだと感じ、あなたに心を開いて欲しい、心を開けるのは私だけなのだと、勘違いをしていました。

 しかし、あなたはそもそも、自ら嘘をついていたのですね。素敵なキャンプ体験は、すべて虚構だったのですね。あなたと共有した思い出は、すべて嘘に塗り固められた虚構だったのですね。

 先日、あなたがいるというキャンプ場を訪れました。その光景を見た私の中で、何かが音を立てて崩れました。凄く寂しい気持ちになりました。

 でも、あなたは決して悪くはない。あなたは求められるままに求めてきただけなんですよね。シーバーから求められるから、良いコンテンツを送り続けるために追求した結果が、あの作られた、嘘で固められた虚構の世界だったんですよね。あれが、あなたの嘘であり、現実の光景だったんですよね。私はそう感じました。

 今まで、沢山の思い出をありがとうございました。今後もカイルの健康と発展を祈念しています。私は虚構という現実から、作られていない本当の世界に戻ります。さようなら。」


 ミナは、今時こんな長い文章を、相手に送る馬鹿はいないと思った。しかし、溢れる思いを言葉にしなければ、ミナ自身が押し潰されそうだったのだ。

 メッセージをカイルに送った後、ミナは一頻り泣いたのだった。


<完>



【後書き:2025年9月】


 ご一読いただきありがとうございます。

 2025年9月に提示されたテーマは【目を閉じれば思い浮かぶ】【嘘をついた理由】【求められたら求めるだけ】です。


 このテーマで創作する際、プロットはいつも以上に二転三転しました。創っては壊すを繰り返したのです。

 特に【求めたら求めるだけ】というテーマは2度目で、2024年6月に書いた「再生計画」に登場しました。その時は、惑星再生をテーマに、反乱組織を率いることになった男の決意を描きましたが、今回は別の角度からこのテーマにアプローチしてみました。

 とにかく、今月のテーマをSF小説に落とし込むのがやはり難しく、困った時の人工頭脳という手も、プランの中にはありました。しかし、どのプロットも納得いくようなものにならず、今まで以上に難儀しました。

 しかし、ある時ふとネット依存、SNS依存という言葉を目にし、これだと思い立ったのです。そこからは、あっという間でした。プロットを作り終え、設定を詰め、書き上がった時には、主人公が危ない感じの女性になっていました。

 彼女がどうして危ない行為をするようになったのか、その辺りの感情の機微が上手く書けていれば御の字なのですが。


 この作品をあなたはどう感じましたでしょうか。

 この作品が思索のきっかけになれば幸いです。

 次回は10月になります。よろしくお願いします。



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