「最後のオアシス」 ~ 弐 : 【こぼれた溜息】 ~
エリカはドーム都市管理長官として、ドーム中心部の管理棟最上階にある、都市を見下ろせる執務室で、ディスプレーに表示された報告書に目を通していた。
彼女の仕事はドーム都市の管理運営だが、もう一つは住民を監視し、反乱の兆しを探ることだった。
上がってくる報告は、そのほとんどが住民たちの不満と絶望、そして犯罪者と自殺者に関するものばかりだった。その内容は、食料が足らない、水を寄越せ、生活環境を改善しろなど、ああだこうだと混淆した要求であるか、もしくは合成食品による栄養の偏りで、免疫力が低下し病気が蔓延していることが、絶望感を増長しているというものだ。犯罪についても同様で、ニュース記事から犯罪関連だけを抜き出して纏めたのかと思うような報告内容ばかりだ。
住民たちの生活は基本的にサイオネクスが面倒を看ている。仕事の斡旋、食糧供給、医療提供、インフラ整備、そして治安維持に至るまで、本来なら不満の出ようはずがないほど手厚く支援しているのだ。
しかし、閉塞空間に閉じ込められ、追い詰められた人間が考えることと言えば、自死か反抗である。都市内の自殺者は毎年100人を超え、昔自殺率でその名を轟かせたレソト国のそれを優に超えていた。
一方犯罪も横行し、殺人、強盗、薬物など目に見える犯罪だけでなく、情報の抜き取りや改竄、コンピュータ・ウィルスの頒布などを中心としたサイバー犯罪、詐欺や贈収賄、脱税や不正取引などを含む経済犯罪も増加していた。
こんな状況では、このドーム都市の治安が地に落ちたも同然で、エリカは日々頭を抱えていた。
エリカの父親は環境学者としてその名を馳せた人物で、地球の未来を案じ、警鐘を鳴らしていた。その著書は世界中で読まれるほどで、特に緻密な調査データによる未来予測を書いた〔地球環境と人類の終焉〕は大ベストセラーで、その著書名を知らぬものはいないほどだ。
しかし、各国政府はその警鐘を無視し、環境問題への根本的解決をせずに、ドーム都市建設という逃げを打ったのだ。彼らの主張は、人々が移動に使用するエネルギーを都市部のみに集約すれば、環境負荷が下がるというものだ。いわゆるコンパクトシティ理論である。さらにこの理論は、過疎地への物流にかかるエネルギーも削減できるため、環境にも良いとしたのだ。
その政府の動きに同調したのがサイオネクスであり、各国の政府にドーム都市建設を売り込んだのだ。そして、環境問題に正面から向き合う企業として世界中から信頼を得ていったのだ。
とはいってもそれは表向きで、その実態は決して環境に良いことをしているとは言えず、リソースの過剰採掘、産業廃棄物の不正処理、グリーンウォッシングと言ったものが噂話だけではなく、時々週刊誌などでも真実として暴露されている。そして、さらに黒い噂として、政府との癒着や、不正行為の隠蔽なども漏れ聞こえてくるが、その実体は闇に包まれたままなのだ。
そんな噂が絶えない会社にエリカが入社すると言った時に、父親は烈火の如く怒りをぶつけてきた。環境学者の娘が環境を破壊している企業になぜ入社するのかと。そして、親子の縁を切るとまで言われた。
その言葉に聞く耳を持たず、当時のエリカは会社の美辞麗句に踊らされて、この地球を蘇らせると言う、自分の夢が叶えられると信じて入社した。
結局父の言っていたことは正しく、彼女は入社後この会社の実態を知り、自分の仕事が環境破壊に加担していることを知った。
彼女は日々の業務に負われながらも、心底苦悩に悩まされていた。
しかし、彼女の苦悩などあってないようなものと思わせるようなもので、日々苦しい思いをしているのは、ドーム都市の住民たちであり、彼らからサイオネクスは搾取するだけなのだ。彼らの日常はすべてサイオネクスのためにあり、社員であろうとなかろうと、ドーム都市の住民であれば、その呪縛から逃れることはできないのだ。
彼女は報告書を読みながら、住民たちの苦悩を思うと、こぼれる溜め息を抑えることが出来なかった。