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ケープゼレット(Képzelet) ~SF短編小説集~  作者: 劉白雨


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未充 : 2026年9月


【バッドエンドも素敵じゃない?】


 もうすぐ私の人生は終わる。

 四半世紀にも満たない人生がもうすぐ終わってしまう。

 短い人生だった。もっと長く生きたかった。

 それはそうだ。誰だってそう考えるだろう。

 私もそうだ。四半世紀にも満たない人生なんて、人生百五十年と言われるこの時代に、いったい何を為せたというのだ。

 そんなことは誰に言われなくても分かっている。生きてきた意味などなかったと断罪されてもしかたがないほど、意味もなく終わりを迎えていたのだから。


 私は、私のこの人生が許せなかった。

 私はなぜ、こんなに短くして人生を終えようとしているのか。

 そんなことを神に罵っても、意味はない。

 これは、神が決めたのではない。これは、私が選択したのだから。

 私は、人生というものを舐め腐っていたのかも知れない。

 たがらこそ、こうして私自身がこういう結末を迎えることになったのだから。


 ある意味自業自得なのかも知れない。

 いや、むしろ自業自得なのだろう。

 こんな人生をバッドエンドと呼ばずしてなんと呼ぶのか。

 おそらく、誰が見てもバッドエンドの人生だったと思うだろう。

 それほど、酷い人生だったのだ。


 生まれた時はまだ良かった。両親にも恵まれ、可愛がって貰った。

 血の繋がりはなくても、二人は親として私を一生懸命に育ててくれていた。

 私は子供としてたっぷりの愛情を注いで貰ったのだ。

 もし、人生がそれで終わりだったとしたら、それは最高の人生だったのかも知れない。

 だが、私の人生は、幸か不幸か、その続きがあった。


 私はすくすくと育ち、保育園、幼稚園を経て、小学校へと上がった。

 その頃、私を愛情たっぷりに育ててくれていた両親は、私を最後まで育て上げることなく、その役目から外された。そう、彼らは交通事故で人生を終えたのだ。

 私は両親を交換せざるを得なかった。


 次に現れた両親は最悪だった。

 私を愛情たっぷりに育てるどころか、無関心だった。

 憎悪でもあれば、私も何かしら対処出来たのかも知れない。しかし、彼らは無関心だった。私を最低限育てるどころか、生かすと言うことすら怠っていた。

 私は途方に暮れた。生きるために必要なリソース、すなわち資源、資産がまったくない状態なのだ。飢えるしかなかった。学校すらまともにいくことが出ず、小学校に行かず、毎日繁華街で物乞いをした。

 泥水を啜り、残飯を漁り、下水道で寝た。


 転機が訪れたのは、私が17年も生きた頃だっただろうか。

 兵隊の募集を見付けたのだ。

 私はその募集に飛びついた。そして、寝床と食料と生きる糧を得ることが出来たのだ。

 しかし、それは過酷以外の何ものでもなかった。

 戦場は、辺境の小惑星帯。宇宙船が飛び交うそんな場所で、我々一般兵は簡易装備で宇宙に放り出され、敵の艦隊にその身一つで突撃していく。

 生きた心地がしなかった。泥水を啜っていた方がまだマシだったと思える程である。


 そして、私はこうして人生を終えようとしていた。

 まあ、今考えればこの人生も悪くはなかった。

 バッドエンドではあるが、中身の濃い人生であり、まさに生きるとはこういうことなんだと、自ら体現したのだから。

 誰が何と言おうと、これが私の人生であったのだ。

 紛れもない私の人生であったのだから。



【叶わないことだと思っていた】


 私の遺体は、契約どおり、すぐに回生研究所へと送られた。

 私の脳は、すぐさまスキャンが掛けられた。コネクトームを作成するためだ。そして、それを元に人工脳を作成し、そこへ私の記憶をコピーする。


 それから、もう一つ大事な工程がある。それは私のクローン作成である。

 もちろんクローンと言っても、100%純粋なクローンではない。私の遺伝子情報を基に、私のリクエストどおり、遺伝子情報の改変をおこなった、いわばオーダーメイドのクローンを作り出すのだ。


 こうして出来上がった頭脳と肉体を組み合わせて、私は新たな人生を、再び新生児として歩み出すのだ。


 私は既に、この方法で、37回の回生を果たしている。言うなれば輪廻転生である。もちろん、遺伝的には私自身であり、私が作り上げてきた器である。私は私の頭脳をこうして37回も代々引き継いできたのだ。まさに素材を継ぎ足し継ぎ足し、秘伝のタレを作り上げるかのように、この肉体に、この頭脳に、記憶や経験という素材を継ぎ足してきたのだ。


 私はこうして、既に千年を越える年月を生きてきた。もちろん、記憶の彼方に消えてしまった記憶も多分にあるし、私が経験したことなど、ものの数にも入らないだろう。

 だが、千年を越えた私の人生に意味がなかった訳ではない。

 私は、37回の人生に於いて、色んなことを学んできたのだ。その自負だけは誰にも譲れない。その学びは次の人生の選択に活かされ、失敗を教訓として、ここまで生きてきたのだ。時代を見、人を見、歴史を見てきた。その経験だけは、私のものであり、私だけの人生訓なのだ。


 生後間もなくで死んだこともあれば、150年を越える人生を歩んだこともある。今回のように壮絶な人生を歩んだことはなかったが、それなりに、人生を楽しんできた。

 幸福?そんなものを感じたこともあった。幸せな家庭を築き、子供や孫を儲けたこともあったし、それなりに裕福な人生を歩んだこともあった。

 それなりに充実した、波瀾万丈の人生を歩んできたといっても過言ではないだろう。


 私はそもそも、人生に満足するなんて考えられなかった。

 この回生プログラムに応募したのも、そんな私の人生観を試したかったからだったと記憶している。一番最初の人生の時だ。

 しかし、結局の所、何度か回生してみて、「ほら見ろ」と落胆したものだ。

 人生に満足する要素など何一つ見つからず、見いだすことすら出来なかったからだ。


 ところが、何度も人生を重ねて行くにつれ、そもそも人生に満足するとはなんなのか、満足する意味とはいったいなんなのか、結局それを追求していたのだ。いや、追求したくなったのかも知れない。

 そして気付けば37回の人生が終わった。


 38回目の人生はいったいどういう人生になるのか、私は楽しみであり、不安でもある。そして、今度こそ、人生に満足してみせる。そう心に誓うのだった。



【無い物ねだり】


 この回生プログラムは、私がそもそもこの世に誕生するずっと以前、数千年も前に実用化された技術である。

 そもそも、人口爆発と、人口減少という、アンバランスな状態を国家間で抱えていた人類は、教育水準の低い者が増え、高等教育を受けたものは先細りしていくという、もはや国家間の問題では済まない、教育格差、貧富格差、延いては経済格差に結びつき、それを解消するために戦争をおこなうまでに、人類は堕落した。


 我々の祖先が住んでいた惑星は荒れに荒れた。人類が住めなくなる程に、環境は悪化したのだ。

 そこに救世主の如く現れたのが、この回生プログラムである。優秀な人材をみすみす死なせるのではなく、その頭脳をコピーして、次世代へと渡す。そうすれば、新たな教育を施さなくても、高等教育まで済んでいる新生児が誕生すると言う訳だ。

 教育コストの削減と謳い、この回生プログラムは全世界で受け入れられていった。


 当初は、高等教育を受けた政府高官、企業の重役、教育界の重鎮、功績を残した科学者など、一部の人間の特権であった。

 それが、時代が下ると、その特権を受けられる裾野が広がってきた。技術の一般化が起こったためである。高度な技術も時代を経れば一般技術へと成り下がる。そして改良に改良が加わり、今や誰もがそのプログラムを受けられる。

 まるで家を買い換えるように、自分の人生を買い換えるのだ。


 私は、今回の人生で詰んだと思った。

 なにせ、一文無しに陥り、次の人生を買うカネどころか、生きるためのカネすらなかったのだから。

 だが、神は見捨てなかった。

 私は少年兵として立派に働き、生きる糧だけでなく、次の人生を生きるチケットも手に入れることが出来た。

 だからこそ、バッドエンドでも素敵だったと笑って言えたのだ。


 さて、私には次の人生が控えている。まずは、愛情たっぷりに育ててくれる両親を探すことになるだろう。まずは生きなければならないからだ。

 だが、もしかしたら、愛情たっぷりの両親は不吉の前兆かも知れない。それは今回の人生で学んだ。

 であれば、無気力な両親を探すか、それとも憎悪に満ちた両親を探すか、なかなかに難しい選択である。生き残れるかどうかの賭に出るようなものだからだ。


 私は、ひたすら無い物ねだりをしているのかも知れない。

 37回もの人生を比べ、あの時足りなかったもの、この時欲しかったもの、ああしたかった、こうしたかった。そんなことばかり考えて、次の人生を設計していたのかも知れない。であれば、今回は賭に出てみても良いのかも知れない。


 私にはこれまでになかった人生を楽しむ権利と、そして新たな人生を次の人生に伝える義務がある。

 そう、私は満足するために人生を繰り返しているのでない。

 様々な人生を経験するために繰り返しているのだから。


<完>


【後書き:2026年9月】


 ご一読いただきありがとうございます。

 2026年9月に提示されたテーマは【バッドエンドも素敵じゃない?】【叶わないことだと思っていた】【無い物ねだり】です。


 今回のテーマから、真っ先に浮かんだのは人生です。バッドエンドであっても、素敵だと感じる人生、それをテーマに持っていこうと考えました。人生に悲観して、素敵だと思えることが叶わない、それは無い物ねだりでも何でも無い、人生なんてそんなものだ。バッドエンドの人生だったけど、それはハッピーエンドだったんだ、そんな話です。

 で、これをSFに落とし込むのですが、その段階で揺れました。このプロットで本当に良かったのかと。話としてはとてもすっきりした、スカッとするような話になるはずでした。しかし、どう転んでもSFにはならないし、ただの人生訓のような、無味無臭、無味乾燥な話になってしまうのです。

 そこで考え直しました。人生の話は変わらず、SFにまず寄らせよう。

 そこから出来上がったのが今回の話です。回生プログラムによって、人生を何度もやり直す、その繰り返す人生の先にいったい何が待ち構えているのか、主人公はいったい何を求めているのか、それを皆さんにも考え、感じて貰えたら、この作品が生きると思います。


 この作品をあなたはどう感じましたでしょうか。

 この作品が思索のきっかけになれば幸いです。

 次回は10月になります。よろしくお願いします。



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