↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ケープゼレット(Képzelet) ~SF短編小説集~  作者: 劉白雨


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/33

救済の強制 : 2026年7月


【若気の至り】


 歳を取れば頭が固くなり、自分の価値観に凝り固まってしまい、老害と呼ばれる存在になってしまうこともある。

 その一方、若さ故の過ちというものも多分にある。無知から来る無謀、知った風でいて本質を知らないことによる暴走。老害に対して若害とも呼ばれる存在になってしまうことすらある。

 いずれにせよ、社会から受け入れられない存在に成り下がり、害悪以外の何ものでもない存在を、社会は忌み嫌ってきた。


 そしてもう一つ社会が忌み嫌うものがある。それが正義を振りかざした価値観の衝突である。すなわち、正義という名の下に、他人の価値観を糾弾する人々である。


 人々は様々な価値観で生きている。それは宗教であったり、地域社会の風習であったり、家庭の習慣であったり、もしくは文化や、マナー、そして身体的、精神的な病によるものなど、様々な価値観を持っているのだ。

 たとえば、一柱の神しか信じない者もいれば、数え切れない神を信じる者もいる。あるいは頭を撫でることを良しとする者がいる一方、その行為を忌み嫌う者もいる。

 人々の価値観は千差万別なのだ。


 だが、彼らはそれを許さなかった。

 彼らの価値観が唯一無二の正しい価値観だったのだ。


「我が民族は、世界で唯一の高度な文明を持った民族である。

 なのに、世界は我々を受け入れず、見下すことしかしてこなかった。

 それはなぜか。

 我々の価値を下等な文明を持つ連中が理解しないからだ。

 だが、我々は知っている。

 子供たちが何も知らず、その浅い経験と知識だけで社会を批判することを。

 では、我々を見下す者たちは何か。

 そう、彼らこそ、未熟な文明しか知らない未開人なのである。

 よって、この世界に必要なのは、彼らへの教育である。

 我々のこの高度な文明を以て、彼らを大人にし、文明人にしなければならないのだ。

 さすれば、下等で野蛮な彼らが、我が民族を虐げることはないはずである。

 我々はここに宣言する。

 彼らを教化すると。彼らを開眼すると。そして彼らを文明の高みへと誘うと。」

 ラカブと呼ばれる人物が唱えた、民族教化論の一節である。


 そして、その教えに基づいたプログラムが今、世界中で稼働をしていた。

 〔若気の至り〕プログラムである。

 自分たちの民族が一番であることを信じて疑わない人々が、世界中の人々を彼らの価値観で教育しようという、文明浄化プログラムである。

 若者の暴走を戒める慣用句〔若気の至り〕を、〔文明が未熟である〕という概念に適用し、未開文明の教育プログラムの名称として採用し、世界中の信者に文明浄化プログラムを徹底させたのである。



【もうやめたいんだ】


 アブド・キラーブはこの国に来てから、ひたすら〔若気の至り〕プログラムを実行に移そうと準備を進めてきた。

 まずはギンヌー信者によるコミュニティ形成、礼拝施設の建設、そして布教。更には現地人との婚姻を推奨し、親族をも取り込むことも推し進めたり、また現地企業にも食い込んだりした。

 本部から送り込まれてくる人々をドンドン先兵として現地人の中に入り込ませ、現地人に彼らが言う高度な文明を理解させていったのだ。


 アブド・キラーブの計画は順調に進んでいた。

 一大コミュニティを構築し、現地の野蛮な文明を駆逐し、我々の高度な文明を上書き出来ている。

 彼はそう考えていた。その時までは。


 〔もうやめたいんだ〕この一言が、まさかそんなことになるなんて、彼自身そんなことは考えも付かなかったのだ。

 この言葉がどこから出たのかは完全に不明なのだが、この言葉がアブド・キラーブの計画を破壊するには充分な力を持っていたことは確かだった。


 なぜなら、この言葉は〔若気の至り〕プログラムを破壊するウイルスだったからだ。



【会わなきゃ良かった】


 アブド・キラーブは礼拝堂の中で、唯一神であるギンヌーが祀られているとされる聖地コバサオルマに向かって祈りを捧げていた。

 彼の信心は揺るぎなきものであった。子供の頃からずっと祈り続けてきたのだ。ギンヌーとは一心同体なのである。


 ギンヌーとは神を表す言葉であり、固有名詞ではない。ギンヌーこそが絶対神であり、全知全能の唯一神である。つまりギンヌーこそが神であり、神とはギンヌーなのである。

 ギンヌーこそがアブド・キラーブの人生を救ってくれた。生きることに迷った時にはギンヌーが道を示し、壁にぶち当たった時にはギンヌーがその対処法を示してくれた。

 ギンヌーの教えは世の理すべてを説き明かしてくれる、唯一で絶対の指針であったのだ。

 今まではそう信じていたのだ。


 だが、アブド・キラーブは知ってしまったのだ。自分の身体の中にチップが埋め込まれていたことを。このチップこそが信者たり得る証であり、信者はこのチップを埋め込まれていなければならないのだという。このチップが信者の心を文明の高みへと連れて行ってくれるというのだ。

 アブド・キラーブは、この事実を知らずにこれまで信者を続けてきたのだ。


 だが、純粋な心からギンヌーを信じていたアブド・キラーブの心はズタズタに引き裂かれた。

 チップが埋め込まれていること自体はなんとも思わなかった。そんなものがあろうとなかろうと、アブド・キラーブの信心は揺るぎなかった。

 だが、しかし、自分の信心が自発的なものではなく、チップにより操られたものだったと言うことが許せなかったのだ。


「ギンヌー様。私はあなたを心から信じ、心からあなたの教えに従ってきました。あなたは私に文明の高みをお見せになり、私たちに生きる道を示してくださいました。

 それが正しいことであると、私は今でも信じています。ですが、なぜ、チップなどというもので強制されなければならないのでしょうか。

 これは、ギンヌー様のご意志ではなく、一部の狂信者による暴挙であると私は考えています。

 ギンヌー様のご意志を曲げる異端者を私は糾弾いたします。見守りください。私が異端者を駆逐しきるその時を。」

 アブド・キラーブはギンヌーに祈りを捧げ、異端者討伐の決意を表明したのだった。


 だが、その決意が成就することはなかった。

 なぜなら、〔もうやめたいんだ〕ウイルスがチップを通して全信者にばらまかれ、脳の記憶には、ギンヌーを信じることが悪の元凶であると刻まれたのだ。


 そんなウイルスに会わなきゃ良かったとは思うものの、アブド・キラーブは、それでも信心を捨てなかった。自分は〔自分の意思だけで〕ギンヌーを信じてきたと、そう信じて疑わなかったからだ。

「ギンヌー様は決して悪の元凶ではない。私を操るな!」と心の奥底から、そんなウイルスに負けない程の強い信心でアブド・キラーブはギンヌーを信じていた。

 そして、彼はいつまでもギンヌーを心から礼拝していたのだ。


<完>



【後書き:2026年7月】


 ご一読いただきありがとうございます。

 2026年7月に提示されたテーマは【若気の至り】【もうやめたいんだ】【会わなきゃ良かった】です。


 今回のテーマもなかなかに癖があり、プロットを組むまで時間がかかりました。SFという縛りがなければ、単なる若気の至りでドラッグかなにか反社会的なものに固執してしまった人物を描けば良いのでしょうが、SFという縛りがあるため、そうもいきません。

 そこで、色々と模索した結果、この〔若気の至り〕をプログラム名にしてしまってはどうだろうかと思い至りました。そして、〔もうやめたいんだ〕はプログラムを強制終了させるキーワードであると。

 ですが、ここで、コンピュータプログラムの話にしてしまっては、あまりに面白みがありません。せっかくテーマが〔若気の至り〕なのですから、何かそれにちなんだ話にしようと考えました。

 そこで浮かんだのが未熟な文明です。大航海時代、布教と称して世界中を植民地化していったように、今もまた、世界中で宗教がその布教と称して、自分たちの価値観を押しつけようとしています。

 それをヒントに、未熟な文明を浄化するブログラムを〔若気の至り〕とする、このような話を作り上げました。


 この作品をあなたはどう感じましたでしょうか。

 この作品が思索のきっかけになれば幸いです。

 次回は8月になります。よろしくお願いします。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。