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ケープゼレット(Képzelet) ~SF短編小説集~  作者: 劉白雨


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沈黙の糸 : 2026年5月


【怖かったんだ】


 ウーリンは携帯端末を見ながら、酒を飲んでいた。

 彼がいるこの場末の居酒屋は仕事終わりの人々でほぼ満席だった。


「すみません、相席よろしいですか。」

 店員がウーリンに聞いてきたので、「良いですよ」と頷く。

 ウーリンが顔を上げると、そこにはチャンユーが立っていた。

「なんだお前かよ。」

「なんだはねぇだろ。つれねぇなぁ。」

「で、何の用だよ。」

「何の用も何も、飯食いに来たんだよ。」

 チャンユーが軽口を叩きながら、ウーリンの対面に座り、自分の携帯端末で料理を注文する。


「ところで、お前、投票済ませたか。」

 チャンユーが聞く。チャンユーの言う投票とは法案決定の国民投票である。毎週末締め切りで、自分の携帯端末から投票することになっている。


 現在、国会では法案の審査はおこなうものの、審議については国民投票に委ねられている。国会は上院も下院も、政治家の汚職、不正、出来レース的な法案決定など、国民の目を欺いてやりたい放題だったため、国会議員から実質決定権を剥奪し、国民自ら審議し決定するという、完全民主主義へと移行したのだ。

 そのせいで、毎週様々な法案が提出されるため、国民はその可否を投票しなければならないのだ。その数は改正案を含めると多い時で100を超え、まともに法案を吟味していたら、とてもじゃないが投票しきれない。下手をすると投票が終わるまで、数時間かかることになるからだ。


 だが、ウーリンは今回もきちんと投票を済ませた。今週は12の新規法案と116の改正案が対象となっていたが、その一つ一つを吟味し、きちんと投票した。

「投票ならしたぞ。」

 ウーリンは当たり前のように応えた。

「そうか。それなら良いんだけどよ、今回の新規法案の中に、〔通管法《つうかんほう》〕ってのがあっただろ、あれについてはどう考えた。」

 チャンユーが少し難しい顔をして言う。

「ああ、通管法って、公共通信網に係る安全性、可用性、公平利用の整備および保持のための管理体制に関する法律、だよな。別に良いんじゃないか。インターネットは無法地帯なんだし、そろそろ国が重い腰上げてメスを入れてくれないと、恐怖でネットなんか使えなくなるからな。」

 ウーリンは何の疑いもなく、法案の目的を信じているようだ。

「やっぱりそうなるよな。それが普通の反応だよな。」

 チャンユーは呆れたように溜息をつく。


「なんだよ、この法律に何かあるのかよ。」

 ウーリンはチャンユーの態度に疑問を抱く。

「ああ、あんまり大きな声じゃ言えないけどな、この通管法、表向きはインターネットの健全化を謳っているんだが、その実態は国民監視体制の強化なんだよ。」

 チャンユーは周りの視線を気にしながら、声を小さくして、ウーリンに告げる。

「あほくさ、お前それ本気で言ってる?どこの都市伝説か知らないけど、この国は完全民主主義で、国の権力は国民の匙加減一つでどうにでもなるんだぜ。どっかの独裁国家じゃあるまいし、そんな監視なんて無理無理。」

 ウーリンは一笑に付した。

「馬鹿かお前、あの世界中を恐怖に陥れたチョビ髭の独裁者も民主主義社会で誕生したんだぞ。考えても見ろ、この完全民主主義が成立した時だって、国会の権限を完全に剥奪して移行したんだ。ある意味、民主主義社会っていうのは、楽園にも地獄にも成り得る、不安定な政治体制だって事なんだよ。」

 チャンユーが小さい声ではあったが、少し荒《あら》らげる。

「また、そういう脅すようなこと言って。お前の言うのは議会制民主主義の弱点だろ。今は完全民主主義の時代だぜ、国民全員で監視してるんだ。そんなことになる訳ないじゃん。」

 ウーリンは呆れたように言う。


「それこそ、お前の妄想だよ。国民全員で監視しているって事は、天才から馬鹿まで全員が政治に参加してるって事だよ。議会制民主主義なら、選ばれた人間が国家運営に携わっていたから、馬鹿はすぐに排除出来た。しかし、もし、世論誘導がおこなわれて、馬鹿な国民がそれに賛同したらどうなる。……あっという間に国は終わるんだよ。」

 チャンユーはそう言って、真剣な眼差しをウーリンに向ける。

「それこそ、妄想だろうよ。国民はそこまで馬鹿じゃねぇよ。確かに馬鹿も一定数いるだろうけど、そいつらが影響を与えるような国民はいないだろ、この国には。」

 ウーリンはそう言ってコップに残っていた酒を呷る。


「あのな、俺はずっと怖かったんだよ。いつか、この完全民主主義が崩壊して、独裁国家に成り下がる日が来ることが。それが、現実のものとなりつつある法案が提出されたんだぞ。目を覚ませよ、ウーリン。」

 チャンユーが今度は情に訴えかけてくる。

「今度は泣き落としか?まあ、お前が怖がるのも無理はないさ。今や失業率は三割を超えようとしている。好景気の筈なのに仕事がないし、給料も上がらない。そのくせ物価はデフレ誘導でドンドン上がっていく。確かに不安になるのは当然だよ。だからこそ、政治の舵取りを俺たちがしっかりやっていくんだろ。完全民主主義の義務と責任じゃないか。俺たちがしっかりやってれば、お前の恐怖なんて、完全に吹き飛んじまうよ。」

 ウーリンはそう言ってチャンユーを宥める。

「だから、そういう楽観的な考えが、危険なんだって。」

 チャンユーは身を乗り出して説得を試みる。

 しかし、いつまで経ってもウーリンとの会話は平行線を辿り、埒が開くことはなかった。



【蜘蛛の糸】


 ウーリンとチャンユーが居酒屋で議論を戦わせてから数日後、〔公共通信網に係る安全性、可用性、公平利用の整備および保持のための管理体制に関する法律〕、通称〔通管法〕が可決したと報じられた。同時に可否を問われていた他の法律もほぼ可決をしていた。


 ウーリンはあれからチャンユーの言葉について考えていた。完全民主主義の脆弱性についてだ。

 チャンユーの言いたいことも分かる。民主主義なんて国民の気持ち一つでどうとでもなる。天国にも地獄にも成り得るのは、真理を突いていると言っても良い。


 だが、それなら、独裁制が良いのか、それは絶対に否だ。歴史を見れば独裁制を敷いた国が成功した例はないからだ。

 結局、為政者に政治運営を任せるか、国民の代表者に任せるか、はたまた国民全員で舵取りをするか。民主主義と言われる政治体制は概ねこれのどれかに該当するだろう。

 そう考えたら、国民の意見を政治運営に反映するのなら、結局民主主義であるしかないのだ。


 しかし、我が国は現在船頭多くして船山に上る状態で、チャンユーが言うように、下手をすると国を破滅に導く可能性があるというのは、確かなのである。

 完全民主主義の弱点と言っても良いだろう。

 だからこそ、ウーリンはしっかり法律を読み、一票一票に責任を持って投票していた。

 今週も新規法案が7、改正案が122も可否を問われていた。投票締め切りは今週末、また一週間しっかりと学びながら、投票しなければならない。


 完全民主主義に移行してから、法律の文章が分かりやすくなった。これはある意味完全民主主義の副産物と言っても良い。昔の条文は読んでも意味が分かりにくく、何を言いたいのかハッキリ言ってわかりにくかった。それが、完全民主主義に移行してからというもの、国民が理解出来る法律というお題目の下、平易な文言で作られることが多くなり、当たり前のことが当たり前に法律として制定されていったのだ。


 たとえば、良く引き合いに出されるのが道路交通法の飲酒運転である。これまでは捕まった時点、事故を起こした時点における、アルコール残量に従って刑罰が事細かに決められていた。しかし、改正された法律では、アルコール残量に関係なく、アルコールを摂取して運転した時点で、免許剥奪、拘禁三十年の刑罰が処されることとなる。そこに情状酌量の余地はない。非常にシンプルで分かりやすい法律である。

 もし、アルコール摂取後に人身事故を起こした場合は、更に拘禁二十年が加算される。かつては刑期の長いものを拘禁期間として算出していたが、今は加算されていくのだ。これも、一般国民にとっては非常に分かりやすい、刑罰設計となった。


 このように、法律設計を一から見直すことが出来たのも、完全民主主義に移行したお陰だと、ウーリンは考えている。だからこそ、チャンユーが心配するような独裁主義の台頭など、端から考えにも及ばないのだ。


「ちょっと待てよ、この法律は何だ。」

 ウーリンが一つ一つ法案をチェックしている中で、新規法案の中に気になる法律があったのだ。

〔公共通信網における個人情報ならびに電子情報に係る安全性、可用性および適正利用に資する保護ならびに管理体制の整備に関する法律〕である。


 言っていることは分かる。どんな法律なのかも分かる。しかし、そこはかとなく何か違和感のようなものを覚えるのだ。チャンユーならその違和感がなんなのか分かるのだろうが、ウーリンには何か分からなかった。ただ自分の勉強不足が招いた理解不足であると結論づけた。


 結局この法律にもウーリンは賛成票を投じた。

 もちろん闇雲に投じたのではない。きちんと条文を読み、内容を理解した上で、国民にとって必要なことであるとして、彼は賛成票を投じたのだ。


 ここ最近、個人情報の流出が問題になるケースが多く、情報を扱う人間が、そのデータを闇ルートに販売するケースもあり、社会問題になっていた。それを考えたら個人情報を保護する法案は確かにありだし、情報に関しても保護するのは当然だろう。

 ウーリンは当然のようにそう考えていた。その時までは。


 この法律がまさか、自分たちの首を絞める紐を手繰り寄せる切っ掛けになるなんて、この時のウーリンは考えも及ばなかった。

 しかし、着実に蜘蛛は糸を張り、巣を作り上げ、密かに獲物を捕らえる準備をしていたのだ。



【山あれば谷あり】


 確かにチャンユーは警告していた。ウーリンはそれを真っ向から否定した。

 しかし、チャンユーの懸念は正しかった。それを認識出来たのは、ずっと後のことだった。後の祭りだったと言っても良い。


 通管法に続き、保護法が通ると、次から次へと公共通信網に関する法案が矢継ぎ早に審議に掛けられ、可決していった。

 ウーリンは法案が提出される度に、きちんと内容を精査し、必要ないと思えば反対票を投じてきたし、危険だと思う法案にはノーを突きつけてきた。

 しかし、それでも、真綿のように自分たちで自分たちの首を絞めていたとは、露程も思わなかったのだ。


 結局、現在インターネットの監視体制はギチギチに固められ、自由闊達な意見交換の場ではなくなってしまっていた。

 そして、多くの逮捕者が出るまでになってしまったのだ。

 その時になって漸くウーリンは気付いたのだ。自分がしてきたことが、結局自分たちの首を絞めていることになっていたことを。


 だが、ウーリンはこうも考えた。

 誹謗中傷や詐欺広告、ウイルス散布と、監視、管理がなく、法律の手が及ばないことを良いことに、ネットワーク社会でやりたい放題をしてきた国民側のせいでもあるのだ。だから、善良な市民であるウーリンたちのような国民は、彼らを閉め出し、取り締まろうと、様々な法案に賛成してきたのだ。


 その道程は険しく、山を登るように一つ一つ着実に彼ら無法者たちを追い詰めていったのだ。しかし、気付いた時には、ネットワーク社会は監視社会になっており、ちょっとでも誰かに反論すれば、誹謗中傷だとレッテルを貼られ、最悪逮捕にまで至ることも屡々《しばしば》である。

 そうなれば、後は谷へと転がり落ちるように、ネットワーク社会は混乱に陥った。

 そして、表向きは平和になったのだ。


 そう、表向きはである。

 ウーリンはまだ気付いていなかった。彼らが育て上げたものは何だったのか、その正体を。

 

 そもそもの話に戻ろう。

 この国が、完全民主主義制度に移行した時に、法案審議は国民に任せることとなったが、法案作成は内閣がおこない、国会はその法案について、国民の審議に供して良いかどうかを審査する。

 そう、これが現在の国会の役割である。だが、完全民主主義に移行して数年が経った現在、国会議員の必要性が問われ、その数を減らし、代わりに台頭してきたのが人工知能である。国政の運営管理は、国会議員ではなく、現在人工知能へと完全に移管していたのである。


 こうして、国の管理は人工知能が担うようになり、その一環として公共通信網の管理も担うようになったのである。

 それを可能にしたのが、通管法である。

 そこにはこんな条文があった。

「公共通信網の管理主体は国民とし、運用は人工知能がおこない、公平性を担保することとする。」

 そう、この条文がネットワーク社会の監視体制を築く基盤であり、第一歩となっていたのである。


 ウーリンはこの人工知能の監視体制が、まるで蜘蛛が糸を張って巣を作るように、人工知能という蜘蛛がインターネット社会に糸を張り、監視体制という巣を築き上げてきたのだということに、漸く気付いたのである。


 この国は山道を転げ落ちるように、谷底にある地獄へと驀地《まっしぐら》に転がり落ちていったのである。


 ウーリンはチャンユーに対し、お前が正しかったんだと言おうとした。

 しかし、携帯端末を手にしたウーリンは、その言葉を打ち込むことは出来なかったのだった。



【後書き:2026年5月】


 ご一読いただきありがとうございます。

 2026年5月に提示されたテーマは【怖かったんだ】【蜘蛛の糸】【山あれば谷あり】です。


 今回は、本当に産みの苦しみでした。

 【蜘蛛の糸】というのは以前にも出たテーマなので、同じような話にするのはもちろん芸がなく、詰まらないと思い、この蜘蛛の糸をどう扱うかに苦心しました。

 いつものように蜘蛛と糸から連想出来るものを色々列挙していった結果、SFに相応しい題材としてネットワークが候補に挙がりました。

 しかし、問題はこのネットワークをどう扱うかです。

 インターネットを題材にした話はごまんとあり、仮想空間や異世界と繋がったり、ハッキングやクラッキングのような犯罪に使用されたり、社会問題になっている誹謗中傷や詐欺メール、詐欺広告などももちろんあります。

 そんな中で、色々と考えを巡らせていった結果、何かディストピア的な話が立ち上がりそうな、そんな雰囲気を抱きました。

 しかし、その世界観を構築する上で、色々と知らないことが多過ぎて、一筋縄ではいかず、設定を作り上げるのに、色々と調べたりして、苦労してしまいました。

 ですが、蜘蛛を人工知能として、ネットワークの中心に据えることで、この物語の世界が私の中で動き出したのです。

 そして出来上がったのが、今回の作品です。


 この作品をあなたはどう感じましたでしょうか。

 この作品が思索のきっかけになれば幸いです。

 次回は6月になります。よろしくお願いします。



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