「ホメヌ・メヘシ」 ~ 参 : 【誰も気がついてくれない】 ~
あれからどれぐらい経っただろうか。けたたましく鳴る警告音でクレメンティアは意識を取り戻した。コックピット内は赤い警告色が明滅しており、耳を覆いたくなるような大音量で警告音が響いていた。
「エレナ、何があったの。クアゴ人の修理はどうなったの。」
「クアゴ人というものが何者かは分かりませんが、現在、ケブラス星系外縁部の小惑星に不時着しています。エンジンおよび生命維持装置がダウンし、非常に危険な状態です。自己修復は機能不全に陥っています。クレメンティア・フリッチュの生命維持可能時間は、残り3nhを切りました。
なお、船体は素材構造不明の糸状の物体に包まれ、付近に蜘蛛型の生物らしき物体が我々を監視しています。」
エレナがそう返答してきた。エレナはクアゴ人を知らないという。確かにクアゴ人もケオバ星系も特定はできていなかったが、情報のすりあわせをしていたはず。
何かがおかしい。
「その蜘蛛型の生物らしきものがクアゴ人の宇宙船よ。私たちを救助してくれているのよ。あなたも情報のすりあわせをおこなっていたはずよ。」
「いえ、そのようなことはございません。この蜘蛛型生物とは一切コミュニケートできていません。あらゆる言語で交信を試みていますが、返答はありません。
我々はその蜘蛛型生物から放たれた糸状の物体で作られた繭の中に捕獲されています。救助などとんでもありません。ましてや情報のすりあわせなど一切ありません。
繭内は、先程から正体不明の液体が注入され、液体に触れた部分から徐々に溶け出しています。我々は攻撃を受けています。」
「どうして?さっきクアゴ人と名乗る者が救援しているって、エレナを修理しているってそう言ってたのに。」
先程とまったく正反対の状況にクレメンティアは戸惑い、理解が追いつかなかった。
「あなたの言うクアゴ人という者との接触は、この小惑星に不時着してから一度もありません。我々は不時着後、正体不明の蜘蛛型生物に捉えられ、その後正体不明の液体が繭内に注入されています。なお、外で我々を監視している蜘蛛型生物からは、電磁波が照射されていますので、あなたは幻覚を見ていた可能性が85%あります。」
エレナの言葉に、さらにクレメンティアは混乱する。
「あれが幻覚だったというの。確かに糸を繋げられた時、持つことも出来なかったけど。
それじゃ、先程したクアゴ人との交流はすべて夢、幻覚だったと言うことなのね。やられたわ。
救援信号は出しているのよね。」
「はい。救援信号は出しておりますが、応答はありません。」
「じゃ、詰んでるのね。エンジンが死んでるのなら、逃げることも出来ないし。」
クレメンティアは、誰も気がついてくれないこの状況に覚悟を決めるしかなかった。
結局クアゴ人とは何だったのか。ただの幻覚にしてはリアルだったが、そもそも、ケオバと言う星系も、クアゴと言う人種も、見たことも聞いたこともないのに、なぜそんな名前を知り得たのか、それが理解できなかった。やはり、強制的に見せられたということなのだろう。
「エレナ。調理機能はまだ生きてる?」
「はい。調理機能は稼働します。」
「じゃ、これがラストミール、お食い締めね。カヌギール星系のホメヌ・メヘシをお願いするわ。使う魚は鰺があれば、それで。」
「畏まりました。合成食材ですが、鰺はございます。それでよろしいですか。」
「それでおねがい。」
「少々お待ちください。」
暫くして、ホメヌ・メヘシがオート調理器から出てきた。ホメヌ・メヘシとは、魚を粘り気が出るまで細かくミンチにし、特産の調味料と薬味で味付けをしたもので、カヌギール星系の名産である。
クレメンティアは出来上がったそれを受け取り、ラストミールを堪能した。
このホメヌ・メヘシは、彼女が懇意にしていたメカニックのおやっさん、ナコニヘツ・ピィキドクの好物で、クレメンティアが訪ねると、いつもこのホメヌ・メヘシを出してくれた。
おやっさんのところには、最新鋭のオート調理器があり、いつも美味い飯を出してくれるのだが、このホメヌ・メヘシだけは、おやっさん自ら油の臭いが染みついた手で調理して、出してくれるのだ。おやっさんは、自分の手で作った方が美味いと言うが、クレメンティアにとっては、味は良いが油臭い料理という認識だった。
しかし、いざこうして、オート調理器で作ってみると、あの油臭いホメヌ・メヘシのほうが何倍も美味かったと感じ、懐かしくて涙が出てきた。
彼女の頭に去来するのは、これまでの人生だった。
生まれてからこの方、まともな生き方をしていなかった。この船を手に入れてからは、裏稼業からは一切足を洗い、付き合いも断ったはずだったが、まさかこんなところでやられるとは、予想だにしていなかった。
エレナに警告音を切ってもらったコックピット内は、やけに静かで、音はしているのだろうが、クレメンティアの耳には物音一つ届いていなかった。
彼女はラストミールを食べ終わると、いつもの習慣で食器を返却口に戻し、コックピットの操縦席で、誰にも気がついてもらえないまま最後の時を待った。
生命維持限界予想時間の残り時間は、すでに1nhを切っていた。
<完>