強くてニューゲーム
「……なんというか、」
「ん?」
「こういう部屋、支部とか同人で見ればテンプレと思いつつ楽しめるもんだけど、実際の当事者になるとうわあ、ってなるね」
「あー……そうだね」
そんなことを言いながら、ぐるりと見回した部屋の中。四方を囲う白い壁には、出入り口らしきものはない。電球もなく、光の入る窓のないこの部屋は、けれど不思議と明るかった。
部屋というよりは箱に近いかもしれない。あるものと言えば、部屋の中心に置かれた不思議な形の椅子。木製の骨組みと、クッション部分には赤の布。骨組み部分がぐにゃりと曲がり、互いを斜め後ろに置くような作りのそれ。たしか密談椅子というのだったか。ずいぶん昔に、SNSで見かけたことがある。彼女はそこに腰を下ろし、私の言葉に相槌を打っていた。
そんな彼女を振り返りつつ、私は改めて、正面の壁に目を向ける。そこには、無機質な黒い文字列が、整然として並んでいた。
『相手に対して抱えている最大の秘密をどちらかが一つ話すこと。』
『秘密を話せば、この部屋から出ることができる。』
『この部屋を出たら、その秘密に関する記憶はなくなる。』
つまるところ、示された条件を満たさなければ部屋を出られないということだ。いわゆる『〇〇しないと出られない部屋』のいちパターン。あの類のテンプレートはアホエロ系が多いが、このタイプはどちらかと言えばシリアスに持っていけそうな条件。ただ、最後の追加設定のお陰で秘密は保証されるらしい。ありがたいことだ。
「流石に壁は壊せないし、条件満たすのが早いんだろうけど……」
――秘密ねえ。
そんなふうにひとりごち、首を傾げて唸って見せてから、私はくるりと踵を返した。それに気づいた彼女は、こちらを見つめて首を傾げる。私はそんな彼女に小さく笑い、彼女がかけていない方の席に腰を下ろす。
「どう? ユキちゃんは、なんか心当たりある? 私に対する秘密」
首をひねってそう尋ねれば、彼女はうーんと天井を見上げて黙り込む。多分、これと言って思いつかないのだろう。
「ま、お互い知らないことなんて山ほどあるし、だからってそれが相手への秘密かって言うとそうでもないもんね」
だからフォローするようにそう口にすれば、いつもどおりの声で、そうだね、と静かな返事。私は何となくそれに微笑んで、ソファの上で足を組む。
言っていない事、と秘密にしている事、というのは、生じている状況は同じでも意味合いが全く違う。私と彼女は知り合ってまだ半年程度。それなりの交友関係を築くことはできてると思うが、だからといって互いの何もかもを知っているわけではない。それはあえて話していないのではなく、話す必要がないから話していないというものが大半だろう。
秘密というのはあえて話していないということだ。つまり相手に知られたくないこと。
だからというわけでもないが、この部屋に私達を放り込んだヤツ(いるかどうかもわからないが)は、きっと性格が悪いのだろう。いくら忘れるといったって、言いたくないことを言う精神的なハードルが消えるわけではない。
「アカネちゃんは? 何か心当たり、ある?」
当然の流れというか。
渡した問いがそのまま自分に返ってきた。そりゃどちらの秘密でもいいから一つ、というなら、自分の心当たりがなければ聞いてくるだろう。
少なくともどちらかになければ、この部屋の条件自体が破綻する。
そしてその問いの答えは、そのままこの作為に満ちた部屋の作者に対する評価の理由だ。
つまりこの作者は、
「……あるよ」
私にそれがあることを、分かっているというわけだ。
『秘密を話さなければ出られない』
『話した秘密に関する記憶は、部屋から出れば消える』
話すことは必須だけれど、話すことによる不利益はない。どころか、この場合は……。
「強くてニューゲーム……ってか、」
「……アカネちゃん?」
ぼそっとつぶやいた私に、彼女は心配そうに声をかける。そんな状況でもないというのに、これで嬉しくなってしまう私もどうなんだろうか。
「話したくないなら、無理に話さなくてもいいよ?」
それ以外に出る方法も見つからないのに、彼女は気遣うようにそう告げる。本当に、いつもいつも、優しい人だ。
「何でもないよ、ユキちゃん。ただ、ごめん……ちょっとだけ、待ってもらってもいい?」
「……いいよ、ゆっくりで」
「ありがとう」
お礼を言って、私は深く息を吐く。
この部屋の作者は性格が悪い。けれど、浮かぶこの嫌悪感と苛立ちは、多分同族嫌悪というやつだ。
だったら、気づいた可能性を模索せず、他の人間と同じように、正々堂々粛々と進めることが、きっと最適で、多分『格好いい』のだろう。
それでも。
全部を使うことは、とっくに決めたことだ。
私はもう一度息を吐いて、それからすっと背筋を伸ばす。後ろは向かない。彼女も見ない。
そうしてようやく、口を開く。
「いつかは、話す予定だったんだけどさ、」
「うん」
「忘れるとはいえ、こういう形で言うのは、まあだから、不本意ではあるんだよね」
――だから、それは念頭に置いてほしい。
彼女の方を見ないのは、わずかに残ったプライドだった。全部を使うと言いながら、何とも中途半端な選択ではあるけれど。結局私なぞそんなものだ。
「私ね、ユキちゃんが、」
一言ごとに、唇が震える。忘れるとわかっていても、その瞬間が怖いなんて当たり前なのに。
やっぱりつくづく、性格が悪い。
「好きなの」
――恋人になってほしい、って意味で。
「……え?」
彼女が、こちらを向いた気配がした。やっぱり怖くて、振り返ることはできなかった。それでもその反応で、声色で、結果はなんとなく予想がついてしまう。
振り向かないまま、気まずい空気を感じつつ、早く開けと焦れていれば。
バタン! と音がした。
視線を向ければ、何もなかったはずの壁に、開け放たれた扉が出現している。
「……行こっか」
「アカネちゃん、」
促すように、決してそちらを見ないまま告げれば、追ってきたのはそんな声。
その声に、私の心は否応なしに震えてしまう。
名前を呼ばれるだけで、心が踊る。
予定がある日は一日嬉しかった。
顔を合わせればどうしたって相好が崩れてしまう。
隣に立つだけど、そこにいるだけで、心臓が跳ね上がる。
それほどの恋なのだ。
ああそうだ。これは恋だ。私は彼女に、骨の髄まで惚れてる。
けれど。
「ユキちゃん、」
とうとう振り返った私の顔は、一体どんな表情をしていたのだろうか。彼女の声が好きだ。紡がれる言葉が好きだ。告げられたそれらを一字一句逃すまいと、私はその言葉を遮ることは、これまでなかった。
けれど、今ばかりは。
この続きだけは、聞きたくなかった。
真一文字に結んだ口に、一本立てた指を添え、しい、と一つ示してやれば、彼女はぴたりと黙り込む。何だか視界が曖昧で、その表情は伺えないが、とにかく意図は察してくれたのだろう。
「行こ」
黙った彼女に笑いかけて、そうして私は扉をくぐる。どうせ全部忘れるなら、この痛みも、悲しみも、なかったことになればいい。
◇◆◇
網戸にかかったカーテンが、視界の端で揺れている。枕元にあるスマホは、いい加減に起きろとしつこく要求してくる。
涼しくて、少しだけ乾いた空気。いつもどおりの、爽やかな秋の昼前。
「…………」
そろそろ耳障りだったアラームを止め、私はベッドの上で状態を起こし、そのまま立てた膝に額を押し付ける。
「……まだ、駄目か」
妙にリアルな夢を見た。
作為に満ちた、嫌な夢。
肝心の“秘密”が何だったかについての記憶は、宣言の通りにないけれど……それでも、内容の予測くらいはつこうというものだ。
そして何より嫌悪を抱くのは、これが初めての夢ではない、ということ。
確か一ヶ月ほど前。一度、同じ夢を見ていた。交わしたやり取りは変化したが、肝心の結果は変わらない。中身は分からずとも、付随した感情はそのままだ。
「ほんっと、クズ」
一体何の因果なのか、どうやら私は、彼女に何度でも告白する機会を賜ったらしい。
秘密が何かは分からない。けれど心当たりなぞ一つしかない。
現状での勝機はほぼゼロ。だが今のところ築かれているのは友人関係で、そしてその程度はこれから変わっていく。
より親密になれば、確率は上がる。手に入れたものを失いたくないというのは、ヒトの自然な感情で、親密になるほどそれは強くなる。
だったら、失いたくないと思わせればいい。
この先も同じ機会を賜われるなら、確認ができる。確証を得られる。
卑怯でもなんでも……プライドなど、犬の餌にもなりはしない。使えるものはすべて使う。そうまでしてでも、私は彼女が欲しいのだから。
「……ごめん」
消え入りそうなその声は、なんの懺悔だったのか。カーテンの隙間から覗いた空は、どこまでも高く澄んでいた。
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