始まり~発展
上島裕也(28)
上司。正確:鬼。
梅塚雅(22)
新卒。正確:負け嫌いのM。
「梅塚!!!!」
今日もオフィスに木霊する上島さんの声。
毎日の日課となりつつある。
入社して4ヶ月。
最初だけは優しかったが、1週間で本性が見えた。
奴は鬼。
「はいっ。何でしょうか!?」
眉間の皺がやたら深い。
やばい・・・マジで怒ってる・・・。
「何でしょうか!?じゃねぇよこのボケ!
お前が作ったこの書類、まったく使い物にならねぇよ!
どうやったらこんなゴミを時間かけて作れるんだ!?
さっさと作り直してこい!」
「はいっ」
返事だけは良い私。もはや条件反射ですけどね。
でもねぇ・・・ゴミって。
私が丹精込めて作った書類ゴミって・・・。
辞めようかしら、この職場。
入社して何回も思った自問自答にまた苦しめられながら、私は午前中一杯かけて作った書類に目を通し、作り直し始めた。
5時。
仕事が出来る人間であれば退社できる時間。
しかしまぁ・・・こんだけ怒られている私が仕事が出来る部類の人間であるはずも無く。
今日も残業決定です。
今日のノルマ、まだ3分の1しか出来てないからね・・・・。
「梅塚・・・お前また残業?」
上島さんが、呆れたように声をかけてくる。
「そうですけど・・・」
「何回も言ってるような気もするが、ゴミみたいな書類はもう作るなよ。時間と紙と給料の無駄だからな」
「・・・はい・・・」
鬼ですか?
本物の鬼ですかあなたは!?
私だってさっさと帰りたいし、いつだって真剣に書類作りをしている訳なんですよ。
なのに、ゴミだの給料泥棒だの・・・。
真剣にグレるぞ。っつうか泣くぞ!?
と、心の中で愚痴りながら今日も書類作成の為に残業に励むのでした・・・。
3時間後。
午後8時。
周りには誰もいなくて、私一人パソコンと睨めっこをしている。
漸くあと少しでノルマ達成!
「まだやってんのか?相変わらずトロいやつだな」
「うぉ?!」
ふいに上島さんが背後から声をかけてくる。
びっくりして変な声をだしてしまう私。
「何でまだいるんですか?!っていうか急に話かけんで下さい!びっくりするじゃないですか!」
「お前が勝手にビビッてるだけだろうが。俺のせいにすんじゃねぇよ」
・・・どうせ私が何もかも悪いんですよぉ〜だ!
とむくれていると
「ケッタイな顔してねぇで、さっさと残り仕上げろ!飯奢ってやるから」
・・・はいっ!?
今、この鬼は何て言いましたかね・・・?
奢る?
マジで!?
「わかりました!!」
一人暮らしの私。
遊ぶ時間もないから大してお金は使わないけど、やっぱりお金が溜まっていくのは好きなわけで。
これで食費が浮く!!
「・・・現金な奴・・・」
呆れた顔をされているのかもしれませんが・・・PCに集中し始めた私はそんな事を気にも留めず、奇跡的に10分でノルマを果たしたのでした!
最初からこんんだけの集中力がでればなぁ。上島さんに怒られる事も、残業する必要もないのかもしれませんが・・・。
連れてきてもらったのは小料理屋的な居酒屋。
どうやら上島さんの行き着けらしい。
私と上島さんはとりあえずビールを片手にお疲れ様乾杯をした。
「はぁ〜〜〜〜!おいしい!」
一気に3分の1を飲み干した私を見て
「オヤジ」
と一言。
憎ったらしい奴!
「上島さんの方が6歳も年上なんですから、オヤジなんて言われたくありません!」
お酒の力と社外という事もあって、いつになく強気になる私。
グビグビっと最初のビールを一気に空けて、焼酎のロックを注文する。
「いや、行動がオヤジならもうオヤジで良いんじゃねぇか?」
「だめです!私はまだまだ若いんですからね!」
クスクス笑いながら楽しいそうに酒を飲んでいく私を見ている上島さん。
そんなに面白いか?
っていうか、初めて見た。上島さんが笑ってるとこ。
何か、かっこよくない?
「けったいな顔してないで、さっさと食え!お前最近痩せすぎ。
ただでさえ魅力ないのが、輪をかけるぞ」
・・・前言撤回で!
こんな奴、とんでもないですよ!!!!
怒りと疲れでバカみたいにハイペースで飲んでしまった私。
1時間ほどするとすっかり潰れてしまったらしく・・・。
気がつくとまったく知らない部屋にいた。
酷く頭痛がする。ついでに吐き気も・・・。
気持ちわるっ・・・
昨日何があったんだっけ・・・?
「やっと起きたか。酔っ払い。もう二度と飲みには連れて行かんからな」
ふいに背後からかけられる、毎日嫌ってほど聞いている声。
特に怒鳴り声をしょっちゅう聞いているような気がする。
「う・・・上島・・・さん?」
「なに」
すっげぇ不機嫌な声の主の顔を私はどうしても見ることが出来ない。
だって絶対般若みたいな顔してる!!
眉間に皺寄せて、角とかも絶対生えてる!!
人間じゃないような怒り顔してる!
申し訳ない気持ちが無いわけではないが、恐怖の方が勝ってしまって。
私はその場で硬直して動く事が出来なくなってしまった。
すると耳元で
『聞いてる?』
ものすご〜〜〜く低い声ですごまれた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!
もうしません!二度としませんから許してください!!!!!」
バッと振り返り顔を見る事もなく土下座して平謝り。
「良い眺めだな、おい」
「へ?」
良い眺めって?
そういえば何だか全身がすごく寒いような気がしなくも無いが・・・
「げっ!!!!」
私は思いっきりシーツを引っぺがして体に巻きつけた。
だって私真っ裸なんです!!
そんな立ち居振る舞いで土下座なんてしたもんですからあなた!
全身しっかり見られちゃったんですよ!!
っつか、何で裸なのよ私!!
「おい」
耳元でまた低い声が聞こえる。
ち、近い!!!
思わず後ずさろうとするが、シーツを踏んづけられていて、30センチ程度しか進まない。
「な、なんでしょうか!?」
余りにも顔が近すぎて目を合わすことすら恥ずかしい。
そっぽを向いて返事をする以外、私に何が出来るというのでしょう?!
「礼くらいしてもらっても良いと思うんだが?
仕事待っててやって、飯奢ってやって、看病してやって、吐いたもん全部片付けてやって、ベッドまで提供してやったんだから?」
吐いたのか、私。それで服脱がされてるんだね〜〜
笑いごとじゃないかぁ・・・。
あ〜あ、やっちゃったなぁ〜・・・。
っていうかお礼って・・・?
それよりも、今現在なにより問題なのは・・・
上島さん、近すぎです。
離れて下さい。
本気で怖いんです。
お願いですから後1メートルは距離を保ってください。
と、言う勇気があれば、こんな体制になってるはずも無く、ただただ目を泳がせながらひたすら離れてくれる事を祈るしか出来ない私。
「お、お礼と、も、申しますと?」
思い切りドモってしまう。
うぅ・・・男の人とこんなに近づいたことなんて無いんだよぉ。
しかも、私、全裸にシーツとかいうわけの解らない格好なんですよぉ〜〜!
「顔真っ赤。猿の尻みたい」
誰のせいだとっ!!
あなたがもう少し離れてくだされば正常な肌色に戻るであろうと思われますが!!
もう、挙動不審ってくらいアワアワしてると、トンと押されて、その反動でベッドに寝転ばされた。
で、当たり前のように私の上には上島さん。
待て!!!
良いから待て!!!!!
この体勢は明らかにおかしいだろう!!!!!!!
「な、ななな何ですか!?
ど、どいて、く、くく下さい!!」
「お前どもりすぎじゃね?」
だから誰のせいだと?!
必死に上島さんの体を押し返そうとするが、びくともせず。
挙句の果てに、ジャマ、とでも言いたげに私の頭の上に両手を一括りにして片手で押さえつけられる。
やばい!
本気でこの体勢は絶対おかしい!!!
「礼、してくれるだろ?」
「しますから!!!だからどいてください!!
今度何かご馳走くらいならしますから、私の上から離れてください〜〜〜!!!」
もう必死です。
何とかしてこの状況から逃れたい私。
お金なんかもうどうでも良いから早く私の上からどいてくれ!!!
体をじたばたさせるけど、ピクりとも動こうとしない上島さん。
「ふぅん。ご馳走ねぇ。じゃあしてもらおうかな」
「します!しますから!!」
「何でも?」
「何でも良いですから!!」
早く私の上からどいて欲しい一心で私は即答しまくる。
で、気付いてしまった。
表情は笑ってるものの、目がまったく笑ってない。
すみません。本気で怖いです。
もう、ヘビに睨まれてる蛙の気持ちがいやってほど解っちゃいました。
やばい。何でもなんて言うんじゃなかった・・・。
「じゃあ・・・」
能面のように貼り付けていた笑顔が消えた。
真顔になった上島さん。
ちょっとかっこいいかも・・・。
「喰わせてよ。梅塚さん?」
「な、何を?」
「梅塚を」
へ?
喰うの?
私を?
いくら私が鈍感だってわかるよ。
「や、やです!!!!」
一呼吸置いて、思いっきり拒否ってしまいました。
思わずってやつです。
後から後悔してももう出てしまった言葉は無い事には出来ません・・・。
みるみる般若になる顔を目の当たりにしてしまいました。
いっそ気絶させてください。
もう、本当に勘弁してください。
泣くぞ!!
これ以上恐怖を私に味合わせたら、私は確実に泣くぞ!!!!
「何でお前が泣きそうなわけ?
今は俺の方が傷付いてると思うんだが?」
眉間に深ぁぁぁく皺を刻みながらどん底に低い声でつぶやかれる。
勘弁してください。
「な・・・なななな何でううううう上島さんの方が、き、ききき、傷付くんですか!!」
半泣きで抗議する。
我ながら情けないが、仕方ない。
もう私なんて猫に弄ばれているネズミのようなんもんなんですから・・・。
猫はじゃれてりうつもりかもしんないけど、こちとら溜まったもんじゃないっつぅの!!!
「はぁ、まぁ良いけど。そんじゃ今度なんか奢れよ」
そう言うとため息を一つついて私の上からしょうがなしのように降りてくれた。
うぅ・・・怖かったよぉ!
本気で犯されるかと思ったよぉ!!!!
うずくまって、不覚にも私は泣いてしまった・・・。
仕方ないですよね!!
だっていっつも怒鳴られてる上司にいきなり上に乗られて、しかも言われた台詞が『喰わせろ』ですよ!?
普通に怖いって!!!
本気で怖かった〜〜〜!!!!
ポンポンと頭を叩きながら撫でられる。
ふぇ・・・?
「こんな事ぐらいで泣くんじゃねぇよ。アホ」
優しくない・・・。
でも、頭を撫でる手はすごく優しくて何だかとっても安心してしまった。
目が覚めた時、奴は目の前にいた。
顔近っ!!!!!!!!
何と一緒のベッドで寝ているではないか!!
っていうか、私寝ちゃったの?
犯されそうになった人のそばで?
・・・自己嫌悪に陥りそうです・・・・。
まぁ、そうそう落ち込んでいられる状況でもないので、さっさとお暇しちゃいましょう。
起きられてまたからかわれるのは本っっっ気でもう勘弁ですからね!!!
もそもそとベッドから出ようとする。
ん・・・?
服、着てる?
確かに寝る前まできちんと(?)裸だったはず。
1 寝てる間に自分で着た
出来るかよ、んな事。
2 実は上島さんはお母様と同居してて、その人に着せてもらった。
見える範囲、聞こえる範囲には人の気配すら感じれない。
3 上島さんが寝てる間に着せてくれた
……3、だよねぇ!!!!
それ以外は願望でしかないもんね!!
うわぁ・・・
思わず身悶える私。
全裸で一緒のベッドも嫌だけども。
せめて着させてもらってる時に起きようぜ、私!!
どんだけ図太いんだよ、自分。
はぁ〜〜〜・・・・。
盛大にため息をついた矢先
「何やってんの?」
ベッドから上半身を起こした通称鬼に冷ややかな視線を浴びせられる。
「お、起きてらっしゃんでございまするね・・・」
「何処の方言だよ、ボケ」
寝起きの為か、これまた表情が険しくていらっしゃる。
もうやだ、この人。
いちいち怖いんだからなぁ、もう・・・。
「一人で百面相してんじゃねぇよ。気持ち悪い」
「スミマセン・・・」
なんで私が謝らにゃならんのだ!?
絶対に私悪くないよ。
『梅塚!』
「はいっ!!!」
あの後、速攻で私は奴の部屋を出た。
本気でもうからかわれたくない。
怖い。
という事で。
『私の服を着せたのは誰か!?』
という疑問を解決せぬまま飛び出したのである。
背後でクスクスと隠しきれない面白そうな笑い声が聞こえたような気もするけど、この際んなもん無視!!!
自分の恐怖心の方が大いに勝った結果の行動なんだから仕方ないじゃないか!
で、現在はいつもの状況。オフィスにて怒鳴られまくるという日常が戻ってきているのである。
奴は相変わらず鬼のまま。
昨日のアレはいったいなんだったんだ・・・。
心底恐怖を感じたんだぞ!!!
なんて言えるはずもなく、今日も今日とて奴に怒鳴られ続けている私なのでした。
「昨日お前がセカセカ作った書類だがな」
また訂正ですか・・・?
もう何を訂正すれば良いのか解りませんよ・・・?
「お前にしては上出来だ」
「へ!?」
褒められた!?
っつうか、人を褒めれたのか!この鬼は!!!
「不細工な顔してんじゃねぇよ。
最初からこの程度の仕事してりゃ、俺の労力も無駄遣いせんで済んだんだからな!」
やっぱり鬼だよ、この男〜〜〜!!
でもまぁ、今日は久しぶりに残業なさそうだし!
帰ってゆっくり寝よう!!
あぁ・・・久しぶりの開放感だよぉ〜〜
そんな調子で浮かれて今日のノルマを仕上げた。
で、奴にチェックしてもらう。
もちろん結果は!?
はい、残業です。
また赤の文字で嫌がらせのように訂正されている書類達・・・・・・・・・。
浮かれるんじゃなかった。
本当、せっかくの定時上がりのチャンス!!!
逃しちゃいましたね。完全に・・・。
時は午後9時。
終わった。
今日の私のノルマの訂正書類。
うふふ。もう会社に住んじゃおうかしら??
真っ暗だし、誰もいないし。
何だかもう悲しくなってきちゃったなぁ。
本当に辞めようかな、会社。
上司は鬼だしセクハラだし、喰わせろとか言うし?
ついでに真剣に怖いし。
同僚も私がいぢめられてても慰めの言葉もないし・・・・。
嫌われてるのかなぁ・・・。
「あ、あれぇ?う、うう梅塚さんじゃないですかぁ?」
背後から不意に声をかけられる。
聞き覚えがあるぞ、この声。
このドモリ方。
私がもっとも苦手とする人物の声にそっくりな気がするぞ。
恐る恐る振り返る。
やっぱり・・・
「高遠さん・・・」
露骨に嫌そうな顔をする私。
だって、苦手というよりは嫌いなんだもん、この人。
高遠守(22)
同期入社だが他部署配属でめったに見ることはない。
はずなのに、何故かしょっちゅう視界に入ってくるこの男。
たぶん、好意もたれてますね。
きっと嫌な人じゃないんだろうけど!!
でも、生理的に受け付けない人っているじゃないですか!
駄目なんです。この高遠守という男は正にその部類。
オーラがもう気持ち悪いんです〜〜〜!!!!
「ぐ、偶然ですねぇ〜〜ぼ、僕もき、今日、ざ、残業なんですよ〜〜」
いちいちどもらないで下さい。
そして、なぜこの空調の聞いたオフィスの中でそんなに汗だくなんですか!?
そして、私は毎日残業ですが何か!?
「そ、そそそんなに嫌そうなか、か顔しないでくくく、下さいよぉ〜〜
ぼ、ぼぼ、僕のこと、きき、嫌いなんですか〜〜?」
いちいちなんで語尾を伸ばすの!?
もう、やだ!!
本気で無理〜〜!!!
「ご、ごめんなさい。私急いでますから、これで」
ちょうど仕事も終わっていたのでそそくさとこいつと距離をとり帰ろうとしたその時。
ぐっ!と手首を掴まれた。
ネチョっと汗が染み付く感覚。
一気に悪寒が走り、肌という肌が総毛立つ。
「は、離して!!」
力いっぱい振り払おうとするけど、びくともしない。
何なの!?
「そ、そそそそ、そんなに露骨な、た、たた、態度は傷付くなぁ〜〜〜
ぼ、ぼぼ、僕は、梅塚さんの、こと、こここ、こんなに、だ、だだ、大好きなのになぁ〜〜」
顔が徐々に近づいてくる。
何で目を閉じてるの?!
まさか、キスでもするつもりじゃないでしょうね!?
やめて、いやだ、近づくな!!!!
必死に振り払おうともがくが、本気で動かない。
それどころか、暴れるのがまるで悪い事のようにこいつは私を押さえつけてくる。
無理!逃げられない!いやだ、こんな奴にファーストキス奪われるなんて絶対いやだ!!!
「いや〜!!!助けて〜〜!!!!!」
『おいこら、何やっとんじゃ、神聖なオフィスで』
いつもこの声にびびらされてきた。
このときほどこの声に安心した事は後にも先にもこれっきりだろうな。
「上島さん!!!!」
急の背後からの声に一瞬ひるんだのか、腕の力が抜けた。その瞬間に私は高遠の腕を振り払い、上島さんに飛びついた。
体の振るえが止まらない。
真剣に怖かった!
ポンポンと頭を優しく撫でられると少し落ち着いた。
『で?貴様は何をしようとしてたんだ?神聖なオフィスで。しかも他部署で、高遠?』
「・・・」
高遠は何も言わない。
たぶん言えないんだろうな。
上島さんの声、いつもより3倍くらい怖い。ドスが効いてるというのか・・・。
これじゃあ顔も鬼のように変化してるだろうし。
気が弱い高遠じゃ、睨まれただけできっと石だろうな。
『西ノ宮に連絡させてもらう。説教は奴から受けろ』
西ノ宮とは上島さんの同僚で高遠直属の上司。
上島さんの上を行くドSでいじめっ子で鬼だと聞いている。
ものすごい悲壮感を顔中に浮かべて高遠はオフィスから出て行った。
目一杯怒られろ、バカヤロー!!!!!
『アホが。自分の身くらい自分で守れんのか』
会社に高遠を残し、二人でこじんまりとした居酒屋へ来ていた。
今ではすっかり涙も引いている。さっきまでの嫌悪感だけはどうしてもぬぐい去れないのが玉に瑕ではあるけども・・・。
「だってあの人、メチャメチャ力強かったんですよ?!
どんだけ振り払ってもがっちり捕まれちゃってるし!
本当に怖かったんですから!!!」
呆れたように溜息をつきながら一気にビールジョッキをあける目の前の鬼は、それでも助けてくれた安心感からか、今までのような恐怖を抱くことは少なかった。
『だったら残業せんで良いようにさっさと毎日きっかり定時に上がれるように仕事をしろ』
えぇ、もうごもっともで。
でも、それが出来るならこんな事が起こる前にきっちりそうしてるわよ!
「私だって・・・好きで残業してるわけじゃないんですよ・・・?」
『当たり前だ!ボケ!』
なんだかもう、どなり声で安心してしまったもんだから、ボケでもなんでも言ってもらって結構ですよ。
本当に、あなたが怖くてたすかりましたからね。
ひとりでクスクス笑っていると、それに気を悪くしたのか、やつの顔の眉間に徐々に皺が・・・。
しまった。
『貴様。いい加減にせんと本気で怒るぞ?』
「すみません・・・」
やっぱり怖いわ、この人・・・
『にしても、お前は襲われやすいな。まったく色気もクソもないのに』
「お、襲ったうちの一人は上島さんじゃないですか!」
ニヤっと意地の悪い笑顔を顔に張り付けている。
うぅ・・・この人根本的に人間としてどうよって暗い意地悪だ。
っていうか、自分がやり始めじゃないのか?!
『その襲われかけた人間に飛びついて助けを求めたんだ。
貴様はもう、俺に何をされてもOKだと認識して良いわけだ』
いやいやいやいやいや!!!
「それはあまりにもおかしいんじゃないですかね!!」
『なぜ』
いや、そんなシレっとした顔で当たり前のように疑問をぶつけられても・・・。
「なぜって、そんな、そことそれをイコールで結ばれてもかなり困っちゃうんですけど・・・」
何だ?
私のほうがおかしな事を言ってるのか?
何か意味不明な頭のおかしいことをぬかしているとでも?
『取りあえず今は見逃してやるが、コソアドをもっと減らして物を話せるようにならんと、全く意味が通じなくなるぞ?
ただでさえまとまりがなくてお前の話は究極的に分かりにくいんだ』
え!?そうなの!?
『まぁ、いい。今日はさっさと帰るぞ。明日は休みとはいえ、二日連続で飲みはキツイ』
「はぁい」
なんか釈然としないぞ。
絶対さっきの発言は上島さんの方がおかしいぞ!
たぶん・・・・
『この女は・・・反省と言う言葉が欠落しているのか?
ええ加減にせんとマジで襲うぞボケ・・・』
俺が梅塚を家に運んだのは飲み始めてから2時間後。
以前のことも考慮して出来るだけ早飲みをさせないよう考慮していたが、トイレから帰ってくると、このざまだった。
酔いつぶれて、机に突っ伏している梅塚を本気で殴ってやろうかとも思ったが、仕方なく家まで運んでやった。
こんなことなら住所でも聞いとくんだった。
『おい、酔っ払いの色気なし女。
さっさと起きろ。
そんでもって帰れ。なんでお前はそんなに酒癖が悪いんだ?』
「ほぇぇえ?ここはぁ、ろこでふかぁぁあ?」
『・・・マジでくびり殺してやろうかこのアマ・・・』
「うえひまさぁん?」
『なんだ』
「お水、くらはぁい!」
実にご機嫌に水をねだってくるこの女に俺は真剣に殺意を覚える。
正気になったら覚えておけ。
裸にひん剥くぐらいですまされると思うなよ。
『やっぱりか・・・。真剣に犯すぞ、このアマ・・・』
ご丁寧に氷まで入れてやり、寝室に戻ると、予想通りというか情けないというか、案の定奴は爆睡していた。
せっかく起こしてやったのに・・・。
っていうか、危機感なさすぎじゃね?
昨日ヤられかけて今日コレって。
はぁ・・・・。
「上島さん!?」
目を覚ますと、超近距離で上島さんの顔が目の前にあった。
しかも寝顔!
っていうか、私の枕、上島さんの腕なんですけど!!
何で!?
何でぇ〜〜〜!?
『おいこら、そこのカス。
人のベッドで暴れてんじゃねぇぞ。うっとうしい』
「ひぃ!!!!」
『やかましい!』
すぱぁん!!と心地良い音が響き渡る。
私の後頭部を思いっきり平手打ちした音である。
真剣に痛いんですけど・・・
「いったぁ!!」
思わず抗議しようと振り向き、奴のそれはそれは険しい表情に思わず絶句する。
『貴様は・・・どれだけ俺の邪魔をすれば気が済む!?
飲みに行くたんびに潰れやがって!!!!
何で奢った挙句に介抱まで俺がせにゃならんのだ!
しかも!自分のベッドに寝かせてまでやってんだぞ!
こんだけしてやって、この上文句を抜かすようなら、即刻犯すからそのつもりで口を開けよ、この大バカ者が!!』
あ、あぁ・・・私、また潰れた?
見覚えがある部屋。
それもそのはず。
昨日も私、ここに連れてきてもらってたんだもんねぇ・・・・。
「す、すみません・・・ありがとうございました」
でも、何でまた裸なのぉ・・・?
また私、吐いたのかな・・・?
「あの、上島さん・・・?」
『あぁ!?』
い、いちいち睨みを利かさんで下さい・・・。
怖いです。
「あ、あの、私の服はいずこへ・・・?」
『脱がした』
「や、だからどこにあるんでしょうか?」
『捨てた』
「は!?何で!?」
『嫌がらせ』
「はぁ?!!?」
嫌がらせて!!!
何それ!?
『ここまで俺に迷惑掛けといて、本気でただで帰れると思ったわけでもあるまいな?』
「えっ・・・・」
た、ただで帰してもらえないんですかっ!?
う、うわぁ・・・表情はほんのり笑顔なのに目が全く笑ってないよ。
どうしよう、マジですよ。この人・・・。
「た、ただで帰して、いただけると、大変、喜ばしい、んですが・・・」
『覚えておいた方がいいぞ?
世の中そんなに甘い男ばっかりじゃないんだ』
「そ、そこを、何とか、なりませんかね?」
待て!
何で腰に手が回ってるの!?
首の下にすでにあった手は仕方ないとしても!!
人にまきつくように腕を回すのは何故!?
『どうにもならんな。
さっさと覚悟を決めてもらおうか』
目がマジなんですけど・・・・。
「や、もう、マジで・・・お願いしますから。何とか!」
心臓が口から出てきそうなんですけど!!!
近い!!!
そして真顔の上島さんってばどうしよう!?ってくらいかっこいい!!
いやいやいや!
そうじゃなくて!!!
しっかりしろ私!
頭がパニックでウジでも湧いてるんじゃないか!?
そうだ!
恐怖できっと回線がバグってそんでもって虫が湧いて壊れちゃったんだよきっと!!
『ぶっ!!』
・・・へ・・・?
ぶって何?
いきなり我慢の限界のように噴き出してうずくまっちゃったよ。
ってか、この人笑ってるよ。
初めて見たかもだよ。
真剣に笑ってる上島さん。
いつもみたいに目だけ笑ってなかったりしてない、本当におかしくてたまらないって感じの笑い方。
何だ、こういう表情してると上島さんって本当にイケメンなんだなぁ・・・。
『アホ面。何睨んでんだよ。犯すぞ』
・・・すぐにこういう風に人を脅すのはどうかと思うけどね。
「人を脅かした揚句笑われて、その台詞はどうかと思いますけど・・・」
『貴様がそうされても仕方ない行動をとるからだろうが戯け』
戯けってもう・・・人を貶める言葉の宝庫だなぁ、この人。
確かに酔いつぶれた私が悪いのかもしれないけどもさぁ。
それはまぁ、置いといて。
真正面から真顔で見据えないでいただきたいんだけど・・・。
私、裸だし。
掛け布団しか羽織ってないわけですし。
脱がされてるわけだから、全部見られてるんだろうけども。
やっぱり意識のある時に見られるのはしこたま恥ずかしい・・・。
「あの、そんなに見ないでもらえますか?それと、なんか着る物を貸していただけると非常にありがたいんですけど・・・」
『やなこった』
当たり前のように言いきっちゃったよこの人。
・・・即答ですか・・・。
「あの、じゃあ私はどうやって帰れば・・・」
『うちに住めば良いんじゃね?』
「はい!?」
『ハイっつったな。肯定したとみなす。今日からここから会社に通うんだな』
「ちがっ」
『撤回は受け付けない』
「んな無茶なっ!」
何だか訳の分からないうちにけったいな同居生活が始まった・・・。
ってか、何なの!?
何でこんな強制的に私はこの人と一緒に住むことになってるの!?
そりゃ一人暮らしだから誰に反対されるわけでもないし!?
ぶっちゃけ家賃浮くのはすっげぇ助かるし!
でも、だからってこんな心臓に悪い人とずっと一緒とかあり得ないんですけど〜〜!!!!
奇妙な同居生活1日目
地獄です。
とりあえずなんとか服を貸していただいて、裸を脱出するまでに要した時間2時間。
何で服着るだけでこんな時間をかけなくちゃいけないんですか・・・
「お願いですから、何でもいいですから服を貸してください!!
でないと私、ベッドから出れません!」
『じゃあベッドに住みつけば?』
「トイレは?!」
『そこまで俺が面倒みれるか』
「だったらお願いですから服を!」
『却下』
「何で!?」
延々2時間。こんな会話をエンドレス。
最後はどうにかこうにか折れて下さいましたけどね。
『しょうがねぇなぁ。なんで俺が貴様なんかに服を提供せにゃならんのだ?』
「それは上島さんが私の服を脱がして捨てたからじゃないからですかね・・・」
『何?貸してほしくないって?』
「嘘です!何も言ってません!!!だからもう本当に風邪ひきますからお願いだから服をっ!!体を覆う布をください!」
『布ならお前が今座ってる下にあるシーツでも良いんじゃね?』
「無理です!いやです!
せめて腕と首が通る穴があいているやつでお願いします!」
『わがままな奴だなぁ』
絶対私わがままじゃないぞ・・・
人間として服を身にまといたいと思うのは当然の権利だと思うんですけどね!!
『ん?どうした?えらく反抗的な目をして』
「してませんからぁ〜〜!!!!!も、本当にいじめないでくださいよぉ〜〜〜〜!!」
半泣きで絶叫して、ようやく服を貸してくれたのでした。
と言うか、返してくれたというか・・・。
結局私、吐いてたみたいで、それを洗濯して下さっていて・・・。
きれいになって私の手元に戻ってきました。
うぅん・・・意地悪でいじめっ子だけど、ポイントを押さえていらっしゃる。
これは、まずいかもですね・・・・。
奇妙な同居生活2日目
『飯』
一言ですか…。
とりあえず私はリビングにあるソファーを寝床と決めた。
なんとか自宅へかえろうと試みてはみたものの、一向にスキのないヤツに結局帰れなかった。
何でトイレに行ってんのに私の行動が解るんだよぉ…。
何とか玄関まで辿りついた時もあった。
でもね、ないんですよ、靴が…。
必死こいて漸く玄関までたどり着いたんだよ!?
帰れる!!!
って兆しが見えたんだよ。
そしたらさ、最後の最後でヤツのが上手だったんだよ…。
そんな事があったから、今日の帰宅はとりあえず諦めた。
脱走を企てたけど、結局一個も成功しなかったし、最終的に諦めようかと時計見たら夜の8時だったしね。
もう、明日会社行って、この家に来なければ済む話!と自分を説得したんですよ。
で、私が落ち着いたのが解るかのようにそう決意した瞬間に『飯』の一言。
あんたは読心術が使えるんですか!?
「…何が食べたいんでしょうかね?!」
何かもう、悔しいやら腹立つやらで、ちょっと強い口調で言い返してやった。
『食えるもんを作れるもんなら作ってみやがれ』
あぁ、もう!!!
いちいちムカつくなぁ!!!!
で、あんまりにもムカついたもんで
「どんな料理食べてくれるっていう保証があるなら作って差し上げない事もないですけどぉ!?」
なんてちょっと生意気な事を言ってみた。
『ほぉ?』
速攻後悔しましたね。
この人、笑顔で怒ってる方が、眉間に皺寄せてる時よりも何倍も怖いんだねぇ。
今まさにその状態。
笑顔、怖いです。
「ご、ごめんなさい!!!
一生懸命作るんで、是非食べてください!!!」
なんで私謙ってんのよぉ〜〜!!!
って内心とは裏腹に思いっきり頭を下げてしまいました。
この人は本当にコワイヒトダ…。
『梅塚!!』
地獄の同居生活が始まって3日目。
そろって出社なんてしたもんだから朝からそこらかしこでヒソヒソと内緒話をしているのが聞こえる。
そんな中でもマイペースにどなり声を喚き散らすアタイの上司様…
「な、なんでしょうか?」
あれから夜まであの調子で押し問答の繰り返し。
さすがのあたしだって疲れますって…。
睡眠だけはきちっと取らせてくれたのが、さすが上司さまって感じだったけどね。
『貴様、やる気がないなら帰れ!!
何だ!?朝からそのやる気の全く感じられん返事は?!』
本当に、誰のせいだ!?って叫んでやれたら楽なんだろうなぁ…
「すみません!なんでしょうか!?」
ちょっと悔しかったのでオフィスに響くくらいの大声で返事してやった。
『叫ぶな、やかましい!』
もうやだ、この人…。
『取りあえずこの資料、今日中にまとめろ。出来なけりゃ残業してでもやれ。
言っとくが、普通なら今日中にできる量だからな』
ドンッと目の前にうず高く積まれる資料の山。
分かってるくせに。
あたしがこんな量の資料を就業中にまとめることなんて出来るわけがないことぐらい、わかってるくせにぃ〜〜〜!!!!!
仕方なく資料をめくり、まとめ作業にとりかかる。
いくら遅くてもやらないと進まないからね。
何枚かピラピラとめくっていくと、メモが出てきた。
ん?
何だこりゃ?
折りたたんであるメモを広げてみると、わが鬼上司の達筆な文字が並んでいた
〔何が何でも就業中に仕上げろ。
でなきゃ犯す〕
三行半にもならないその脅し文句に私の毛穴が総毛立つ。
…マジだ!
ヤツならマジで実行する!
やばいよぉ〜
この量終わらせる自信これっぽっちもないって!
でもやんなきゃ、私の処女をあんな鬼畜に奪われる事になる。
……あり得ませんから!!!!!
そこからは何が何だか分からないくらいがむしゃらに頑張った。
昼ごはんも抜いて休憩もなし。
トイレに行く事すら忘れてパソコンと資料に釘付け。
何とかし上げて時計を見ると、4時50分!!!!
「ま、間に合ったぁ〜〜〜〜〜!!!!!!!」
思わず大絶叫してしまい、同僚たちに思いっきり迷惑な顔をされてしまった…。
ただでさえ今日は目立ってるのに、自分からまた目立っちゃったよ。
『やかましぃ!!!!!!』
バシィッ!!!
「いだっ!!」
ふいに後頭部に猛烈な痛みが襲う。
見るまでもなく相手は誰だかわかってしまうのが何だかもう悲しくて仕方がないね。
どんだけ怒鳴られ慣れてるんだよ、私。
『社内で騒ぐな!!
仕事が定時で上がるのは当たり前だ!!
それだけの量の仕事しか与えてねぇんだよ!!!
いつもいつもいつもいつも毎日毎日毎日毎日毎日毎日残業しなきゃなんねぇのは貴様が無能だからだ!
当たり前の量の仕事を当たり前の時間に終わってはしゃぐな!うっとうしい!!』
「…はい、すみませんでした…」
何よ…何よ何よ何よ何よ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
そこまで言わなくても良いじゃない!
いくら上司でも!
いくら迷惑を多大にかけたんだとしても!!!
そこもで言われる筋合いないわよ!
思いっきり上島さんを睨みつけて私はオフィスを飛び出した。
後ろであの鬼畜がなんか怒鳴ってるような気もするけど、そんなのもうどうでも良い。
こんな職場、あんな上司がのさばってるこんな会社なんて辞めてやる!!!
あんまりにも悔しくて。
オフィスを飛び出したまではいいんだけども。
家に帰ろうにも荷物は全部オフィスに置いたまま。
鍵もなければお金も定期もない。
でも、絶対にあんな奴の家にだけは行きたくない!
仕方ない。
今日は野宿でもしようかな…。
明日、辞表だして新しい仕事を探そう。
もっと私に合う仕事があるはずだ。
オフィスに近いところに公園がある。
そこには雨風を防げる程度の建物がいくつかある。
今日はそこで一晩を過ごすことにした。
夏で良かった。
寒さに震える事はない。
お腹はすいたけど、水道があるからのどが渇くこともない。
一日だけならこんな生活も悪いもんじゃないよね。
何もすることがないし、今日は何だか必死で仕事したし、情緒不安定だったしで相当疲ちゃってたし、私は寝ころんで5分とたたないうちに寝てしまっていた。
我ながら自分のずぶとい神経にびっくりだよ。
ふと目を覚ますと、周りはまだ真っ暗だった。
携帯もカバンの中に入れていたので正確な時間は分からない。
「ちょっと水でも飲もう」
外とは言え真夏。
寝汗をしっとりとかいて、さすがにのどが渇いた。
のろのろと水道に向かおうとした瞬間。
誰かに後ろから抱きつかれた。
とっさのことで何がなんだか分からない。
口を塞がれ、首を絞めるような形で抱きつかれている事を理解するまでに3秒以上の時間を要した。
頭で状況を理解したとき、のどが更に乾いた、引き攣るように。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!!
「大人しくしないと、殺しちゃうよ?」
ハァハァと生暖かい息を首元にふきかけながら話す男の声。
気持ち悪い!!
何!?痴漢!?
「君、こういうことされたくて、ここに寝てたんでしょ?
じゃなきゃ、君みたいな若い子が公園何かで寝泊まりしねいよね?」
「うぅうう〜!」
口を押さえられてるからまともに声が出ない。
悲鳴を上げようにも喉を押さえられててまともに大声が出ない!
やだやだ!気持ち悪い!!
何でこんな事になっちゃってるの!?
男の手が服の上から胸を触ってくる。
い、いやぁあああ!!!!!
思いっきり暴れたんだろう。
どうやって逃げたかなんて覚えてない。
気がつくと私は公園から一番近いあいつの家の前でうずくまっていた。
無茶苦茶に走ってきたせいか息がなかなか整わない。
きっと走ってきたせいだけじゃない。
怖かった。
本気で怖かった!!
もう終わりかと思った!!
自分の体を抱きしめてうずくまって私は震えた。
どれくらいそうやっていただろう。
『何をしている?』
その声が聞こえてくるまでの時間がどれくらいか、なんて私には分からなかった。
その人はスーツのまま息を切らして私の前に立ちはだかっていた。
怒ってるのは声でわかる。
でも私は無意識にその声の主に飛びついた。
今まで出なかった涙が急に溢れ出した。
『はぁ…。
とりあえず入れ。玄関先で泣かれちゃ迷惑だ』
言葉だけは決して優しくない男に促され、そいつの部屋に入った。
言葉だけ、は優しくない男に。
『で、何があった?』
震えの止まらない私を根気強く宥めてくれたその人は、温かいミルクを入れてくれた。
リビングのソファーに隣合わせて座り、そう切り出した。
その人のおかげで取りあえず落ち着いていた私は、顛末をポツリポツリと話した。
思い出すだけでも怖い。
顔も知らない男に犯されかけるという恐怖が、震えがまた私を襲う。
ミルクを持つ手がカタカタと震える。
血の気が引き、意識が遠のきそうになる。
気持ち悪い!気持ち悪い!
塞がれていた口も、押さえつけられていた首も、舐められた首筋も、揉まれた胸も!
触られたところを全部取り換えてしまいたい!!!
そんな私を見て、その人は何も言わずに抱きしめてくれた。
今までは怖いとしか思ったことのなかったその人。
時折見せる優しさとか、面倒見の良さとかに一瞬ときめく事はあったけれど。
一回は危ない時も助けてくれた。
今は、その胸に抱きしめられている事がこんなにも安心できる。
張り詰めていた糸が切れたのか、私はまた泣いた。
泣いて泣いて、子供のように嗚咽を漏らしながら泣いて、いつの間にか胸に抱きしめられたまま眠ってしまっていた。
今までで一番安心しながら眠った。
目が覚めたらまた、至近距離にあの人の顔があった。
さすがに3日連続ともなれば何となく慣れた。
全部故意にじゃないとは言え、ね。
昨日まで感じてた恐怖心は薄らいでいる。
抱きしめられている感覚が心地良いとすら感じる。
そう。
私は彼、上島さんに抱きしめられながら眠っていたみたい。
何で慣れてんだろ、私。
どうしてこの状況を心地良いと思うような心理状態になっているんだろう。
こんな人、恐怖心を煽る対象でしかなかったのに。
どうして、こんなにも私の近くにいるんだろう。
「上島、さん?」
恐る恐る声をかけてみる。
その声はきっと届かないだろうと思っていた。
『なに』
いつもと何の変化もない不機嫌そうな声が、私を安心させてくれた。
目も開けず、声だけで返答されても何の不愉快さもない。
「何にも、ないです」
『だったら寝ろ。
まだ1時間は寝れる』
ってことはまだ5時くらいかな。
今日、仕事、か。
辞めるつもり満々だったからなぁ。
どうしよう。
こんな風に甘やかされてる相手に腹立てて辞めるとか、辻褄が合わないにも程があるよなぁ。
こうやって抱きしめられて、苛められるのもとりあえず一時休止されて。
…そういえば、何で昨日この人外から現れたんだ?
何時だったかはわからないけど、真っ暗だったし、きっと夜中だったはず。
飲んでた風でもなかったけど…
「上島さん?」
『なに』
不機嫌な声。
相変わらずだけど、何となく高圧的ではないような気がする。
「昨日、何であんな時間まで外にいたんですか?」
『…貴様…』
へ…?
なんで急にドスが効いた声に変わるんですか!
不機嫌から怒りに声音が変わったのが敏感に解る私って。
どんだけ怒られてるんでしょうね、本当に。
『お前が、急に会社から飛び出したから、後を追ったんだろうが!
携帯にどんだけ電話しても出ねぇと思ったら荷物全部会社に置きっぱなしだと!?
財布も携帯もないんじゃどうする事も出来んと思って心配してやったんだろうが!!!』
「心配してくれて…探しててくれてたんですか…?
あんな夜中ま、ぐぇ!!!」
言い終わらないうちに抱きしめられた腕に力が目一杯込められた。
締まってます!!
首とか腹とかっ!!!
苦しいですって!!!
『いらんこと考えてないで、寝ろ!!』
「わ・・・わがりまじた!」
腕の力が弱められた。
はぁ…
本気で苦しかった…
ふいっとそっぽを向かれた。
何か、妙に上島さんの体温上がったような…?
そんでもって、妙に首から上辺りが赤くなってるような…?
あ、もしかして!
「照れて…?」
つい心情を口に出してしまったのを後悔したのは本当に言葉を放った瞬間。
すぱぁぁぁんん!!!
「いたぁ!!」
『寝ろ!!』
問答無用で殴られて、睡眠を強制された。
きっと図星だったんだろうな。
でも、照れる?
上島さんが?
何で?
変なの。
ってか寝れないよ。
今の痛みで完璧に目が覚めちゃったもんなぁ。
上島さんが離れてくれた事だし、起きちゃおうかな、もう。
『寝ないとこのまま犯す』
「寝ます!!!!」
なんでそういちいち脅し口調なんですか!?
恐怖を感じさせて何で寝れると思うんですか!?
うぅ…
なんで私この人と一緒寝てるんだろうね、本当に…。
「あれ、梅塚さんじゃないですか。
おはようございます
ついでに上島も」
早朝からの奴とのやり取りで1時間ベッドに軟禁されたは良いが、結局一睡もできずに出社するはめになった。
何かもう辞める気も失せたし、もうちょっと仕事続けてみるのも良いかなって思いだしたし…ね。
で、出社早々珍しい人と遭遇した。
他部署だけど噂ではかなり有名。
あの変態オタク野郎の上司、西ノ宮恭吾。
「おは…」
『貴様、挨拶する順番が逆だろうが、世間知らずか?しかもついでとは何だ?』
「挨拶もまともに出来ない馬鹿な大男よりも可愛らしい女性の方を優先しただけですよ。
悔しければ少しくらい人間らしくなったらどうですか?怒鳴ってばっかりでは部下はついてきませんよ?」
『俺は挨拶する相手を選んでるだけだ。いけ好かない奴に挨拶なんぞ好き好んでしたくねぇんだよ。アホ。
だいたい貴様に部下の事をとやかく言われたくねぇな。
貴様のとこの高遠。もっときっちり躾とけ』
「何で私があんな可愛くもない不細工に躾なんてしなくちゃいけないんですか?」
『貴様の部下だろう』
「確かに私の部下ですけたどね。
就業後の事まで管理したくもないですよ。
あのデブサイク」
『部下の当たりが悪かったな。
だが次、うちのにちょっかい出すようなら容赦しない。
上司であるお前にお咎めなしなんて、甘い処分で済まされると思うなよ。』
延々会社のエントランスで口論する2人。
西ノ宮さんって怖い…
うちの上司様も怖いけど、何か微妙に違う気がする。
敬語だからかなぁ?
っつうかいい加減デスクに行きたい。
この2人って何故か有名なもんだからこんな所で言い合いなんかしてたら物凄く目立つ。
そんな人達と一緒にいる私も否応無しに目立つ。
だからって黙って行くと後が怖そうだし。
話の中に入っていくのは何か自殺行為な気もするし。
「・・・ねぇ?梅塚さん?」
「へ?」
何にも聞いてなかったので素っ頓狂な返事しか返せなかった。
のがまずかった。
明らかに背後から殺気的なやばい空気が流れてきている。
こんな抜き打ちに答えを求められても無理だよ〜!!
無茶言わないでよ〜!
お願いですからその怖いオーラをしまって下さい…
「で?誰が部下の教育がなってないんですって?上島クン?」
火に油注がないで下さい、西宮さん・・・。
「す、すみません。あの、話を聞いていませんで。
あの、何のお話だったんでしょうか?」
『もういい。黙れ、下僕』
下僕て。
誰がだ!!
誰が誰の下僕だというのでしょうかね?!
「まあ、良いですけど。
ところで梅塚さん?
今晩お暇ですか?」
「えっ?!」
だから、急に話を振らないで下さい。
しかも何か、また背後から得体のしれない殺気が漂ってきているような気がするし。
『人のモンにちょっかい出すんじゃねぇよ、ボケ』
「誰が誰の物なんですか?
そこのところははっきりさせて戴きたいものですねぇ」
・・・さっきからチョイチョイ人を物扱いするの、やめてもらいたいんですけど・・・。
色々誤解を生みそうだし・・・。
そんな不毛はやり取りをたっぷり10分以上した後、ようやく始業ベルが鳴った。
やっとこの針のむしろから抜け出せる!!
「あ、もう仕事の時間なんで失礼します!!!!」
後ろで何か叫んでるようだけど、無視!
あんなドS二人に囲まれるような状況まっぴらごめんです!
しかも標的あたして!
絶対振り向くもんか〜!!!
何かねぇ…いろいろあたしって甘いんだなぁ。
そうだよねぇ。
直属の上司様が恐怖の帝王その1なんだもんねぇ。
逃げ出せるわけなかったんだよね。
『で、貴様は俺に恥をかかせた挙句、またこんなゴミを時間かけまくって作ったわけだ』
うわぁ、なんだか結構根に持ってるなぁ・・・
『貴様は本気で使い物にならんなぁ。
どうしてくれようか、え?
いっそ本気で抹殺とかしてやろうか?ん?』
・・・う、う〜わ〜!!
すっげぇ穏やかな笑顔浮かべながら目が全然笑ってないし!
言ってる事ものすごく極悪だし!!
こ、怖い。
「す、すみませんでし…」
『聞き飽きたな。その台詞も』
そんな事言われても!
「あの、本当にもうしわ…」
『それも聞き飽きた』
ど、どうしろというの?
最後まで聞いてすらくれない。
相当怒ってるよ。
こんなに怒ってるの初めてかもしれない・・・。
西ノ宮さんの前なのに、上島さんの命令の制止も聞かないで走って逃げたのがたぶん逆鱗に触れたんだろうなぁ。
プライドを抉ったのかもしれないなぁ。
だって、あの二人、明らかにお互いをライバル視してんもんなぁ。
…巻き込まないでよ、二人の間に私をさ…
『で、貴様はこの惨状をどう打開してくれるんだ?ん?能無し?』
の、能無しってアナタ…。
「あの、えと…」
もはや何と答えればいいのか私には分かりません。
自分で播いた種なんでしょうけども!
でも、あの場合、あぁするほか私にどう出来るというのですか!?
怖いんですよ!あんたらまじで!
奴はアタフタオドオドしている私を心底楽しそうに眺めながらこう言い放った。
満面の笑みをその顔に湛えながら。
『取りあえず今日は残業なしだ。家に帰ったら覚えとけ』
……い、いやだぁぁあああ!!!!!!!!!
本気で怖い。
どうしよう!?
今日こそ本当に貞操の危機かもしれない!
そう思ってこっそりと私の自宅へ帰ろうとした。
矢先に捕まった。
何でガードマンまで味方にしてんだよ。
私は不審人物かよ。
捕まったさ。
自社のガードマンに裏口にて確保されちゃったよ!
で、直後にまたおっそろしいくらい外面用の営業スマイル浮かべた鬼が現れたんだよ。
私にはわかる。
奴は怒り狂っている。
だってあんな不気味な笑顔、大嫌いなお得意様の前でしか見た事ないっ!!
…今晩…一体何が起こるんだろうか…。
あたし、明日無事に生還出来るだろうか…?
『さて能無し。また俺の命令に背いて逃げようとした報いも一つ追加で、もはや無事に今夜が終わるなんて、まさか思ってはいないよな?』
お、思いたいのはやまやまなんですけど…
あれから即行で奴の家に強制連行されたあたし。
今の状況は…説明したくもない。
家に着いた瞬間にはがい絞め。
芋虫のように縛りあげられた。
やらしい気配なんてもんは一切なく、普通に縛りあげられた。
縄が肌に食い込んで痛いったらありゃしない!
「ぶ、無事に終わる事を心の奥底から願います…」
『黙れ虫けら』
む、虫けらって。
そりゃ、芋虫みたいではありますけれども!
その状態に仕立て上げたのは一体だれだと!?
最高の笑顔を浮かべながらじわじわ近寄ってこないでください。
動けないんですから逃げられないんです。
本当にもう漏らしそうなくらい訳の分からない恐怖でいっぱいなんです!
『さぁ、虫けら。
せいぜい阿鼻叫喚を聞かせてもらおうか?』
い、いやぁぁぁああ!!!
怖い!!怖すぎる!
いつもみたいに眉間に皺を寄せてる方がよっぽど怖くない!
笑顔の方が恐怖を感じるなんて思ってもみなかった。
絶えず浮かべる笑顔の中の全く笑ってないその目!!
本気で殺意、覚えてますよね?
私、殺されるんですかぁ!?
『で、何で俺の命令を無視した?』
「す、すみませ、も、勘弁して…」
『俺は理由を問うているんだが?』
「りゆ、なんて、な」
し、死ぬ。
何で私がこんな状況下に置かれなくちゃいけないのよ!!
今の状況。
吊るされてます。
ヤラシイ意味ではありません。
ベランダから普通に芋虫のまま吊るされてます。
えぇ。
お望みどおり聞かせてやりましたよ。
阿鼻叫喚。
だってまさかあんな夜中にこんな山奥に連れて来られて崖っぷちに立ってる家のベランダから吊るされるなんて誰が考えますか!?
この家は奴の親の持ち物らしく、車で小一時間程度の場所にある。
芋虫のまま拉致られて車に乗せられ、暴れることすら許されぬままこの状況になってしまいました。
下ろされる瞬間はさながらバンジージャンプ…。
そして意にそぐわない返答をするとロープを大きく左右に揺らされ恐怖心を最大限に煽られる。
恐怖と叫び疲れから、私はもうグッタリです。
気絶すら許されないこの状況はもはや拷問です。
やつはドSとかそんな生易しい言葉ではもう済まされません!
奴は鬼!いや、鬼畜!悪魔!変態!
お前が崖から飛び降りて死んでしまえば良いんだ!!!
『またえらく反抗的な目だなぁ、おい。
本気でこのロープを切ってやろうか、ん?』
目をギラギラに光らせて刃物を見ないでください。
心底楽しそうな目でロープにあてがわないでください!!
「やだぁぁああ!
まだ死にたくないです!!!
ごめんなさいいぃぃ!!!」
『もう1回だけ聞いてやる。
ちゃと答えないと、わかってるよな?』
目、目どころか…顔まで笑顔が消えてるよ。
怒り顔も笑顔も怖いけど、一番怖いのは無表情だなぁ…
『何で俺の命令を無視した?』
「こ、怖かったんですよ〜〜!
上島さんも西ノ宮さんもいじめっ子体質だし!
そんな二人が言い合いしてるなかに私一人とかたまらないじゃないですか!
おまけに居た堪れないくらい周りから注目されてましたし。
そんなところに助け舟のように始業ベルが鳴ったら条件反射で逃げたって仕方ないじゃないですかぁ!!!」
こんな事言ったら尚更逆鱗に触れるかもしれない。
わかってるけども!
もうこれ以上恐怖の中に曝されて吊るされてるなんてまっぴらごめんです!!!
落ちるにしても何にしてもとりあえずこの状況をさっさと変えたい。
『…これから俺の命令に絶対服従するなら助けてやらん事もないが??』
ぜ、絶対服従って。
「や、それは…」
『今速攻で死ぬか?』
「します。絶対服従します」
スルスルと上に登る感覚。
良かった、どうにかこうにか助かるみたいだ…。
ようやく地面に体を預けることができた。
あぁ、地面て素敵だ!!
体中を拘束していた縄もほどかれた。
腕やら脚やらがギシギシいっている。
ずっと拘束されてたし、自分の体重を少ない面積で支えていたからものすごい痣になってる。
「痛い…」
そこらかしこの痣を擦る。
『もう少し、叫び声を聞いてても良かったんだがな。
良かったな、俺が優しくて』
誰が!?
優しい人間は、人様を断崖絶壁に吊るしたりしません!
あまつさえそのロープを切るか切らないかで脅したりしません!!
『お?また吊るされたいか?
何だ。その反抗的な目は?』
「なんでもないです!!」
『よっぽど吊るされるのが気に入ったらしいな?
俺は優しいから、今からもう一回吊るしてやるが?』
「ごめんなさいいぃ!
もう重力の力を体で目いっぱい感じるのだけは勘弁です!!」
『じゃあ、俺に喰われるか?』
…はっ!?
「やです!!」
あ、なんかデジャヴ。
なんか前にもこんな事あったよねぇ…
『貴様…』
そうそう。
その時もこんな感じでものすごい怖い顔をされたよな。
あはは…あたしってば学習能力ねぇなぁ…。
「ご、ごめんなさいっ!
ついとっさに条件反射で!!」
『よっぽど吊るされたいか?
もういっそ突き落してやろうか?』
あぁ!
フォローにもなってない!!
あの時よりもよっぽど怖い顔におなりになってるよぉ〜〜!!!
逃げようにも手足が縛られてた時の名残でまだ痺れてるし。
このままじゃ…突き落されるか犯されるかの二者択一!?
いぃやぁだぁ〜〜〜!!!!
「ごめんなさい!すみません!
もう謝罪でも懺悔でも何でもしますから!
突き落すのと吊るすのと犯すのだけはお願いだからやめてください!」
『そんだけ嫌がられると、なにがなんでも全部叶えてやりたくなるなぁ、おい、虫けら?』
虫けらでも何でもいい!!
取りあえず逃がしてくれ!
この究極的な恐怖現場からっ
っつか何で私にこんなに執着すんのよっ!
もうやだよぉ〜!
この鬼畜変態上司のせいで私の人生お先真っ暗じゃんかぁ!!
『あぁ、そういう泣き顔がお前には一番似合ってるんじゃないか?
今までで一番そそるぞ?
いっそマジで犯してやろうか』
だから!!
どうしてそう変態なんだ!?
「何で私の構うんですか!?
色気がないだの何だの言ったの上島さんじゃないですか!
色気のある女を構ったらいいじゃないですかっ!!」
『今のお前に勝る女はいないな。その泣き顔』
…何だよ。
急に。
照れるじゃないか。
『お?本気にしたのか?この鶏頭』
…むっかぁぁぁああ!!!!!
地獄に堕ちろ!この悪魔っ!!!
それから上島家へ帰るまでさほど時間は掛からなかった。
アタシも上島さんも翌日は仕事だったしね。
でも、きつかった。
なんだかもう、どうしてそこまでイジワルになれるのかを真剣に聞きたくなるくらい苛められたような気がする。
何ならもういっその事犯された方が気が楽なんじゃなかろうかと思うほどに…。
『梅塚』
いつもとは違う何となく楽しげな上島さんの声がオフィスに響く。
毎日毎日聞いている怒声。
故にいつもとの違いはアタシでなくても解るわけで。
ヒソヒソ話がそこらかしこを飛びかっている。
「な、何でしょうか…?」
上島さんと違って疲れ果てているあたし。
当たり前だ。
縛られ、吊るされ、苛め抜かれて疲れない人間なんていやしないよ。
結局最後は眠りに付いたと言うよりは、気絶したからね。
一応言っておくと、あたしの処女はとりあえずまだ守りぬかれている。
犯す、だの喰う、だの言う割にはあまりやらしいことをしてこない上島さん。
そういうところはちょっと安心している自分にちょっとビックリするが、とりあえず最愛の人と最高のシチュエーションでの初Hというヲトメ的妄想はまだ守れそうである。
さんざ人を苛め抜いた男は今日は機嫌がよさそうだ。
…人をストレス発散の道具にしないでくれないかなぁ。
『取り合えずこの書類、使い物にならんからやり直せ。
んでもって、これが今日のノルマ。
できなけりゃ昨日と同じ目にあわせてやるから覚えとけ♪』
語尾に音符つけて吐く言葉じゃなかろうがよ!
吊るされてたまるか!縛られてたまるか!
もう、貞操の危機に陥ってたまるかぁああ!!!!
必死よ。もう本気で必死!!
やらなきゃ奴は確実に昨日と同じ仕打ちをあたしにやる!
それはもうありとあらゆる手を使ってあたしを捕まえてでもやる!!
何とかギリギリ。
昼休みも休憩も一切取らずに仕上げてやったさとも!
意気揚々と上島さんに書類を突きつけてやったともさ!
それなのに
『なんだ?そんなに早く帰りたかったとは知らんかったなぁ?』
だとぉおっ?!
違うだろう!
いの一番に言う台詞はそうじゃないだろ!!
しかも何だ!その嬉しそうな表情は!?
「き、今日はちゃんと家に帰りますからね!?
久しぶりにゆっくり寝たいんで!!」
周りに人がいるもんで、上島さんにしか聞こえないような小声で何とか自分の意志を伝えてやる。
だけど、上島さんの表情は変わらない。
『逃げられると思うなよ?』
…だからさぁ、笑顔で言わないでよ。
そんな激しく恐ろしい台詞をさぁ…。
嫌がらせか?!
それとも好かれているのか!?
とりあえずそこをしっかり意思表示しやがれっ!
まぁ、解ったところで対処の仕方が変わるわけではないんだけどさ。
結局怖いのは怖いんだよなぁ。
「おや?そこを行くのは梅塚さんじゃないですか?」
わざとらしい言い方ですこと。
今はあなたと拘わりたくないんです。
何故?
だって上島さんの機嫌が悪くなるんですもの。
その上あの高遠の上司。
あなた個人に恨みはまったくないのかもしれないんだけど、色々あなたに拘わると弊害ができそうでいやなんですよね…。
ねぇ、西ノ宮さん?
「そう露骨に嫌そうな顔をされると色々と萌えますねぇ。
もっと苛めてやりたくなります。
上島が何故あなたに執着するかが解りますよ」
…とりあえずどこから突っ込んでやろうか?
「西ノ宮さん…。
私疲れてるんですけど、突っ込みどころ満載の台詞を当たり前のように吐くの、止めて頂けませんですかね?」
「おやおや、何ですかその口のききかたは?
上島の教育がなってないんですね?
なんなら私が調教して差し上げましょうか?」
調教て…もうやだ、ここの上司連中…。
「あたしの事をとやかく言う前に高遠さんをどうにかしていただけるとあたしとしては大分助かるんですけどね…」
「可愛くないですねぇ。
ますます調教のし甲斐がありますよ」
だから調教て…。
上島さんから何とか逃れようと逃げ出した裏口。
ガードマンすら味方につけるあの人だから、今回は細心の注意を払った。
でもなんでか知らないけども、何故かこの人に捕まってしまった。
申し訳ないんですけど、あなたの相手を出来るほど今のあたし、元気じゃないんです。
「お願いですから今日は見逃してください。
本気で今日はゆっくりしたい…」
ここ数日、酔いつぶれたり吊るされたり脅されたり犯されかけたりでまともに寝てない。
夜中に気分は高揚したまま。
疲れなんか取れるわけもなく。
「そんな事言われて素直に引き下がる人間に見えますか?私が?」
見えない。
絶対タダじゃ帰してくれない。
「人間諦めが肝心ですよね」
えぇ。そうですよね。
もう、何かどうでも良いような気がしてきましたよ。
何でアタシばっかりこんな奴らに目を付けられるんですか。
この会社に入社したのがあたしの運のつきなんですかねぇ……。
だからといって西ノ宮さんの言う事を素直に聞くと後でうちの上司が黙ってないだろうなぁ。
今度こそロープなしバンジーとかやらされるんだろうな。
死んじゃうよな。
はぁ・・・・
どんどんまともな思考回路が失われていってるような気がするよ。
「すみません。まだ業務が残っているので、これで」
外側に立っている西ノ宮さんに背を向けて結局社内に戻る事になるあたし。
意外にも何も言ってこない西ノ宮さん。
…何だかなぁ、仕組まれてんじゃね?って感じ。
で、当たり前のようにオフィスにいるのよね。
あの鬼畜変態男…。
『能無し。帰るぞ。』
言いたいことはそれだけかぁぁぁあああ!!!!!
「やです」
絶対に大人しくついて行ったりなんかするもんか!
『いい度胸だなぁ、おい』
…すでにくじけそうですが…
「家に帰して下さい!!」
もうヤダ!
っていう気持ちが強いんだよねっ!
今日だけは家に帰りたいんだよ!
『ほぉ。で、今日を大人しく帰れると仮定して』
「ソコ、決定事項でお願いします」
『やかましい。
黙れ能無し。
でだ、それでこれから先、今日逆らったことをお前は死んでも後悔して生きることになるがそれでも構わないんだな?』
生きてるうちだけでは済ませてはくれないんですか…?
「それも、ヤです」
『そんなわがままが通用する相手かどうか、ちゃんと見極めてから言えよ、鶏頭?
俺が笑顔のうちに言うこと聞かんと後々、後悔するぞ?貴様』
後々なんて言わず、今速攻で後悔してますよ。
何なんですか。
その満面の嘘つき営業スマイルは…。
表情穏やかですが、言ってる事メチャメチャ怖いし!!
…でも…
「お願いですから!
もう本当に今日はゆっくり寝たいんですっ!
お願いですから、家に帰して下さいっ!!」
上島さんは黙ってしまった。
俯いて何を考えてるのか全く分からない。
やだなぁ…
この沈黙。
数分の沈黙の後、私の方を見た。
その目。
一切の温度がないような冷たい目。
なに?
なんでそんな冷たい目であたしを見るの?
『分かった。
こんな簡単な事まで訊けないヤツならもういらん。
好きにしろ』
え…?
いきなりポーンと突き放された。
今まで嫌ってくらい付きまとっといて何を勝手な!
そう思ったけど、戸惑いでなのか怒りでなのか、うまく考えが纏まらない。
ただ、あんな目で見られるとは思ってなくて。
なんだかそれが胸にやけに突き刺さってて。
何事もなかったかのようにスタスタ帰って行く上島さんの後ろ姿をただ呆然と眺めている事しかできなかった。
別に私は悪くない。
今日は本当に疲れてたし、1人で寝たかったんだ。
上島さんがいつもムチャクチャなんじゃないかっ!
何であたしがあんな目で見られなくちゃならないの?
悪くない悪くない!!
あたしは絶対悪くない!
きっと明日になったらいつも通り怒鳴られるんだ。
これ見よがしに物凄い量の仕事を押し付けられるんだ。
で、いつもの変わり映えのしない残業が繰り広げられるんだ。
そうだよ。
あたしの日常はきっと何も変わらない。
上島さんが怒るのなんていつもの事じゃないか。
何で今更こんなに気になるの?
確かにあんな…どうでもいい物を見るような目で見られたのは初めてだけど…
でも明日には元通りだよね?
何も変わらないよね?
せっかく久しぶりに帰れた我が家。
漸く気兼ねなくねれる1人のベッド。
なのに全く寝れる気がしない。
上島さんのあの台詞と目。
頭にこびりついて離れやしない。
怖かった。
この2、3日、ほとんどそばにいた。
まぁ、願ってそうなった訳じゃないにしろ。
いきなり突き放されて、もうあんな日が二度と来ないのかもしれないと思うと何だか無性に寂しい。
胸にポッカリ穴が開いたような気すらする。
……何で?
昨日なんか、吊されてたのに?
何であたしが寂しいとか思わなくちゃなんないのよぉ!!
翌日。
オフィスは至って平和だった。
あたしには今まででは考えられない位、簡単な仕事が回された。
これくらいなら半日でできる。
それを1日でしろと言われた。
もちろん、上島さんに。
全く目を合わされる事もなく、業務連絡のみを実に事務的に説明された。
いつものような豊か(?)な怒り顔なんかまったく見せない。
周りの人達も微妙な違和感を感じたようだけど、率先して怒鳴り声を聞きたい人なんかいるはずもなく。
まるで何事もなかったかのように仕事が進んで行く。
仕事を終えてあたしが定時で上がる時も、上島さんは何も言わない。
本当に、普通の上司と部下。
ただそれだけの関係。
これが普通なんだ。
そう自分に言い聞かせる。
だって……
寂しい。
いつもあったものが急になくなるのはこんなにも寂しい。
「あ、あれれぇ?
め、めめ珍しいなぁ〜
き、今日は、ざ、残業ないんですかぁ〜?」
…でた…
そうか。
定時で上がるという事はこいつと遭遇する確率が上がると言う事か…
今日はとてもじゃないけど、相手をしてあげる気にはならない。
「お疲れ様です」
そう一言言ってそのまま出口に向かう。
ニチャっ!
ぅげ!!
「や、やめて!
離して!!」
汗をたっぷり含んだ手で人の手首握らないでよ!
必死で振り払うけど、びくともしない。
まだ周りには人がいっぱいいるのに、誰も助けようとはしてくれない。
それどころか
〈いい気味よねぇ〉
〈いつも上島さんに構われて、いい気になってる罰よ〉
〈西ノ宮さんにまで構われてるなんてねぇ。まったく尻軽よね〉
そんな言葉がヒソヒソと聞こえてくる。
先輩のお姉様方は、出世頭のあのお二人を狙っていた。
それは知っていた。
でも…
いつ?!どこをどう見たらそう見えるんだっ?!
構われているのは確かだ!
それは認める!
だけどねっ!
あんな変態鬼畜ドSどもに構われたところで、嬉しくもなんともないわよ!
むしろストレスで胃に穴開きそうだわ!
変わって欲しいのなら、言ってくれれば速攻で変わってあげたわよぉぉお!
「う、う…う、梅塚さん」
「はっ?!」
…あ…
忘れてた。
そう言えば腕、掴まれたまんまだった。
「はなしてよ!
もう帰るんだから!」
「ぼ、ぼくも帰るんですよぉ〜
い、いい、一緒に、かか、帰りましょうよぉ〜」
「やだっ!」
もうやだ…
なんでこんなんばっかあたしに寄ってくんの?
「離してよっ!
離して!!」
高遠はしつこかった。
どれだけ嫌がっても全く掴んだ腕を放す気配がない。
あぁもう!
本気で気持ち悪い!
汗ばんだ手で握られている腕を早く洗いたい!!
こんな日に限って西ノ宮さんも現れる気配がない。
ズルズルと少しずつ出口の方向に引きずられる。
やだやだ!!
この前の事を思い出す。
目を瞑ったこいつの顔が近づいて来る。
明らかに唇を尖らせて。
あぁ…
体中鳥肌全開だぁ!!
絶対ただじゃ帰らしてくんない!!
「離してってば!!」
必死で暴れる。
なのにふと目に入った。
上島さんだ!
助かったぁ!!
「うえし」
『お疲れ様』
……え……?
見捨てられ…た…?
何で…?
あれ?
って言うかあたし、上島さんは助けてくれるもんだと思い込んでた?
上島さん見た瞬間に一気に体の力が抜けて安心してしまった。
それなのに、見捨てられた?
「う、うめ、梅塚さん?
ど、どどうしたんですかぁ?!」
高遠が慌ててる。
涙が溢れてきてるからね。
止まらない。
悲しい…
寂しい…
情けない程涙を流しながら、私は上島さんが出て行った出口を呆然と眺めていた。
高遠も、ただ一点を見つめて泣いてるあたしに流石に恐怖を感じたのか、さっさと帰って行った。
〈良い気味〉
〈バカみたい〉
〈自業自得よ〉
〈二股女〉
立ち尽くしている間、そんな言葉を投げつけられ続けた。
二股って…
あたしがいつ、誰と誰を天秤にかけたと言うの?
何であたしばっかりこんな目に合わなくちゃならないの?
あたしが一体何をしたと言うの?
悔しい
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい〜〜〜!!!!
何なのよ!!
上島さんも上島さんよ!!
何よ!?
その心の狭さはっ?!
あたしはただ家に帰してとお願いしただけじゃない!!
何で無視されなくちゃならんのだ?!
挙げ句の果てに何か知んないけど、社内の女子連中に目の敵にされてるし!!
もう本当に、誰のせいであたしがこんな目に合ってると思ってんのよ?!
あぁっ!!
ムカつくムカつく!
悔しい~!!
「ほっといても君はきちんと自分で浮上するんですねぇ。
これは便利だ」
…何で今、諸悪の根源その2がいるんだ?
しかもちょうど、何とか腹立ちと怒りで漸く前向きになろうかと言う時に。
さては…
「…ずっと見てましたね?西ノ宮さん…」
「そりゃあ、就業時間が終わってますからね。
出口に向かうのは至極当然の事だと思いますが?」
時計を見るともう6時半だ。
1時間半。
「暇人ですね。西ノ宮さんって…」
この人は残業なんかしない。
定時入り定時上がりがこの人のスタンスだ。
そう、どっかで聞いた。
その人が1時間半。
多分高遠に絡まれてる辺りから見てたに違いない。
だってそうじゃなきゃこのタイミングで話しかけられた意味が分からない。
「言葉のききかたがなってませんねぇ。
上島の教育が甘かったんですね。
どうですか?
いっそ部署変えでもして私の部下になっては?
きっちり調教して差し上げますよ?」
…相変わらず…どっから突っ込んでいいのか分からんなぁ…。
「取りあえず、ですね。
部署変えは遠慮します。
あと、教育をちらほらあたし相手になると調教って言うの、やめて貰えませんか。」
「何で私が梅塚さんの言う事をきかなければいけないんですか?」
うわぁ…
この人…絶対自分中心に世界が回ってるっておもってるんだろうなぁ…
北極点にでも行ってしまえば良いのに。
「えっと…何にしても、あたし、西ノ宮さんの部署に移る気ありませんから」
「何故?
上島にあぁも嫌われてしまったら、そっちの部署じゃあ仕事しにくいんじゃないですか?
だったらうちに来た方が仕事、しやすくなると思いますけどね。
それに、結構な量の女性を敵に回しているようだ。
私ならきちんと守って差し上げますよ?
梅塚さん?」
…そうなってしまった半分以上の理由、あなたなんですよ?西ノ宮さん…
当たり前のように紳士面してるけども!
自分がやった事を反省する気配もないんでやんの。
もしかしてこうなるように仕組んだんじゃないのか?!
だとしたら天才だね!!
「お断りしますっ!!
まだ直接上島さんに嫌いって言われてませんから!
上島さんに部署変えを言いつけられるまで、あたしは絶対にこの部署から離れませんから!」
「何故そこまで上島に執着するんですか?
上島に惚れてしまったんですか?」
……………えっと………
惚れる?
上島さんに?
あたしが?
「そんなに険しい顔で悩むものでしたか?私の質問?」
「いや、改めて考えた事ってなくって…
そうですよね。
あたし、上島さんに執着してますよね。
でもそれがイコール惚れてるかって聴かれると…なんだか曖昧なような気がしないでもなくて…。」
普段は真剣に鬼かと思うくらい怖い。
二人きりになると鬼から鬼畜に変身して、オロオロしてるあたしを好物のように見てたなぁ。
ことある事に吐いてしまったあたしの服を洗濯してくれた。
まぁ、下着まで剥かなくても良かったとは思うけど…
変質者に襲われた時、落ち着くまでそばにいてくれたなぁ。
「自分の気持ちすら解らないんですか?
あなた、本当に人間なんですか?」
脳内に籠もってた思考回路が停止。
今、何て言った?
この人?
「おやおや。
馬鹿面ですねぇ。
何ですか?その目は。
何か言いたげですね。
きちんと要点をまとめて話す事が出来るなら、口を開く事を許可しますが?」
…すげームカつく…
「全く、言葉すら無くしてしまったんですか?
どうしようもない馬鹿ですね。
上島に同情しますよ。
よくもまぁこんな、脳みそミジンコサイズの部下に毎日顔を合わせて、教育してますねぇ。」
の…脳みそミジンコサイズだぁ?!
「どうせ、あなたの事ですから、反論したくても、その言葉が出て来ないんですよね。
全く哀れです。
本当に上島には同情しますよ」
そ…そこまで言うかっ!
「わ…悪かったわね!
あんたと上島さんは人間の出来が違うのよ!
何なわけ?!
その俺様発言暴言の数々!
自分を中心に世界が回ってると思うなよ?!」
「本当にあなたは馬鹿ですね。
私と上島なら私の方が人間出来ている事なんか当たり前の事じゃないですか。
それに、私は私を中心に世界が回ってるなんて愚かな事は思っていませんよ。
私が世界を回してやってるとは思っていますけどね」
「自意識過剰もそこまで来ると国宝級ね!
いっそ世界遺産にでも登録してもらえば?!」
「世界遺産に人間はなれませんよ。
本当どこまでも救いようのない馬鹿ですね。
もう一度赤ん坊の時からやり直してみてはいかがですか?」
あぁ~!もぅ!ム カ つ く!!
「誰が…誰があんたの下でなんか働くもんですかっ!
あんたなんかに比べたら上島さんの方が一億倍以上良い人よっ!」
「まぁまぁ、自分の気持ちすら解らないミジンコサイズさんは口だけは達者ですねぇ」
「わ、解るわよ!
自分の気持ちくらい!」
「ですって。
さっさと出て来たらどうです?」
…は?
柱の陰から何やら人影が現れる。
だいぶん前に帰ったと思っていた上島さん。
もしかして、今までの会話、全部聞いてました?
「ここまでお膳立てして差し上げたんですから、きっちりと結論を出しなさい。
見ていてイライラしますよ。
あなた方二人は」
『頼んだ覚えはないがな』
「お礼くらい言えないんですか?
本当に教育がなってませんねぇ」
そういって颯爽と帰って行ってしまった。
な、何なんだ?いったいこの状況は…。
っていうか、何でいるの、この人…?
目の前にはものすっごく嫌そうな顔をした上島さんがいる。
そんな嫌そうな顔するくらいなら何でここに来たんだ?
『人の顔を凝視すんじゃねぇよ。誰の許可を得て見てんだ?』
…や、やくざですか?!この人!?
口を開いて第一声がそれですか!?
「だ、誰の許可も得てませんけど、見ちゃダメなんですか!?」
何だかもう訳が分からない。
無視されたかと思ったらまた元通りに話しかけられる。
本当に悲しくて悔しくて寂しくて仕方なかったはずなのに、たった一言話しかけてもらっただけで何でか知らないけどめちゃくちゃ嬉しい。
毒舌吐かれてるだけなのにね。
『貴様、いったいどういうつもりだ!?』
我慢の限界といった風にどなり散らされた。
場所は変わっていつも通り居酒屋さん。
もう、同じ失敗は繰り返さないようにあたしはソフトドリンクだけども。
ここに来るまでお互いに一言も話さなかった。
上島さんが歩いて行くから何となくついて行ってしまった。
なんか、そうしなければいけないような気がして。
席について、飲み物が運ばれてきた途端、口火を切ったように上島さんが話し始めたのだ。
でも、どういうつもりって、何の事だ?
「な、何の事でしょうか?」
『ふざけんな。
あんだけ人のこと嫌がっておいて、何の事だと?
貴様人の事をどれだけ馬鹿にすれば気が済むんだ!?』
「ば、馬鹿になんかした事無いですけど!!」
馬鹿にされたことなら数えきれないほどありますがね!
『だったら今日、今!何でついてきた!?』
「な、なんでって言われても…
ふ、雰囲気で…」
『この大ボケ!
雰囲気で行動すんじゃねぇよ!
だから貴様は鶏頭だと言うんだ。
いい加減にしないとその役に立たない頭、ひねりつぶすぞ!』
んなこと言われたって、わかんないもんはわかんないよ!
どうしてそんなにいちいち脅さなくちゃ物が言えないのよ!
そんなんだからなかなか言いたいことも言えなくなっちゃうのが分からないの!?
『そんな反抗的な目が出来るなら言いたい事言ってみたらどうだ?
お前みたいな鶏頭で考えることが出来るならな』
何であたしの周りにはこうも人を小馬鹿にした人ばっかり集まってくるのよ…
「じゃあ言わせていただきますけどね!
いちいち脅さなくちゃ会話できないんですか!?
人を頭ごなしに脅して何も言えなくしてるのは上島さんじゃないですか!
で、無理やりいうこと聞かせて、ちょっとでも逆らったら逆切れして!!!
あたしが一体何したって言うんですかっ!!!」
『何にもしてない、できないからムカついてるんだろうが!
仕事もできない、俺の命令も聞けない!
貴様に何か出来ることなんてあんのか?!』
「普通に生活してましたよ!
22年間!」
『さぞや周りは迷惑してたんだろうなぁ?
貴様なんぞの守りをさせられて?』
「そ、そこまで言いますか?!」
『言わせるような行動しか取れてないからだろうが!
今までが!』
「どうしてそこまで私を貶めるんですか!?」
『現実だ、ボケ』
ムカつく!!!!
で、結局やけくそですよ。
一気しちゃいました。
真新しい上島さんの焼酎ロック。
上島さん、呆然です。
『この…ボウフラが…』
ボウフラかぁ…。
ついにそこまで私も堕ちましたか。
そこまでで、私の記憶ぶっ飛びました。
気づいたのは代り映えのしない上島さんの部屋。
一日ぶりですが、なぜこんなに懐かしいんだか…。
服は、ちゃんと着てる!
珍しい!!
モソモソ布団から起き上がる。
今日は隣に上島さんがいない。
どうしたんだろう?
「上島さん~?」
返事はない。
いつもいつも酔い潰れたら全裸に剥かれて当たり前のように隣で寝ていたもんだから、いないと違和感がある。
別にいて欲しいわけじゃないけどさ…。
「上島さん?どこですか~?」
ふらふらと寝室をでる。
片っぱしから部屋を開けて確認するけど、どこにも見当たらない。
何だか不安に襲われる。
どこいっちゃったの~?
訳の分からない不安感から私は玄関でうずくまって上島さんを待つ事にした。
何でいないの?
昨日のあれで仲直りした気でいたのは私だけ?
やっぱりまだ上島さんは私のこと怒ってる?
嫌われちゃったのかなぁ…。
もう、あきれ果てて外に出かけちゃったのかな。
ウジウジとネガティブな事ばかり脳裏をよぎる。
「早く帰ってきてよ。」
ばか上島!!
「あぁ!もう!何で私ばっかりこんな思いしなくちゃいけないのよぉ~~!」
『人の家で叫ぶな、大バカ者!』
背後から声がした。
え?背後?
私の正面には玄関。
後ろは屋内。
ってことは部屋の中に上島さんいた?
え、全部の部屋開けたよ、私。
「な、どこに、いたんですか!?」
『だから叫ぶな、近所迷惑だ』
「じゃあ、質問に答えてください!
どこにいたんですか?!
私、全部屋確認しましたけど、どこにもいませんでしたよ?」
『リビングの貴様が思いっきり開けた扉と壁の間だ』
あ…あらぁ…?
「は、挿んじゃいました…?」
『思い切りな』
あちゃあぁ…
なんでこう、私ってばいちいちこの人を怒らすようなことしかできないんだろうか。
『まぁ、面白いもんが見れたからな。
今回だけは許してやろう』
そういえば、上島さん何だか妙にご機嫌なような?
「面白いもの…?」
聞くのは怖い。
だって上島さんの機嫌がいいから。
この人がご機嫌な時ってあたしにとっては、あまり嬉しくない事が起こった時だもんな。
一番ご機嫌だったのは吊るされた翌日だったしな…。
『俺に早く帰ってきて欲しかったんだろう?
玄関で膝抱えて、捨てられた猫みたいな泣きそうな顔して待ってたのは誰だ?
そんなに俺がいないのが寂しかったのか?え?』
う、うわぁ!
「き、聞いてたんですか!?
なんでじゃあ、早く出てきてくれなかったんですか!?」
顔真っ赤でまくしたてる。
だっていないと思って独り言のように呟いてたんですもの!
まさか聞かれているなんて思いもしないじゃないですか!!
『面白かったからに決まってるだろうが、鶏頭』
お、面白いって。
捨てられた猫みたいな泣きそうな顔して待ってたあたしを見てるのが面白いって。
どんだけドSなんですか!鬼なんですか!鬼畜なんですかぁ!!!
別にね、人としての優しさを今更この人に求めてる訳じゃないんですよ。
でもね、優しさは求めてないけど、平穏を求めても良いじゃないですか!
タコのように真っ赤になって恨めしそうな目で睨んでいると、嬉しそうに微笑むこの鬼!!
ちょっと・・・かっこイイじゃないかこのヤロー!!!
『お前は本当に見ていて飽きないな。
で、何で俺に帰ってきて欲しかった訳?』
い、いきなり本題に入らないでクダサイ!
何かもう、振り回されっぱなしじゃないですか。
何も言う事が出来ずに黙っていると
『何で帰ってきて欲しかった訳?』
「に、2回も言わなくても聞こえてますよ!」
『返事が聞こえなかったが?』
こ、このドSヤローが・・・!!!
曖昧なニュアンスで理解しようよ・・・!
『また吊るされたいか?
未回答は許さんぞ』
「そこは許可して下さいよ」
『却下』
うぅ・・・絶対解ってて言ってる。
私だってまだ曖昧にしか解ってない事なのに・・・
『お前、俺に惚れてるだろ?』
い、言い切りやがった!
自身に満ちあふれたその顔がムカつく!!!
けど、何でそんなにカッコいいのよぉ~!
「・・・き、気にはなってます!
・・・う、上島さんこそ、私に惚れてるんじゃないんですか?!」
ちょっとした仕返しのつもりで言ってやった。
上島さんは一瞬無表情になって、それからふっと微笑み、私の耳元で
『惚れてるよ、雅』
・・・・・・ひ、ヒヒィィイイイイ!!!!
な、何て色っぽい声で囁くの!?
しかも超、接近した耳元で!
しかも下の名前、呼び捨て?!
何なの、何でいきなりそんな甘い声!?
もう、何が何だか解らない。
私、今、告白された?!
人生22年、初体験だよ。
ど、どうするよ!?
私、上島さんと付き合うの!?
嫌いじゃないよ、確かに。
話せないと寂しいし、悲しいし。
ものすごい頼りにしてるし。
でも、イコールそれが好きなのか?!
『煮え切らんヤツだなぁ。
一発ヤれば解るか?』
「や、ヤる!?」
パニくってる時に余計パニックになる事言うな!
『ぶっ!!
お前パニくり過ぎ。
落ち着け』
チュ
・・・へ?
チュって言った?
私、今、何されたぁ?!?!?!?
一瞬ものすごく近くなった上島さんの顔。
唇に柔らかい感触が・・・
ふぁ、ファーストキスなんですけど!??!
げ、限界・・・
身体が意識を放棄しちゃいました。
アレ・・・も無理・・・私の心臓、爆発しちゃいます。
私、平和が好きなのにぃ!!
上島サイド
俺にしては気長にやってきたつもりだ。
多少強引ではあったかもしれないが。
梅塚雅。
新入社員の中で一番最初に覚えた。
あまりにも出来が悪すぎて。
人並みの事がまずほぼできない。
茶を入れ指せば苦いか薄いか。
コピーをとらせれば多いか少ないか。
資料を作らせば同じページが2枚以上あるか、2ページ以上ページが抜けてるか。
とりあえず本当に何も出来ないやつだった。
何でこんな奴採用しやがったのか、本気で上を恨んだくらいだ。
唯一褒めることがあるとすれば、字が綺麗なことくらい。
書くのが極端に遅いが・・・
めんどくさいのを押し付けられた。
その程度にしか思っていなかった。
それが、いざ働かせてみると、これがおもしろい。
失敗だらけだがめげない。
毎日残業でも、きちんとノルマを果たそうとする。
途中で放り出した事を俺は見たことがない。
人一倍時間はかかるが覚えたことは忘れない。
徐々に仕事が出来てきていたのも事実だ。
まぁ、何回頭の血管が切れるかと思ったが。
俺の教育についてこれた女は初めてだったんだ。
イジメ甲斐があったのも否めないが・・・な。
飲みに誘ったのは気まぐれだ。
接待が終わってオフィスに戻ると必死なツラして、こいつはパソコンを睨めっこをしてた。
それを見て、可愛いなと思ってしまったんだ。
下心丸出して誘ったんだが・・・
あぁも見事に潰れられたら、襲う気にもならんわ。
安眠する寝顔を見て、自分の物にしたい、と思ってしまったけれども・・・。
色々仕掛けて、ようやく手に入りかけている今、
スヤスヤと俺の腕の中で眠るこいつを、俺は心底可愛いと思う。
だって・・・
キスしただけで気絶する奴、いまどきいるか!?
こんなおもしろい素材、何が何でも手放してたまるか!!!
起きるのが楽しみだ。
俺は寝込みをいただいたりしない。
意識のない奴を甚振っても面白くない。
早く目を覚ませ。
一生忘れられないくらい、愛し抜いてやる。
心地よかった。
最近で一気に慣れてしまった少し硬めの腕が、いつのまにかあたしの一番心地いい枕になっていた。
今日も目の前に上島さんの寝顔。
寝顔だけ見ていると本当に可愛い。
スヤスヤをあたしを抱きしめて安眠するこの人に、上司以上の情があるのは確かだと思う。
意地悪で鬼のようにドSだけれども、本当は優しい人だっていうのにも気づいてしまった。
どうしてこの人はあたしを特別な存在にしてくれたんだろう?
あたしは自分で言うのもなんだけど、魅力何て皆無の女だから。
でなけりゃ22年間処女やってない。
そんなあたしに、売り手市場のこの人がどうして?
昨日の告白がなくても、きっとそのうち自分の気持ちに気付いただろうな。
あたしは、上島さんが好きだ。
『おはよう』
…目が一気に覚めた。
満面の笑みで起こされた。
しかもまたキスされた…。
「上島さん。
知らないかもしれませんが、私、平和を何より愛する人間なんですよ。
お願いですから、これ以上私の心の調和を乱さないでいただけますか・・・?」
連載ものなんて初めてです。
どこから区切っていいか解りません。
だから変なところはご容赦クダサイ。
出来るだけ頑張ります。
あと、亀更新もご容赦下さい。