35 オーガ
「よく食うな、シェーン」
クィチュセアが感心したように唸った。すでに名乗りは終えている。
俺は曖昧にうなずいた。別に食いたくて食っているわけではない。クィチュセアがどんどん料理を注文するから仕方なく食っているだけだ。
ゾンビーになった俺は腹がいっぱいになることはなかった。まるで底の抜けた袋のようにいくらでも入ってしまうのである。だから常に空腹というわけだ。
「ますます気にいったぜ」
クチュセアがニンマリした。そういうクチュセアも俺に負けずに喰らっている。小柄のどこにおさまってしまうのか。
「どいつもこいつもあまり食わないんで面白くないんだよな。けど、おまえは違う」
「ああ、そう」
俺は適当にこたえた。早くドワーフの国を見物してこの国を出たかったからだ。なんか嫌な予感がするのである。
「よし」
いきなりクチュセアが立ち上がった。おどろいて俺はクチュセアを見上げる。するとクチュセアはいたずらっ子のような笑みをうかべ、
「あわせたい奴がいるんだ」
片目をつぶってみせた。
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「……ここだな」
ヴンガは前方を見据えた。
ぽっかりとあいた洞穴。入口はかなり大きい。
ヴンガの手には戦斧と盾。自慢の代物だ。これならオーガにもある程度は対抗できるだろう。
さらにヴンガの腰にはランタンが吊るされていた。ここに来る途中で買い求めたものである。
「待っていろ、ズオジガ。俺が助けてやる」
戦斧の柄をヴンガは握り直した。汗でぬめっている。
「恐れているのか、俺は」
苦く笑うと、ヴンガは洞穴に足を踏み入れた。
入口近くオーガの姿はない。洞穴から出たか、ズオジガを追って奥にむかったか。
「ともかく奥に進むしかあるまいな」
ズオジガの名を叫びたいところだが、ヴンガはぐっとこらえた。オーガを呼び寄せるのはまずい。
ヴンガは慎重に足を進めた。ランタンの光だけではあまり遠くまでは見通せない。いきなりオーガと出くわすことだけは願い下げであった。
どれほど進んだか。やがてヴンガは足をとめた。
前方の闇。赤い光が揺れている。
「オーガ!」
ヴンガは小さく叫んだ。光が赤く濡れ光るオーガの目であることに気づいたのである。
やがてオーガの姿がランタンの光に浮かび上がった。
体型は人のそれだ。鋼のような筋肉に覆われた体躯は二メートルを超えているだろう。それだけ見れば人間のようだ。
が、断じて人ではない。額からはぬらりと二本の角が生えているし、口からは獣のような牙が覗いている。目は凶暴そうな血光を放っていた。
「おおん」
唸り声をあげるとオーガがヴンガに襲いかかった。
「は、速い!?」
予想外の襲撃速度の速さに戸惑いつつ、ヴンガは盾をかざした。
次の瞬間だ。凄まじい衝撃がヴンガを襲った。
オーガの攻撃。パンチが盾にぶち込まれたのだ。
圧倒的な衝撃に、たまらずヴンガは数歩後退した。それだけでヴンガの骨肉がギシギシと軋んでいる。
「なんて力だ」
ヴンガは呻いた。彼は優れた戦士であるが、オーガと戦ったことはなかったのである。
話には聞いていた。が、これほどの怪物とは思ってはいなかった。これでは──。
そして第二撃がきた。ヴンガは十分に備えていたのだが、それでもよろける。
「くそっ」
態勢を崩しながらも、必死になってヴンガは戦斧で斬りつけた。わずかではあるが戦斧がオーガの肉を削る。
オーガの皮膚は硬く、筋肉は鋼のようであった。そのオーガの肉体に軽傷ではあるが傷を負わせることができたのはヴンガ自慢の戦斧の優秀さといっていい。が、軽傷ではオーガは斃せない。
ヴンガは焦りを覚えた。
今、オーガは一体のみである。それでも苦戦しているのだ。仲間がやってこないうちに斃してしまわなければならなかった。
「やれるか? いや」
やる!
ヴンガは一気に踏み込んだ。素早く鋭い戦斧の一撃を繰り出す。
さしものオーガもその一撃は躱せなかった。咄嗟に掲げた左腕で防ぐ。刃がざきりとオーガの腕にくいこんだ。
「やった!」
ヴンガは快哉をあげた。が、すぐにその快哉が凍りついた。
剣を引き抜こうとして、抜けない。オーガの腕の筋肉ががっちりと戦斧の刃を噛んでいるのだった。
「ま、まずい」
ヴンガが呻いた。
直後である。オーガの足がはねあがった。
反射的にヴンガは盾で防いだ。凄まじい衝撃。たまらずヴンガは鞠のように吹き飛んだ。
地で数度バウンド。壁に激突してようやくヴンガはとまった。
「く、くそっ」
気力をふりしぼり、よろよろとヴンガは立ち上がった。ぐずぐずしてはいられない。オーガを前にわずかな遅滞でも、それは死を意味していた。
「なっ」
戦闘態勢に移行しようとして、ヴンガの口から愕然たる声がもれでた。
左腕がだらりと垂れ下がっている。オーガの蹴りの衝撃を受け止めきれず、肩が脱臼してしまったのだった。
あれだけの打撃をうけて腕を破壊されなかったのがせめてもの救いだ。幸いにも戦斧はまだ手にあった。吹き飛ばされた際にオーガの腕から抜けたのだろう。
躊躇うことなくヴンガは盾を捨てた。防御ができない以上、少しでも身軽になった方がいい。
ヴンガは小さく戦斧を繰り出した。牽制のためである。
下位とはいえ、膂力にしろ素早さにしろ、すべてはオーガの方が上であった。下手な攻撃を仕掛けることは身を滅ぼすことになりかねなかった。
とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかない。他のオーガが何時姿を現すかしれないからだ。
一体でこの始末である。たとえ他のオーガが一体でも現れたなら、凌ぐことは不可能であった。
早く。
早くこいつを始末しなければ。
この心の焦りが動きに出たものか、ヴンガの戦斧が空をうった。
なんでその隙を見逃そう。オーガが獣の襲撃速度を上回るそれで襲いかかった。
咄嗟にヴンガは戦斧をかまえて防いだ。が、防ぎきれるものではない。
オーガの横薙ぎの腕の一閃にヴンガの戦斧がはねとばされた。それだけではない。衝撃によろとヴンガが尻もちをついた。
「し、しまった!」
ヴンガが呻いた。そのごつい顔が絶望にどす黒く染まる。
「があっ」
咆哮をあげると、オーガがナイフのような爪を振り下ろした。鋭利なそれは逃げも躱しもならぬヴンガをバターのように切り裂いた。いや──。
オーガの爪はヴンガに届かなかった。わずかによろけてしまったからだ。後ろから小さな影が体当たりを食らわせたのだった。
「父さん!」
影が叫んだ。はじかれたように目をむけたヴンガの顔が輝く。
「ズオジガ!」
「父さん、どうしてここに?」
戸惑いつつ、影──ズオジガは剣をかまえた。父親と違って彼の得物は剣なのだ。
「おまえを助けにきたんだ」
「俺を?」
ああ、とズオジガは合点した。
「スィロスのやつか。そうか。あいつは逃げられたんだな」
「そうだ。スィロスから聞いて慌てて駆けつけて来たんだ」
「父さん一人でか?」
「そうだ。仲間を集める余裕はなかったんでな」
「なんて無茶なことを」
オーガを牽制しながらズオジガがごちた。助けに来てくれたのはありがたいが、これでは二人ともやられてしまうだろう。
「父さん、立てるか?」
「馬鹿にするなよ」
苦く笑うと、ヴンガはよろよろと立ち上がった。尻もちついた時に足をくじいてしまったらしい。痛みにヴンガは顔をしかめた。
「大丈夫か、父さん?」
「大丈夫だ。が、俺は走ることはできん。剣を貸せ」
「なんだって?」
愕然とした顔をズオジガはヴンガにむけた。
「何をするつもりなんだ?」
「俺がこいつの相手をする。おまえは逃げろ。そして助けを呼んできてくれ」
「馬鹿な」
ズオジガは激しく首を横に振った。
「俺だけ逃げる? そんなことができるはずないだろ」
「馬鹿はおまえだ。おまえは職人で、俺は戦士でもある。どちらが戦えばいいか、わかるだろう?」
「それは……」
ズオジガは声を失った。確かに父親のいうとおりであるからだ。
ズオジガは戦闘経験などまるでなかった。剣技を習ったこともない。剣をさげているのは、あくまで護身用であった。その護身もまた怪しいのだが。
オーガと戦ってまともに相手となることなどできるはずがなかった。それはズオジガ自身よくわかっている。それても父親を見捨てて逃げることなどできるものではなかった。
「俺が父さんを守ってみせる」
ズオジガは剣をかまえなおした。汗で手がすべる。剣先が震えていた。
その間もオーガはじりじりと距離をつめていた。どうやらズオジガの力量をはかっていたらしい。
オーガがニンマリと笑った。口から肉食獣のもののような牙が覗く。
来る!
ズオジガはわずかに身を低くした。迎撃するかまえである。
刹那、動いた。オーガが。
反射的にズオジガは剣で横薙ぎした。が、すでに彼の剣はみきられている。
オーガは容易く剣を躱した。同時にズオジガの腕を払う。
「あっ」
凄まじい衝撃がズオジガの腕を襲った。剣が吹き飛ぶ。
それだけではない。ズオジガの右腕は粉砕されていた。まるで鉄塊を叩きつけられたかのように。恐るべきオーガの膂力であった。
ぼろぼろになった右腕を左腕でおさえ、ズオジガはがくりと膝をついた。もはや身を守るものはなにもない。
満面を冷たい汗でぬらしたズオジガが顔をあげた。彼の目は大きく腕を振り上げたオーガの姿をとらえている。
もう戦うことも逃げることもできなかった。絶望にズオジガの顔がゆがむ。
「ズオジガ、逃げろ!」
ヴンガが絶叫した。が、ズオジガは動かない。動けない。
「父さん、ごめん」
父親を救うことはできなかった。その悔恨がズオジガの胸を焼いた。
刹那である。オーガの腕がふりおろされた。まともにその一撃をあびた場合、ズオジガの頭蓋は小砂利のごとく砕かれてしまうだろう。
ズオジガは目を閉じた。死の覚悟をさだめて。そして──。
死の訪れはなかった。恐る恐る開いた彼の目は、異様な光景を見出している。
オーガの腕がとまっていた。横からのびた腕ががっきと掴みとめているのだった。
「そこまでだ」
腕の主がいった。
この時、無論、ズオジガもヴンガも知らぬ。腕の主の名がシェーンであるということを。




