「ヤンディラデュマセランだってよ」
話は再び遡り、セラと出会った去年の八月。
鬱屈とした、あの雨の夜。
「ほほ~、ここがキミの家か~。」
あの後、家に着く頃には既に、俺は「何かマズいものを拾ってしまった」と思っていた。
自転車を押して自宅のアパートまで向かう途中、その外人の女は、終始ビトっと身を寄せて来たからだ。
キミが濡れてしまうよ、そう言ってビニール傘を差し、俺の隣を歩きながら、ベタベタと。
それはまるで、悪魔のように。
「思った以上に、しょぼい家だなぁ。」
六畳の1K。
男の一人暮らしならそれで充分だが、生意気な野郎だ。
なんなんだコイツ。
「うるせぇよ。」
思わず「アーユーオーケー」とか言いながらバカみたいに傘を充てがったものの、びしょ濡れの日本語ペラペラ外人女(多分ロシア人)に「行く宛てがない」そう言われて困った俺は、ひとまず家に連れていく事にしたのだが。
一人暮らしの大学生。
そして、若い男女。
確かにそんなシチュエーションも少なからず気にはした。
けれど、何しろこんな雨の夜だ。
関わってしまった以上、あのまま放っておくのも気が引けたからだ。
「ほら、タオル。からだ、拭けよ。」
「うお。」
そして恩人の家に入るなり生意気な事を言うので、テキトーにキッチンの床に落ちてたバスタオルを顔に投げてやった。
「これ、ちょっと濡れてないか?」
いかにも気に入らなそうに女が顔をしかめる。
「いちいち文句を言うな。」
「フ~ん。」
不満げに女は顔をそむけた。
言動の一つ一つが癇に障る野郎だ。
「はぁ。」
思わずため息がダダ漏れる。
さて、これからどうしたものか。
濡れネズミ一匹、我が家に上げたものの、行く宛てがないという。
朝にはこの雨も止むはずだが、今日は泊めてやった方が良いのだろうか。
それとも警察に連れて行くべきか。
そもそもコイツ、一体何者なんだ?
どうみても外人だが――まさかどっかの御令嬢とかか?
「お前、名前は?」
「そういう君は?」
「ち……。いいから名乗れよ。」
「ヤンディラデュマセラン。」
……。
「は?」
いや、どうやらまじだ。
冗談を言っている顔ではない。
答えながら、女は淡々と白い髪を拭いている。
ヤン……なんつった?
何語で、どこ人だ?
コイツ……一体……。
「すまん、もっかいだけ頼む。」
「ヤンディラデュマセラン、だよ。頑張って覚えてね。」
「おう。」
俺は、諦めた。
元々物覚えはあまり良くない。
けれどそれにしたって、やたらに長いし、意味不明だし、馴染みがなさすぎる。
まさか宇宙人じゃあるまいな。
「ヤン……か……。」
「え、その呼び方、好きくないんだけど……。」
熟考の末に「ヤン」と、そう呼ぼうかと思ったのだが、ヤンは不満げに眉をひそめた。
「もう、セラでいいよ。そっちの方が、さわやかな感じだ。」
「そうか? なんか悪魔っぽいぞ。」
「悪魔だよ。」
「言ってろ。」
俺はバカにするつもりで言ったのだが、俺の冗談に気分を害するでもなく、ヤンは平然と乗って来た。
生意気なヤツだと思ったが、それなりに冗談は通じるらしい。
「だから"ヤン"はやめてってば。」
「は?」
「今思ったろう。聞こえてるからね、心の声。」
タオルを肩に掛けてそう言いながら、ヤンは勝手に俺の部屋の方へ入って行った。
「だーかーらーさぁ。」
「あ?」
なに怒ってんだコイツ。
「もういいよ。」
さっきからなんなんだ。
まじで意味が解らないぞ。
「……。」
いや、まさかとは思うが……本当に……。
――試して、みるか……。
「……。」
――ヤン。
「ぅおい!!」
や、やっぱりだ。
何だコイツ、面白い。
思った通り、どうやってかは知らんが、確かに俺の心の中を読んでいるらしい。
俺が心の中で「ヤン」と呟いた途端に振り返り、ヤンは声を張り上げて苛立たしげに叫んだ。
面白い。
「解ってるなら言うなってのにさぁ!! 次言ったらもう容赦しないからね。」
「お、おう……。」
――まったく、どう容赦しないと言うのか。
――さてと……。
ヤ――
――キッ!!
セラは、俺を睨みつけて牽制した。
「うん、よろしい。」
いやはや、驚いた。
「お前、何者なんだ。まさか、ほんとに宇宙人か?」
「さっきも言ったろう、悪魔だって。なんだ宇宙人て。」
「……。」
「ところでハヤト君。お腹が空いたんだけど、なにか食べるものは無いかな。」
――いきなり図々しいな。
「悪魔だからね?」
「……。」
なんか、やりづれぇな。
て、あれ……俺、名乗ったっけか。
いや、名乗った覚えはない。
「ふふっ。」
思考の乱れた俺を嘲笑うかのように、セラは口元に手を当てて悪戯に笑った。
――やりづれぇ……。
「そういやお前何歳なんだ? 見た目俺とそんな変わんなそうだが。」
「む、お前とはまた失敬なっ。私はキミより遥かに先輩なんだけど?」
「んで、何歳なんだよ、先輩。」
「たぶん4000歳くらいだっ。」
「お前ほんといい加減にしろよ。」
「ふふ、悪魔だからね?」