短命な天才
また私の好きな歌手が死んでしまった。
これで何度目か分からない。
何度体験しても人が死んでしまうことはとても苦しい。
なぜ、天才はいつだって短命なのだろうか。
私は何も答えることができなかった。
先生は、言った。
「なぜ天才が短命であるか。」
「それは私たちが短命である天才ばかりに目をやっているからだ」
「言ってしまえば、ただただ、その人たちが短命であったということが印象に残っているだけだ。」
「その結果、我々の記憶の中の天才はほとんど短命な存在になる。」
「だから、天才は短命だ。と人々は考える。」
「極論、流産などはある意味0歳で死んでしまった人ともいえる」
「発展途上国では、そんな人らが大勢いる。」
「だけど我々はそれを認識していない。」
「そうやって、自分たちの都合のいいように記憶を改ざんしてしまうのだ。」
「人、という生き物は記憶しやすいこと、認識しやすいことばかりに気を取られがちだ。」
「周りをよく見る、それはこの見えていなかったものも見るために、創られた言葉である。」
「君も、周りをよく見るよう気を付けるのだな。」
周りをよく見る。
私はそんなものは、大人たちが自分の言うことを聞かせるために作り出した嘘で、
周りを見ていたら、私が幸せになることができなくなるのだから、
最悪なことだと思っていた。
でも実際はどうなのだろう。
そうやって、考えていたこと自体が、周りが見えなかった証明なのだろうか。
私にはわかれない。