恐ろしき修道女と謎の使者
「ぎゃあああああああああっ!!!!」
何が起こったのか彼には理解できなかった。無理もないだろう。見ず知らずの他人に親切にしてくれた心優しい修道女が、突如として果物ナイフを躊躇なく星空の胸部めがけて刺してきたのだから...。
とっさに右腕を盾にすることで、胸への一撃は何とか避けたもののナイフが刺さった右上腕部からとてつもない激痛が走る。
「す、スゴい...! 本当に血が出てるわ!!」
アンネが興奮して話す。
「はぁっ!? な、何を言ってるんですか急に!?」
「?? えっ? えーっと?」
「と、とりあえず早く僕から離れてください!!」
星空は彼女を引き離し、僕はナイフの刺さった右腕をおそるおそる見る。
深々と腕に刺さった刃先を見て、思わず吐きそうになるがこのまま刺さった状態で放置していてもまずいだろう。
(は、早くこれを抜かないと...!)
痛みをこらえながら、ナイフをゆっくりと引き抜く。
「つっっっっ!!!!?」
思わず声にならない悲鳴が出てしまう。さらに引き抜いた傷口から大量の血が溢れ出て、さらに吐き気がひどくなれ。傷はかなり深く出血もかなりひどい状況だ。刃渡りがもう少し長ければ、腕を貫通していたかもしれなかったほどだ。
(こ、これ抜かなかったほうがよかったかも...)
そしてこの悲惨な事態の中で、驚いたことに目の前にいる修道女は、特に何のリアクションもすることなく不思議そうに星空のことを見続けていた。
(...マジかよこの人!? 何か観察するようにこっちのことを見てるんだけど...! ひ、ひょっとして見た目は可憐でも中身はかなりヤバい人なのか?)
星空は自分のことを刺した相手を、ただ黙って見つめていた。不思議と彼女に対して怒りは沸かなかった。寧ろ彼の中では美人に殺されることは本望であって、どちらかといえば怒りよりも諦めのほうが先に出ていた。
「...スゴい」
「へ?」
「スゴいわ、ホシゾラさん!? やっぱり本当に存在していたのね! 昔絵本で見たのと同じ伝説の人が!」
「ぐぅ...! ん? で、伝説?」
(伝説って一体何のことだ...? ゲームのモンスターのこと?)
修道女アンネの言葉を疑問に感じながら、彼は左の手で右腕を押さえながら、ベッドからゆっくりと立ち上がる。
「つっっ!? ア、アンネさん、薬箱ってこの家のどこかにありますか!? 傷口をどうにか止血したいので...!」
「? ク、クスリですか? クスリって何のことです?」
「薬は薬ですよ!? お願いします! どこにあるのか教えてください! この傷はそもそもあなたの責任なんですから!!」
「えっ? えっ!?」
突然のことでパニックになるアンネ、それを見て星空はある一つの推論を立てる。
(...まさかだけどもしかしてアンネさん、薬が何であるのか分かってないのか?)
薬、つまり薬品が何なのかをアンネさんは理解していない。これはとんだ一大事だ。箱入り娘として育てられたために一般常識に疎いだけなのか、あるいは彼女が単に理解力に乏しいだけなのか、それとも記憶力に何らかのリスクがあるのか、真相は謎だがいずれにせよ困ったことになった。
「そ、それなら医者は知ってますか!? この辺りに病院とかは!?」
「わ、分かりません!? あの、さっきからホシゾラさん、何を言ってるんですか? クスリとかイシャとか?」
「嘘だろ...」
(いやいやいや、薬のことを知らないのもまずいがそれ以上に医者のことも存じていないってのは、さすがにおかしくないか!?)
いくらなんでもそれは無知にもほどがあるだろう。ファンタジー世界に回復薬がないなんて、そんなのあり得ないはずだ。
(仕方ない、これ以上彼女に頼るのは時間的にも厳しい)
「うぅっ...! わ、分かりました! それなら仕方ないですが一か八かです! 今から外に出て自分で医者を探してきます!!」
「えっ、あの! そこは...!?」
「すいません! 失礼なのは承知ですけれど急を要するんで...!」
星空のとった行動、それはベッドの側にあるアーチ窓から外へと脱出することだ。というか怪我の原因はそちらにあるので、これぐらい見逃してほしい。にしても部屋の風通しをよくするためか、少しだけ窓が開いていたことに気づいたのはラッキーだった(窓を豪快に割ってまで、部屋から脱出するのは彼の胆力だは不可能だ)。
いちいち出口なんて探してられないし、このチャンスを逃すわけにはいかない。
「あっ、待ってください!! どうかワタシの話を聞いてくだ...!」
何故か星空のことを引き止めようとするアンネを背に、星空はベッドからアーチ窓へと飛び込んだ。
「ごめんなさい、アンネさん! けど急いで...、うわっ!?」
星空は飛んだ。窓から部屋の外へと...。
飛び降りた部屋が、実は3階からであったことに今さら気づきながら...。
「やっちまったあああああああっ!!!?」
負傷した右腕を庇う余裕などない。当然落下中に受け身を自然に取れるほど、彼に技術はない。そもそも頭から落ちてしまっている。
無論3階からの落下なら、重傷は免れないとしてもまだ生き延びる可能性はある。けど、星空は確信していた。体勢、負傷、肉体の強度、どう考えてもこれは無理があると...。
(ヤバい、マジて死んだ...!!!!)
とことん運がない。そもそもスライムに歯が立たず、その上自分を助けてくれた心優しき修道女にわけも分からずナイフで刺され、挙げ句の果てに落下死である。最悪な三重奏だ。
「いやぁ、残念ながらまだまだお前さんは死なせんよ?」
「え?」
落下の最中、それは起こった。地面スレスレ、おそらく後5センチの距離で頭部がぶつかるであろうそのタイミングで...、ピタリと身体が動かなくなった。
いや、動かなくなったというよりも、身体が停止したとでも言うべきか?
とにかく星空は、宙に逆さまになった状態でどういうわけか固定されたのだ。
「た、助かったのか僕は...?」
なんとも情けない有り様ではあるが、ここに来て彼に運が向いてきたのだろうか...? いや、そうではない。寧ろ不運は続いている。
「カッカッカッ! そう簡単には死なせんよ。お前さんにはこれからもっときついきつーい仕事が待っとるのだからのう?」
「? だ、誰だよ、今度は?」
先ほど落下中に聞こえた声だ。老人のような喋り方で声色はかなりかすれている。
「カッカッ! そう焦るでない? どれ、一応挨拶といこうかの?」
空中で逆さま状態の星空に、ゆっくりと誰かが忍び寄ってくる。
その正体は、ボロボロの布の服を着た老人とはほど遠い5歳ぐらいの少年であった。
「こ、子供!?」
決して見間違いではない。老人故に背が低いからとかではなくちゃんと年相応の背丈であり、肌の艶もしっかりしていて見た目通りの子供である。
「カッカッカッ、思った通りこの姿に驚いておるようだな! それにしてもやっと逢えたのう、八雲星空? お前さんをここまで呼び出すのに苦労したわい」
「呼び出し? それってどうゆう...? あんたは一体...?」
「ん? ワシか? ワシはただの使者じゃよ。 お前さんにこの世界での使命を与えるためのな」
謎の少年はニヤリと笑いながら、自らをそう名乗った。