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慶司たちが白の塔を出ると、一路第二区へと向かった。第二区とは商業地区内にあり、企業関係が多く集まる場所だ。お金が多く動き世間への貢献が大きい為、手出しが難しい場所だった。しかし、そう言った企業の中にも、闇の住人……裏で糸を引き、悪事に手を染めさせる人間たちの魔の手忍び寄る。それに気づけず悪事に手を付け、甘い汁を吸う者たちがこの頃多く見かけられる為、白の塔はそういった企業に対し警告状を送ることにしていた。それで己から悪事を撤廃し、綺麗な企業へ戻るケースもあるが、中には甘い汁を吸ったことによりそこから抜け出せなくなるケースもある。何度警告状を送りつけても無意味で、悪化する事が見受けられる場合は企業内部からの改革の必要性を見出す為、内部の情報と企業トップの拘束をもってそれを食い止めることにしている。それでも止まらない場合は企業自体を停止させ、綺麗な会社へと更生させてからの開始となる。そこまで行くことはないものの、危うくそういったことになりかねない事態も迫っていた。今回の依頼も、そういった中から起こった一つの企業だった。
企業区域ビル群へ到着し、目的のビルへと向かった。社内大広間での説明会パーティーとあって、ビルの窓からは明明とした光が夜の世界を照らし出していた。そのビルから少し離れた所から慶司たちは歩いてビルに向かった。スーツ姿でビルに入ると誰も怪しまなかった。仁は子供のため、パーティー参加者の中に紛れ込みビルの中へと入った。ビルの中は従業員とパーティー参加者とが溢れかえっていた。
「さてと、時間制限があるからには厳守だ」
慶司が揃っているメンバーを見て言うと、パーティー開始まで辺りを歩き回り様子をうかがった。途中、他の参加者と他愛もない話をして怪しまれない行動もしていた。その為他のメンバーたちも同じく周りの人たちに溶け込むように動き出した。
「聞きました? 秘書課の松川さん、行方不明なんですって」
「営業部の川島、出張先で事故に遭って亡くなったらしいぞ」
「事業部の部長さん、不倫騒動で奥さんと揉めて、蒸発しちゃったらしいのよ。最低ね」
周りの人たちから口ぐちに出てくる言葉をメンバーはしっかりと聞き止め、パーティー開始を待っていた。
そうしている間にーティー開始時間になったのか、大広間の扉が大きく開け放たれ、人がぞろぞろと大広間の中に向かった。その人の波に乗り慶司たちも大広間へとバラバラになって入った。パーティー会場内では各テーブルに人が集まり、周りでは飲み物を運ぶボーイの姿があった。慶司たちはバラバラのテーブルへと入り込み、そこで交わされる会話を聞いていた。時折会話に乗り、その場での違和感を無くしていた。
急に会場内が静まり返ると、企業トップが壇上へと上がり、マイクの前に立った。
『本日はこのパーティーへご来席いただきありがとうございます。我が社の新事業が皆様にご理解いただき、発展のためにご協力いただけるようになりましたことを心より御礼申し上げます。今後の向上、そして更なる発展に向け、今以上の努力を惜しまぬことをここに誓い、皆様への挨拶の代わりとさせていただきます。本日はパーティーをお楽しみください』
企業トップの挨拶が終わるとパーティー会場内は騒々しさが戻り、参加者たちの話し声や笑い声などが会場内に響き渡った。お酒に酔った人たちも徐々に出始め、その中からも企業内の情報をもらうことになった。そして時間の経過を見て、作戦開始の合図を待つメンバーも中には居た。
「小野顧問、申し訳ありません。少しお話が……」
企業側の人間が中央テーブルに居た老人に声をかけた。老人の側には大勢の人たちが居たが企業側の人間の介入により話は中断され、老人は会場の外へと連れ出された。
「何があった」
大広間の外の廊下へと連れ出された老人は、のんびりとした声で連れ出した若い男に言った。その為その男は困った顔を見せた。
「申し訳ありません。しかし一大事だと思われます。まだハッキリと判明したわけではありませんが白の塔の連中が紛れ込んでいる可能性があるかもしれません」
「……そうか」
若い男の言葉に老人は真剣な顔をして返事を返した。その為若い男は眉を寄せ、困った顔を見せた。
「いかがいたしましょう」
「そうだな。まずは参加者名簿を確認し、来客人数と照らし合わせろ。それで合わない奴らが出たのなら、包囲してしまえ。それからだ」
「わかりました」
老人が指示を与えると若い男は急いでその場から立ち去り、老人は会場内へ戻るため扉を開けた。中に入ると騒々しいがやがやとした音が響いていた。この中に白の塔の奴らが居るのではないかという疑いの目を向け、老人は周りに居る人たちを剣呑な目で見つめた。
パーティーが進み、慶司がそろそろだなと動こうとした時だった。急に開け放たれていた扉をすべて閉じられ、圧迫感のある空気へと変わった。その為慶司は一歩足を踏み出そうとして周りのことに気づいた。テーブルを囲うように人が居たのだ。それも慶司たちメンバーを数人囲う形で居るため、慶司は感付かれたことに気づき深いため息をついた。ただし心の中では焦りを感じていたのは言うまでもなかった。そんなことを思っていると周りの人々も扉が締め切られていることに気づき、ざわめきだした。そのざわめきに乗じて慶司は龍彦の所へ向かった。そして近くに立ち、周りの人々に気づかれないよう龍彦を見た。
「失敗したか?」
慶司は口をあまり動かさず龍彦に聞くことにしたのか問いかけた。その為龍彦は視線を合わせず違う場所を見つめ口を開いた。
「全然。こっちは何もしてないよ」
「じゃ気づかれたわけだな」
「らしいね。想定外だよ」
龍彦が肩をすくめて呆れたと示すと慶司は微笑んだ。
「俺もだ」
慶司が苦笑いを浮かべると周りの人々によって包囲されつつあることに気づいた。それに包囲している人たちが警備員であることに気づき、慶司はため息をついた。
「龍、悪いが作戦開始だ。これ以上様子を見ていれば俺らの命に関わるぞ」
慶司が真剣な声で言うと龍彦はため息をついた。
「仕方ない。こんな状況で始めたくなかったよ」
龍彦はそう言ってポケットの中でピッと何かのボタンを押した。
「それは俺も一緒だ」
慶司がそう言って周りを見ると、会場内にあった監視カメラが配線の異常か何かで急に動かくなった。それを確認した慶司はふぅと息を吐いた。そしてそうやって事前準備をしている間にも周りを包囲されていた。その為慶司は人の間から見える仁に目を向けた。仁は自分を慶司がじっと見ていることに気づくと、急にその場で吐き気をもよおしたのか今まで食べに食べていたものを吐き出した。周りの大人たちは急に吐き出した子供を助けるわけでもなく、汚いものを見るかのようにその場から遠ざかった。子供の周りには数メートルのクレーターができ、その中で子供は床に消化しきれない食べ物を吐き出していた。
「ゲボォッ……」
食べたものを思いっきり吐き出している子供の側に女性が駆け寄り背中に手を当てた。
「大丈夫?」
優しい声で女性が問いかけ、子供の背中を撫でた。吐き続ける子供を心配そうな目を向け、周りにいる大人たちを女性は睨んだ。
「子供が気持ち悪いのか吐いているのに何で助けないのよ! 子供が苦しんでいる時ぐらい助けなさいよ! 最低ね!」
女性が大声で周りの大人たちを怒鳴ると、大人たちが目をそむけた。その為女性は子供を立ち上がらせた。
「手と口をゆすぎにトイレに行こう。歩ける?」
「うんっ……ゴホォッ……」
子供は連れられるままテーブルの側から歩き出し、扉へと向かった。歩いている最中も、子供は吐き出し、周りの視線が子供と女性に向いていた。扉の近くまで歩いて来ると、扉の前に立つ大人たちは微動だにせず扉を開けようともしなかった。
「ちょっと! 子供がしんどがってるのよ! 扉を開けなさい! トイレに連れて行くの!」
女性が扉の前に立つ大人を怒鳴ると、側に居た人は老人を見つめた。
「良い、開けてやれ。子供と女性だ」
老人がそう言うと、扉の前に居た大人は慌てたように口を開いた。
「顧問……しかし……」
「良い。行かせてやれ」
老人の言葉で子供と女性は会場の外へ出ることができた。その後すぐに扉は閉められたため、女性役の唯香と子供役の仁は難なく会場の外へ出ることができていた。
「仁、服を着替えて捜索開始よ」
「わかってる。すぐに行こう」
唯香と仁はすぐに行動を開始し、ビルの中を走り回ることになった。
慶司と沙羅、龍彦は仁と唯香が騒動を起こしている間にターゲットを探し、目印を付けていた。唯香の大声が会場内に響き渡り、慶司たちをマークしていた人たちの目も二人に向いていたため行動がスムーズに行えた。三人はターゲットの側で作業をし騒動が収まるのを待とうとしたが、唯香が扉近くで言い争っているのを慶司が見た時、側に居る老人に気づいて目を疑った。しかし、作業をしなければならないと思い直しそのことを頭の隅に追いやった。騒動が収まるとすぐに慶司たちに対しての包囲網が作られた。
『ようこそ、白の塔の住人よ』
会場内に急にマイク音声が響くと、周りの人たちがどよめきだした。
「白の塔?」
「白の塔だと! どうしてこの企業に白の塔が介入する」
「白の塔が来ているってことは、何かしていたんじゃないのかしら。この企業は悪事を?」
「白の塔なの?」
周囲の人たちから口々に不安な声を上げた為慶司はため息をついた。それを見た沙羅と龍彦は目を見張った。
「臓器売買、薬物販売、裏で大儲けしてるみたいじゃないか」
慶司が会場内のどよめきに負けないくらいの大声で言うと、周りの人たちは大声を上げた慶司を避けるように少し円ができた。その為慶司は嬉しそうに微笑んだ。
「その大儲けした金で企業をでかくして、もっと裏で儲けようっていうのか」
慶司が酔ったかのような千鳥足で人々の間をよたよたと歩き、フラフラとしながら企業トップを指さした。
「あんたたちに殺された俺の妹を返せ!」
慶司が指をさしたまま大声で怒鳴ると、企業トップは笑い出した。
「ふはははは……何を言い出すかと思えば……。そんな証拠もないことを」
企業トップが鼻で笑うかのように言うと、慶司は酒の入ったコップを手に取りそれを一気に飲み干した。
「証拠? 証拠ならあるぜ! あんたたちが殺した俺の妹が残してくれた。友達が行方不明だと思ったら、この会社の地下で臓器を抜かれて死んでいた。写真だってある。あいつが俺に残してくれたんだ。他にもいろいろ証拠があるぜ。言い逃れすんなよぉ」
慶司がそう言うと、企業トップの顔色が変わった。その為周りの人たちも見ていてわかったのか、急に恐怖の色が会場中に広がった。
「あの小娘が!」
企業トップが吐き捨てるかのように言うと、慶司の周りに人が集まった。その為慶司は面白そうに笑った。
「なぁ、参加したみなさんよぉ、こいつら本気で人でなしなんだぜ? 人様の妹を殺しておきながら、こうやって祝賀パーティーまでしやがる。そんな奴らの側に居たら、知らない間に捕まって、殺されちまうぜ」
慶司が周りの人たちを見て両手を広げて煽るように言うと、一気に会場内はパニックになった。悲鳴を上げ逃げようとする人たちや、完全に恐怖で行動がおかしくなってしまった人たちが居た。しかし逃げられないと気づいたのか人々は壁際に集まり、全員が一塊となって震えていた。その中に沙羅と龍彦も居た為慶司がその前に立ち、ふぅと息を吐いた。そして目の前に居るのは、企業側の傷つけてもいい警備員やターゲットたちだ。その為沙羅も龍彦もほっとした顔を見せた。
「さて、そこの坊主、お集まりの一般人を任せたぜ」
慶司が一塊となった一団の先頭に居た龍彦を見て言うと、龍彦はうなずいた。
「やる気のありそうなレディ。あんたもこいつらの恨みでもあんのか?」
慶司が龍彦の隣に立つ沙羅を見て言うと、沙羅は微笑んだ。
「ええ。大親友を殺されたのよ!」
沙羅が不満でも爆発させるかのように怒鳴ると、慶司が笑った。
「はは……。じゃ一緒に恨みでも晴らそうぜ。今なら思う存分できるチャンスだ」
「ええ。コテンパンにしてやる。あの子の痛みを教えてやらなきゃ!」
慶司と沙羅が企業側へ向かって走り出すと、警備員たちと衝突した。殴り合い、蹴り合いの喧嘩のような構図が生まれていた。しかし慶司と沙羅の強さは尋常ではないため警備員などすぐになぎ倒してしまった。しかし数が多いため二人への攻撃も数を増やしていた。そんな中、企業トップ陣達が急に縄でぐるぐる巻きにされ拿捕された。それを見た警備員たちにその縄を解かせないよう慶司と沙羅は全員を伸してしまった。その為パーティー参加者たちはそんな二人と目の前にいる少年を見て唖然となっていた。
「お約束だ。一発お見舞いしてやれ」
慶司がそう言うと、龍彦は背後に居る大勢の人たちを見てアイドルのような綺麗な微笑みを見せた。まるでそれは言い例えるなら天使のような笑みだった。
「ごめんなさい。今日のことは悪い夢だと思って寝てください!」
龍彦がそう言うと、手に持っていた筒状の物を床に叩きつけ辺りに煙が巻き起こった。その中で大勢の人たちは煙を吸って次々と床に倒れ込んだ。気持ちよさそうに眠る人たちを見て、龍彦はほっとした顔を見せた。
催眠剤入りの煙幕に巻かれながら、慶司、沙羅、龍彦は会場から出てほぅっと息を吐いた。
「慶! 急に相手側を刺激するようなこと言うなんて何考えてんのよ!」
ほっとした途端沙羅が慶司に怒鳴りかかったため、龍彦は耳をふさいだ。
「俺らが塔の住人だとあそこで知らせる気だったのか? 面は割れるわ、姿も知られるところだったんだぞ。演技でごまかさなきゃどうなると思ってたんだよ」
慶司が呆れたと言う顔を見せると、沙羅はむっとした顔を見せた。
「だから俺は酔った振りをしただろ。ここに呼ばれなかった被害者家族だと思わせ、白の塔の介入を否定した。だから多少なりとも混乱が少なくなった。まぁ煽ってパニックにしたことは謝る。でもあれで少しは楽になった部分もあるだろ。まぁ全部演技だけどよ」
「ちょっとだけだよ」
龍彦が慶司の言葉に対して返事を返したため、龍彦を見つめた。
「でも二つに綺麗に分けてくれたのは良かった。それに僕らがあの場で仲間かもしれないし、そうでないかもしれないというあやふやな状態にしてくれたのもありがとう。名前とか呼ばれたらやばいしね」
「それは当たり前だ。それに最後の方で、企業トップに対して縄かける拘束用トラップのタイミング、すっげぇタイミングよく作動させてくれただろ」
慶司が龍彦に嬉しそうな声で言うと、龍彦はため息をついた。
「それを僕に言う? そういうのをやるのが僕の仕事だよ。それに作ってるの僕だし」
「そりゃそうだ。沙羅も怒らず黙っててくれて良かったんだぜ? 一塊になったのは良いが、あの後どうしようか迷ってたからな。それにあんたをどうしようかマジで悩んだしよ」
慶司が沙羅を見てそう言うと、沙羅は深いため息をついた。
「なんで慶がリーダーなのか理解できそう。プランが急に変更になっても対処できる奴なのね」
「まぁな。さて、仁と唯はどこ行った?」
慶司は沙羅にあやふやに答え、仁と唯香の姿がないことに気づき、辺りを見回して言うと、廊下に設置してある休憩用のソファの影から二人が顔を覗かせた。
「呼んだ?」
二人が笑顔を見せ、声を揃えて言うと慶司はため息をついた。
「居るならさっさと出てこい」
慶司がそう言うと、二人は分厚い書類の束を三つほど抱えてソファの影から出てきた。その為慶司がそれを受け取り、二人を見た。
「平気だったか?」
慶司が心配そうな声で聞くと、唯香は微笑んだ。
「誰も居なかったの。すんなり行けて不気味だったくらいよ。それに、金庫の鍵まで置いてあって罠かと思ったわ。でも中身は正真正銘ここの悪事の物だったから搔っ攫ってきたの」
「……やっぱりか」
慶司がそう呟くと、沙羅たちが目を細めた。
「どういうこと?」
沙羅が慶司に聞くと、慶司はため息を漏らした。
「小野が居たんだよ」
慶司がそう言うと、全員の顔が分からないと示したため慶司はうなだれた。
「闇の住人トップクラスの幹部、小野だ。この会場に居たんだよ。いつの間にか居なくなってたから逃げられたけどな。俺はあいつの顔を知ってるからわかった」
慶司がそう言うと、沙羅たちが目を見張った。
「あのじいちゃん!」
唯香が気づいたのか大声を出すと、慶司はうなずいた。
「そうだ。あの老人が小野だ」
「あぁっ! もうっ!」
唯香が悔しそうな声を出すと、慶司は肩をすくめた。
「仕方ない。陽二にすべてを報告だ。別部隊呼んでさっさと帰るぞ」
慶司はみんなにそう言うと携帯電話で白の塔へ連絡を入れた。そのすぐ後、拘束者を連行する部隊が到着し、慶司たちも白の塔へ戻れることになった。
現在深夜の三時前。依頼制限時間は五時まで。まだまだ時間には余裕があった。
一方白の塔でお留守番をしているはずの三名はというと……
慶司たちが出かけてすぐ、三人はポツンと部屋に取り残されたように立ち尽くしていたが友香が手を叩いた。
「さぁ、自由だぁ!」
友香はそう言うとハルカの手を取ってソファに座り、テレビをつけた。その為ハルカは友香の側で身を固めるしかできなかった。その為その様子を見ていた龍哉がため息をついて、ソファに座った。
「怖いなら怖いって言えばいいんだよ。僕らは痛いことしないし、ハルカちゃんを苦しめたりしない」
龍哉がそう言うとハルカは龍哉を見て口を開いた。
「床に座りたい……」
ハルカが小さな声で言うと龍哉は友香の手をそっとほどき、ハルカを自由にするとハルカは絨毯の上に座った。
「安心?」
「うん」
ハルカがまだましな顔をしてうなずいたため、龍哉は少し微笑んだ。友香はテレビに夢中なのか気づいていなかった。その為龍哉はハルカを見つめた。
「怖くないよ。ここは安全だし、誰も痛いことをしない」
龍哉がハルカを見て言うとハルカは首を傾げた。
「外の世界の方が怖いよ。闇の住人が世界を悪いことでいっぱいにしようとしてる。悪いことをしちゃいけないんだけど、してしまう人たちも居る。それを更生させることができるのもここなんだ。だからここは安全だって思える」
「……怖い人たちが居ないの?」
ハルカがそう言うと龍哉は微笑んだ。
「居ないよ。叩く人も蹴る人も。人を使う人も居ない。自分たちのしたいことをするんだ。悪いことはできないけどね」
「……」
ハルカが黙ってしまうと龍哉は微笑んだ。
「ちょっとずつ慣れていけばいいんだ。今すぐわかるはずないからね」
龍哉はそう言うとテレビを見つめた。ハルカも絨毯の上に座り、テレビを見つめた。
時間はすぐに過ぎてしまう為、友香ははたと気づいた。
「お風呂の時間だ」
時計を見た友香がそう呟くと、龍哉も時計を見て微笑んだ。
「ほんとだ」
「お風呂の準備だね」
「そうだね。ハルカちゃんの分も」
「はいはい」
友香がそう言って隣の部屋に入って行くと、龍哉はテレビを見つめた。その後すぐに友香が三人分の着替えをもって出てきた為龍彦がそれを受け取った。そしてその中から自分のを持ち風呂場へと向かった。
「ハルカちゃん、後で一緒に入ろう」
「ううん……」
ハルカが怯えた顔をして頭を横に振った為友香は困った顔見せた。
「でもお風呂入らなきゃ。いっぱい遊んだし、昨日も入ってない」
「嫌だ。ハルカお風呂イヤ」
ハルカが嫌だと連呼してお風呂に入ることを拒絶してしまう為、友香は仕方ないと一旦身を引くことにした。
「わかりました。じゃ慶司さんに聞いてからね」
友香がそう言うと、ハルカは少しだけほっとした顔を見せた。その後すぐに龍彦が出てきた為友香が龍彦を見た。
「龍彦さん、ハルカちゃんお風呂嫌なんだって」
「ハルカちゃん、お風呂入らなきゃならないんだよ」
友香が救援信号でも送るかのように言うと龍彦がハルカの前に座って困った顔で言うと、ハルカは首を横に振った。
「嫌じゃないんだ。お風呂入って温まらなきゃ」
「嫌だ」
ハルカがはっきりとそう言った為龍彦は友香を見つめた。
「一人で入ってきて、タオルを温めて来てほしい。体を拭くぐらいできるからね」
「わかったわ」
友香がお風呂に向かうとハルカは龍彦を見つめて首を傾げた。
「タオルで体を拭いて服を着替えよう。そのままじゃだめだよ。その服も洗ってあげなきゃならないしね」
「洗う?」
ハルカが首を傾げると龍哉は微笑んだ。
「綺麗にしてあげるんだ。食べた食器を綺麗にするだろう? それと同じだ。服もきれいにするんだ」
「……ハルカこれでいい」
ハルカがそう言うと、龍哉は首を横に振った。
「ダメだ。服は着替えて洗濯するんだ」
「嫌だ」
ハルカが頑なに嫌がる為龍哉は根負けしてしまった。奴隷だったとは聞いたがこれほどまでとは思っていなかったためだ。そうやってハルカと言い争っている間に友香がお風呂から上がってきた。その手には温められたタオルがあった為龍哉がハルカの手にそれを渡した。
「顔を拭いて」
龍哉がそう言うとハルカは暖かいタオルで顔をごしごしと拭いた。それを見た龍哉は微笑んだ。
「手と足も拭いて」
龍哉がそう言うと見える範囲内の地肌をハルカがそのタオルで拭き、龍哉はタオルを受け取った。
「まぁ仕方ないや」
「そうね。仕方ないね。嫌がるのを無理にもできないし……」
友香がそう言うとハルカは俯いた。その為友香がハルカの顔を上げさせた。
「落ち込まない。初めてなんだもんできなくていいの。さぁ、寝る時間だよ。眠りに行こう!」
テレビを消し、電気を消すと、非常灯のような薄暗い電気だけが部屋の中を照らしていた。その中で龍哉が出入り口のカギを閉めた。
「これで良し。寝よう」
「うん。ハルカちゃん、こっち」
今朝起きて驚いた部屋にハルカは入り、ベッドの上に乗せられた。その両隣に友香と龍哉が寝転ぶと布団をかけられ、ハルカを見つめていた。
「寝よう?」
友香が眠そうな声で言うとハルカはコクンとうなずいた。その為友香も龍哉も安心したのか二人して眠ってしまった。しかしハルカは眠れないのかじっとしているだけで、一向に眠りが訪れるとも思えなかった。その為不安な気持ちだけが膨らんでいた。
慶司たちが白の塔に戻ってくると、陽二の元に先に向かっていた。塔の上へと向かい、陽二の部屋に入っていた。
「お帰り。無事で何より」
藤十郎に扉を開けてもらい、陽二が入ってきた慶司たちを見て言った。
「陽二」
「何かな?」
慶司が陽二の名前を呼び、喜びを中断させたため陽二は目を細めた。
「小野が居た。今回の依頼現場に小野が居たんだよ」
慶司がそう言うと陽二も藤十郎も目を見張った。
「逃がしちまったけど、小野の姿を見た」
「……顔は見られている。今後の行動は慎重にしななければならない」
陽二はソファに座って小さな声で言うと慶司はため息をついた。
「わかってる」
「それ以外は」
「悪事の証拠だ」
慶司はそう言って書類の束をテーブルの上に置くと陽二は微笑んだ。
「ありがとう」
「陽二……」
「少しの間だが休暇だ。ハルカのこともあるからね」
陽二がそう言うと慶司はうなずいた。
「わかった。じゃ行動は控えればいいんだな」
「そうだね。それでいいかな藤十郎さん」
藤十郎に陽二が問いかけると藤十郎はうなずいた。
「それでいい」
「じゃ戻ってよし。お疲れ」
陽二からのねぎらいの言葉をもらい、慶司たちは部屋に戻るためエレベーターに乗り、階を下った。そして自分たちの部屋のある階に着くと、沙羅がため息をついた。
「なんだか疲れたわ……」
「それは僕たちも一緒です」
龍彦が沙羅に言うと、みんなが疲れた顔していた。その為沙羅は微笑んだ。
「そうよね。昨日もなんだかんだでよく寝てないし……」
「今日からは寝られる。風呂入って寝るぞ」
慶司がそう言って鍵の閉まっている扉を確認し、胸元からチェーンを取り出すとそこについてある鍵束から鍵を一つ掴んで扉の鍵を開けた。そのまま部屋の中に入ると、キーッと扉の開く音が聞こえ、全員が臨戦態勢を取ると扉を開けたハルカが身を固めた。その為慶司が目を見張るとハルカは駆け寄ってきた。
「慶だ……。おかえり」
ハルカが思いのほか元気な声で言うと、慶司はハルカを見つめて唖然となった。
「慶?」
ハルカが首を傾げると慶司はハルカを見つめて口を開いた。
「寝てないのか」
「……寝れないもん……」
ハルカがそう言うと、慶司はハルカを引っ張って部屋の中央へ連れて行き、薄暗い部屋の中の電気を少し明るくしてハルカを見つめた。そして気づいたことがあった。
「ハルカ、お風呂は」
慶司がそう言うと、一緒に戻って来た沙羅たちもハルカの姿を見て目を見張った。まだあの汚れたピンクのワンピースを着ている。
「……」
ハルカが黙り込むと、慶司はハルカの腕を掴んだ。
「ハルカ、お風呂に入るんだ」
「嫌だ」
ハルカがきっぱりと言うと、慶司はハルカの目をじっと見つめて頭を横に振った。
「嫌でもなんでもお風呂には入るんだ。綺麗にしてから一日を終えるんだ。嫌でもこれは守ってもらう」
慶司が怒ったように言うとハルカは頭を横に振った。
「嫌だ。ハルカお風呂は嫌だ」
ハルカが逃げるように暴れると、慶司はハルカの腕を強く掴んで引っ張った。
「ハルカ! そんな汚いままだったら病気になるんだ。良いから綺麗にしてくるんだ。沙羅、あんたに頼む」
慶司がハルカの腕を沙羅に渡すと沙羅はハルカを見てすぐに慶司を見た。
「慶……」
沙羅が少し困った声を出すと、慶司はため息をついた。
「水が嫌いなのは知ってる。でもそのままじゃまずい。わかるだろ」
「ええ……でも今すぐじゃなくても……」
「いつから風呂に入ってないのかわからない。ならすぐにでも無理矢理入れるべきだろ」
慶司がそう言うと、沙羅はため息をついたが決意した目を見せた。
「分かったわ。仕方ないわね。唯香、あなたも」
沙羅が唯香を呼ぶと、唯香は用意されている着替えを人数分持ち、先に風呂場へと向かった。その為ハルカは沙羅を見つめて泣きそうな顔を見せた。
「ハルカちゃん、これだけはダメ。お風呂に入って綺麗綺麗にしないと、体がかゆくなるし、病気になっちゃうの。無理にでも入ってもらうわ。さぁ、行きましょう」
沙羅が抱き上げて連れて行ったため、慶司はほっとした顔を見せた。
「慶さん……」
仁が声をかけると、慶司はため息をついた。
「お前より扱い辛いぞ」
慶司は苦笑いを浮かべて言うと、仁はハルカが去った方向を見て肩を落とした。
「あそこまで俺はひどくなかった」
「そうだな」
「……どうする気なんだ」
「戻すさ。戻ってもらわなきゃならないだろ。陽二からの命令だしな」
「……手伝うよ」
「サンキュウ。龍彦、そこで寝るなよ」
仁にお礼を言って、ソファで今にも眠りそうになっている龍彦に慶司が声をかけると、龍彦は何とか気力で目を覚ますことになった。その為ハルカの入浴中に、慶司は隣の部屋から毛布を取ってくると、ソファの上に置いて深いため息をついた。
その頃ハルカと言えば、沙羅と唯香に挟まれ、どうにか服を脱がされ浴室へ連れ込まれていた。大きな浴場は洗い場が人数分あり、浴槽も十人程度なら余裕で入れそうなくらい大きかった。それにハルカが驚いている間に、沙羅はハルカを洗い場に連れて行った。そこにあるプラスチックの椅子にハルカを座らせ、桶にお湯を溜めようと蛇口からお湯を出すとハルカはそれを見つめていた。
「面白い?」
沙羅がハルカの顔を見て言うと、ハルカはうなずいた。
「うん」
「そっか。じゃ髪の毛洗おうね」
沙羅がそう言ってハルカの頭にお湯をかけようとシャワーを手に取ると、ハルカが急に立ち上がり、沙羅の後ろに隠れた。その為沙羅はシャワーを置いてハルカを振り返った。
「怖くないの。水が怖い?」
沙羅が心配そうな声で聞くと、ハルカはギュッと身を固めてうなずいた。
「……うん……」
沙羅の問いかけにハルカが小さな声で答えると、後ろから唯香がハルカに頭からお湯をかけた。その為ハルカは急な出来事に一瞬固まったが、すぐに大声で泣き出した。
「あぁぁぁんっ!」
大粒の涙を流してハルカが泣き出すと、沙羅が唯香を見つめた。
「唯、驚かさないの」
「でも何もしないよりはましでしょ? さぁて、髪の毛と体を洗おう」
唯香がハルカの手を取り、椅子にもう一度座らせると、唯香はシャンプーを手に付けハルカの頭を洗い出した。その光景を見ていた沙羅はため息をついた。泣かせて気をそらせて洗うのは良いのだが、沙羅は一番初めからその方法をやりたくなかった。そのためにハルカと向き合ったのだ。しかし、ハルカには難しかったのか、唯香の方法でさっさと洗い終わってしまった。それに、唯香に体を洗われている間にハルカは泣き止み、自分の体に触れて驚いた顔を見せた。
「どうしたの」
沙羅がハルカに問いかけると、泡が洗い流された体に触れて、ハルカは沙羅の前に自分の腕を出した。
「スベスベ……」
ハルカが嬉しそうに言う為、沙羅はハルカの腕を触って微笑んだ。
「スベスベね。嬉しい?」
沙羅はそう言ってハルカの腕を放そうとして気づいた。ハルカの腕には、薄い青紫色の痣がうっすらとあった。それに体にも目を凝らして見れば所々に痣が見えた。その為沙羅はハルカの腕を放し、自らも洗い終わっているためにハルカと一緒に浴槽へと向かった。そこにはもう唯香が浸かって待っていた。
「ハルカちゃんこっち来て」
唯香がハルカを手招きして湯船の中に足を入れさせると、ドボンと体を浸からせた。その為沙羅は二人の側へ行き、ハルカと唯香を見つめた。
「怖くないし、大丈夫だからさ」
唯香がそう言うと、ハルカは唯香を見つめた。
「ハルカちゃんをいじめたりしないよ。そんなことしたら慶と沙羅に怒られるし、陽二さんにだって怒られちゃう。そんなこと誰もしないから怖がらないで。ハルカちゃんと一緒に居たいんだよ。だからする事全部怖がらなくていいの」
唯香がそう言うと、ハルカは俯いた。
「お水……怖いもん……」
ハルカが小さな声で言うと唯香はハルカを見つめて口を開いた。
「すぐに怖くなくなろうって言うんじゃないの。ちょっとずつ良くしていこうね」
唯香がそう言うと少しの間三人で浴槽に浸かり、温かいお湯の中で疲れた体を癒していた。久々ののんびりとした気分を味わっていたが唯香が立ち上がった。
「のぼせる。先に出ます。ハルカちゃん、行こう」
唯香がハルカの手を取り、立ち上がらせると、沙羅も立ち上がった。
「出るわ。一緒に行きましょう」
二人に連れられてハルカは脱衣所に入ると、ハルカは二人にタオルをぐるぐる巻きにされるぐらいぐるぐるに巻かれた。その間に二人は体に付いた水分を拭き、服を着替えた。髪の毛はタオルに巻きつけ、水分が落ちないように配慮していた。それが終わると二人はハルカの体を拭き始めた。その為ハルカは呆然した顔を見せた為唯香が微笑んだ。
「明日からは自分でしてね。今日はやってあげる」
唯香がそう言ってハルカの着替えからすべてを終わらせると、沙羅と唯香に連れられてリビングへ戻った。そこにはもう慶司たちも居て、着替えを終わらせていた。どことなく全員がさっぱりとしたという雰囲気を醸し出していた。
「慶、龍は?」
唯香が姿のない龍彦のことを聞くと、慶司は隣の部屋を指さした。
「寝ぼけた形でもう寝てるだろ」
「そっか。疲れたんだろうし仕方ないね」
唯香はそう言うと慶司のところにハルカを連れて行き、慶司を見た。
「はい、ハルカちゃん。先に寝るよ。じゃ」
唯香は慶司にハルカを渡すと、そそくさと隣の部屋に入って行った。その為慶司、沙羅、仁はハルカを見つめた。
「さて、ハルカ、お風呂に入ったら気持ちいいだろ?」
慶司がハルカの前に座って目線を合わせて聞くと、ハルカはうなずいた。
「うん」
「それをしようとしてるんだ。だから変に頭からイヤだって言うな」
「はい」
ハルカが素直に返事を返すと、慶司は立ち上がった。
「こっちおいで」
慶司に連れられてハルカはソファに座ると、慶司が隣に座った。そこに慶司が持ってきていた毛布を手に取り、ハルカにかぶせた。その為ハルカは慶司を見つめて目を大きく開いた。
「ここでなら眠れるだろ。ベッドじゃ寝にくいからな」
「……いいの?」
ハルカが信じられないという顔を見せて聞くと慶司は微笑んだ。
「良いんだ。お休み」
ハルカは慶司の膝を枕にするようにして寝転がると、そのまま寝息を立てて眠りだした。それを見た沙羅は目を丸くした。
「あらま……」
「疲れてたんだ。ハルカもな」
慶司がそう言うと、沙羅と仁が側に座った。その為慶司は首を傾げた。
「どうした」
「ハルカちゃんの行動、後何があるの」
沙羅がそう言うと慶司はため息をつき、沙羅を見つめた。その為見つめられた沙羅は慶司のその目を見て視線を逸らせた。
「知って救う手伝いをしてくれるって言うのか?」
慶司がそう言うと沙羅は驚いたような顔を見せ、慶司に怒鳴ろうと口を開いたが、ハルカが寝ている事に気づいて何とか抑え込んだ。
「当たり前じゃない。一緒の部屋に居るのよ」
「……奴隷っていう奴らは、自分の自我ってやつを持たせてもらえねぇんだ。ハルカの場合なんて、小さい時からこんな事してりゃ元から持つこともなくなっちまう。でもハルカにはその回復を望める。嫌なことを嫌だって言える勇気がある。それに、純粋な気持ちがあるんだからよ」
慶司がそう言うと沙羅は不思議そうな顔を見せた為、仁がため息をついた。
「自分の自我を持った子供が奴隷なんてものになったら、したくないこととしなきゃならないことの狭間で行き場を失うんだ。それで人形同前のような奴隷になることもあるし、使い物にならないと余計捨てられる場合だってある。それをハルカちゃんには心配しなくていいって事だよ」
仁が沙羅にそう言うと、沙羅は仁を見つめて唖然としてしまった。
「ハルカはしゃべらなくなったり、急に怖がったり、従ったり……もしかしたらしたくないことも無理矢理するかもしれない。それを見つけて、徐々にしゃべっていい、怖がらなくていい、従わなくていい、しなくていいとか覚えさせるしかねぇな。教育の一環だからよ」
慶司がそう言うと、沙羅はハルカの寝顔を見つめてため息をついた。
「普通の子供がすることを覚えてもらったらいいってことね?」
「そういう事だ」
「わかったわ。ありがとう。じゃ先に寝るわ」
沙羅がそう言って隣の部屋へ入ると、仁は慶司を見つめて欠伸をした。
「じゃ俺も」
「仁。お前とは違う。お前は白に戻ったんだ。ハルカを見て、自分を重ねるな」
慶司が立ち上がった仁に確認するように言うと、仁は慶司を見つめて微笑んだ。
「知ってる。大丈夫だよ。もう戻ったりしない。お休み」
仁はそう言うと、明かりを少し暗くして隣の部屋に入って行った。その為慶司はハルカを見つめ微笑むと、ソファの背もたれが可動式なのを思い出しそれを倒した。そしてそこに寝転がると、そのまま眠りについてしまった。静かな部屋の中で、ハルカは気持ちよさそうに眠っていた。
次の日、龍哉が目を覚ますと、ベッドにはいつも通りみんなが寝ているのだが、ハルカと慶司の姿がないことに気づき慌てて飛び起きた。
「やばい」
龍哉はみんなを起こさないように静かに部屋の扉を開け、リビングに出ると、リビングのソファで二人が仲良く寝ていた。その為龍哉はほっとした表情になり、肩の力を抜いた。
「良かった……」
龍哉はほっとした声を出すと、閉め切られているカーテンを開け、外の光を部屋の中に取り入れた。本日も快晴。いい天気だ。
龍哉が起きてから少しして、友香がむくっと起き上がった。寝ぼけた顔で辺りを見回し、寝ているメンバーの人数を確認し、パチッと目を大きく開けた。そしてもう一度メンバーの人数を数え、慌ててベッドから飛び降りた。
「やばいっ!」
友香が慌てて部屋から飛び出ると、龍哉が扉の側に立っていたのか友香が飛び出たのを見てため息をついた。
「慶さんとハルカちゃんならソファで寝てるよ」
龍哉の声が聞こえ、友香はびくっと強張ったが、言われた通りソファを見ると、二人が眠っていたため、友香はほっとした顔を見せた。
「良かった」
友香が安心したような顔を見せると、龍哉は時計を見た。
「もう八時になるよ。どうしようか」
「昨日は遅かったんじゃない? もうちょっと寝かせてあげたら。慶さんたち忙しいんだし」
「そうしたいのはわかるんだけど、これ」
龍哉がそう言って友香にメモを見せると、そこには八時ごろに起こせと慶司がメモを残していた。
「……仕方ない。起こそう」
友香がそう言うとソファに歩み寄り、慶司の側に立った。
「慶さん、朝ですよ。起きてください」
友香が慶司を揺さぶって言うと、慶司が寝返りを打った。その為友香がもう一度揺さぶろうとしたが、慶司が目を開けた。
「おう……朝か」
慶司が眠そうな声で言うと、友香がため息をついた。
「朝です」
「……はぁ……今日から長期的な休暇になった。奴らの上層部の連中の一人に顔を見られたかもしれねぇ。だから休暇だ」
慶司が友香と龍哉に言うと、二人は微笑んだ。
「じゃハルカちゃんの事に専念できるんですね」
「まぁな」
慶司がそう言うと、伸びをして隣で寝ているハルカを見つめた。
その後続々と目を覚ましたのかリビングへ人が入ってくると、ハルカはまだ眠っていた。
「お姫様はお眠りね」
沙羅がそう言うと、慶司はハルカの寝顔を見て微笑んだ。
「そろそろ起こさなきゃならないな」
「寝かせといてあげたら? 慣れないところで疲れてるんだろうし……」
龍彦がそう言うと、慶司は首を横に振った。
「ダメだ」
「じゃお好きにどうぞ」
龍彦が呆れたかのように言うと、慶司はハルカを抱き起した。しかし、よく眠るハルカは抱き起されても力の入っていない体が慶司の体にトンと当たるだけで、目を覚まそうともしなかった。
「安心してよく眠っている証拠か……」
慶司が苦笑いを浮かべて言うと、ハルカの背中を軽く数回叩いた。
「ハルカ、朝だ。起きろ」
「うーんっ……」
ハルカは嫌がるように唸り、またスヤスヤと眠りだした。その為慶司はそれこそ本当に困ったような苦笑いを見せた。
「まったく。ハルカ、わがまま言わずに起きるんだ」
慶司が背中を数回軽くまた叩き、ハルカを揺さぶると、ハルカはムクッと体を起こした。眠そうな目を擦り、周りを見回して欠伸をした。
「んー……。なぁに?」
ハルカが眠そうな声で言うと、慶司は嬉しそうに微笑んだ。その様子を見ていた沙羅たちさえもハルカのその様子を見て微笑んでいた。
「朝だ。起きろ」
慶司がそう言うとハルカは目を瞬かせ、何を言われたのか分からなかったみたいだが、徐々に頭が起きてきたのだろう、周りをキョロキョロと見回しギクッと体を強張らせた。それを抱きしめていた慶司はすぐに気づき、ハルカの背中を撫でた。
「怖がるな」
「慶……」
ハルカが慶司を見て名前を呼ぶと、慶司は微笑んだ。
「よく眠れたみたいだな」
「うん……」
ハルカがうなずくと慶司はハルカを放し、ソファの上へと降ろした。ハルカは周りのみんなを見てビクビクしていると言っていいほど怯えた顔を見せていた。その為皆は絨毯の上に座り、はぁっと息を吐いた。
「さぁて、今日の予定だな」
慶司がそう言うと、唯香はため息をついた。
「お仕事がないんじゃやることないよ」
「だから決めるんだ」
慶司が唯香の言葉に返事を返すと、唯香は呆れた顔を見せた。
「好きなことすればいいじゃん」
「ハルカも一緒にできる事だ。それを探してるんだ」
「うーん……」
全員が考え込み、いい案が浮かんでこないのか黙り込み、静かな時間が流れた。そのみんなを見つめてハルカはどことなく悲しそうな顔を見せ、慶司の服を引っ張った。
「慶……」
ハルカが慶司に声をかけると、慶司はハルカを見た。
「どうした」
「お腹……」
ハルカが何かを言いかけた時、ハルカのお腹のムシがグーッと鳴いたため慶司は目を丸くしたが微笑んだ。
「朝メシまだだったな。龍哉、朝メシは」
慶司が龍哉に朝食が出来上がっているのかを聞くと、龍哉は微笑んだ。
「あるよ。準備できてる」
「なら食うぞ」
慶司が立ち上がると、ハルカを見つめてあることを思い出した。その為慶司は深いため息をついた。その様子を見ていた沙羅が首を傾げた。
「慶司?」
「着替えだ。俺もハルカもな。他の奴らは食べに行ってくれ」
「そういや着替えてないね」
龍彦が慶司とハルカを見て言うと、慶司はハルカの手を引っ張った。その為ハルカは驚いた顔で慶司を見つめた。
「着替えだ」
「着替え……?」
ハルカが首を傾げて言われた言葉をそのまま口にすると、慶司はハルカを見つめた。
「ハルカ、今着ている服は寝る時に着る服だ。だから動き回る時はそれを脱いで、違う服に着替えるんだ」
「……」
ハルカが呆然とした顔を見せると、慶司は微笑んだ。
「着替えるぞ」
隣の部屋に慶司がハルカを無理矢理と言えるほどの勢いで連れて行った為、沙羅はため息をついて立ち上がった。
「ホントにハルカちゃんは何も知らないんだね」
唯香がそう言うと、仁が唯香を見つめた。
「まだ小さいからね。子供だから知らないことが多いんだ。それも、そういった事を覚える時に奴隷だったんなら服は一枚だし、食事もあんまり食べないだろうしね」
「それはそうだけど……」
「それでも今は奴隷じゃないのよ。だからみんなでハルカに教えてあげましょう」
沙羅が唯香と仁に言うと、二人ともうなずき、ダイニングへと向かった。そこには朝食が準備してあった為、全員が自分の席に座った。その後すぐ慶司がダイニングへ入って来た。
「食べるぞ。ハルカ、椅子に座って食べるんだ」
慶司がハルカを椅子に座らせ、全員に言ってからもう一度ハルカを見て言うと、ハルカはテーブルを見て頭を横に振った。
「良いから食べろ。怒らない」
慶司がそう言うと、ハルカは恐る恐る食器を手に取り朝食を食べ始めた。その様子を見ていたみんなは、慶司がハルカに対して態度を少し変えたことに気づき首を傾げた。
「教育だ」
慶司が全員の不思議そうな顔に気づいたのか言うと、みんなは慶司から視線を逸らせ黙々と食事を続けた。その為その様子をハルカは意味が分からないものの雰囲気だけでおかしいのではないかと思っていた。食べていることがおかしいのではないかと思ったのか急に手を止め、食器をテーブルの上に置こうとすると、隣に座る仁がそっとハルカの持つ食器に手を添えしっかりとハルカに持たせた。
「ダメだよ。ちゃんと持ってなきゃ落としちゃうよ」
仁がそう言ってハルカに微笑むと、ハルカは仁を見つめて困った顔を見せた。
「食べよう。びっくりしたね」
仁がそう言って促すと、ハルカは小さくうなずき食べ始めた。その様子を慶司が横目で見ていたため、仁がフォローしてくれた事に心の中でほっとしていた。その為ハルカは手を止めることなく食事を続け、ゆっくりながらもすべてを食べ終えることがでそうだった。
「ごちそうさま」
唯香が手を合わせて食器を重ねると、龍彦も手を合わせた。
「ごちそうさま。リビングに居るよ」
龍彦が誰に言うでもなく呟くように言うと、立ち去ってしまった。唯香はハルカの様子をじっと見つめていたため、席を立つことはなかった。沙羅も友香も龍哉も仁も食べ終わっているのにその場に残っていた。その為慶司はハルカを見つめそっと口を開いた。
「見てなくてもいいんだぞ。ハルカにはハルカのペースがあるからな」
慶司がそう言うと、周りに居た沙羅たちは慶司を驚いた顔で見つめた。それに、ハルカは自分の話をされたと気づいたのか食べていた手を止め周りを見つめた。
「慶……」
沙羅が驚いた声を出し、手を止めたハルカを見つめると、慶司は沙羅を見つめた。
「食べ終わったんなら好きにしてくれ」
「好きにしてるわ。ハルカの様子を見ていたいの」
沙羅がそう言うと、ハルカは首を傾げた。その為慶司はハルカを見つめた。
「理由を知りたいよな?」
「うん……ハルカ何かしたの?」
慶司の言葉にハルカが不安そうな顔で沙羅に聞くと、沙羅は慶司を怒った目で見つめた。それを見た仁がため息をついた。
「何もしてないよ。でもハルカちゃんが奴隷だったっていう話だから、俺らは心配なんだ。食べてくれるかなって……」
仁が沙羅に代わって隣から言うと、ハルカは仁を見つめて首を傾げた。
「ハルカ、ちゃんと食べるもん」
「それならいいんだけど心配だから見ていたいんだ。気にしなくていいから食べてほしい」
「……はい」
ハルカはしぶしぶと言った感じで食事を続けると、仁は慶司を見つめた。慶司は仁を見て微笑んだ。そして口元が動き、声を出さずに唇だけを動かしていた。
『悪いな。ハルカにも慣れてほしいから知らせるべきだったんだ』
そう慶司の口が動いたため、仁は納得したのかうなずいた。それを見ていても理由が分からない沙羅たちは二人の行動を不審な目で見つめていた。理由を知っている者、知らない者も一緒になって全員でハルカを白に戻そうと動き出していた。ハルカの中にある前主人から覚えさせられたやるべきことを忘れさせる事をしようとしていた。
初めの内は戸惑いや、しなくてはいけないことをしていない事への恐怖がハルカの中にあり、怯えることが多くあった。お風呂も毎日入ることが怖いのか、毎晩ハルカと言い合いの押し問答を続けた。しかし、しなくてはいけないことをしなくても、ハルカを叱ることがないと気づいたのか、少し心を開き始めた。それでもやはり頭に触れられることは怖がった。褒めようと手を出しても、頭を撫でても怖いみたいだった。叩かれるわけではないと分かっても、怯えてしまう。それを理解させながら慶司たちはハルカを暖かく見守り、正しいことができる子供にさせようとしていた。徐々に正しいことができるようになってきたハルカを、慶司は子供区へと連れて行くことにした。一度でも来ているところだが、ハルカ自身としては怯えることなく歩くことができる為、別の場所のように感じた。慶司と手をつなぎ、堂々と歩いている姿は手をつないでいる慶司もうれしく思っていた。
「こんにちは!」
ハルカが前に来たことのある部屋の扉を開けて大きな声であいさつをすると、部屋の中に居た子供たちと姫子は驚いて入口を振り向いた。
「ハルカちゃんだ!」
子供たちはハルカと慶司の訪問に驚き、入口へ群がった。そして手を引っ張り、ハルカを部屋の中央へと連れて行くと一緒に遊びだした。その様子を見ていた姫子は目を丸くして慶司を見つめた。
「慶司、どうしてしまったの」
姫子は驚いていると分かる声で言った為、慶司は微笑んだ。
「怯えなくていいんだと理解したんだろう。だからあれだ」
慶司は姫子にそう言って、子供たちとワイワイ遊ぶハルカを見て微笑んだ。その様子を見ていた姫子も微笑んだ。
「ちゃんと白に戻れるわ。あの子は賢い子よ」
姫子はそう言って慶司と子供たちの中で遊ぶハルカを見つめた。
子供たちと遊べるようになったハルカは、塔の中を制限付きだが自由に動き回れるようになった。そうなれば遭遇する人たちも増えるわけだが、ハルカはあいさつ程度ならできるようになっていた。
「おっ、慶司監視のハルカだな」
そう言って声をかけてきたのはこの塔の中でよく出会う宏明という人だ。この人は慶司たちと同じように陽二から命令をもらって仕事をしている人だ。
「こんにちは……」
ハルカが小さな声であいさつをすると、宏明はハルカの前に座って意地悪そうな顔を見せた。
「小さい声じゃ聞こえないぞ?」
宏明がそう言うとハルカはギュッと手を握りしめ、口を開いた。
「こんにちは」
「賢いな」
宏明はそう言って立ち上がると、その場から立ち去って行った。その為ハルカはフーッと長い息を吐き、気を使って疲れたかのようにため息をついた。その様子を、影から慶司と陽二が見つめていた。そこには藤十郎も居て、ハルカの様子を確認した。二人がハルカのいつもの姿を見て白へ……正しいことのできる子供になったと確認した。
「慶司、外もお前たちのことに対してのほとぼりを冷ましただろう。仕事だ」
陽二はそう言って手に持っていた封筒を慶司の前に出した。それを見た慶司は受け取り、ため息をついた。
「また企業区域か」
封筒を見ただけでわかったのか慶司がそう言うと、陽二は苦笑いを浮かべた。
「今回は少々厄介でね。他の部隊には回せなくなっただけだ」
陽二がそう言うと慶司は怪訝そうな目で陽二を見つめた。
「企業自体が闇の住人で作られている。表向きは製薬会社だが実際売っている物はドラッグだ。依頼人から渡された薬からも強い中毒性のある薬物が検出されている。この件は外部の警察も動いたみたいだが、調査した警官たちを皆殺しという形で口を封じている。その他にも被害が民間人に大勢広がりを見せている」
陽二が嫌な話をしていると実感があるのか顔をしかめていた。
「だから危険を冒してでも俺たちか……」
慶司が落胆したかのように言うと、陽二はうなずいた。
「すまない。攻撃性、守備性、瞬発性を考えてもお前たちしかいない」
「わかってる。で、今回は何をするんだ?」
慶司が決意を持った声で言うと、陽二は目線を逸らせた。その為慶司は陽二を見つめ、もう一度口を開いた。
「おい、今回は何をすりゃいいんだ。言えないくらい馬鹿なことか?」
怒っているような声で慶司が言うと、陽二はため息をついた。
「外部の警察が動いたために犯人を引き渡さなければならない。ただこちらとすれば、全てを拿捕してほしいくらいだ。だから、取締役以外をこちらで拘束し、取締役を警察へ引き渡してほしい。以前からの白の塔の殺人容疑に対しては手出し無用と忠告してある」
陽二が淡々と言うと、慶司は目を丸くして陽二を見つめた。
「警察に引き渡せだと? 陽二、頭打ったのか。あいつらに引き渡して何もせず、野放しにされた事が何度あった。その後あいつらが悪事を手広く広げ、後処理をしなけりゃならないのは俺たちだぞ」
慶司が反吐が出るとでも言うような口調と声音で言うと、陽二はため息を漏らした。
「今回はこちらだけで片付けられない。部外者が大勢亡くなっていることが問題だ。もし引き渡した後野放しにしたとわかれば、次回からの引き渡し要求を呑まないと誓約してある。向こうもこちらの力添えを失いたくはないだろう。守さ」
陽二はそう言って、「大丈夫だ」と念を押した事で、慶司はしぶしぶ了承した。
慶司が沙羅たちメンバーに仕事のことを伝え、渡された封筒の中身の書類を見て、日時が指定されていることに気づいた。しかし、変更できないために作戦プランを龍彦に考えてもらうことにして、その日を迎えることになった。
朝早くから準備をして、会社の始業開始すぐに突入する手はずになっている。その為慶司たちは朝早くから出かけていた。朝からの仕事にやる気の起こらないメンバーだが、今後の悪事撲滅だと思って企業ビル近くに待機していた。
「本当に大丈夫なんだよね?」
龍彦が心配そうな声で慶司に聞くと、慶司はうなずいた。
「大丈夫だ。あいつらはセキュリティ関係には精通してる凄腕だからな」
慶司がそう言ってビルの入り口を見つめた。この会社はいつも、始業開始すぐに出入り口を封鎖する。慶司たちが見張っている門はいつもなら閉められるはずの門なのだが、今日は閉められていないことを腕時計を見て確認した。
「出入り口の門がしまらねぇな。準備できたみたい。行くぞ!」
慶司が門を確認し、後ろに居るメンバーに言うと、全員一斉にビルへと走って向かった。門が閉まらないためビルの中へ難なく侵入することができた。ビルの中に侵入すると、出入り口の門が閉じられ、ビル内の出入り口がすべて施錠された。その為慶司たちにさえも退路が無くなったも同然だった。ビル内の異変に社員たちが慌てるのかと思えば、そこはさすが闇の住人たち、何一つ慌てることなく侵入者の排除行為へと様変わりした。
「さすがだな」
慶司が感心したかのように言うと、手に持つ刀を肩に担いだ。
「さぁて、狩りの開始だ」
慶司が誰に言うわけでもなく呟くと、左右の通路へと分かれて飛び込んだ。立っていた場所にはナイフが突き刺さり、銃弾が空をかすめて行った。
「やる気満々だな」
「のんきに言ってる場合じゃないよ」
仁が少し慌てた様子で言うと、慶司はため息をついた。仁の持つ銃を手に取り、セーフティーを外し、弾倉をセットした。それを仁に返すと、仁は俯いた。
「慌てるな。隠れてる時はゆっくりしろ。もし危険を感じたら俺か沙羅を探せ」
「わかった」
仁が顔を上げて慶司に返事を返した。反対側では沙羅が銃で応戦しているのが目に入り、慶司は角から覗くように顔を少し出した。仕切られている場所の扉をバリケードにして銃を撃っていることが分かり、慶司はポケットから威力の小さい手榴弾を出した。ピンを抜くと相手側へ投げた。それと同時に煙幕弾も投げ、通路から近くの壁へと移動し、爆風をやり過ごすと、爆発でできた煙と煙幕に乗じて奥へと向かった。それに続いて沙羅たちも奥へと向かった。
最上階へ着く頃になれば、辺りは静まり返っていた。しかし全員が怪訝そうな顔を見せた時だった。数枚しかない扉が一斉に勢いよく開き、数十名の男女が出てきた。先頭を切って進んでいた龍彦が銃で応戦するが人数が多い。その後ろから唯香が同じ様に銃で応戦した。銃を得意とする人たちで応戦し、戦おうとしていた。しかし……
「人が多い!」
仁の声で慶司は沙羅を見つめた。見つめられた沙羅は慶司を見つめ返した。
「援護頼んだぞ」
「わかったわ」
沙羅が了承したかのようにうなずくと、慶司は刀を手に持ち龍彦と唯香の間を通り抜け多勢に一人向かった。しかし慶司の背後から援護射撃があるため、銃同士の打ち合いで倒れていく奴らが多く居た。慶司はナイフや刀を持っている相手を殺さず打ち倒していく。武器を使えなくしたり、片手片足を使えなくしたり、殺さないようには気を付けていた。
「危ない!」
沙羅の声と同時に殺気に気づき、慶司は反射気に体を逃がし、切りかかってきた相手を刀で切り付け、打倒した。
「あっぶねっ!」
慶司がどっと息を吐くように言うと、周りを見た。見える範囲内で相手側の人間はすべて打倒したと思われる。その為慶司は少し離れて様子を見ていた沙羅たちを見た。
「おーい、平気か?」
慶司がのんきな声で言うと、全員が慶司の元に駆け寄り、体に触れた。
「こっちが大丈夫かって聞きたいわよ……」
「なんであんな反射的なことができるんだよ」
「っていうか強かったんだ……」
口ぐちに色々なことを言うメンバーを見て、慶司は唖然としたが、すぐにムッとした顔を見せた。
「うるせぇっ」
慶司が悪態をつくと、一番奥にある部屋の扉がバンッと開かれた。そのため慶司たちは身構え、相手を見つめた。しかし相手は武器を持たず、慶司たちを見て微笑んだ。
「やはりお前たちか。入って来い」
開かれた扉から見えた姿、聞こえてきた声、言われた言葉に慶司はもちろん沙羅たちさえも目を見張った。
「小野っ!」
慶司が大声を出して呼ぶと、呼ばれた老人は背を向けようとして止まり、慶司を振り向いた。
「おとなしく捕まれ! 逃げ場はない」
慶司が敵意を剥き出しにして言うと、呼ばれた老人……小野はため息をついた。
「その話は後だ。今はお前たちに任された仕事を最後まですればどうだ」
小野はそう言うと部屋の中へ消えたため、慶司たちも部屋の中へ向かった。その部屋は重みのある重厚なつくりで、調度品すべてが気品あふれ、重みがあった。その中にある大きな窓の側に人が立っていた。その人は男性であり、この会社の取締役だと気づいた。その人は部屋に入ってきた慶司たちを見た後、ソファに座る小野を見た。
「小野先生、これまでのようです」
男性が小野にそう言うと、小野はその人を見てうなずいた。
「さて、第一部隊の諸君。ようこそ、闇の住人が経営する企業へ。話をしよう」
小野が慶司たちを見て言うと、慶司たちは小野と取締役である男性を見つめた。
「さてさて、儂の話になるが、捕まるわけにはいかん。その代わり面白い情報をやろう」
小野が面白そうに微笑んで言うと、慶司の目が細められた。それを見て小野はますます面白そうな顔を見せた。
「お前たちが来ることは事前に知っておった。内部の奴らから聞いておったからの。だからこそ事前準備ができ、迎え撃つことができたということじゃ」
小野が淡々と言うと、慶司は目を見張った。それを見て小野が微笑んだ。
「信じられんか? まぁいい。いずれ知ることになることじゃ。しかしまぁ、この企業はくれてやる。好きにせい」
小野はそう言って立ち上がると、周りを囲む慶司たちを見つめた。
「そうなればあいつが黙ってねぇぞ」
小野の言葉に慶司が口を開くと、小野は微笑んだ。
「そうじゃろうが、そこまで懐を緩めたのはお前たちだ。付け入る隙を与えたのはなぁ」
小野が妖艶に微笑むと、慶司は小野を睨んだ。しかし小野はそんな事気にしていないのか、取締役を見つめてため息をついた。
「小野、そうだとしても互いの条約を侵している。もしスパイが居るのだとしたら大問題だ」
慶司が小野に向かってそう言うと、小野はしばし考えるようなそぶりを見せ、深いため息をついた。
「なんじゃ儂は墓穴を掘ったようじゃな。内部の奴らが無事に脱出できればよいのだがの」
小野はそう呟くと、取締役が口を開いた。
「先生、時間です」
取締役が小野に近づき窓際へ連れて行くと急に窓が割れ、けたたましい音を立ててガラスが飛び散った。そして外からはバラバラという機械音が聞こえ、地上からヘリが上がって来ていた。そのヘリに小野が飛び乗り、まんまと逃げ去ってしまった。慶司たちはその様子を見ていたわけではなく、窓が割れ、ヘリが見えたときには銃を構えたが、取締役が立ち塞がっていたため発砲できなかった。その為窓へ駆け寄り、ヘリを撃とうとした時には手遅れだった。
「くそっ!」
慶司が逃げ去っていくヘリを見つめ、悔しそうな声を出した。そしてその声は部屋に響き渡った。
取締役は拘束し、その後連絡を入れた警察へと引き渡された。何とか死者を出さずに済み、今回関わったすべての闇の住人は別の場所にて終身刑を言い渡される結果になる為、別部隊が連れ去って行った。それを見届けた慶司たちは白の塔への帰路へ着いた。
塔へ戻ってきた慶司はエレベーターの前でボタンの押さずに立ち止まり、考え込んだかのように動かなくなった。
「慶……」
沙羅が心配そうな、しかし動いてとでも言いたげに名前を呼ぶと慶司はボタンを押した。すぐにエレベーターは着き、それに乗り込むと、慶司はメンバーを見つめた。
「小野の件、少し待ってくれ。あいつにこれを知らせるのはもう少し時間をかけたい。疑いたくはねぇけど内部に探りを入れて証拠を見つけてから報告させてくれ。頼む」
慶司が頭を下げて言うと、沙羅たちはびっくりして、「わかった」と口をそろえて答えた。
慶司たちが警察に取締役を引き渡し、塔への帰路へ着こうとしていた頃、塔では慌ただしくなっていた。以前に別部隊が突入し、拘束していた闇の住人幹部の一人が思わぬ証言をしたことから慌ただしさが始まった。
『今日あんたたちが送った部隊、全滅してるかもなぁ。スパイの奴がこっちにも情報をくれたぜ。油断してるんだろうなぁあんたら。トップの子供がここに潜り込んでるっていうのによぉ』
『どういう意味だ』
『どこぞのパーティー会場でみすぼらしいガキを拾っただろ。奴隷に見せかけた、れっきとした俺らのスパイだ。ぎゃははははっ……子供には甘いあんたらだ、うまくだませただろうな』
尋問班が持ってきた尋問中の会話内容を陽二はスピーカーから聞いていると、尋問班の班員が部屋に入ってきた。
「陽二様、スパイが紛れ込んでおります」
尋問班の人たちが言うと、慶司は頭を抱えるようにうなだれ、額に手を当てた。
「近頃で子供を連れて来たのはハルカ一人。ハルカに尋問の許可を」
「待て、ハルカにそれらしい素振りは一つもない。最近になるまで人と会う事も恐れていたんだぞ。そんな者に何ができる。部屋から出る事さえしなかったんだぞ」
陽二が声を荒げることはないが、怒ったような声で言った。
「何かしらの方法を使って連絡を取ったのでしょう。子供なのですからどんな手も使える」
「少し時間をくれ。必ず答えを返す。疑わしいのならば必ずだ」
「わかりました」
陽二の渋々と言った声を聞き、尋問班の班人は部屋を出て行った。ソファに座り込み、陽二は苦痛そうな表情を浮かべ深いため息をついた。
「陽二、慶司たちが戻ってきたようだ」
藤十郎の声が聞こえ、陽二は扉を見つめた。その時には心配されたくないがためにいつもの顔へと戻した。そして扉から慶たちが入ってくると陽二はほっとした表情を見せた。
「お帰り」
陽二のほっとした声を聞いて、慶司は微笑んだ。
「何だそのほっとした感じ」
「人数が多い上、警察との引き渡しもあっただろう。無事に何事もなかったようだ」
「ああ。だが武器関係であっちは用意していた可能性はあった。まぁ突入されてもいいような奴らだから用意していたのかもしれないな」
慶司がそう言うと、陽二は心の中で深いため息をつき、決心をした。
「わかった。報告ありがとう。戻っていいぞ」
陽二はそう言って慶司たちを部屋へ戻すと藤十郎を見つめた。
「藤十郎さん、仕方ないと思うしかないのかもしれない。尋問班へ連絡を。ハルカの尋問を許可すると伝えてください」
陽二は辛そうな顔をして言うと、藤十郎は陽二の背を数回叩き、尋問班へ連絡を入れた。
慶司たちがいつも通りに部屋へ戻ってくるとハルカに出迎えられた。
「お帰り!」
元気な声でハルカが全員に言うと慶司たちは微笑んだ。
「ただいま」
部屋の中に全員は入り、やっとほっとできると張りつめていた糸を切ろうとした時だった。
「失礼する」
急に入口を開けられ、見慣れぬ服装の人たちが部屋の中に入って来た。その為それを見た慶司が入ってきた人たちを見て怒った表情を見せた。
「何の用だ!」
慶司が怒鳴るようにその人たちに言うと、その人たちは慶司にある一枚の紙を見せた。
「ハルカに対しスパイ容疑がかけられている。事の真偽を確かめるため、尋問班に身柄を移動させる。陽二様からの許可もある。来てもらおう。拒否は容疑を認めるものとして扱う」
尋問班の人たちに淡々を説明され、ハルカは尋問班の人たちに囲まれていた。
「慶司、良いな?」
確認を取るように慶司に聞くと、ハルカは不安そうな思いで慶司を見つめた。慶司はそんなハルカを見つめ、困惑した表情を見せた。沙羅たちも突然の事に驚きを隠せなかった。それをハルカが見て自分を信じてくれているという思いを持つに程遠い顔だった。
「わかった。ハルカがスパイじゃないと確定されるのなら、連れて行ってくれ」
慶司がそう言うと、ハルカは驚いた顔を見せた。尋問班は、慶司の許しも出たため、春カの腕を掴み、連れて出られることになった。
「慶……」
ハルカが不安そうな声で呼ぶと慶司は困惑した顔でハルカを見つめるだけだった。それをハルカが見て心に鋭く痛みが走った。
『しんじてくれてないの……?』
ハルカの小さな真っ白な心は、折れてしまいそうなくらい軋みだしていた。
ハルカは慶司たちが住いとしていた階から下へ下へとエレベーターで移動すると、どこに着き、どう歩いたかもわからないが、ある部屋へと着いた。その部屋へ入ると、そこには絨毯が敷かれ、ソファと机があった。
「座るんだ」
男性に肩を押され、ハルカはソファに座った。そのソファは対面式になり、ハルカが座った隣には女性が座り、対面には男性が二人座った。
「さて、質問に答えてもらおう」
恐ろしいほどの声でハルカに言うと、男性はハルカをじっと見つめた。
「お前の親はどこにいる。知っているだろう?」
「知らない。分からないんだもん!」
ハルカが叫ぶように言うと、隣に座る女性がハルカの手を取り、そっとさすった。
「落ち着いて。怒っても話をちゃんと聞けないわ」
「っ……」
ハルカは女性と目の前に居る男性たちを見て口を閉ざした。その為女性はハルカを見つめて口を開いた。
「自由になって何をしていたの。第一部隊の部屋から出られるようになってから、何をしていたのかしら」
「子供区でみんなと遊んでたよ。それに宏明さんたちにも会って挨拶の仕方を覚えていたの」
「そう。他には? 外の人と連絡を取らなかった?」
「外の人? 誰?」
ハルカが首を傾げて言うと、女性は微笑んだ。
「お父さんやお母さんとはお話しなかった?」
「ハルカはわからない。知らないから……」
ハルカが俯いて言うと、女性は微笑んだ。
「そう」
「ハルカは何をしたの。なんで慶たちのところに居ちゃいけないの」
ハルカがそう言うと、目の前に座る男性がため息をついた。
「お前には外部の人間に我々の情報を流したという容疑がかけられてる。素直に答えなければ痛い目を見る。良いな」
男性がそう言うと、ハルカへの質問が続いた。
この日一日ハルカは同じことを何度も聞かれ、知らない、違うと答えても聞き届けてもらえなかった。素直に知っていることを答えているのに、誰一人として信じてくれる人はいなかった。その為尋問を終え、解放されても部屋から出ることは叶わなかった。一人でいるにはちょうどいいような大きさの部屋だが、今朝まで楽しかった慶司たちの部屋をハルカは思いだし、きつく体を抱きしめた。
「ハルカは何も知らない。分からないのに……どうしてみんなハルカが悪いって言うの」
うっすらと涙を浮かべた目でハルカはソファに横になり、用意されてあった毛布にくるまった。そして眠りについた。
翌日ハルカは食事を運んできてくれた人に起こされ、朝食を食べた。そして食器を片づけられれば、昨日の女性が入ってきた。
「ハルカ、聞きたいことがあるの。いいかしら」
女性が優しく言うと、ハルカはうなずいた。しかし、聞かれる内容は昨日と同じだ。
「ハルカ、ご両親のことを教えてくれるかしら」
「知らない……」
小さな声でハルカは言うと、女性は写真を二枚ハルカの前に出した。
「ハルカ、この二人を見た事ない?」
「知らない……」
「そう。あなたのご両親だと思うのだけど……」
「知らない」
ハルカが怒ったかのように言うと、女性はハルカの頬に手を添えて、微笑んだ。
「怒らないの。昨日も言ったでしょ。言うことを聞いて」
女性は優しく微笑み、ハルカを見つめた。
「どうしてあなたはここに来たの?」
「パーティーに行ったの。でも人がいっぱい死んで……慶たちに連れて来てもらった」
「そこで何をしていたの?」
「……痛い事されてたの。慶たちに奴隷だったんだって教えてもらった」
「奴隷……そう。それで、ここに来てからは?」
「慶たちに奴隷だったことを忘れようって一緒に勉強してたの」
「それで、あなたは外と連絡を取らなかった? 自由になれて……」
「知らない。お外とどうやって連絡を取るの? ハルカにお外に友達なんていない!」
わめくようにハルカが言うと、女性はハルカの頬を叩いた。その為ハルカは叩かれた方向を向いたまま動けなくなった。
「怒らないって言ったでしょ。覚えなさい」
「……」
「聞き分けのない子ね。あなたは闇の住人の子供なのよ。人をだまし、欺くひどい人間なの。第一部隊をだまし、情報を引出し、外に流していたなんて最低な行為よ。それを知らぬ存ぜぬ……。なんて事なの」
女性がハルカを見て吐き捨てるように言うと、ハルカは頬に手を当ててぎゅっと口を引き結んだ。
「知っていることは全て話しなさい。痛いことも苦しいこともなくなるわ」
女性がそう言うと、ハルカは俯き、泣いていることを気づかせなかった。女性は黙り込んだハルカを見つめ、ため息をつき「休憩ね」とつぶやき部屋から出て行った。
「……痛い事しないって約束してくれたのに……」
ハルカが顔を上げ、扉を見つめて小さな声でつぶやくと、大粒の涙が頬を伝った。
一時間後、女性が戻ってくるとハルカはソファに寄りかかり、呆然とした表情を見せていた。その為女性はハルカの側に座り、微笑んだ。
「落ち着いたかしら?」
「……何聞きたいの」
ハルカがそう言うと、女性は微笑んだ。
「知っていることよ」
「……なに?」
ハルカから問いかけたが、聞かれることは先ほどと同じ。何度も何度も同じことを聞き、同じ返事を返す。それをハルカは苦痛とも思わなかった。知っていることを話しているんだと主張できる唯一の方法だからだ。
「ハルカ、人をだますことがどれだけひどいことか知っているの?」
「傷つけるんだって知ってる」
「知っているならちゃんと教えて。あなたは何を隠しているの」
「隠してない」
「じゃ何を黙っているの」
「何も黙ってない」
「嘘つきはいけないことよ。外へ情報を流したのでしょう? あなたの知っている人に情報を渡した。その人は誰。どこに居るの」
「そんな事してない。ハルカはそんな悪いことしないもん!」
ハルカが癇癪を起したかのように喚けば、頬を叩かれ黙らされる。何度続けてもハルカはそれを受け続けなければならなかった。夜になり、尋問を終えるころになればハルカは疲れ果てていた。子供には耐えがたい言葉での責め、わからないことをわからないと答え、聞き届けてもらえないために子供に許されているはずの癇癪さえ黙らされる。いったい何をすれば終わることができるのかをハルカは考えるようになってしまっていた。
「……痛いことここではしないって言ってくれたのに……。言うことを聞いていれば、許してくれるの? 慶たちのところに帰りたい……」
小さく体を丸め、毛布の中で悲鳴のようにハルカは呟き、いつも眠ってしまう。折れそうになっている心をつなぎとめるのは楽しかった慶司たちのところを思い出す事だった。
慶司はハルカの尋問の内容を知らないが、心配で仕方がなかった。ハルカに対しての容疑がありえないと分かっているからだ。その為に慶司は内部を調べに向かっていた。
塔の最上階には資料室があり、そこには膨大な資料が詰め込まれている。そこに毎日のように向かい、情報を探していた。
「慶……ないわ」
沙羅も慶司の手伝いのため資料室に来ていたが、探している資料が見つからない。何度見ても辺りにはなかった。
「それでも探してくれ」
「……どうやって。ないものを探すのは無理よ」
「それでも、ハルカがスパイじゃないと証明しなければならない。あいつらから取り戻すにはそれ以外ない」
慶司が本を叩きつけるかのように荒れて言うと、沙羅は深いため息をついた。
「陽二には?」
「……後で話す」
「そうしましょう」
沙羅が再度資料探しに手を付け始めると、慶司は不安な心を忘れたいのか、一心不乱に資料を探した。しかし資料は何一つ見つからず、慶司は陽二の部屋へと向かった。
陽二の部屋に着くと、慶司は扉をノックした。
「陽二、慶司だ」
慶司が声をかけると、扉が開き、藤十郎に出迎えられた。
「どうしたんだ」
「ちょっとな……」
慶司が中に入ると、陽二はテレビ画面を見つめ、口元を手で覆って何かに耐えるような顔をしていた。その為慶司は陽二の側に向かうと、そこに映し出されているのはハルカだった。
「陽二」
慶司が声をかけると、陽二は慶司の訪問に気づき、視線を慶司に向けた。
「慶司か……」
「なんだ……これは……」
慶司はテレビ画面を見て言うと、陽二は哀しそうな表情を見せた。
「大人ではないため見張りをしている。子供に尋問は毒だ」
「当たり前だろ」
「用はなんだ」
陽二が慶司に聞くと、慶司は申し訳なさそうな顔を見せた。
「報告を遅らせたことを謝りに来た」
「何の報告だ」
「……小野に出会っていた。あの企業を狩りに出たときだ」
慶司がそう言うと、陽二は目を見張り、慶司を見つめた。
「スパイが居ると……聞かされた。あの企業を潰しに来ることもそいつらに聞いたとな。それでハルカの事になって、信じたくないがために証拠を探していた。だが何一つ証拠が出てこない。頼む、ハルカを解放してくれ」
慶司がそう言うと、陽二は勢いよく立ち上がり、慶司の肩を掴んだ。
「どうしてもっと早く報告しなかった! あいつがそれを言っていたならこんなバカげたことをさせることはなかったんだぞ!」
陽二は慶司に怒鳴りつけ、藤十郎を見つめた。
「すぐにハルカの尋問は中止だ。ハルカはやはり白だ。これ以上ハルカを責めるなと伝えてくれ」
「わかりました」
藤十郎が部屋を出て行くと、陽二も慌てて後を追った。慶司はそんな二人を見て、後を追うことにした。
陽二がハルカの尋問部屋へ到着すると、勢いよく扉を開け、中に入った。
「そこまでだ。それ以上の尋問はなしだ」
陽二がそう言って止めに入ると、尋問していた男性は首を傾げた。
「なぜです。ちゃんと答えてくれていますよ」
男性がそう言うと、陽二はハルカを驚いた目で見つめた。テーブルの上に置かれた写真。そして質疑内容を記すための書類。そこには多くの文字が書きつけられていた。それを手に取り、陽二が中身を確認すると、ありえないことをハルカは認めていたのだ。
「ハルカ!」
陽二が大声で名前を呼ぶと、ハルカはびくっと強張り、今にも逃げ出しそうな勢いで陽二を見つめた。
「両親の顔など覚えていないだろう。慶司たちを誘惑などしていないだろう。電話など持たせたこともないだろう。なぜ嘘ばかりつくんだ」
陽二がハルカの側に座り、腕を掴んで強くハルカを揺さぶり問いかけた。
「どうしてそんなことをしている」
「……知ってるって言わなきゃならないから……」
ハルカが陽二に聞こえる声で言うと、陽二は目を見張った。ハルカが陽二を見つめて微笑んだ。
「知ってるって言ったら褒めてくれるの。したよって言ったら褒めてくれるの。だからそう言わなきゃダメなんだって」
「ハルカ……」
陽二が愕然とした表情でハルカを見ると、ハルカはそっぽを向いた。
「ハルカはそれでいいんだって」
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
陽二がハルカの手を握って言うと、ハルカは陽二の手を引き離し、ギュッと服を掴んだ。
「ハルカ……」
「陽二様何があったのです。急に尋問を止めるようにおっしゃったからには何かあったのでしょう」
男性が心配そうに言うと、陽二はため息をついた。
「小野がこの中にスパイが居ると言っていたと慶司から報告があった。それと同時期にスパイ容疑でハルカを問い詰めている。しかしよく考えてみればこれがあちらのやり方だ。内部から壊すのが闇の住人たちのやり方だ。ハルカにそんな容疑をかけられるほど自由に動きまわらせていたことはない。電話などかけたこともない。かけさせたこともない。実際知っているかも怪しいものだ。だからハルカに容疑など元からなかったんだ」
陽二がそう言うと、尋問者たちは目を見張り、ハルカを見つめた。
「ならなぜ知っているなどと……」
「元奴隷だったハルカにならできる事だ。こちらを主だと思い込み、主の意に沿うようなことをする。叩かれないため、怒られないため……自分を殺してでもこちらを喜ばせようとする。それを止めさせた矢先の出来事がこれなら、戻らないという保証もなかった。事実奴隷感覚に戻っているだろう」
陽二がそう言うと、ハルカは怯えたように周りを見つめていた。
「尋問は終わりだ」
「わかりました」
尋問者が部屋を出て行くと、陽二はハルカの手を取り、立ち上がらせた。
「慶司たちの部屋に行こう」
「イヤ!」
ハルカがそれはもう全身全霊で拒絶し、ソファの影に隠れてまで行くことを拒んだ。
「ハルカ」
「行きたくない。ハルカはここに居る」
「慶司が心配している」
「知らない。ハルカはここに居るから……行きたくない」
頑なに拒み、言うことを聞いてくれないハルカに陽二は頭を抱えるしかなかった。自分が見ていなかった間に、ハルカに何かが起こり、こんな状況になってしまったのだと思ったからだ。その為陽二はハルカを一時的に尋問部屋に残し、何があったのかを確認することを優先させた。
どうにかしてハルカの尋問中の記録映像を尋問班から奪い取ったのだが、陽二は見ることが恐ろしかった。ハルカの様子からしても、何かがハルカの身に起こり、変貌してしまったとしか言いようがなかったからだ。しかし、見ないわけにはいかなかった。その為陽二は意を決して映像を再生した。
初めの内はハルカも拒否を重ね、知らないことには知らない、知っているこには知っていると答えていた。しかし、時間と日にちが膨らめば様子が変わって行った。
『いい加減素直に答えて』
『……』
『ハルカ、今のあなたがどれだけひどいか知っているかしら? 黙り込む、しゃべらない、嘘をつく。いったいどれだけひどいことをすれば気が済むの』
『ずっと……』
『ずっと? そう、そうやって第一部隊も巻き込んだのね。あなたに罪がないと認めさせ、自由に動き回れるようだました』
『違う!』
『どこが違うの。今のあなたはひどい子よ』
『……』
『第一部隊を解体させたいの? 慶司たちをだましているのよ。あなたの、その汚い嘘で慶司たちを苦しめているの。いい加減にしなさい。闇の住人の子供なら子供らしく大人の言うことを聞いて答えなさい!』
尋問者がハルカにそう言うと、ハルカは目を見張り、俯いた。その後も同じような押し問答を続けたが、陽二には気づけるだけの力量があった。
「だから嘘をつき始めたのか。守るために……ハルカ……」
映像を見つめ陽二は目を覆い隠した。ハルカが負った傷も、背負うと決めなくても背負わされたことも、重すぎたのだ。それに気づけばどうすればいいのかと迷うことはなくなった。
「陽二」
藤十郎が部屋に入って来ていたのか陽二の背中に声をかけたため、陽二は声のした方を向いた。
「なんですか」
「尋問中に起こった悲劇だということは理解できる。だが、もしハルカが今後悪事に手を染めたらどうするつもりだ」
「この状況下でそれは考慮します。こちらが作り上げてしまった。白に戻ったハルカを、黒に染めたのなら戻すことをするまでです」
「陽二、あの様子のハルカにそれは難しいと思う。傷つけない間に闇に葬るべきだ」
藤十郎がそう言うと、陽二は目を見張り、ぐっと手を握りしめた。
「藤十郎さん、それはできない。足掻いてでも私はハルカを元に戻す」
「……傷つくことも、傷つけることも覚悟しているのか」
藤十郎が固い声で言うと、陽二はうなずいた。
「はい。元に戻れるのなら傷つけてもいい。私を傷つけに来ても構わない。そうしたのは私であり、この塔だ」
陽二が真剣な声で言うと、藤十郎はため息をつき、止められている映像を再生した。それを藤十郎はじっと見つめ、時折目を細めて見ていた。
「藤十郎さん」
「あの様子じゃ慶司たちを守るためだけに従ったのではないだろう。自分に対して痛みを伴うことをされなければああはならん」
藤十郎は陽二を見ないで言うと、陽二は目を見張り、テレビ画面を見つめた。
『ハルカ、あなたが言う言葉を誰もが信じてくれるなんて思わないことよ』
『え……?』
ハルカが驚いた顔で尋問している女性を見ると、女性は微笑んだ。
『スパイの言う事なんて誰も信じないわ。していることも同じよ。あなたは嘘で塗り固められているの。私もあなたを信じていないし、この塔に居るすべての人がそうよ。一人でいるのと同じ。みんなが敵なの』
女性が妖艶な笑みを見せて言うと、ハルカはギュッと手を握りしめ、俯いた。それを藤十郎が見つめ映像を早送りした。そして途中で再生し、また早送りをしてまた再生した。
「藤十郎さん……」
陽二は飛び飛びの映像に困惑して声をかけると、藤十郎は映像を一時停止させ、陽二を見つめた。
「傷は深い。陽二、子供の頃に信じてもらえない苦痛を味わったことがあるか?」
藤十郎が急にそう言うと、陽二は首を傾げた。
「自分より下の子供を泣かせ、怒られないために嘘をつき信じてもらえなかったことはある。それではありませんか?」
「自分が真実を口にし、これしか知らないんだと言っているのに、周りは違うと答える。自分が自分だというのに、周りからはこうであれと突き付けられる。自分という存在を否定され、踏みにじられる行為だ」
「それがハルカの身に起こったのですか?」
陽二が不安そうな声で聞くと、藤十郎はため息をついた。
「否定はされている。あいつらの常套手段とは言え、子供にすべきことではない」
「それならハルカは一体……」
「陽二、これだけは確実に言えるだろう。ハルカはあの部屋を出れば必ず悪事を行う。それも闇の住人たちのしているような物の規模が小さい物だ」
藤十郎が確信を持ったような声で言うと、陽二は驚いた顔で藤十郎を見つめた。
「何をすれば闇の住人だと思われるのか、闇の住人は何をしていたのか、詳しく聞いたことが原因だ。そして、それをすれば認めてもらえると思うだろう。罰を下してもらえるとな」
「!」
陽二が藤十郎の言葉に目を見張ると、藤十郎は陽二の肩を叩いた。
「戻るには相当な時間が必要だ。それでもハルカと戦う気はあるか」
「あります」
陽二は決意の持った目で藤十郎を見つめ、固い声で答えると、藤十郎は微笑んだ。
「わかった。私も手伝おう」
藤十郎はそう言い、陽二の肩にポンと手を置いた。
ハルカはこの日一日だけあの尋問部屋で過ごすことになり、一日だけ何もない日ができた。しかし、翌日になれば慶司たちの部屋に移動するため、陽二はハルカの元を訪れていた。
あの尋問部屋に陽二がやって来ると、ハルカはまだ毛布に包まりスヤスヤと眠っていた。ろくに眠りもできず尋問期間を過ごしていたのだろう、陽二はそう思いそっとしておこうとしたが、ムクッとハルカが起き上がったことで目を見張った。
「御用ですか?」
ハルカが少し呆然とした顔で陽二に聞くと、陽二は問われた事に驚いて言葉を言えなかった。それもハルカらしかぬ言葉を言ったことも要因だった。
「……ハルカに御用があるならどうぞ」
まだ眠そうな目でハルカが言うと、陽二は微笑んだ。寝ぼけているんだと思ったからだ。しかし、それもすぐに消されることになる。
「この部屋を出よう。慶司たちが待っている」
陽二の声が部屋に響くと、ハルカは頭を横に振り、拒否を示した。
「ここに居る。帰りたくない」
ハルカははっきりとした声で言うと、陽二はハルカの側に座り、包まっている毛布を掴んだ。
「ダメだ。この部屋は違う人がまた使う。ずっと居る事は出来ない。尋問されなくてよくなった人は自分の部屋に戻るんだ」
陽二はそう言ってハルカを見つめた。事実を言っていることは確かだが、嘘でもある。ずっと居る事もできるからだ。部屋を失ったものは尋問部屋を私物化し、帰る部屋にすることもできる。しかしハルカにはここ以外に帰る部屋がある。それがある場合は、そこへ戻ることがまず初めの条件だからだ。
「……」
ハルカが黙り込むと、陽二はハルカが包まっている毛布を剥ぎ取り、しっかりとハルカを見つめた。
「戻ろう。もう一度慶司たちに会ってくれ。心配している」
「……はい……」
ハルカは小さな声で返事を返し、了承すると、陽二はハルカを連れて部屋を出た。尋問班の居る階からエレベーターに乗り、上を目指して動き出した。
「ハルカ、戦う決意をした。黒に染め上げてしまったことは私のミスであり、謝るべき事だ。苦しめたこと、傷つけたこと、全てを謝ろう。済まなかった」
陽二がハルカの前に座り、ハルカを見つめて言うと、ハルカは顔をそむけた。聞きたくないとでも言うようにハルカは嫌がったのだ。
「聞いてくれる時にまた言おう。戦うと決めたのだからね」
陽二はハルカに告げるだけ告げ、立ち上がった。その陽二をハルカは見つめ、唇をかみしめた。痛みを隠すかのように……
陽二とハルカの乗るエレベーターが慶司たちの部屋がある階に到着すると、エレベーター前のエントランスに慶司と沙羅が待っていた。その為扉が開き、陽二とハルカがエレベーターを降りた途端、二人が駆け寄ってきた。
「陽二」
慶司の呼び声が聞こえ、陽二は駆け寄ってくる二人を見つめて手を出した。
「止まれ」
陽二が手を突出し、二人に止まれと命令したため、慶司と沙羅は足を止めた。その二人の表情はとても不安そうな表情だったため、陽二は背後に隠れたハルカを気にしながらも二人を見た。
「部屋に先に戻っててくれ。説得してから連れて行く」
陽二がそう言うと、慶司は深いため息をつき沙羅の背中を叩いた。
「戻るぞ」
「ちょ……慶!」
慶司は背を向けて歩き出し、沙羅が驚いた顔で慶司を見つめて後を追った。それを陽二は辛そうな表情で見送ると、後ろに隠れているハルカを振り返った。しかし、そこにはハルカが居らず、柱の影に身を隠していることに気づいたため、陽二は柱の側へ向かった。
「ハルカ、かくれんぼなら後にしよう。今は慶司たちの部屋に行くことが先だ」
柱の影に座るハルカの前に立ち、陽二が言うと、ハルカは頭を横に振った。
「駄々をこねないでくれ。会いたがっていたのはさっきのでわかっただろう」
陽二が駆け寄ってきた慶司たちを言ったため、ハルカは顔を上げた。
「うん」
「それなら部屋に行ってちゃんと会ってやってほしい。みんなにだ」
「……はい……」
ハルカが立ち上がり、陽二とともに部屋に向かった。慶司たちの部屋の扉を開け、中に入ると、入口を開けて入ってくるハルカを今か今かと待っていた慶司たちの顔が見えた。
「慶司、戻らせた」
陽二がそう言うと、ハルカを前に出し、慶司を見つめると、慶司はハルカを見つめてすぐに陽二を見た。
「陽二」
「後だ。今は何も言わず、受け入れてあげてくれ。送り届けたんだから私は戻るぞ」
陽二は何の説明もしないまま部屋を後にしたため、慶司は不安そうな表情を見せた。尋問部屋へは入れなかったが、ハルカがおかしくなっているんじゃないかという噂だけは聞こえて来ていたからだ。
「お帰りハルカちゃん」
唯香がハルカの前に立って言うと、ハルカは俯き、うなずいた。
「みんな心配したの。でもよかった。こっち来て」
唯香に引っ張られてハルカはみんなの中に入ったが、様子だけは少し違う風に見えた。怯えているような、不安そうな雰囲気がうかがえた。それに気づけたのは、慶司と仁の二人だけだった。その為二人は視線が合い、肩をすくめた。
ハルカはみんなに囲まれ、帰ってきた事に本当にほっとした表情を見せるみんなを恐々見つめていた。
「お風呂入らせてもらってた? あの人たちそう言う事まったく関心ないから」
唯香がハルカの姿を見て言うと、ハルカは唯香を見つめてうなずいた。
「うん。入らせてもらった」
「良かった。じゃ遊ぼう」
唯香そう言ってハルカを混ぜてソファ近くに座り、龍彦、龍哉、友香を混ぜてトランプで遊び始めた。ワイワイと遊ぶ姿だけを見ればハルカが戻って来たと思えた。しかし……
「慶」
沙羅が慶司の声をかけると、慶司は沙羅を見つめた。
「なんだよ」
「……ハルカよね?」
沙羅が唯香たちと遊ぶハルカを見て聞くと、慶司は微笑んだ。
「ハルカだ」
「……そう思えないわ。あんなに余所余所しくなんてなかった」
沙羅が不安そうな顔で言うと、慶司は嬉しそうに微笑み、ハルカを見つめた。
「理由なんてこれから先いつでも聞ける。変なのはそれだけじゃねぇからな」
「何が変なの」
沙羅がそう声をかけると、仁が沙羅を見つめて口を開いた。
「怖がりになったって思うよ。無意味に怯えてるんだと思う」
「仁……」
沙羅が驚いた声で仁を見つめると、仁はハルカを見つめた。
「俺たちに怯えてるんだと思う。表情一つ一つを観察してる」
「仁、後からいくらでも聞く時間がある。気づいたことは溜めこんどけ。聞ける時になれば聞く」
慶司がそう言うと、仁はうなずきハルカを見つめた。沙羅も慶司も様子を見つめていた。
ハルカが慶司たちの部屋に戻って来た日はハルカも周りのみんながどうするのかを見ることでいっぱいいっぱいで何かを仕出かそうとは思えなかった。しかし夜になれば少し変化があった。夕飯を食べ終え、片づけをしようと沙羅が席を立とうとした時、ハルカが手際よくテーブルの上にある皿やコップを重ね、運び始めた。
「ハルカ、今日の片付けは私よ」
沙羅がハルカに声を掛け、足を止めさせると、ハルカは沙羅を見つめて微笑んだ。
「そこまでお手伝い」
キッチンを見てハルカが言うと、沙羅は微笑んだ。
「仕方ない。そこまでよ」
「うん」
ハルカはコップや皿を流しに置くと、沙羅が残りを持ってきたことに気づいてうなずいた。
「お終い」
「ありがとう。じゃリビングでくつろいで来て」
「はぁい」
ハルカは元気よく返事を返してキッチンから出て行ったが、ダイニングのテーブルを拭いている姿を沙羅は物陰から確認していた。その為沙羅はそれも変になったことだと気づき、そっとしておくことにした。理由はあとでだからだ。
ハルカはテーブルの拭き掃除を終えると、フキンをテーブルの上に置き、リビングへ戻るためダイニングとリビングとの間にある壁まで向かった。そこからみんなが各々好きなようにくつろいでいる姿が見えた。それを見てハルカは少し微笑んだ。しかし少し前までのハルカのように本当に喜ぶことはできなかった。
「ハルカ、おいで」
慶司がハルカを手招きして呼ぶと、ハルカはびくっと強張り、慶司を見つめた。慶司は動かないハルカをじっと見つめ、手招きした。
「いつまで突っ立ってる気だ。こっちに来い」
慶司がそう言うと、ハルカは慶司の側に歩き、絨毯の上に座った。その為慶司はハルカを見つめた。
「ソファが嫌いになったのか」
「……今はいいの」
ハルカが俯いて言うと、慶司はため息をついた。
「まぁいい。絨毯の上に座ってくれるだけましになったって事だな」
「うん……」
「逃げなかったのにな。逃げるようになったってどういう事だよ」
慶司がボソッとつぶやいた言葉は、ハルカの耳には届いていた。その為ハルカは慶司を驚いた顔で見つめた。慶司はハルカが顔を上げたことと驚いている事を確認してテレビを見つめた。その反応さえ見れればよかった。ハルカがどうするのかを確認できれば良かっただけだった。ハルカはその後みんなとテレビを見て、時間が過ぎるのを待っていた。
お風呂の時間になれば、ハルカはみんなが入るのを待つことにしていた。
「ハルカ、先に入ろう」
唯香がハルカを誘って入ろうとしたが、ハルカが頭を横に振った。
「最後がいい」
「もうっ。じゃ今日は先に入るよ」
「うん」
唯香がいじけたようにお風呂場へと向かうと、友香が後を追い、二人で入りに向かった。その後もハルカを心配して声を掛けてくれたが、ハルカは一人がいいと言って聞かなかった。
「ハルカ、沙羅と入れ。一人じゃ危ないからな」
慶司がハルカにそう言うと、ハルカは慶司を見て頭を横に振った。
「ハルカ一人がいい」
「ダメだ」
「一人がいいの!」
喚くようにハルカが言うと、慶司はため息をついた。
「まだ駄目だ。今のハルカに一人で入浴させるほど俺は馬鹿になった覚えなねぇんだ」
慶司がそう言うと、ハルカは慶司を見つめて睨んだ顔になっていた。それを慶司は見つめて苦笑いを浮かべた。
「お前がおかしくなってないと分かったら一人で入って良いって言うさ。まだ俺はハルカが元通りになったとは思えねぇんだ」
慶司がそう言うと、ハルカは俯き、ぐっと手を握りしめた。
その後沙羅と無理矢理と言っていいほどの勢いでお風呂に入り、就寝時間となった。みんなで大きなベッドに横になり、眠る。蹴とばされたり殴られたり、布団を取られたり、いろいろとみんなでしあいならが眠るここは楽しかった。でもハルカは眠って少ししたら目を覚まし、自分に用意されている毛布をもって部屋を出た。そして静かで真っ暗なリビングにあるソファを見て微笑んだ。絨毯の上に座ると、ソファに寄りかかるようにしてハルカは眠った。安心したかのようにスヤスヤと眠りだした。誰一人、朝になるまでハルカがそこで眠っているなどとは思わなかった。
ハルカがソファ近くで眠っているのを食事当番の慶司が見つけ、ため息をついた。
「本当に初めの頃に戻ってんのか。まぁ……悪化はしてるな」
呟くように言って、慶司はハルカを抱きかかえ、ソファに寝かせた。スヤスヤと眠っている事にはほっとしたが、いつ部屋から出たのかが不思議だった。慶司はそのことは後だと思い、食事の準備をするためキッチンへ向かった。それから少しして唯香と友香が起きてきたらしく、ダイニングへやってくると、キッチンに居る慶司を見つめた。
「慶さん、ハルカちゃんをソファで寝かせたの?」
眠そうな声で唯香が言うと、慶司がキッチンから顔を出した。
「そんなバカがあるか。知らない間に移動したらしい。俺も朝気づいたんだ」
「一緒に寝たくないのかな……」
唯香が心配そうに言うと、友香がため息をついた。
「龍哉たちのいびきがうるさいんじゃない? 静かなところで寝てただろうし」
「友香、少しの間だ。長い間ここに居たのならそれはないだろ」
「そっか。じゃどうしたんだろう」
友香が考え込むようにうーんと唸ると、慶司は二人を見て苦笑いを浮かべた。
「理由なら後から聞ける。今はハルカと遊ぶことを考えてやれ」
慶司はそう言うと、朝食をテーブルに並べ始めた。その頃になれば続々とダイニングへみんなが来た。しかしハルカの姿がなかった。それに、慶司は来る人来る人にハルカをソファで寝かせたのかと聞かれなければならなかった。その為慶司はハルカを起こしにリビングへ行くと、ハルカはソファの上でしばし呆然としていた。しかし起きたことを確認した為慶司は微笑んだ。
「起きたか? 朝飯だ」
慶司の声を聞いてハルカは驚いたようにビクッと強張り、声のした方を向いた。
「ご飯?」
ハルカが不思議そうな声を出して聞いたため、慶司はうなずいた。
「食べに来い。その前に着替えだ。服はいつものところだ」
慶司がそう言うとハルカは俯き動こうとしなかった。それを見て慶司は諦めたような顔を見せた、
「そのままで居たいなら居ればいい。でも寝る時の服が無くなるぞ。それでもいいならそのまま食べに来い」
「……着替える……」
小さな声でハルカは言うと、隣の部屋へ向かった。そんなハルカを慶司は心配そうに見送った。
ハルカも混ぜての朝食を食べ終えると、やはりハルカは片づけを手伝った。沙羅からハルカのことを聞いていたため、慶司は仕方ないと思って少しだけ手伝ってもらい、リビングへと行かせた。
ハルカがリビングへ戻ると、そこでは友香と龍彦が睨み合っていた。
「龍さん、正直に言って。私のゲーム盗ったんでしょ」
「どうして同じ部屋に居ながら盗人みたいに言われなきゃならないんだよ」
怒った声で聞いた友香に、反撃するかのような不機嫌そうな声で龍彦が言うと、友香は龍彦を余計に睨んだ。
「いつもの場所にないの。昨日片づけしたのは龍さん。それに、前も私のゲームをしたいから借りたって言って盗ったでしょ」
「あぁ、あれはマジでしたかったからだよ。でもどうして今回の無いってだけで僕が犯人なわけ? 証拠はあるのかよ」
「片づけしたのは龍さんよ。どこに仕舞ったの」
友香が足を踏み鳴らして聞くと、龍彦はため息をついた。
「友香の棚。そこ無いなら僕が知るかよ。ちゃんとそこに置いた」
「無いの。私はゲームしてないし、使ってない。他に誰が居るのよ」
友香がわめくように言うと、龍彦は周りを見た。周りで呆れたという表情で見つめているみんなを見て、ため息をついた。
「みんなも僕を疑ってるわけ?」
「前回の件があるからね」
沙羅がそう言うと、龍彦はため息をつき、手を挙げた。
「今回はマジで違うよ。前回こってり沙羅にも慶にも怒られて、反省した。借りる時は必ず声を掛ける。嫌と言われたら素直に引き下がる。それを守ろうって言われて、僕は守ってる。信じてほしいんだけどな」
龍彦がそう言うと、龍哉が微笑んだ。
「悪いんだけど今回のことは龍に責任はないよ。龍はちゃんと友香の棚にゲームを置いてる。それに、今朝までちゃんとそこにあった」
「龍哉、それ本当なの?」
友香が驚いた声で聞くと、龍哉はうなずいた。
「一応部屋の荷物とかを確認することは怠らない。盗まれたものがないかを確認してるしね。その時にはちゃんと置いてあった。その後誰かが移動させてる」
龍哉がそう言うと、唯香が隣の部屋から出てきて、沙羅の前に立つと、腰に手を当てて怒っていた。その為友香と龍彦以外にも何か起こったらしい。
「沙羅、私の服、どうして沙羅のクローゼットにあるの」
沙羅の前に一着の服を出して言うと、沙羅は目を細めた。
「意味が分からない。どういう意味」
「この服私の。それなのに沙羅のクローゼットに入ってたの。自分のじゃない服があるときは聞こうって言ってくれたのに」
「唯香、私が着替えをするまでその服はクローゼットになかったわ」
「じゃどうして沙羅のクローゼットの中にあったの」
唯香が怒鳴るように言うと、沙羅は頭を横に振った。
「わからないのよ。でも私が確認したときはなかったわ。着替える時に必ず確認することにしてるもの。あなたが怒りやすいことを知っているから」
沙羅がそう言うと、唯香はむっとした顔を見せたが、沙羅がいつも気を使ってくれていることを知っているため、毎朝確認しているんじゃないかということを思い、ため息をついた。
「わかった。じゃ今回はごめんってことにして」
「ええ。私も気が付かなかったのかもしれないわ」
唯香と沙羅は互いを思って身を引き、友香と龍彦はゲームを探して回っていた。その様子をハルカが見つめ微笑んだ。
「おいおい、朝っぱらから喧嘩か」
慶司がリビングへ入ってくると、喧嘩している四人を見て言った。
「慶、なんかいろいろ変なことが起こってるんだ」
龍哉がそう言うと、慶司はハルカを見つめた。
「ハルカ、何か知ってるか?」
慶司がハルカに聞くと、ハルカは面白そうに微笑み、慶司を見た。
「うん」
ハルカがうなずくと、全員の目がハルカを見つめた。
「じゃ何を知ってる」
「友香のゲームはそこの棚にあるよ。唯香の服を入れ替えたのハルカだもん」
ハルカがそう言うと、全員が目を見張り、慶司はハルカの前に立つと、ハルカを見つめた。
「ハルカ、いたずらをするならもうちょっとましなものをしろ。みんな困ることをしちゃダメだって言っただろ」
慶司がそう言うと、ハルカは不思議そうな顔を見せた。
「ハルカがしたかったんだもん。みんなは知らない」
ハルカがそう言うと、慶司の側から走り去るように離れると、扉近くに向かい、振り向いた。
「子供区行きたい」
「じゃ行って来い」
「やった。行ってきまぁす」
慶司が許可を出すと、ハルカは嬉しそうに扉を飛び出していき、姿が見えなくなった。その為全員の目が慶司を見つめた。
「慶……」
「俺の頭に今嫌な言葉しかうかばねぇってどうだよ……」
慶司がうなだれて呟くと、全員が言葉を言えなかった。
ハルカが子供区へ向かう途中、柱の影で座り込んで膝を抱えていた。
「……悪い子だって怒ってよ……。ハルカなんて知らないって言ってほしいのに。みんなに要らないって言ってほしいのに」
ハルカは少しの間そこに座り、悲しみに暮れていたが、すぐに立ち上がり、子供区へと向かった。
子供区へ着くと、ハルカは行ったことのある部屋へ向かい、そこで子供たちを遊ぶことにした。しかしハルカはそこでも問題を起こした。
「ハルカちゃん、僕たちもやりたい。一人でしないでみんなでしよう」
「ハルカがしてるの。後で」
「みんなもしたいんだよ。だから見えるようにしようよ」
ゲームを独り占めしてみんなが見えないようにしてハルカ一人で楽しむことがあった。それにほかの子たちを突き飛ばしたりしてハルカがいじめっ子みたいになっていた。それでも子供ならありえなくもない光景だった。しかし、今のハルカには、昔のハルカが持っていたものを欠落させていた。謝るということをハルカはしなくなっていた。その為周りの子供たちもハルカが変になってしまったと感じ、遠巻きになった。それを見て、ハルカはほっとした顔を見せた。
『これでみんな大丈夫……』
ハルカがほっとした顔を見せると、姫子が首を傾げた。しかし子供たちはハルカのそんな些細な変化には気づいていなかった。その為姫子がハルカの肩を叩いた。
「ハルカちゃん」
「何?」
ハルカが姫子を振り向くと、姫子はハルカの手を握った。
「どうしてほっとした顔を見せたの。みんなハルカちゃんを怖がってるのよ」
「そうだよ? 知ってる」
「どうしてほっとしたの。一人になっちゃうのに」
姫子が心配そうな声で言うと、ハルカは嬉しそうに微笑んだ。
「みんな怪我しないでしょ?」
「それはハルカちゃんが突き飛ばしたりしなかったら怪我しないわ。ごめんなさいって言って、みんなと遊びましょう」
「要らない。ハルカ一人でもいいもん」
ハルカがきっぱりとそう言うと、姫子はハルカを驚いた顔で見つめた。
「お部屋戻る」
「ハルカちゃん……」
姫子がハルカの手を取り、引き留めるように足を止めさせた。
「ハルカちゃん、何があったの、とは聞かないわ。でもどうしたの。楽しく遊んでいてたのに、急に一人がいいなんて……」
「……どうせ一人になるんだもん。友達なんていらない」
ハルカがそう言って走って部屋を出て行くと、姫子が衝撃が強く目を見張って動けなくなっていた。その為子供たちが姫子の周りに集まり、手を引っ張った。
「姫子先生、どうしたの?」
子供の声が聞こえ、姫子はどうにか微笑んだ。
「何でもないの」
「ハルカちゃんなんか変。急に悪い子になってる。どうして?」
子供たちが呟き、みんながうなずくと、姫子は頭を横に振った。
「わからないの」
「急に変になったから怖い。普通に遊んでるときは良いのに、急に怖くなる」
「うん。急に変になっちゃう」
「ハルカちゃん、悪い子になるの?」
子供たちが口々にハルカを心配している声を上げた。それを見て姫子は嬉しそうに微笑んだ。つながりは、すぐには消せない。それを姫子はハルカに知ってほしいと思っていた。
ハルカは子供区から出ると、エレベーターで遊び始めた。ある一定の階で移動用エレベーター一基をずっと止めているからだ。四基あるうちの一基をハルカが遊びに使っていた。移動にはロスが生じ、誰かに見つかる可能性はとてつもなく高かった。その為程々のところで止め、ハルカが立ち去ろうとした時、異変を聞きつけた陽二がハルカの居る場所へ来たため、ハルカは慌てて立ち去ろうとした。しかし陽二はハルカの仕業だと気づいていたのか、ため息をついた。
「ハルカ、待ちなさい」
陽二がハルカを捕まえ、廊下の角へ連れて行くと、ハルカは陽二を見つめた。
「エレベーターで遊ばないんだ。あれはとても大事なものだ。それをハルカのおもちゃにしちゃいけない」
「楽しいんだもん」
ハルカが嬉しそうに言うと、陽二は頭を横に振った。
「楽しくてもダメなものはダメだ。遊んではいけない」
「ケチ」
「ハルカ」
陽二が怒ったような声を出すと、ハルカは駄々をこねるように体をゆすった。
「ケチ! 遊んでるだけなのに」
「もっと何か違うもので遊びなさい。エレベーターで遊んではいけないんだ」
「……遊ぶものないもん」
「部屋に戻ったら何かあるだろう」
「……戻りたくない」
ハルカが小さな声で言うと、陽二はハルカの肩を掴み、しっかりと顔を見つめた。
「ハルカ、悪い子じゃないだろう。ちゃんと良いことと悪いことを理解できる賢い子だっただろう」
「知らない! ハルカは悪い子だもん。みんなに嫌われる悪い子だよ!」
陽二に叫ぶように言ってハルカは駆け出して行った。その為陽二は深いため息をつき、壁を殴った。
「ハルカ……そうじゃない。まだ君を信じているんだ。闇の住人じゃないんだ。悪いことをしなくてもいい。ハルカがハルカのままならそれでよかったんだ……」
陽二は痛みを堪えるかのように呟くと、その場から立ち去った。
ハルカはその後もいろいろな人にいたずらを仕掛け、驚かせていた。それを楽しむハルカは、子供だから多少なりとも許されていた。いたずらをするハルカを怒るものは少なかった。それも、人見知りの激しかったハルカが、誰構わずいたずらを仕掛けるのだから、ハルカが普通の子供になったのだと誰もが思ったはずだ。しかし、現実的に言えば違った。
ハルカは一日いたずらに時間を使い、みんなに迷惑をかけ続けていた。それでも楽しむハルカの顔を見て、大人たちは一緒になって笑ってくれていた。それをハルカはどうとっていいのかわからなかった。本当なら怒って責めてほしかったのだから。
夜になり、ハルカが部屋に戻ってきて一緒に過ごすが、昨日と同じだった。お風呂も一人で最後に入りたがり、就寝も一緒にするが、翌朝起きてみればソファで眠っている。一人で居たいと願っているんじゃないかと慶司は不安になっていた。
ハルカが戻ってきて二日目のこの日もハルカは部屋の外に出て迷惑をかけ続けていた。昨日と同じでエレベーターを動かなくさせたり、扉をいろいろ閉めてみたり、少し規模を大きくしていたずらをしていた。周りの大人たちもまたハルカがいたずらをしているとしか思わず、時々「もうやめておけよ」と注意してくれるだけだった。ハルカはそれでもいたずらを止めず、楽しんでいたずらを続けた。自分はこれだけ悪い奴なんだとみんなに知ってもらおうと行動していたのだ。しかし誰もわかってくれる人はおらず、ハルカは柱の影に座り、廊下を見つめた。色々な人が行き来する廊下に居れば、いろいろな話が聞けた。途切れ途切れだが、ハルカは大人たちの話を聞き、いたずらを考えていた。ハルカが一日をそんないたずらに使い、面白おかしく過ごし、夜を迎える。そうやって三日を過ごし、深夜、ハルカがベッドから出て、毛布を持ち部屋を出ようとしたとき、慶司が目を覚ました。
「んっ……ハルカ、どこに行くんだ」
慶司が起き上がり、ハルカが扉から出て行く時に声を掛けたが、ハルカは気づかなかったとでも言うように扉を閉めた。その為慶司が後を追うと、ハルカはソファ近くに座って毛布をかぶろうとしていた。
「ハルカ」
慶司が起き上がり、部屋から出てきたことに気づいてハルカは慶司を見つめた。
「そんなところで寝なくていい。ベッドに行こう」
「ここがいい」
「ハルカ」
「ハルカはここがいいの!」
急にハルカが喚くように大声で言うと、慶司は目を完全に覚ました。その為ハルカの表情を見て心が痛んだ。
「ハルカ……」
「ハルカはここで寝たいの。ベッドなんて嫌だ」
今にも泣きそうな顔でハルカが喚くように言うと、慶司はハルカをじっと見つめるしかできなかった。
「どうしてここで寝ちゃダメなの? ここで寝たら悪い子なの?」
「そうじゃない。みんなで寝よう」
「ハルカ一人でいいもん。一人で寝れるからここがいい」
ハルカがそう言うと、慶司は心の中にあった一つの疑問が解決したと思った。その為慶司はハルカを見つめて悲しそうな表情を見せた。
「ハルカ悪いことしてるのにどうしてみんな怒ってくれないの? ハルカみんなを困らせてるのに、どうして怒らないの。どうしてダメだって叩かないの? ダメな事してるんだって怒って言ってくれたらいいのに。どうしてみんなハルカに怒らないの」
「今のハルカに怒って何の意味がある」
「ハルカは怒ってほしいの。罰がほしいの」
ハルカがそう言うと、慶司はハルカの側に座り、ハルカをじっと見つめた。
「罰を与えるほどハルカは俺たちにひどいことをしたのか。何をした」
「困らせた。物を隠したりした。エレベーターとかいろいろ遊んだもん。それなのにどうして?」
「かわいいもんだ。そんなもんでみんなは怒らない」
慶司がそう言うと、ハルカは慶司を突き飛ばし、床の上に倒した。
「どうして!」
「子供の遊びだ」
慶司がそう言うと、ハルカはぐっと手を握りしめた。
「子供……。じゃハルカが何をしてもいいんだよね。子供だもん」
「ハルカ」
止めろと言いたそうに慶司がハルカを呼ぶと、ハルカは慶司を見つめた。
「ハルカは悪いところの子供なのに、どうして優しくするの。ハルカを叩けばいいのに、ハルカを怒ればいいのに」
「誰もしないんだ」
慶司はそう言ってハルカを抱きしめようとしたが、ハルカは慶司の腕から逃げるように立ち上がると、慶司から数歩離れた。
「嫌だ」
「ハルカ」
「ハルカは……慶たちと一緒に居たくない。慶たちと同じところに居たくない。ハルカは一人がいいの。一人になりたいの」
ハルカがぐっと手を握りしめて言うと、慶司は頭を横に振った。
「ダメだ」
「ハルカは一人がいいの! みんなと一緒に居たくない」
ハルカは喚くように言うと、隣の部屋の扉が開き、喚き声を聞きつけたみんなが出てきた。眠そうな顔でみんなが出てくると、ハルカはぐっと手を握った。
「何してるの。三時だよ……」
唯香がそう言うと、出入り口の扉の鍵が急に開き、陽二が部屋に入ってきた。その為ハルカは身をこわばらせた。
「陽二……」
慶司が陽二を見て声を掛けると、陽二は全員が起きていることに気づき苦笑いを浮かべた。
「思わぬ事態だ」
「何がだ」
「全員起きているとはな……」
陽二がそう言うと、ハルカの側に向かい、ハルカの腕を取り、その前に座った。
「エレベーターで遊ぶなと言っただろう」
「楽しいから遊んだの」
「それでもダメなものはダメだ」
「知らない。ハルカが楽しい事してるの」
ハルカがそう言うと、聞いていた全員が目を見張った。私欲のためにハルカが動いていると気づいたからだ。それも多大な迷惑をかける方法を使って……
「ハルカ、闇の住人の子供だと聞いたからと言っても自分が闇の住人の子供だという証拠はあるのか?」
「……」
ハルカが黙り込むと、陽二はハルカをじっと見つめた。
「親の名前も、居場所も、生まれた場所さえわからない。それなのにどうして闇の住人の子供だというんだ」
「あの人たちはハルカがそうだって言ったもん」
「だからって信じなくてもいいんだ。ハルカは慶司たちと共に暮らし、白へ戻っただろう」
「違うもん」
ハルカが白へ戻ったことを否定すると、慶司たちが目を見張った。
「ハルカ、慶司たちが何をしたんだ。尋問班は慶司たちを苦しめているとしか言っていない。慶司たちに迷惑をかけているとしか言っていない。それなのになぜ拒絶する。どうして信じてあげないんだ」
陽二がそう言うと、ハルカは陽二を見つめたが、その目は睨んでいるようにも見えた。
「ハルカはスパイなんかじゃない! お外に友達もいない、慶に連れて来てもらって、初めてお外に出たのに、みんながハルカが悪い奴だって決めつけたんだ! 違って言っても怒られたし、知らないって言っても信じてくれなかった。誰もハルカを信じてくれなかったんだもん! 慶たちもハルカが違うって思ってくれてると思ったのに、ハルカが連れて行かれるのを黙って見てたんだ。慶たちはハルカを捨てたんだ。ハルカは要らないんだ。みんなハルカを信じてくれないんだからハルカなんて要らない!」
ハルカが喚くように言うと、慶司たちは目を見張り、ハルカを見つめた。
「慶司、尋問班にひどく傷つけられている。白から黒へと変貌させてしまった。何も信じようとしない。何も聞こうとしない。悪いことばかりして捨てられるようなことをする」
陽二がそう言うと、慶司は目を見張った。
「違ったんだ。ハルカは違った。それを謝りたいのに聞き入れてくれない。何もできなくなっている。だが戻してやりたい。普通だった頃に……」
「陽二……」
「頼む。ハルカを白へ戻してくれ。苦しめることも傷つけることもわかっている。傷つくことも承知だ。だから頼む……」
陽二は苦しそうな声で言うと、慶司は陽二の肩を叩いた。
「ハルカ、わかっているんだろう。自分が馬鹿なことをしているんだと。知っていてやっているんだよな」
慶司がそう言うと、陽二も含め全員が目を見張った。
「姫子さんが言ってたぞ。子供区の子供たちの部屋に行った時、みんなに嫌われるような真似をして、安心した顔を見せたってな。自分が闇の住人の子供だから、迷惑をかけないよう遠ざけたんだな。もし本当に自分が悪い子供なら、傷つけるかもしれないからな」
「っ……」
ハルカが俯いて悔しそうに唇をかみしめると、慶司はハルカの前に座った。
「ハルカ、俺たちは気づいていないんだ。いつハルカを傷つけたのかも、何がハルカを傷つけたのかも。教えてくれないと分からない」
「言いたくない」
ハルカが慶司を見つめてはっきりと言うと、慶司は苦笑いを浮かべた。
「そうか」
「……罰をくれたらいいの。ハルカはダメな子だって……」
「できないんだ。暴力でハルカを従わせたりしない。暴力でハルカを苦しめたりはしない」
「ハルカはそれがいいの!」
大声を出してハルカが言うと、慶司は頭を横に振った。
「できないんだ。ハルカが強制的にやれと言っても拒否したい。尋問班とは違う」
「……じゃハルカを知らない振りして」
ハルカがそう言うと、慶司は目を見張り、ハルカの腕を握った。
「無視しろって意味か」
「うん」
「馬鹿を言うな。どれだけ傷つけると思ってる。そんな事誰ができると思う」
「してほしいの」
「無理だ。やらない」
「いけず!」
ハルカが叫ぶように言うと、慶司はため息をついた。
「……俺たちがハルカを傷つけたって事だけでもわかったのなら進歩だな」
慶司はそう呟くと、立ち上がり、陽二を見た。
「初めの内に知らせておいてくれ。どれだけ俺たちが心配したと思ってんだよ」
慶司が陽二に苦情でも言うように言うと、陽二は困った顔を見せた。
「ハルカを変貌させるようなことをさせたのはこちらだ。誰がいつどこでそれをしたのかも分からない以上、ハルカを見守ってハルカがすることを見ているしかできなかった」
「まぁいい。さてと、完全に目、覚めちまった。ハルカ、眠くないのか」
陽二の返事にあいまいに答え、慶司はハルカに問いかけた。ハルカは毛布に包まり、ソファの上で慶司たちを見つめていた。
「知らない」
「質問の答えになってねぇぞ」
「……」
「まぁいい。眠たい奴らは眠りに行け」
慶司はそう言ってハルカの側に座ると、陽二を見つめた。誰一人として動く人はおらず、全員がその場に残った。
「陽二、他にはねぇのか」
「悪いことばかりするだろう」
「知ってる事だ」
「見つけられていない」
陽二が悔しそうな声で言うと、慶司は隣に居るハルカを見つめた。ハルカはウトウトと眠そうに船を漕いでいた。その為慶司は微笑み、静かにハルカを見つめた。静かな事に安心したのか、ハルカがこてっとソファによろけて転び、そのままスヤスヤと寝てしまった。それを見て慶司は微笑んだ。
ハルカに起こったことを陽二から聞き、陽も登らぬ時間だというのに、みんながリビングでハルカを見つめて呆然としていた。
「寝不足になるぞ」
慶司が呆然としているみんなに言うと、沙羅が慶司を見つめた。
「衝撃的すぎでしょ。ハルカがそう思ってるなんて……」
「でもしかたねぇ。そう思わせちまったって事だ」
慶司がそう言って決意したかのような顔を見せた。
ハルカが目を覚ますと、唯香と仁がソファに寄りかかるようにして毛布を肩からかけて寝ていた。絨毯の上ではテーブルを脇に寄せて開いたスペースで龍彦、龍哉、友香が寝ていた。
「なに……してるのかな……」
ハルカが驚いた顔で寝ているみんなを見て呟くと、ソファの背もたれの一部が沈み、ギュッと変な音を鳴らした。その為ハルカが慌てて振り向くと、慶司がそこに座っていた。
「起きたか」
「……」
唖然となったハルカは、口をぽかんと開けて慶司を見つめるしかできなかった。その為その変な顔を見た慶司は微笑んだ。
「何だその顔。変な顔してんじゃねぇぞ」
慶司がそう言ってハルカの頭を撫でると、ハルカは怯えることもなく、びくつくこともなく普通に撫でられた。それを見た慶司は少しでもハルカが自分たちに対して恐怖心が和らいでいるのではないかと思えた。
「みんなハルカの側で寝たいって言ってベッドへ戻らなかったんだよ。俺も沙羅も眠れなかったしな。みんな、心配してんだぞ」
「どうして?」
ハルカが不思議そうな声で聞くと、慶司は微笑んだ。
「大事だって事だ」
「わからない」
ハルカがきっぱりとした声で言うと、慶司は微笑みかけた。
「ならわかるようになるしかねぇな。ちょっとずつ覚えて行けばいい。お前を白に戻すために、俺たちはまたお前と戦う気があるからな」
慶司がハルカを見てそう言うと、ハルカはぐっと手を握りしめ、唇をかみしめた。その為慶司はそんなハルカを見てため息をついた。
「苦しめることになることもわかってる。でもな、お前は悪くなかったんだ。ならそれを改めることもする。放置できるほど、お前との仲は浅くねぇからな」
「放っておけばいいのに……」
ハルカは少し怒っているかのような声音で言うと、慶司は首を傾げた。
「できねぇんだ。俺はハルカと一緒に居たいからな。悪さをするハルカでもいいが、分別できるハルカの方がいいから俺は戻れるよう手伝うって事だ」
「戻りたくない」
ハルカが慶司を見つめてそう言うと、慶司は頭を横に振った。
「ダメだ。白へ戻るんだ」
「……嫌だ」
「駄々をこねてもいいが、後から分かることだ。だから今は否定しててもいい。いずれ分かってくれ」
慶司はそう言うと、ハルカの頭を撫で、立ち上がった。その為ハルカは俯き、痛みを隠すように表情を隠した。それを慶司は横目で見つめていたことをハルカは気づいていなかった。
それから少しして全員が目を覚まし、各々自分がどこで寝ていたのかわかっていないのか、呆然とした顔で数秒居ると、ソファの側で寝ていた二人はハルカを探し、絨毯の上で寝ていた三人は慌ててソファを見た。ソファで寝ているはずのハルカの姿が無かったため、慌てて立ち上がった五人に、ダイニングとリビングとの間にある壁に寄りかかっていた慶司が微笑んだ。
「起きたか。おはよう。ハルカならダイニングだ」
慶司の声が聞こえ、五人は慌てて振り向き、ダイニングへと駆け込んだ。椅子に座り、ハルカは一人で遊べるおもちゃを持って遊んでいた。それを見た五人はほっとした顔を見せ、慶司を見た。
「おはよー」
唯香の間の抜けた声を聞き、慶司はハルカの肩を叩いた。
「メシ食うぞ。服着替えてこい」
「はぁい」
唯香を先頭に五人が移動していったため、慶司は少し嬉しそうに微笑んだ。
「慶、準備できたわよ」
沙羅がテーブルの上に朝食を並べると、ハルカがパッと明るい表情になり、全員そろっていないのに朝食を食べようとした。
「ハルカ、待て。全員そろってからだ」
慶司がハルカの表情を見ただけで気づいたのか、すぐにハルカの手を取り、朝食に手を付けさせないようにした。その為ハルカは不満げな表情で慶司を睨んだ。
「お腹空いた!」
ハルカが怒鳴るように言うと、慶司は苦笑いを浮かべた。以前のハルカならこんな駄々をこねなかったからだ。それも今は自分を怒らせる口実を作るために悪さをする。怒られないために引きこもりがちだったハルカが、怒らせるような行動をとるようになったのは良いものの、行き過ぎている面を改善しなければならない。その難しさを慶司は少しずつわかり始めていた。
「みんなを待ってからだ。それがこの部屋でのルールだ」
「ルールは破るためにあるんだって言ってたから、ハルカはルールを破るの!」
じたばたと暴れるハルカが言うと、慶司はため息をついた。
「誰がそんなバカなことを言ったのか知らねぇが、ルールは守るんだ。守れないところだけ破ればいい」
「お腹空いたのに我慢できないからハルカは破るの!」
慶司の言葉にハルカは今がそうだとでも言いたげに言うと、慶司はハルカの手を放そうとしなかった。
「ダメだ。言ったな? 改善することをするんだ。これだけは伝えて置くが、叩かないという条件はこれから先守れない時もある」
慶司がそう言うと、ハルカは暴れるのを止め、慶司を見つめた。
「ハルカが誰かを深く傷つけ、謝らなかったり、反省しなかったりしたら叩く可能性がある。反対にハルカだって俺たちに暴力を奮うかもしれないからだ」
「慶はハルカを叩くの? 沙羅もみんなも?」
ハルカが不安そうな声で聞くと、慶司はうなずいた。
「そうだ。だが絶対じゃない。ハルカと戦うためだ。ハルカも、一緒に居たくないと思う俺たちと戦わなきゃならない。わかるよな?」
「うん」
「ならいい。やりたくないけどやらなきゃ仕方なくなったんだ。暴力だけはしたくねぇんだけどな……」
慶司が悲しそうな声で言うと、全員がダイニングへ入ってきたため、慶司はテーブルに並ぶ食事を見て沙羅を見つめた。
「食べるか」
「食べましょう。みんな座って」
沙羅がそう言ってみんなを席に座らせると、ハルカを見つめた。
「それじゃハルカ、お待ちかねの朝食よ。食べましょう!」
沙羅が手を合わせて言うと、ハルカは大急ぎで食べ始めた。その様子を見ていたみんなは唖然としたが、ハルカの行動一つ一つを観察することにした。もう一度ハルカと笑い合って暮らしていきたいからだ。
「ハルカ、のど詰めるぞ」
慶司が急いで食べるハルカに言うと、ハルカは首を傾げた。
「がっつくな」
「ふぇいき(平気)」
ハルカが食べ物を口に含みながら言うと、慶司はため息をついた。その為ハルカは、慶司の皿に乗っていたハムを一切れ盗み食いをした。それを慶司が見て深いため息をついた。
「ハルカ、いい度胸だ。朝から俺を不機嫌にさせるなんて仁以来だ。覚えておけよ」
慶司がそう言うと、ハルカは嬉しそうに微笑んだ。
「うん。慶が隙を見せたのが悪いんだもん」
ハルカがそう言うと、慶司はハルカを見つめて疲れた顔を見せた。
「そうだな。それよりハルカ、言う言葉があるだろ」
「何?」
ハルカが不思議そうな声で聞くと、慶司は空になった皿を指さしていた。その為ハルカはポンと手を叩いた。
「ごちそうさまでした」
ハルカがそう言うと、慶司はため息をついた。
「違うだろ。人様の食べ物を食べたんだ。なんて言うんだ」
「ごちそうさまでした。だよ?」
ハルカが不思議そうな声で言うと、慶司はハルカの目をしっかりと見つめた。
「目の前でやられるとは思わなかったが、懐かしい感じだな」
慶司がとても優しく、懐かしそうに言うと、沙羅たちは目を見張って慶司を見つめた。
「慶……」
沙羅が声を掛けると、慶司は微笑んだ。
「俺もバカだったんだなって痛感する。懐かしいぜ。ハルカ、ごめんなさいって言わないつもりなんだな」
沙羅にそう言い、慶司はハルカに謝らないのかと問いかけると、ハルカは嬉しそうに微笑んだ。
「うん。だってハルカが食べたかったんだもん」
ハルカはそれはもう自我を通すかのように言うと、慶司はハルカの肩を掴んだ。
「よく分かった。ハルカ、教育的指導をされても文句なしだ」
慶司が厳しい声で言うと、ハルカは叩かれると思ったのか、慶司から逃げるように椅子から遠ざかった。その為慶司はそんなハルカを見て微笑んだ。
「すぐに逃げるな。謝らないからって叩くとは限らないぞ。それに、俺はそんな小さなことでは叩かない」
「でも怒ってる」
ハルカがそう言うと、慶司は嬉しそうに微笑んだ。
「そりゃそうだ。ハルカが悪いことをして謝っていない。それなら怒るだろ」
「……」
ハルカは慶司を見つめて黙り込むと、慶司はハルカから視線を逸らした。
「ごめんなさいって言える子供になったはずだなハルカ。もう一回きっちりみっちり覚えたいのなら教え込んでやる。どうしたい」
慶司がハルカを見ないで言うと、ハルカは慶司を見つめて黙り込んだ。その為慶司はハルカを見つめた。
「知ってるって怒鳴るつもりなら諦めろ。今のお前にその言葉を言う資格はない。知ってるならやればいい。やってこそ知ってるって怒鳴る資格があるんだからな」
慶司が厳しいことを言うように言うと、ハルカは慶司を睨んだ。その為慶司はそんな春カを見つめ肩をすくめた。
「俺を睨むな。全部尋問班の部屋に落としてきたお前が悪いんだ」
「ハルカをそこに行かせたのに、ハルカが全部悪いみたいに言うのは嫌だ! 行きたくなかったのに、行かせたんだよ!」
ハルカが怒鳴るように言うと、慶司はハルカを見つめた。
「そうだったな」
「ハルカが全部悪いみたいに言わないで! ハルカをこうしたのは慶たちだもん!」
ハルカはそう言うと、慶司たちを睨み、テーブルの上にあるコップを掴むと沙羅たちが座る方へ投げつけた。それは壁に当たり、けたたましい音を立てて割れた。割れた破片で怪我をする人はいなかったが、ハルカが癇癪を起した。その為沙羅たちはびっくりした顔でハルカを見た。
「どうしてみんなでハルカが悪い子だって怒ってくれないの! 良い子で居たってハルカは悪い子になるんだよ。みんなが後でハルカは悪い子だって知ることになるのに何でいい子をしなきゃならないの。みんなに嫌われるのにどうして!」
「ったく……ハルカ、好きにしろ。怪我したら言うんだぞ」
慶司は食べ終わったのか立ち上がると、ハルカに皿を渡した。その為ハルカはそれを壁に投げつけた。皿はけたたましい音と共に粉々に割れてしまった。
「テーブルの上の皿なら割ればいい。好きにしろ。それでお前の中にあるものが収まるなら何枚でもな。でも収まらないと気づけば止めておけよ。後悔するのはお前だ」
慶司はそう言うとハルカの様子を見るために違う壁に寄りかかった。食べ終わって様子を見ていた沙羅たちも立ち上がり、ハルカから少し離れた。その為ハルカは見守られる中テーブルの上にある皿やコップを壁に投げつけ続けた。しかしハルカは空しさだけが広がっていくことに気づいて手を止めた。
「みんながハルカが今していることを間違いだって知っているんだぞ。それに怒って何かに当てつけても独りよがりだ。だから素直になればいい」
慶司がハルカの背中に向けて言うと、ハルカは振り向いた。
「ハルカをこうしたのは慶たちだもん! ハルカは悪くないっ!」
ハルカが地団駄を踏むかのように言うと、慶司はため息をついた。
「謝ろうとしている俺たちの言葉さえ拒絶するお前にどうやって謝ればいいんだ」
「知らないっ!」
ハルカは駄々をこねるかのように喚き、慶司を睨んだ。その為慶司はもちろん沙羅たちもそんなハルカを悲しそうな目で見つめた。
「じゃ好きにしろ」
慶司が突き放すかのように言うと、ハルカがビクッと強張った。しかし、ハルカはそんな慶司に怒ったのか慶司の前へ歩むと、手を握りしめて、慶司の胸を殴った。
「馬鹿っ!」
ハルカが大きな声で慶司に言うと、胸を数回殴り、慶司を睨んだ。
「ったく……謝らせてくれないのは誰だ。話を聞いてくれないのは誰だ。ハルカ、お前だろう。話を聞いてくれないのなら、話を聞ける状態になるまで俺は見守るしかねぇんだ。だから好きにしてくれと言ったんだがな……」
慶司がハルカに問いかけ、呟くように言うと、ハルカは慶司の胸を何度も殴り、俯いた。
「はぁ……。突き放されたくないのなら元のハルカへ戻ればいい。黒になったお前でも俺は別にいいけど、この塔の中じゃ難しいだろう。ハルカ、俺たちがお前に負わせた傷がなんなのか今はわからない。陽二から一応尋問班のしでかしたことは聞いたが、それ以外にもあるんだろ?」
慶司がハルカの頭を見て言うと、ハルカはコクンとうなずいた。その為慶司はハルカの背中を撫でた。
「俺たちがしでかした事に対してはもう少し待ってくれ。その間暴れてもいいからな」
「……慶、ハルカがスパイじゃないって信じてくれてるの?」
ハルカが小さな声で問いかけると、慶司はハルカを見て目を丸くした。
「ハルカ、そんなに友達多かったか? 初めてここに来た時、知り合いなんてここに居なかっただろ。外の連中と連絡の取り方さえ知らないだろ。そんな奴をどうやってスパイだって思うんだよ」
慶司が呆れたと言わんばかりにそう言うと、ハルカはぐっと手を握りしめた。
「尋問班が何を言ったのか俺は聞いてない。でもお前をスパイだと決めつけて否定したことは容易に想像できる。忘れろとは言わない。でも信じてくれ。俺たちはハルカを仲間だと信じてる」
慶司がそう言うと、ハルカは慶司の側から数歩離れ、みんなを見つめた。ハルカの表情がどこか悲しそうに見えた。
「ハルカを信じてくれるのならどうして驚いた顔したの! どうしてハルカを簡単に渡しちゃったの。どうして止めてって言ってくれなかったの。みんな……ハルカが連れて行かれるのを黙って見てたんだよ!」
ハルカが悲鳴のような悲しい声で言うと、慶司たちはハルカをじっと見つめ、ハルカの言葉を聞き入った。その様子を見てハルカは頭を横に振った。
「どうして何にも言ってくれなかったのっ!」
ハルカが怒鳴るように言うと、慶司は深いため息とともに額を押さえた。その表情はとても悲しそうで、後悔しているかのように見えた。
「そりゃそうだな。あの時俺たちの顔を見てお前がどう思ったかなんて簡単にわかるわけだ」
慶司が小さな声で言うと、沙羅たちが慶司を見つめた。
「慶……?」
「ハルカ、言い訳だと思ってくれていい。説明させてくれ」
慶司がハルカにそう言うと、ハルカの前に座り、目を見つめた。
「あの日、俺たちは朝から出かけたな? 仕事へ向かった。そこで小野という爺が居たんだ。小野は闇の住人の幹部だ。その小野という人間と出会い、そこで白の塔にスパイがいると嘘をつかれた。だが仕事に行った先でありえないことも多々起こっていて、俺たちはそれを信じてしまった。そんな話を聞かされた後で、お前にスパイ容疑があると知ったんだ。驚いたことは事実だ。あり得ないと、信じたくないという思いもあった。だが、もしもを考えたんだ。お前が、外との連絡方法を本当は知っていたのなら、お前を殺さなきゃならなくなる。それを否定したかったんだ。だからあいつらに俺は渡した。その後沙羅たちと必死にスパイが居ないか探し回った。情報を集めてお前じゃないという証拠を陽二に見せようとした。時間がかかったことと、何の説明もしなかったことは、傷つけただろう。苦しめただろう。俺たちを信じられなくなることも、疑うことも十分理解できた。そう言う意味だったんだな」
慶司がハルカの目をしっかりと見つめて事情を説明すると、ハルカは慶司を見つめ、服の裾を握った。
「ハルカを疑ったの?」
「疑う余地がないだろう。でも、陽二がOKを出し、尋問班が動いていれば拒否できないんだ。拒否した場合、ハルカは取り調べを受けるまでもなく死刑になる。殺されてしまうってわけだ。それを阻止したいから俺は尋問班へ渡し、時間を稼いだ」
「……でもハルカは……」
ハルカが何かを言いかけ、言葉を詰まらせると、沙羅がハルカの側に座った。
「ハルカを苦しめたのは分かってるの。それに、早く戻って来てほしかったの。だから必死になったのよ。尋問班が何をするかなんてわからないから……。ハルカが戻って来てくれて本当にうれしいの。でもね、ハルカは変わってしまっていたの。それがどうしてなのかわからなかった」
「……ハルカはどうしてこんなにつらいの? どうして苦しいの? どうしたらいいのかわからないっ」
ハルカが涙を浮かべてそう言うと、慶司がハルカの頭を撫でた。
「尋問班に否定されたことを俺たちに教えてくれ。お前が生きていくことを否定されたのなら、取り戻して行こう。強制されたのなら、戻してやる。ハルカが苦しむことは、俺たちも一緒に苦しんでやる。だから戻れるようになろう」
慶司がそう言うと、ハルカは慶司に抱きつき、大声で泣いた。その為見守っていたみんなが抱きしめ、やっとハルカと前に進む一歩を踏み出そうとしていた。
ハルカが泣き止んでから落ち着くまで時間がかかったが、その間に割れた皿やコップの掃除をして、リビングでくつろごうとしていた。ハルカを囲み、みんなでテレビを見ていると、ハルカがリモコンをポチポチと押して画面をクルクル変えた。その為見ていたみんながハルカを見つめた。
「ハルカ、見たいテレビが無いとしてもそうやって遊ぶな」
慶司がそばに座っていたため、ハルカの手からリモコンを奪い、沙羅に渡した。その為沙羅はみんなが見ていた番組にチャンネルを合わせ、テーブルの上にリモコンを置いた。
「面白くないもん」
ハルカが不満そうな声で言うと、慶司はハルカを見つめてため息をついた。
「何したい」
「……遊びたい」
「何して遊びたい」
慶司がハルカに問いかけると、ハルカは黙り込んだ。その為慶司はハルカを見てすっと真剣な表情を見せた。
「ハルカ、俺たちを困らせて悪い子だって証明したいならやめておけ」
「どうして?」
ハルカが慶司を見つめて首を傾げると、慶司は微笑んだ。
「悪い子になることは難しいぞ」
「簡単だって言ってたのに。困らせたり、怒らせたりしたら悪い子だって言ってたよ」
ハルカが不満そうな声で言うと、慶司はハルカの頭を撫でた。
「すべてが悪いことじゃない。困らせたり、怒らせたりしても、その中にはいいことだってある。だから悪い子になるのは本当に難しいんだ」
「……じゃどうやったら悪い子になれるの」
ハルカがそう言うと、慶司は微笑んで、ハルカを見つめた。
「ハルカには無理だ。教えないし、悪い子にもさせない」
「慶のいけず!」
ハルカがムスッとした顔で言うと、ぱこっと胸を叩いた。その為慶司はハルカを見て微笑んだ。
「悪い子にならなくていいんだ」
慶司がそう言うと、ハルカはムスッとした顔のまま慶司を見つめていた。
慶司たちとの間にあった亀裂は少しだけでも埋まったが、ハルカが闇の住人であるかもしれないという思いは、ハルカの中からは消えていなかった。そのためだろう、悪いことを仕出かし続けた。友香と言い合いの喧嘩をしたり、龍哉の荷物を隠したり、唯香の服をゴミ箱へ入れて怒らせたり、龍彦のゲームをお風呂に浸けて使えなくしたりいろいろと問題を起こし続けた。それもハルカのせいだと言われても、素知らぬ振りをして逃げ回るため、慶司と沙羅がみんなをなだめてハルカに白状させていた。それでもやはりハルカの悪行は終わることなく、ひどくなる一方だった。しかし、ハルカを叱れる者などいなかった。ハルカ自身が思って行動しているとしても、それを思わせているのはこの場所だと知っているからだ。それでもハルカにとって叱られない事が辛くて仕方なかった。だからこそ行動に出てしまった。
深夜、眠れないハルカは慶司の武器庫からナイフを一本無断で拝借し、部屋の外へ出ようとしていた。リビングへ出て廊下へ通じる扉を開けようとしたが、鍵がかかっている事に気づいた。
『鍵……』
ハルカが扉の鍵をガチャンと開け、取っ手を引っ張ったが扉の開く気配がなかった。何かに引っかかり開かない。その為ハルカは首を傾げた。
『これしかないのに……』
ハルカは呆然として扉を見つめ、鍵をガチャガチャ鳴らすと、後ろから足音が聞こえ、ハルカが振り向いた。
「ふぁぁっ……。だから夜中にうろつくな」
慶司が欠伸をしながらハルカに言うと、ハルカは慶司を見つめて黙っていた。その為慶司はハルカを見つめて目を細めた。
「ハルカ、手に持っている物はなんだ」
「……」
慶司がハルカの持つナイフを見て言ったが、ハルカは黙ったままだった。その為慶司はため息をついた。
「それも俺のナイフだな。返してくれ」
慶司が気づいたのか手を出して言うと、ハルカは頭を横に振って嫌だと示した。その為慶司はハルカをじっと見つめた。
「ハルカ、怪我をする。返してくれ」
慶司がハルカの側に歩むように動くと、ハルカは遠ざかるように離れた。その為慶司は足を止め、ハルカを見つめた。
「ハルカ」
呼び止めるように呼ぶと、廊下から扉の鍵を開けられ、部屋に陽二と藤十郎が部屋に入って来た。その為慶司とハルカが扉を見つめると、ハルカが陽二を睨んだ。
「陽二、毎日来てんのか」
慶司がつまらなさそうな声で言うと、陽二は苦笑いを浮かべた。
「カメラの映像、悪いが見させてもらっている。ハルカが変な行動を取れば来るようにはしていると言えばいいか」
「監視なら止めてくれ」
「これでもハルカを変にしたことへの償いのつもりなんだがな……」
陽二が苦笑いを浮かべて言うと、ハルカが陽二の前に立った。その為陽二はハルカを見つめた。
「ハルカ……」
「どうして誰もハルカを怒ってくれないのっ!」
陽二にハルカが怒鳴るように言うと、慶司も陽二も目を見張り、ハルカを見つめた。
「ハルカが闇の住人の子供だってちゃんと分かったんでしょ? ハルカが必要ないって分かったのにどうしてみんなハルカのことを嫌いにならないの! どうして怒らないのっ!」
ハルカが陽二に向かって言った言葉を、陽二は驚いて聞いていた。
「ハルカ、誰に聞いたんだ」
藤十郎が陽二の側からハルカに言うと、ハルカは藤十郎を見つめた。
「廊下を歩いてる人たちが言ってたもん。ハルカのことをちゃんと調べたんだって」
「それで?」
「ハルカの事ちゃんと分かったんだって言ってた。そうしたらやっぱり闇の住人の子供だったって。スパイじゃないって分かったけど、信じることはできないって言ってたんだもんっ!」
ハルカはわめくように言うと、藤十郎はため息をついた。
「陽二、事実を伝えてもよくなったのではないか?」
「わかりました。ハルカ、教えてあげよう」
藤十郎に頷いた後、陽二はハルカを見つめて口を開いた。
「あれからハルカのことは調べたよ。闇の住人たちを捕縛していたから、その者たちに聞き、真実を突き詰めた。ハルカは確かにあちらの人間だ。親も生まれた場所も。でも育っているのは白の塔だ。人間が育っていく中で自分を作っていくのは育つ場所にあるんだ。親でもない、生まれた場所でもない。だからハルカのことは白だと説明し、理解してもらっている」
「でもハルカのお父さんお母さんは闇の住人なんでしょ?」
「そうなる。だがハルカ、親に奴隷になれと違う場所に行かされていた。叩かれ、苦痛を強いられていた。闇の住人でも自分の子供にすべきことじゃない。だからハルカは白だったんだ」
「そう見せかけてるんじゃないかってみんな言うんだもん!」
ハルカが悲鳴のように言うと、陽二は頭を横に振った。
「違う。ハルカは本当に真っ白だ」
「……でもみんな信じてくれない。ハルカが悪い奴なんだって思ってる。だから……ハルカは悪い奴になる」
ハルカがそう言ってナイフを構えると、隣室の扉が開き、みんなが眠そうな顔で出てきた。
「ちょっと……何時だと思ってんの?」
唯香が目を擦って不機嫌そうに言うと、慶司たちを見て一瞬身を固めた。そしてすぐに頭が起きたのか、目の前の光景を見て唖然となった。
「ちょっと何してんの。ハルカ!」
唯香が止めるように言うと、ハルカはナイフを持ったまま陽二を見つめた。その為陽二はため息をついた。
「ハルカ、止めて」
「ハルカ、落ち着こう。ナイフは危ないから」
「落ち着いてハルカ」
「危ないから手を放そう」
みんなが口々にハルカにナイフを放してほしいと言うが、ハルカは従わず、陽二に向かうように足を踏み出した。その為慶司がそんなハルカの手を摑まえた。
「ハルカ!」
慶司がハルカに怒鳴るように言うと、陽二は肩を落とした。
「慶司、放してあげろ。良いんだ」
陽二がそう言うと、慶司は目を見張り、陽二を見つめた。沙羅たちも陽二の言っている意味が分からないのか目を見張った。
「闇の住人だと思っているならこうなることも予想済みだ。それに、ハルカと戦うと決めた時、傷つけられることを覚悟している。傷つけた分の痛みをもらうことはな。ハルカ、傷つけたいなら傷つけなさい。痛かった分を当てつければいい」
陽二がそう言うと、慶司は手を放し、ハルカは陽二の前にナイフを構えて立った。その為その光景を見ていられない慶司にとって歯がゆかった。
「ハルカ、陽二を傷つければ俺は怒るぞ」
「慶司、それはダメだ。ハルカにとって私を傷つけ、悪い奴なんだと証明して怒られることが目的だ。目の前で知ってほしいが為にしている事だからこそ、怒ってはならない」
陽二がそう言うと、慶司は目を見張った。
「ハルカ、怖いんだろう? 私を傷つけることも、こうやってナイフを持って立つことも、怖いならやめよう。したくないのにしなくていいんだ」
陽二がハルカの前に座って言うと、ハルカは頭を横に振った。
「違う! したいからしてるのっ!」
ハルカが喚くように言うと、陽二は頭を横に振った。
「ハルカ、もういいんだ。証明なんてしなくていい。怖がらせたことは謝りきれない。不安にさせたことも。仲直りがしたいんだ」
陽二がそう言うと、ハルカは俯いた。自分が何をしても誰も怒らないのは、自分が悪いからじゃない。こうされたことを知っているからだ。でも、ハルカの中にある不安はすぐには消えない。みんなと一緒に居たいからこそハルカは行動している。悪い奴だと知ってもらって、罰を受けてちゃんとみんなと向き合いたいと思っている。だが誰一人それを知っている人は居ない。
「……どうして……」
「良いんだ。ハルカは悪くない」
「ハルカは悪い奴なのに、どうして怒ってくれないのっ!」
ハルカが喚くように怒鳴り、持っていたナイフを振り上げた。陽二に向けて振り下ろそうとしたわけではなく、右手で持っていたナイフを、左手に突き刺してしまったのだ。自分の腕を自分で傷つけた。その為側に居た陽二と慶司、藤十郎は慌ててハルカを抱き留め、腕を縛った。
「ハルカ!」
「この馬鹿野郎が!」
陽二と慶司が怒鳴るように言うと、ハルカの腕に刺さっているナイフを藤十郎が抜き、傷口をきつく縛り上げた。
「傷口は深い。止血して救急へ運ばなければならないだろう」
「わかってる」
慶司がそう言うと、痛みで涙を流しているハルカを見つめてほっとした顔を見せた。
「なんでこんなバカなことをした。なんで自分の腕を刺したんだ」
「ハルカ……悪い子だもん……。ちゃんと……っ……良い子だってみんなに知ってもらって、帰ってきたかったんだもん……」
ハルカがそう言うと、慶司はため息をついた。
「もう知ってる。だからこんな事しなくていい」
「違うもん」
「後だ。病院へ行こう。救急なら行けるだろう」
慶司がハルカを抱き上げ、腕を陽二が持って部屋を出て行った。その為その光景を見ていた沙羅たちは、衝撃的な現場に足が縫われたかのように動けなくなっていた。
深夜ということもあったのだが、下層階にある病院へ向かい、処置をしてもらえた。処置が終わると、ハルカは陽二と慶司の二人と一緒に部屋へ戻ってくることができた。傷口を縫い、包帯の巻かれた腕は痛々しく見えた。
「戻ったぞ」
慶司がそう言って部屋の中へ入るとハルカ、陽二の順で部屋に入った。
「お帰り」
仁が三人を出迎えて言うと、慶司は仁を見て微笑んだ。
「寝不足になるぞ。寝てなかったのか」
「眠れないよ。心配だったしね」
仁がハルカを見て言うと、ハルカはそんな仁を見るのが辛いのか俯いた。その為陽二がリビングを見ると、全員が起きて待っていたと分かった。
「ハルカ、みんな心配で起きてくれていたみたいだ」
陽二がハルカにそう言うと、ハルカは顔を上げてみんなを見つめた。部屋に入ってきた慶司、ハルカ、陽二を心配そうに見るみんなの顔がしっかりと見えた。
「……ごめんなさい……」
小さな声でハルカが言うと、沙羅が立ち上がり、ハルカの側へ来た。そしてハルカの前に座った。
「ハルカ、ごめんね」
沙羅が急にハルカに謝ると、パシッとハルカの頬を叩いた。その為側に居た慶司も陽二も急なことに目を見張った。優しく微笑んで側に来た沙羅が、思わぬ行動を取った事に動けなかった。ハルカは叩かれたことに驚き沙羅を見つめた。
「馬鹿! どうしてこんなことをしたの! みんなとっても心配したのよ! ハルカが陽二にナイフを向けていた事にも驚いたけど、自分で自分を傷つけちゃダメよ。……本当に、ハルカが生きていてよかった……」
沙羅はハルカに怒るように言い始め、次第に声のトーンを落とし、最後にはほっとした声を出してハルカを抱きしめた。ハルカは沙羅に怒られたことと優しく抱きしめられていることに泣き出した。
「沙羅、何をするんだと怒ろうかと思っただろう」
陽二が沙羅に疲れた声で言うと、沙羅は微笑んだ。
「言ったらハルカにもわかっちゃうでしょ」
「でもだ、叩くのは良くないだろう」
「私にも怒らせてくれないかしら。ハルカを大事にしているのよ? こんなことをしたんだから、私たちがどれだけハルカを大事にしているかをわかってもらわなきゃ。それに、大事にしているとか、大切にしているからこそ怒れるの。ハルカも辛いけど、私たちも辛いの。叩くってことはそういうことよ」
沙羅がそう言うと、陽二は微笑んだ。その側で慶司は泣き続けているハルカの頭を撫でて微笑んだ。
「大丈夫だ。もう怒ってねぇから」
「んっ……でもっ……」
涙を流してハルカが何かを言おうとしたが、言葉が詰まった。その為慶司は微笑み、ハルカを見つめた。
ハルカが沙羅の腕から解放されたのはすぐの事で、ハルカはすぐに慶司に抱きついた。その為藤十郎が陽二の側に立ち、そっと陽二を窺うように見た。
「刺した場所は問題ない。傷ついた場所も安全な場所だった。傷口が治れば後遺症もなく無事に過ごせるとの事ですよ」
陽二が藤十郎を見て言うと、藤十郎はほっとした顔を見せた。その為陽二は藤十郎もハルカを心配して待っていたのだと気づいた。
「心配だったんですか」
「当たり前だろう」
「そうですか」
「無事で何よりだ。さて……また寝ずに夜を明かしたな」
藤十郎がそう言って窓を見ると、外がうっすらと明るくなりかけていた。
「明日は何もない日ですから、昼まで眠らせてもらいますよ」
「そうしよう。慶司、戻らせてもらうぞ」
藤十郎が慶司にそう言うと、慶司はハルカを抱き上げ、藤十郎と陽二を見つめた。
「わかった」
「ハルカ、もう悪さをするんじゃないぞ」
藤十郎はそう言ってハルカの頭を撫でると、先に部屋を出て行った。その為陽二は慶司を見つめた。
「ハルカの事、全て話せる機会を設ける。今は待ってくれ」
「お前がそう言うなら待つさ」
「……それまでハルカのことを頼む」
「わかってる。ハルカは俺たちの仲間だ」
陽二は慶司の言葉に安心したのか部屋を出て行くと、バタンと扉を閉め、鍵までかけて行った。その為慶司はほっとした表情を見せ、ソファにハルカを座らせた。しかしハルカは慶司の服を放さず、慶司も座る羽目になった。
「ハルカ」
「イヤだっ」
ハルカが駄々をこねるかのように言うと、慶司は苦笑いを浮かべ、ハルカを抱き寄せた。
「ったく、眠たいんだ。眠らせてくれ」
「ここで寝よう?」
ハルカが首を傾げて言うと、慶司はため息をついた。
「毛布ないと寒いぞ」
「……」
慶司の言葉にハルカが言葉を失うと、友香が隣の部屋の扉を開け、中から毛布を持って出て来た。それを見て龍彦、龍哉が人数分の毛布を持って来ると、唯香、沙羅がテーブルを脇へ寄せ、みんなが毛布を持ってそこへ座った。
「寝るよ」
唯香がふてくされたかのような声で言うと、寝転び、すぐに眠ってしまった。
「じゃ僕も、お休み」
「僕もお休み」
龍彦、龍哉が唯香に続いて寝転がって眠ると、友香がハルカを見つめて微笑んだ。
「お休み」
友香が寝転がると、仁が友香の隣でごそごそと動き、座った。
「お休み、俺も寝るよ」
「じゃ仁の隣で寝ましょう。慶、ハルカも眠りなさいよ」
沙羅が仁の毛布を体に掛けてあげ、自分も隣で寝転ぶと、目を閉じた。その為慶司とハルカはソファに座ってみんなを見つめ、微笑んだ。
「寝るか」
「うん」
慶司はソファの背もたれを倒し、二人寝れるだけのスペースを作ると、毛布をハルカにかけ、自分も眠ることにした。朝方に眠った慶司たちは、昼ごろまで眠りこけていた。