祝福の日のお返し【アルヴィス視点】
前回のバレンタインの続きのお話です。
これまでで最長の文字数になってる気が・・・(笑)
この日、アルヴィスの姿は執務室にあった。毎日のことながら、各所で作成された報告書などに目を通し、書類にペンを走らせる。もう慣れてしまった作業にアルヴィスは苦笑してしまう。以前ならば、一つ一つのことに対しての確認作業に追われていたというのに。
「人は慣れるもの、か」
エドワルドはちょうど席を外しており、ここにいるのはアルヴィス一人だ。没頭していれば、誰かが居ようと居まいと気にすることはない。実際に、机の上にカップが置かれているが、いつ置かれたのかアルヴィスは気が付いていなかった。部屋の外には近衛が控えているので誰かが無断で侵入してくることはあり得ない。恐らく、これを用意したのは侍女であるジュアンナだろう。
カップからは湯気が立っている。アルヴィスが休憩を取る時間を見越して用意されたということだ。慣れたのはアルヴィスだけではなく、侍女である彼女たちも同じなのだろう。
ペンを置いてカップを手に取る。そのまま口に含めば、ほんのり甘い香りが広がった。普段ならば、あまり甘い物は好まないアルヴィスだが、こうしてほんの少しだけ感じる甘さは美味しいと感じる。それだけ疲れているという証拠だと、ナリス辺りには言われてしまいそうだ。
「そういえば、あれも甘いお菓子だったか」
およそ一月前のこと、アルヴィスはエリナから綺麗にラッピングされたお菓子を受け取った。お菓子自体は料理人たちが作ったらしいのだが、その後エリナが厨房に入って試行錯誤していたようだ。貴族の、それも高位貴族令嬢だったエリナが厨房に入ることなどまずない。何故、そのような行動をするに至ったのだろうか。
カップを置いて、アルヴィスは腕を組むと椅子に深く腰掛けた。
『本日は祝福の日ですので、その……夫婦の間ではこういうことをするのだとお聞きして』
照れながらもそういったエリナ。祝福の日というのがあるのは、勿論アルヴィスも知っている。しかし、そのような習慣があっただろうか。アルヴィスが知っている身近な夫婦と言えば両親になる。なのだが、アルヴィスは両親を避けてきた時期もあり、そういうことをしていたとしても気づかなかった可能性が高い。いや、そもそもとしてあの母が厨房に入ることなど考えられない。
「何をお考えになられているのですか?」
「⁉」
声を掛けられて顔を上げれば、エドワルドが眉を寄せながら立っていた。どうやら心配させてしまったらしい。
「ご心配なことでもおありならば――」
「いや、そういうわけじゃない。ただちょっと、な」
「“ちょっと”何ですか?」
言葉を濁したところで、この幼馴染兼侍従は逃してくれなさそうだ。元より一人で考えていたところで答えなど出ない。アルヴィスは白状することにした。
「祝福の日について考えていたんだ」
「祝福の? それは妃殿下の贈り物のことですか?」
「あぁ。エリナがどうして厨房に入ろうと思ったのかと。貴族令嬢からすれば、厨房は未知の世界だろう?」
「まぁそうでしょうね」
アルヴィスでも、厨房に出入りしたことはない。騎士団や近衛隊に在籍していた頃は、遠征の折に野宿することもあった。その時に多少料理をする機会はあったもののそれだけだ。あの時ほど料理人という存在に感謝したことはない。だからこそわかる。料理というものが、簡単なものではないということが。エリナもそのようなことは知っているだろう。
そのようなことを考えていると、エドワルドが盛大な溜息をついた。
「エド?」
「アルヴィス様、学園で祝福の日に何があったか覚えておりますか?」
「学園? 特に何かあったような気はしないが……」
学園。つまりは王立学園在籍時のことだろう。この日に何があったか。特段変わったことはなかったように思える。
いつものように講義を受けて、鬱陶しい視線を回避するためリヒトと屋上やガーデンに逃げていたというくらいだ。そこまで思い出して、アルヴィスは眉を寄せた。
「そういえば……この日はいつも以上に鬱陶しいものを感じたな。リヒトは、苦笑いしていたが」
「全く……この日は机などに色々とプレゼントを置かれたのではありませんか?」
「別にその日だけじゃない。それに、人の机に置かれても迷惑だった」
嫌な思い出の一つでもある。手紙などはまだマシだ。一番面倒なのが、食べ物を置かれることだった。何が入っているかわからない代物など、口にするわけがない。アルヴィスが口にしたのは、新入生の時だけ。それ以降は、全て捨てている。
アルヴィスが答えると、エドワルドは頭に手をあてて「やれやれ」とでもいう様に首を横に振った。
「仕方がありませんね。アルヴィス様にとっては苦い記憶でしかないということなのでしょうから」
「どういう意味だ?」
「妃殿下は夫婦のとおっしゃったそうですが、この日は夫婦でない場合にも意味を持っているのです」
「そうなのか?」
「祝福の日は意中の相手に贈り物をする日。そして、贈られた相手はその一月後にその返事をする。そういう慣習があるのです」
初めて聞いた。そのような慣習がルベリアにあるなどと。驚いているアルヴィスに、エドワルドが説明をしてくれた。
かつてルベリア王国は今以上に男性優位社会だった。女性から何かを伝えることが難しい社会。そんな中で始まった習慣のようだ。この日に女性は想いを伝え、後に男性から返事をもらう。うまく想いを伝えられない女性からしてみれば、特別な日であるらしい。学園での経験からあまり同意はしかねるが、そういう意味が含まれていたのならば何もしなくて良かったということなのだろう。
「受け取りにならなくて良かったですね。相手の令嬢にはお気の毒かもしれませんが」
「……今となっては悪いことをしたと思わなくもないが」
だとしても、あれらに意味があったとは思いたくないものだ。いずれにせよ、過去のことだけれど。
だがそうすると、何もしないわけにはいかない。エリナがそういう意味を持って、アルヴィスに贈り物をしてくれたのならば猶更だ。
「エド」
「今からの外出は、承諾しかねます。それに、妃殿下は贈り物よりもアルヴィス様が傍に居てくださる方が喜ばれるのではありませんか?」
「……」
確かにエドワルドの言う通りかもしれない。だが、ただいるだけでは物足りないと感じるのではとも思う。毎日顔は合わせているのだから。
エリナが何かしてくれたように、アルヴィスも特別な何かをしてあげたいと思う。
「それをそのままお伝えすればいいと思いますよ」
それでは何も変わらない。だが、ここで話していても答えが出るというわけでもないのは事実。アルヴィスは、急ぎ机を片付けた。
「今日はもう戻る」
「承知しました」
その足で、王太子宮へと戻るとエリナはサロンでくつろいでいるところだった。予想以上に早く戻ってきたアルヴィスに驚きつつも、エリナは微笑みながら出迎えてくれる。
「おかえりなさいませ、アルヴィス様」
「ただいま」
夕食にはまだ早い。アルヴィスはエリナを誘って、中庭へとやってきた。突然の行動にエリナは困惑しながらもついてくる。そのまま芝生の上に座ると、エリナもアルヴィスに倣うように座った。
「あの、アルヴィス様? どうかされたのですか?」
「……祝福の日、エリナがしてくれたことについて考えていたんだ」
「あ……あれはその、えっとですね。つい影響されたといいますか」
まだ恥ずかしいらしいエリナは、頬を徐々に赤く染めていく。夕日の赤と同じくらい真っ赤になったエリナ。アルヴィスはその頬に手を添えた。冷たい手に熱さを感じる。
「俺はその日の意味を知らなかった。学園時代もずっとその意味を知らなかったが……今となってはその方が良かったんだろうな」
「その日の意味、ですか?」
エリナも知らなかったらしい。どうやらお互いに興味がないことはとことん疎い。アルヴィスは恋愛というものから遠ざかっていたし、エリナはそもそもそれが許されるような立場ではなかった。アルヴィスから知らされると、エリナは少しだけ寂し気な表情へと変わった。
「ではアルヴィス様はきっと沢山のご令嬢たちから頂いたのではありませんか?」
「いや、そんなことは――」
「ハーバラ様のお兄様ならばご存じですよね」
否定しようとしたところに、シオディランに聞くと言われれば逃げ道はない。友人だった彼ならば知っているし、彼は偽りを言うような男ではないのだから。
「……弁明させてもらえるなら、持ちかえったことはない。新入生の時を除けば全部捨てさせてもらった」
「捨てた……? でも、折角のものを」
「勝手に置かれただけで、直接受け取ったことはほとんどない。それにあれは俺にではなくて、ベルフィアス公子にだ。気にしなくていい」
「……それだけではないと思いますけど……」
「エリナ?」
「いえ、何でもありません」
ポツリと呟かれた言葉。聞き返すと、何でもないと首を横に振られた。飲み込んだ言葉は、きっとエリナの本音。そう思った時、アルヴィスは行動に出ていた。頬に添えていた手を頭に移動させて、そのまま抱きしめるようにして己の胸にエリナの頭を当てる。
「言葉を飲み込むのはエリナの優しさかもしれない。それでも、俺はその言葉を聞きたい。君の本音を」
「でも……本当に些細なことですし、アルヴィス様も言われても困るだけですから」
「別にいいさ。それがエリナから言われることなら」
その言葉に、エリナは顔をアルヴィスの胸に押し付けたままぎゅっと服を掴んだ。
「きっと、その中にもアルヴィス様自身をお慕いしていた令嬢もいたと思うのです。そう思うと、ちょっとだけ悲しいです。でもそれと同時に嬉しくもあります」
「そうか」
「私、酷い人間なのかもしれません。傷ついた令嬢もいるのに嬉しいなんて……最低、ですよね」
「エリナが最低なら、俺はもっとだろうな」
「え?」
顔を上げたエリナと目が合う。驚き目を丸くしているエリナに、アルヴィスは困ったように笑った。
「その想いを捨てたんだから、酷いだろ?」
パチパチとエリナは瞬きをする。すると、次には笑みを見せてくれた。
「そうですね、酷いです。アルヴィス様は。そういえば、フィラリータが前に言ってました」
「アムールが?」
「はい。アルヴィス様は酷い人だと」
「……まぁ、あいつに対しては否定できないな。意図してやったこともあるから余計に」
「今度謝ってはいかがですか?」
「余計に怒らせるだけだろうな。それは面倒だ」
その様子が容易に想像できる。本当に嫌そうな顔をすれば、エリナは更に笑ってくれた。思えばこうして何気ない時間を過ごすのは久しぶりだろう。エリナは何も言わないが、寂しい想いをさせていたのかもしれない。
「俺は、エリナに貰ってばかりだな」
「?」
「何かお返しをしようと思ったのに、何も返せるものがないと思って」
早く戻ってきたのもその為だった。というのに結局は何も出来ていない。すると、エリナは身体を離すとアルヴィスの手を握りしめる。
「そんなことはありません。こうして、何でもない時間を共に過ごせること。他愛ない話をして過ごすだけで、私は十分です」
「エリナ……相変わらず欲がないな」
「これでも最近は、欲深いなと思う事の方が多いのですよ」
本心でそう言っているらしい。それこそが欲がないということなのだが、そういってもエリナは否定するのかもしれない。その理由がジラルド共にいた影響だというのが面白くないのだが。
「なら、俺にして欲しいことはないのか?」
「アルヴィス様に、して欲しいことですか?」
「あぁ。何でもいい」
エリナはアルヴィスの為になれないことをしてまで贈り物をしようとしてくれた。同じことはアルヴィスには出来ない。今のアルヴィスに出来ることは、エリナの為に時間を作るくらいだ。
「でしたら、今日はずっとお傍にいてくださいませんか?」
「もちろんそのつもりだ。それ以外に、という意味だったのだが」
「それ以外……でも私は傍に居て頂けるだけで十分ですし、他にと言われても」
心底困っている様子だった。何でもとはいったが、エリナを困らせたいわけではない。
『アルヴィス、女ってのは時には強引にされる方が嬉しいもんなんだってよ』
『……それを何故俺に言う』
『お前って絶対そういうの無理だろ? 相手に任せて受け身でいるタイプだもんな』
『そもそもそれが必要になる時などない。そういうことはシオにでも言え』
『あの手は強引過ぎて駄目だろうな。お前ら足して二で割った方がちょうどいいんじゃね?』
かつて友人に言われた言葉がよみがえってくる。そういう日が来るとは思っていなかったのは事実だ。だが、確かにあいつの言う通りなのかもしれない。
「エリナ」
「アルっ――」
エリナに握られていない方の手で、エリナの顎を持ち上げ上を向かせる。そのままアルヴィスはエリナの唇に己のそれを重ねた。驚いて目を開けていたエリナ。だが、それを受け入れるかのように彼女は目を閉じる。そして、両手をそのままアルヴィスの背中へと回した。
「今日はずっと傍に居る」
「はい」
少しだけ唇を離し、そう告げるとエリナは嬉しそうに目を細める。少しだけ潤んだその目元に口を寄せたかと思うと、再び二人は口づけを交わすのだった。
本編があれなので、ちょっとでも糖分が出せるようにと頑張ってみました。
楽しんでもらえたなら嬉しいです。