第三巻&コミカライズ版第一巻発売記念SS第二弾!「公爵夫人としてではなく母として」
記念SS第二弾!
今回は載せることが出来なかったお話になります。
リトアード公爵家の闇というか、エリナのお母さんのお話です。
勢いのまま走った感はぬぐえないのですが、広い目で見てください;
ユリーナ・フォン・リトアード公爵夫人。それが今の自分の名前だ。ルベリア王国における筆頭公爵家の正妻。実家は名家であるフォルボード侯爵家。公爵夫人となるに申し分ない血筋を持ち、何の憂いもなく公爵夫人としての人生を歩んできた。
跡取り息子と娘が生まれ、妻としての役目も十分に果たしたと言える。長男であるライアットは優秀で何をやらせてもこちらの想定以上の結果を出してくれた。長女であるエリナは幼き頃に王太子の婚約者として望まれて、その地位を確立している。全て上手くいっている。そう思っていた。
「エリナが婚約破棄ですって⁉」
創立記念パーティーでのことを聞いた時、何かの間違いだと思った。自分の娘がそのような醜聞にまみれることなどあるわけがないと。それも、王太子は男爵令嬢とはいえ庶子の娘を寵愛しているとか。
筆頭公爵家の令嬢が、下級貴族に過ぎない男爵の、それも庶子に嘲りを受けるなど認められることではない。ユリーナは憤慨し、エリナが戻り次第糾弾しようと決めた。だが、それは義理の息子であるルーウェに止められることとなる。
「エリナに汚点はありません。妹は己を律し、王太子を立てることだけを考えて立ちまわりました」
「そのようなこと当然です! 問題はそういうことではありません。リトアード公爵家の娘が婚約破棄をされるなど、家の汚点でしかないのですよっ!」
どのような事情があろうとも破棄されるということは、それだけで令嬢に問題があるといっているものだ。それも自分の娘が。名門フォルボード侯爵家の血を継ぐ、筆頭公爵家の娘が。あってはならないことだと、ユリーナは怒鳴り散らした。
「義母上は、結果が全てだと仰るのですか?」
「その通りです。もうエリナに将来はないも同然です。こうなっては修道院にいれるしかありません」
「修道院になど入れませんよ、母上」
そこへ口を出してきたのは、いつの間にか帰宅していたライアットだった。いつも以上に険しい表情をした様子でユリーナへと近づいてくる。
「ではどうするというのです? もうエリナは傷物となってしまったのですよ」
「……っ」
ユリーナが叫ぶと、ライアットの背中からびくりと動く姿が見えた。紅の髪がその横から靡いている。その姿はまさしく娘であるエリナだった。叱咤しなければいけない。その考えしかなかったユリーナはすぐさまエリナの傍へと近寄ろうとした。だが、それを他でもないライアットに制止されてしまう。
「退きなさい。私はエリナに話があるのです」
それでも退くことのないライアット。庇われた形となっているエリナに対し、ユリーナは声を荒げる
「エリナ、そのようなことをして恥ずかしくはないのですか? そもそも貴女がきちんと殿方のお心を引き留めておかないからこういうことになるのです。きちんと殿下の言うことを聞き、それに従うことだけが貴女がすべきことでしょう? 一体何をしていたのです。よもや男爵家の庶子などに後れを取るなどと我が公爵家の恥をさらすつもりですかっ」
「申し訳、ございません……」
ゆっくりとうつむいた顔を見せたエリナ。震えながらもユリーナへと頭を下げる。その姿が更にユリーナを苛立たせた。
「エリナっ」
思わず手を上げようとしたユリーナの腕は、ライアットに直ぐに押さえつけられてしまった。
「何をするのです、ライアット! 離しなさいっ」
「……ルーウェ」
「何でしょう、兄上」
「エリナを部屋へ連れて行ってくれ」
「ライアット⁉」
己の言葉を無視して交わされる会話に、ユリーナはさらに声を荒げた。だが、ライアットもルーウェも意に介すことなくユリーナを無視する。ライアットの言に従う様にルーウェはエリナの手を引いてこの場を去ってしまった。
「エリナ、待ちなさい! まだ話は終わっていませんよ」
「母上。今は父上の帰りを待ってからです。話はそれからでもいいでしょう」
「何を悠長なことを――」
「母上が何を言おうとも、エリナを修道院になど入れません」
これ以上話をすることはない。ライアットはそれだけ告げると、掴んだ腕を離してその場を去ってしまった。
この時のユリーナには彼らの行動の意味がわからなかった。破棄されたことだけが重要で、それが自分の娘であることは社交界ではユリーナの醜聞ともなり得る。これまでのユリーナの人生において、唯一の汚点となるのだ。それだけは許せなかった。
その日の夜、夫であるナイレン・フォン・リトアードが帰宅した。その顔色は冴えず、どこか疲労感を持っている。それでもユリーナは問わずにはいられなかった。
「ナイレン様、エリナのことですが直ぐにでも修道院にいれるなりして我が公爵家から出すべきです
!」
「……なぜそう思う?」
「このままではリトアード公爵家の汚点になってしまいます。王家との婚約を破棄された娘を出したなどと」
そう、そのようなことあってはならない。その考えだけがユリーナの頭の中にあった。だが、ユリーナの言葉を聞いたナイレンは、深く息を吐くと上着のポケットから一枚の封筒を取り出した。それをユリーナへと差し出す。
封筒を受け取ったユリーナはその封筒に王家の紋章が押されていることに気づく。
「これは王家からの、ですか?」
「そうだ。陛下からの正式なものだ」
「国王陛下からの……」
陛下直々のもの。一体どのようなことが記載されているのか。緊張しながらもユリーナは封を開き、中の手紙を取り出した。そして内容に視線を落とす。すると思いもしないことが書かれており、ユリーナは困惑したまま手紙から顔を上げてナイレンを見た。
「これ、は」
「まだ内々ではあるが、現王太子は廃嫡される。そして王弟殿下の次男であるアルヴィス様がその座に就き、エリナはその婚約相手にと指名された」
「アル、ヴィス様?」
その名は聞き覚えがある。王弟殿下、即ちベルフィアス公爵の次男で現在は近衛隊に所属している騎士だ。王位継承権は第三位だったはず。いや、いずれにしてもアルヴィスは公爵家の次男でありそこにエリナが嫁いだとしても利はない。ということは、やはりエリナは中央から避けるべきだというのが王家の判断だということではないのか。
「そうですか……騎士の元へエリナを嫁がせよということなのですね。それも国王陛下の慈悲ということなのでしょうか」
「……きちんと話を聞きなさい。騎士ではない。現在は騎士ではあるが、直ぐにでもアルヴィス様は王家へと戻り立太子の儀も執り行われる」
「え?」
ナイレンは一体何を言っているのだろうか。困惑の中にあるユリーナには、状況が把握できていなかった。王家へ戻る。立太子の儀。アルヴィスは騎士ではなかったのか。傷物となったエリナへは騎士で十分だということでは。
いや、ナイレンはアルヴィス様だといった。いかに王弟殿下の息子だとしても騎士という身分相手にナイレンが敬称をつけるだろうか。答えは否だ。長い付き合いだからこそわかる。
エリナは慈悲を受けたわけではない。王家の者へと変わらず嫁ぐということなのか。それが意味することは、エリナに非がないこと。国王自らそれを認めているということに他ならない。
「……エリナは破棄をされたのですよ? それも公衆の面前でです。そのような娘を再び王家になど」
「ユリーナ。これは国王陛下からの打診だ。それに私は、エリナの父としてリトアード公爵としてこれを受け入れることを決めた。夜にでもエリナへと告げるつもりだ」
「何をおっしゃるのですか⁉ 一度でも傷物となった娘ですよ!」
「お前こそ何を言っている。ルーウェから聞いたはずだ。エリナに責はないと」
確かに言われた。だが、ユリーナにとってはエリナに責任があるかどうかなど関係がない。破棄されたという事実だけが重要なのだから。
破棄されるということはどちらかに問題があるということ。それも相手は王族だ。醜聞以外の何物でもない。ユリーナの父はそういったものを何よりも嫌う。少しでも汚点が付くと、それを排除しようとする。ユリーナもそれが正しいと、そういう考えで生きてきた。だからナイレンが何を言っているのか、その意味を理解できないのだ。
「ともかく、私は直ぐにでも修道院へ準備をいたします。このままではリトアード公爵家のためになりません」
そう動こうとしたユリーナ。だがその腕を強く引っ張られる。思った以上に強い力にユリーナは眉を寄せた。
「ナイレン様?」
「……暫くエリナとの接触は控えるように。今のエリナに君は毒にしかならないだろう」
「私はあの子の母親です。正しい道へと行かせるのが私の役割ですわ」
「母ならばなぜあの子の心情を慮ってやらない。同じ女性だ。君ならわかるはずだ」
「何をです?」
「……エリナはあの方に裏切られたのだ。それまでの人生を否定されたも同然。あの子は幼少期からずっとそのために努力してきた。君も知っているだろう」
努力してきた。それは当然のことだ。王太子妃となるのだから。だからどうだというのだろう。それは今回の件となんら関係がない話だ。
「君がすべきことは、エリナを受け入れることだ。それが母としての役割。違うか?」
「……」
「それがわかるまで、エリナと距離を置け。わかったな」
それは夫というよりも公爵家当主としての命令のようだった。ユリーナに出来るのは、頷くことだけだった。
それからしばらく、本当にユリーナはエリナとの接触はしなくなった。ただ使用人たちからは時折話を聞く。学園の寮で過ごすというのに、エリナの話題は尽きない。それは、婚約者である王太子殿下が理由のようだ。
「……まだ凝り固まった考え方をしているのですか母上」
「それがエリナの為でしょう? これから社交界であの子は後ろ指さされて生きていかなければならないの。そのようなことをさせるわけには――」
「後ろ指などさされません」
「そんなわけないでしょう」
「ではその目で確かめてみますか?」
ライアットに提案されたのは、王太子殿下の生誕祭への出席だった。もちろんエリナも出席する。ユリーナがエリナと会うのは、糾弾して以来のことだ。
そこで見たのは、ユリーナの知らない娘の姿だった。言葉を発さないことを条件に傍にいたが、王太子殿下と話をするエリナは、穏やかな様子。そしてそれを周囲が好意的に受け入れているのだ。ユリーナにとっては衝撃過ぎる光景だった。
それからユリーナは、常に混乱の中に置かれていたように思う。価値観が崩れるような感覚だった。どうしてなのだろう。そう問いかけても答えてくれる者は誰もいない。
ある日、寝室で休んでいる時にナイレンが傍に寄ってきた。あれ以来ギクシャクしていたので、傍にナイレンが来るのは随分と久しぶりだ。
「ナイレン様?」
「……王太子殿下とベルフィアス公爵夫人から君に頼みがあるそうだ」
「私に、ですか?」
「建国祭でのエリナに贈るドレスについて助言が欲しいと」
「……」
母であるからエリナのことを良く知っていると思われたのだろう。だが、それは違う。今のユリーナにはエリナのことがわからない。
「申し訳ありません。私は何も出来ないと思います。わからないのです。私はどうしていいのか」
「……ならば、ベルフィアス公爵夫人と共に相談してみてはどうだ?」
「ですが……」
ベルフィアス公爵夫人。王太子殿下の実母だ。だが、ユリーナはそれほど友好な関係ではなかった。そもそもの考え方が違っており、世辞を言いあう程度でしか会話をしたことがない。
「今の君ならば公爵夫人としてではなく、エリナの母として話が出来るのではないか?」
「……ナイレン様」
「少しずつでいい。せっかくの機会だ。どうか前向きに考えて欲しい」
それだけを告げると、ナイレンは寝室を出て行った。
一人残されたユリーナ。そのまま眠ることも出来ずに考え込む。エリナが公爵家の汚点だと決めつけ、ライアットやルーウェの言葉にも耳を傾けなかった。それは間違いだったのかもしれない。ナイレンは、公爵夫人としてではなく母としてと言った。エリナの母親として、娘のために。
「私に、出来るのでしょうか? これまであの子を否定してきた私に」
誰もいない部屋でユリーナはぽつりとつぶやいた。