書籍三巻発売&コミカライズ版発売記念SS「侯爵令嬢が無意識に感じたもの」
発売記念ということで小話SSを投稿します。
書籍版を読んでいることが前提になっているので申し訳ありません。。。
ハーバラ視点のお話です。
学園の卒業を目前に控えていたハーバラは、自室で手紙を読んでいた。実家のランセル侯爵家からのものである。
四大公爵家に次ぐ名門侯爵家の令嬢であるハーバラ。そこへ婚約の申し込みが来ているということだった。暫くそういったことからは離れていたいというハーバラの希望を両親には伝えている。きちんと納得もしてもらったはずなのだが……しかしそれは一時の感情で、ほとぼりが冷めれば気が変わることもあるのではないかと両親は思ったらしい。さらに、ハーバラにとっては親友とも呼べるほど仲が良いエリナの存在もあるのだろう。彼女は卒業を待って、王太子と結婚するのだから。友人が結婚をすることで、結婚への忌避感がなくなるのではということだろう。
「全く、仕方のない両親ですわ」
「旦那様方はお嬢様を心配されているのですよ」
「別に結婚するだけが人生のすべてではないのよ? 折角理解してくださったと思っていたところだというのに嫌なタイミングで婚約を申し込んで来られたことね」
婚約破棄騒動以来、ハーバラだけでなく貴族令嬢たちが貴族令息に対して懐疑的だ。そのような方ばかりではないと頭では理解しているものの、心が受け入れない。もう少し女性側にも選ぶ権利があってもいいのではないだろうか。とはいえ、それが貴族令嬢の役割といわれてしまえばその通りなのだけれど。
「お嬢様は、本当にもうご結婚はされないおつもりなのですか?」
「私は自分で働くことの楽しさを知ってしまったわ。今更、どこかの貴族家で妻の役割だけを果たせと言われても、そこに私の幸せはないと思ってしまうの」
破棄されてから沈み込んでいたハーバラを立ち直らせてくれたのは、商売だ。まだまだ力不足ではあるが、自分で悩みながら商品を開発していくのは嬉しい。さらに自分が作った商品を使うことで、女性たちが笑顔になるならばもう言うことはない。既にハーバラは貴族令嬢として家のために尽くすよりも、自分で立つことを選んでしまった。
「ただ……エリナ様を見ていたら、やっぱり私も誰かと結婚したいと思わないわけではないの。でも、そんなこと稀だわ」
先日、学園長室で見たエリナとアルヴィスの様子を思い出す。あんな風に誰かをまっすぐに想う。一方的なやり取りではなく、お互いを気遣える間柄である二人。婚約者にあのように優しい眼差しを向けられれば、惹かれないわけがないだろう。事実、ハーバラも羨ましいと思ってしまったのだから。割り切ったと言葉では言っていても、どこかでエリナのように愛されてみたいと願ってしまっているのもまた事実だった。
「王太子殿下は元々お優しい方なのよ。兄上様は、そう見えるだけだと仰っていましたけれど」
「シオディラン様は見た目通り厳しいお方ですからね。余計に王太子殿下がそう見えるのかもしれません」
シオディランが言うには仮面を張り付けるのが上手いだけだというが、そのようなこと公爵令息であれば当然だろうし、王太子ともなれば必須なものだ。それにもしかしたらエリナの前では仮面を脱いでいる可能性だってある。ぜひとも見てみたいものだが、そこはエリナだけの特権だ。
「兄上様は人のことを言う前にご自身がまず相手を見つけなければならないのだから、王太子殿下のことだけを心配していても仕方ないと思うのだけれど……やっぱり王太子殿下と兄上様はご友人ということなのでしょうね」
シオディランが饒舌に友人のことを話すなんて、明日は雪が降るのではないかと思うほどだ。だが、創立記念パーティーでの様子を見るに、二人は本当に信頼し合っている友人に見えた。ハーバラとエリナも仲が良いという点では負けていないと思うが、男性同士の友人というのはまた違う関係なのかもしれない。
「仲が良いというと、王太子殿下の侍従の方も」
思い出すのは学園での出会いだ。学園長室でのやり取りを見る限り、彼はアルヴィスとは侍従という以上に親しい間柄に見えた。
ハーバラは自分の提案を伝えた時のことを思い出す。彼は口角を上げて、まるでいいことを思いついたというかのように同意していた。その姿がとても印象的で頭に残っている。容姿が特段良いというわけではないのだろうが、黒髪に黒目の彼に目をついつい目を奪われてしまったのだ。
「侍従の方、ですか?」
「えぇ。エドワルド・ハスワークと名乗られたのだけれど……知っている?」
エドワルド・ハスワーク。ハスワークと聞いて浮かぶのはハスワーク伯爵家だ。だが彼は貴族ではない。貴族であることを示すミドルネームが付いていないからだ。それにハスワーク伯爵家はどちらかというと武門の家系。侍従になるような家ではない。
「現ハスワーク伯爵閣下の弟君なのですが、王弟殿下が臣籍降下する際に自らの貴族位を捨ててまで付き従ったという話を聞いたことがあります。もしかすると、ハスワーク卿はその縁で王太子殿下の傍におられるのではないでしょうか?」
「噂で聞いたことがあるわ。そう、それがハスワーク卿のご実家なのね」
貴族として生きることよりも、ベルフィアス公爵となる王弟殿下の傍を選んだ。それはもしかしたらその子にも受け継がれているのだろうか。職務に忠実ということは、彼にとって一番大切なものはアルヴィス。もし彼が婚姻を結んだとしても、一番には成りえない。きっとそういうことなのだろう。
「お嬢様、彼がどうかされたのですか?」
「……いいえ、ちょっとね」
「?」
一番には成りえない。ということは、彼が他の女性に懸想することはなく、職務を投げ出すこともないということなのではないだろうか。
ハーバラの頭の中に一つの考えが浮かぶ。もしかしたら、彼ならば良いパートナーになれるのではないかと。ハーバラは令嬢としてではなく、商人として働いていたい。自分に妻の役割を求める相手とは婚姻をしたくない。とはいえ、ランセル侯爵家の令嬢としていつまでも未婚のままではいられないということも理解している。ハーバラの我儘がいつまでも通るわけではないのだ。
だが、エドワルドが相手ならどうだろうか。彼は王太子の侍従。その家はベルフィアス公爵家に仕えてはいるがその血筋はハスワーク伯爵家のもの。ランセル侯爵令嬢が相手としてあり得ない相手ではない。強いて言うならばエドワルド当人に爵位がないことだが、未婚のままでいるよりは両親も納得するのではないか。我ながら良い考えだとハーバラは笑みを深くする。
「あの、お嬢様?」
「うふふ。それはそれで面白いかもしれないわね」
問題はエドワルドに婚約者がいるかどうか。慕っている相手がいるかどうかだ。こちらは商談という形で取引を持ち込みたい。だがあちらにもメリットがなければこれは成り立たない。いずれにしても、もう一度会ってからだ。エリナに仲介をお願い出来ないだろうか。それとももう少し情報を集めてからの方がいいだろうか。
愛されることが叶わなくとも、ハーバラはせめて自分の想いを貫きたいと願う。そのために協力してもらえるならば彼がいい。初めて彼を見た時に感じた直感を信じることにした。彼ならばきっと良い関係が築ける。
それがハーバラの二度目の恋だということに、彼女はまだ気づかない。