08 生と死のリアリティ
■はじまりの街・エルクレスト 中央広場 民家内
■11:55
男は四つん這いになり、土下座した。
「こっ、この通りだ! カードは返す! だから命だけは勘弁してくれっ……」
クロが私を一瞥する。言外に、殺せ、と言っていた。
「姉ちゃん悪かった……! 謝るッ! 手に入れた【交換】のスキルとやらを使ってみたら、近くにいた姉ちゃんのカードが手に入っちまったんだよぉ……」
「貴様、この期に及んで! ならば、この少年の武器を奪ったのはどう説明する」
「そ、それは……、でっ、出来心だったんだよ。新しい力が手に入ったら試したくなるのが人間だろ?」
男の言うことにも一理ある。私も【武器倉庫】で無双しようとしていた。
だが、殺したらNG行動をしたことになる。NG行動をすればどうなるか分からない。GMのキルキルの性格を考えるとその場で死んでもおかしくなかった。
前に出るクロを制し、努めて紳士的な口調で男に話しかける。
「殺しはしないさ。カードを返してくれたらそれでいい」
「本当かっ!? いやぁ、話が通じる相手で良かった。外国人だろう、君?」
「この外見はたまたまだ」
堕長耳族は私が好んで決めたわけではない。
「それじゃあカードを返すからな……。本当に、返すだけだからな?」
「ああ」
男は両手を上げながらゆっくりと立ち上がった。怯えているのだろう。
立ち上がった男をよく観察すると背の低い中年で、人懐っこそうな顔つきをしており、小さな丸い耳が頭の上に二つ乗っかっていた。たぶん、ネズミ。
VRの基本操作は心得ていないようで、カードホルダーから直にカードを取り出して、へらへらと笑いながらクロの前に出した。
クロがそれを受け取ろうと手を出した時、
「おっと」
カードが手から落ちる。
床に着地すると、コォォン、と変わったサウンドエフェクトが聞こえ――
「う゛っ!?」
腹に衝撃と痛みが走る。この肉体に臓器なんてあるわけないのに、激しい嘔吐感に襲われた。
男の蹴りが私を突き飛ばしたのだ。
私は民家の出口にいたため、そのまま中央広場までノックバックする。VR慣れしてない身体は受け身すら取れず、冷たい石畳に転がった。視界の端のHPゲージが減少する。腹部からダメージエフェクトらしい赤い燐光が漏れ出していた。
私はゾッとする。
これは流れ出る血の代わりなんだ。
男が民家から出てくる。
後ろからクロが覆いかぶさって取り押さえた。
「おらっ、ガキ! 離せッ!」
肘打ちがクロの頬に当たった。粒のような赤い光が舞う。
「離すものか! 貴様のような悪党を放ってはおけない」
「はん、悪党か。好きなように呼べ。俺は生き残って自由を手に入れるんだよ!」
男の肘がクロの肩に当たる。赤い光が漏れた。
「クロ! やめろ! ダメージを受けているのが分からないのか!?」
「コイツを殺してから回復すればいい!」
「そんなゲームみたいなこと……」
ああ。
私は納得する。クロがどういう理由で殺人犯になったのかも察しがついた。私にはないリアリティを彼女は持っている。
その時、空の果てから不穏な鐘の音が鳴り響いた。
――メッセージを受信しました
ウインドウが目の前に表示される。
このタイミングで男はクロを振り払い、クロを地面に押し倒した。
「クロ!」
彼女は軽く私を見て無事を知らせる。
しかし、男はその隙に、路地へ走り去ってしまった。
「クロ!」
クロに駆け寄り、彼女のHPゲージが1/5ほど減っているのを見て、私は肝を冷やした。
私の思いとは裏腹に彼女は拳を地面に打ち付ける。
「もう少しで殺せたのに。なんだ、このメッセージというのは!」
メニューを開く。赤い数字が付いている項目があった。
――フレンド 1
フレンド。大抵のゲームでは電話帳として使うが、私にフレンドなどいない。
タッチしてみるとフレンドが一人登録されていた。
「……キルキル」
〈キルデス・オンライン〉のGMだ。
メッセージのタイトルは『他のプレイヤーには内緒キル!』とある。
私とクロは目を合わせ、お互いに後ろを向いた。
メッセージを開く。
――今日のターゲット
ターゲット?
その文字の下には見知らぬ男の顔写真が付いている。現実世界の顔ではない。金髪で、犬のような耳があり、唇から顎にかけて傷のある男だ。
ターゲットについての説明はない。それが標的という意味なのはわかった。
代わりに、「初回限定ログインボーナス」と書いてある。
意味がわからない。
メッセージを閉じた時、ふたたびウインドウが出現した。
――初回限定ログインボーナス
――¥1,000を手に入れました
メニュー画面の右縁にある囲いの中の文字が更新される。
――¥1,000
所持金が¥1,000になった。
「おお」
私は嬉しくなって振り返ったら、クロと額をぶつけてしまう。
「痛っ」
「あぐ……」
額を押さえながら謝る。
お金が入ったことでクロは武器や回復アイテムの話をし始めた。私は中央広場の南側に『オク姉の商店』という名前の道具屋があったことを教える。
「そうか。あとで立ち寄ろう」
意外な反応に驚いた。
「あれ? あの男を殺すために武器を買う、とか言うと思ったのに」
「いや、それはそうなんだが……」
歯切れの悪い言い方をする。
クロは私から一歩、退いて勢い良く頭を下げた。
「すまない!」
「うわ、急になんだ?」
「わたしの疑いは間違っていた」
「ああ、それは気にしないでくれ。私も君を騙して危険に晒した」
スキル盗みという言い方がすでに嘘だ。
「あの状況なら騙すくらい当然する。貴様に何か詫びたい。何でも言ってくれ」
「そうだな……」
私はクロをまじまじと見つめる。人生でこんな美少女と出会ったのは一度もなかった。どうしよう……。
「あ」
「何だ?」
「一緒に来て欲しいところがある」
■はじまりの街・エルクレスト ベーカリー前
■12:10
「クロの分は私が払っても良かったのにな」
「いや、わたしの詫びなのだぞ? パンを一緒に食べるだけなんて、詫びになってるとは到底思えないというのに……」
私たちはベーカリーで焼きたてのバターロールを買った。
そのまま、私とクロが最悪の出会いをしたベーカリー前にいる。
「いいからいいから。早く食べよう」
――アイテム
――バターロール
タッチすると目の前にバターロールが現れた。香ばしいかおり。
私は勢い良くかぶりつく。外はパリッ、中はフワッ。
「うまいッ」
一瞬で食べ終えるとクロが困った顔をしながら、小さい口でパンを両手で持ちながら齧っている。ちょっと小動物っぽい。
パンで口元を隠しながら私をジッと見る。
「変わった奴だな。たかがゲームのパンだぞ? HP回復も少ないし」
「でもうまいだろ?」
「まあ、焼きたてのパンなんて、久しぶりに食べたからな……」
「ちゃんと噛んで食べろよ」
クロは黙々とバターロールを食べた。
「ごちそうさま。全く、パンを食べるだけでいいとは。貴様はこれでいいのか?」
「ああ。一人で食べるより、誰かと食べた方がおいしい」
「そうか……。貴様がいいのならいいか……」
クロは腑に落ちない様子だった。
「いや、待って。もう一つお願いが」
「何だ?」
「私のことはハクと呼んで欲しい」
シオンにもらった名前だ。それに、いつまでも貴様呼ばわりされるのは気分が良いとは言えなかった。
「わ、わかった」
クロは口を開いては閉じ、「ハ」まで言って、私と目が合った。頬に朱が差して、目を逸しながら小さく口を開く。
「……ハク」
名前を呼ぶだけでこれほど恥ずかしそうにするのを見て、ふと笑みがこぼれた。