06 スキル盗み
■はじまりの街・エルクレスト ベーカリー前
■11:30
スキルカード。
〈セブンシーズ・オンライン〉が、一時期、最もプレイ人口の多いMMORPGになった一番の理由だ。
スキル制MMORPGと同じように、プレイヤーの取る行動によって様々なスキルを会得できる。スキル制MMORPGというのは、例えば、料理をたくさん作ると料理スキルが上がっていき、やがてはドラゴンですら絶品グルメに調理できるようになる、というようなもの。
要するに、努力が必ず実を結ぶ世界だ。
私の持っている【武器倉庫】は、〈セブンシーズ・オンライン〉における全ての武器を収集したプレイヤーが手に入れるスキルカードで、ゲームの序盤でいきなり手に入れるようなものではない。
スキルカードは売ってお金に換えることができる。だが、【武器倉庫】は★6なので売買不能スキルだ。
「はぁ……」
がっくりと肩を落とす。
〈セブンシーズ・オンライン〉の醍醐味は、持っているスキルカードを他プレイヤーと売買できること。
メニュー画面を開いて、ウインドウの右縁に目を向ける。
――¥0
無一文なのだ。
なのにベーカリーから香ばしい匂いが漂ってくる。こんな良い香り、もう何年も嗅いだことがなかった。
ごくり。
私はガラスにへばりつき、中の様子をまじまじと眺める。
いっそ盗んでしまおうか……。
「泥棒!」
「えっ!? まっ、まだ盗んでないです!」
反射的にガラス窓から飛び退いて周囲を窺った。
道の向こうからネコミミを生やした少女が、長い黒髪をなびかせて駆けてくる。
まずい。
間違いなく〈キルデス・オンライン〉の参加者だ。
私はベーカリーの脇へ入り込み、びっこを引くように走った。
「くそっ」
VRMMOというのはこんなにも身体を動かすのが大変なのか!
路地の先を見ると〈森の海〉が見える。
モンスターが出現するエリアだが、むしろ〈キルデス・オンライン〉のルールを考えれば安全地帯だと思っていい。
ゲームの死がリアルの死とつながっている。
進んでモンスターがスポーンする地域に足を踏み入れるだろうか、いやない。
私はNG行動が「殺人」である。対人戦闘を行うだけ無駄だ。だが、相手がモンスターであれば、最強のスキルカード【武器倉庫】の出番である。どんなモンスターがスポーンするか、はっきりと覚えていた。
だが。
追いついた少女に取り押さえられて、〈森の海〉までたどり着けなかった。
「うつ伏せで両手を地面に付けろ」
凛とした声で命令され、ひんやりした石畳に身体と頭と両手を付ける。
出会い頭に殺されなかった。
もしかしたら説得の余地があるかもしれない。
「待て。私は泥棒などしていない」
「嘘つきだから泥棒になるのだ。信用ならん」
「寝ぼけたこと言うなよ。私たちは殺人犯だろう?」
思い切り背中を踏んづけられる。
「うげっ。……すまん。だが、私は泥棒ではない」
「黙れ。御託はいいから、さっさと返せ」
「返せって言ったって、盗んでないものは返せない」
背後でもぞもぞと動かれてこそばゆい。
「何、カードホルダーは開けられないのか? 泥棒、カードホルダーを開けろ」
「泥棒じゃないし、カードホルダーも開けられない」
「それが貴様が泥棒である証拠だ。わたしのスキルカードが入っているからな」
「オイ……、じゃあお前、スキルカードを盗まれたのか?」
「貴様が盗んだのだろうが」
少女はあくまで私が犯人だと決めつけているようだが、問題はそこじゃない。
「スキルカードが盗まれるなんてことあるのか?」
「だから貴様が盗んだのだろう!?」
「待て。本当に盗まれたのか? 落としたんじゃなくて?」
「な、なんだ急に……」
言葉に詰まっているようだ。
「状況を教えてくれ。どうして『盗まれた』と分かるんだ?」
「そんなのわたしが知るか! 手に持っていたら、突然、フッと消えたんだ!」
「フッと消えた? 何かエフェクトは出なかったか?」
「お、覚えてない……。というか、何なのだ貴様は」
本名を言おうと思ったが、やめる。
「ハクだ」
「それは名前か?」
「ああ、そうだ。お前は?」
「わたしの名など聞いてどうする」
「スキル盗みを捕まえるのに協力する」
後ろから、「うむむ」という唸り声が聞こえてきた。
悩んで当然だ。私が武器を隠し持っていれば、当然、この場で切り捨てる。その葛藤は正しい。私は武器を持っている。ただ、殺人には使えないだけだ。
信じてくれない相手は信じさせなくていい。
「私はいつでもお前を殺せる。だが、今は殺さない。協力する価値がある。スキルを盗む輩――スキル盗みがいるのなら早めに倒さないと危険だからだ」
少女が私から距離を取ったのが足音で分かった。
「付け加えるなら、私はこの場でお前を殺せるスキルを持っている。だが、そのスキルが盗まれでもしたら、お前だけでなく私もやられてしまう。そうするとスキル盗みを倒せるプレイヤーがいなくなり、輩の一人勝ちだ」
つまり、最悪のケース。
信じてもらえないなら損得勘定で動いてもらうしかない。
少女は腹をくくったようだ。
「なら、今日じゅうに捕まえろ。でなければ、貴様は犯人だ」
私はうつ伏せの姿勢から起き上がり、服の表を軽く払った。
「貴様じゃない、ハク……、だ……」
少女を睨みつけたつもりだったのだが、あまりに美しい相貌に息を呑む。
猫妖族の外見で、黒髪黒眼、黒い猫耳、黒尻尾。
なぜか彼女も目をまんまるにして私を見ていた。
「堕長耳族か? しかも、……ちっちゃい」
「あ、ああ」
たしかにこの見た目は驚かれても仕方ない。たぶん、参加者で最年少だ。だが、少女は10代のようだから、私よりも年下なのだ。
私は挨拶のつもりで握手を求めた。
彼女は握手を返す代わりに、軽くタッチする。それから、「ほう」と嘆息した。
「89だからハクか。ならばわたしは……」
少女のプレイヤーアイコンの上に「96」と表示されている。そういえば、シオンと手をタッチした時も相手のプレイヤーネームが分かるようになっていた。
少女はどこか嬉しそうな顔で、
「クロだ」
名乗った。だが、スグに凛々しい表情に戻り、石畳に腰を落とす私を見下ろす。
「貴様は貴様だ。逃げようと思うなよ」
クロは空で指を切り、半透明のパネルを操作する。
私の前にポップアップウインドウが表示された。
――パーティに参加しますか?
――YES NO
なるほど。パーティ参加者の居場所は丸分かりだ。
逃げるつもりなど最初からない。
私は迷いなく『YES』をタッチした。